あとひとつのキーワード 第03話

 靖則は、顔だけはいい男だから、目の保養にはなると思う。

 だけど心の中は、溝のような汚さで満ち溢れているに違いない。

 でもそれをどうこう言う資格は、私にはない。私も靖則と同じ穴の狢で、共に汚い心の持ち主には違いないのだから。

「そら、まだこんなに私に吸い付いてる」

 靖則の手がびしょ濡れになっている結合部を撫で、敏感になっているそこにゆっくりと爪を立てた。

「あああっ!」

 びくびくと身体を震わせて、靖則の首にしがみついたら、靖則は嬉しそうに声を立てて笑った。何度めかはわからない波に攫われて、涙でグシャグシャの私の目には、もう、靖則の表情もよく見えない。

 私を馬鹿にしているのか。

 それとも単純にセックスを楽しんでいるのか。

 ……罪を下す神のように、微笑みながらも瞳の奥に闇をたぎらせているのか────。

「感じやすい身体は、前世と変わらない」

 前世、パザン大佐だった靖則は言う。

 そのたびにおかしいと思う。

 ジョゼが愛していたのはレイナルド王子のはず。それなのにどうして、パザン大佐がジョセの身体を知っているのだろう。

 それに関する記憶は綺麗にない。

 思い出したくて靖則に術をかけてもらったけど、どうしても思い出せなかった。

 靖則にもわからないらしい。

「貴方はだれ……?」

「靖則です」

「わかってる……け……ど、なんか…ああ!」

 唐突に慾を抜かれ、滑る刺激に体中が震えた。びゅくびゅくと蠢いている部分に、靖則の容赦のない指がねじ込まれ、穿った。

「前世はパザン大佐。現世は靖則。それでいいでしょう?」

「ちが……、あ、あ、あァ! おねが……いや、それ!」

「ジョゼのように、他の男は咥えこまないようにしないといけませんね? 未だに真嗣が気になる貴女なんだから」

 敏感な芽を摘まれ、ただでさえ濡れそぼっているそこは、更に蜜を溢れさせていく。

「欲しいのなら、私だけだと言いなさい」

 今度は優しく撫でられて、気が狂いそうな甘いしびれに私はすすり泣いた。

 誰が言うものか。

 絶対に言わない。

 唇を噛みしめる私に小さく舌打ちした靖則は、乱暴に局部を愛撫し始めた。止めてほしくて懇願しても靖則は止めない。止めるわけがないのだ。これは恋人同士のセックスではなくて、罰なのだから。

 もっと苦しめと、沙彩が脳裏で私を嘲り笑う。

「このまま狂いたいですか?」

 顎を掴んだ靖則が、私に心が凍えるようなキスをする。

 狂いたくなければ言えと命令する男に、私はもう逆らえない。

 いつもそうなのだから……仕方がない。

「靖則、だけ」

「そう」

「だから……っ、」

 ようやく望んでいた熱い塊がずぶりと押し込まれ、私は声にならない声を上げてよがった。そして、乱暴に揺さぶる靖則にしがみついて、ただただ、その気持ちよさだけを甘受する。

「んん……、ん、ぁ、ああ! あっ! ぁああ!」   

 嫌いな男に抱かれていくうちに高まった官能に、嗜虐的な愉悦を覚えている私は、魔女のように性根が腐りきった女だ。普通の女ならそんなもの持ちはしない。

 心の奥底の闇の中で、真嗣さんならどうやって抱いてくれるだろうと、純真な乙女が囁くけれど、靖則の指に蕩かされた私はその気持ちに蓋をした。

「すみれ……」

 掠れた声で靖則が耳元で囁く。

 私をこれからも抱くのは靖則だけ。

 IFを考えても仕方がない。

 真嗣さんはもう、沙彩のものなのだ。

 いつものように靖則は散々私を蹂躙したあと、私を狭いユニットバスに連れ込んで、綺麗に洗ってくれた。潔癖症の靖則は、行為をしたあとは必ず身ぎれいにしないと我慢できないのだそうだ。

 それには全く同意だ。

 この時の靖則は、先程までの荒々しさはどこに行ったのかと思うぐらい紳士的で、やけに優しい手つきで私を綺麗にしていく。

 それから遅い夕食を二人で取る。

 団欒はない。

 靖則は、何も言わずに平らげていく。

 美味しいとも不味いとも言わない。

 食というものに興味がないのかもしれない。

 少し前に嫌味で、今日の夕食は機能食品を一袋だけだと言って手渡したら、文句を言わずにそれだけを食べ、おかげでこっちもその機能食品だけになり、ひどくお腹が空いて困った。

 もう二度とこんなことはしないと誓った。

 この嫌味は、靖則が私にお金がないと思わせたようで、後日、銀行口座に十万も振り込まれてしまった。びっくりして返そうとすると、食事はきっちり取るべきだと諭され、それ以降毎月十万振り込んでくる。いらないと言っても聞かないので、もう何も言わないことにした。いつか返すつもりで別の口座に貯めている。

 食事が終わると、食器を洗って片付け、ローテーブルを畳んで隅に置き、空いた畳の上に一組のダブルの布団を敷いて寝る。靖則も一緒だ。

「おやすみ」

 それだけを言って、靖則は仰向けに目を閉じる。私は何も言わずに照明を消す。

 布団にもぞもぞと入って、ばれないようにため息をついた。

 もうお互いの身体には触れない。

 かすかな温もりも遠い。

 まるで憎み合っている夫婦のように、極力離れて私達は眠る……。

 

「なんで倉橋さんは何もしなくていいのよぉ」

 私の仕事はしがない一般事務だ。

 事務といえば雑用全般を受け持つものだから、私のやっている事務は、一般事務には当てはまらないかもしれない。私は来客に応じることもないし、お茶を入れることもない。電話も出ない。黙々と伝票を処理したり、文書を作成したり、帳簿をつけていくだけだ。

 だから、不満を持つのは当たり前だ。

 こんなふうに聞えよがしに文句を言うのは、同じ事務の河合さん。愛くるしい顔の女性で、健全な意味で男性の社員に人気ある。

「仕方ないわよ。コネ入社だもん。お優しいお嬢様に宛てがってもらったんだから」

 棘たっぷりに賛同するのは、28歳のお局の河原崎さん。

 この二人は、この間更衣室で聞き耳を立てていた二人だ。

「お優しいお方よね。自分の婚約者を盗ろうとした女に楽な仕事を与えてくださるなんて」

「ほんとほんと。こっちはいい迷惑だけど!」

 毎日のごとく繰り返される嫌味攻撃。

 数人いる他の社員も同意見なのか、何も言わずに仕事をしている。

 私も、いまさら気にもならない。

 仕方ない。

 これは自分のやったことに対する結果なんだから。

 

 無言で伝票を入力していたら、隣のパソコンの席にひなりが座って二人に言い放った。

「うっさいわねえ、あんたたち。同じことを痴呆の老人みたいに繰り返してないで、さっさとお茶ぐらい出してきなさいよ」

 二人はひなりを鬼のように睨んだけど、ひなりはどこへ吹く風とばりに涼しい顔で、自分の帳簿をパソコンへ入れていく。

 ちょっと驚いた。

 それでも黙ってそのまま入力を続けていたら、ひなりはこちらへ向くこともなく言った。

「あんたも沙彩の言う事ばっかり聞いてないで、普通にしてたらいいんじゃないの?」

 内情を知っていそうな口ぶりに、私は驚いてひなりを見た。

 ひなりの目線は、パソコンのディスプレイに向けられたままだ。

「そりゃなんらかの報復だろうけど、あの女のほうがどう見ても悪よ。ビッチもあっちのほう。あの女、結婚するまで何人の男がいたことやら。この会社では知らない人が多いみたいだけど」

「沙彩のことを知ってるの?」

「腐れ縁ってやつよ。あんた、多分、あの女に騙されてるわ」

「ふうん」

 私はディスプレイに目を戻した。すると今度はひなりがこっちを見た。

「ふうんじゃないでしょ。突っ込みなさいよ」

「私は確かに、沙彩の婚約者を盗ろうとして失敗したわ。騙すも何もないもの」

「はあ。ネガティブの塊みたいな女ね。そんな暗さでよく他人の男を盗ろうとしたわね」

「誰も彼も、太陽みたいにクソ明るい女が好きなわけ無いでしょ」

 もういい加減に仕事に集中したくて、つっけんどんに言ったら、ひなりが突然大声で笑いだした。

総務の皆もぎょっとしてこちらを見ている。

 ひなりはひとしきりに笑ったあと、私に言った。

「そうよね。私はあんたみたいなタイプ、好きだもの」

 皆がざわめく中、私は信じられない思いで、本気かこの女とまじまじと見た。ひなりは本気なようだ。

「……私は嫌いだわ」

「言いにくいことをはっきり言う女は、好きだわ。愚痴愚痴影口叩く誰かさんたちとは大違いね」

 ちょうどお茶出しから帰ってきた二人を見ながら言う、性格の悪いひなり。案の定二人は目を怒らせてひなりを睨んだ。

 ……本当に面倒な職場だけど、仕方ない。

 嫌われて孤立させるという沙彩の目論見は、変なところから崩れていくようだ。

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