あとひとつのキーワード 第08話

 夢の中で、私はカンテラのようなものを持ち、夜の暗闇の中を、腰に剣を佩いた男と二人で歩いていた。魔法の壁のようなものが二人を包んでいて、二人の姿を他人に見えないようにしている。その術を編んでいるのはジョゼである私だった。

 男が口を開く。

「ジョゼの力を大いに利用させてもらったよ。ありがとう」

「恐れ入ります。でも、これで本当に王子のお立場は良くなりますの?」

「なるとも。私の立太子に反対する筆頭が、今回、お前が排除した人間だったのだからね。……そういえばパザンはどこにいる?」

「大佐なら、宰相閣下のお屋敷です」

 男は深く頷いた。

「なるほど。あいつは本当に気が利く。私が何も言わずとも行動してくれる。優れた部下を持って、私は幸せだ」

 ジョゼである私は立ち止まった。

 相手の男も立ち止まる。

「どうした、ジョゼ?」

「……いえ、なんでも。あ、夜が明けてまいります」

 紫紺の空が茜色に変わってきている山の端へ、生い茂る木々の上を貫くように、ジョゼは人差し指を向けた。

 空に浮かぶ星座の煌めきは、太陽の黄金の輝きの前には無力だ。空の色は静かに白く空けていき、煌めきが一つ、また一つ、消えていく。やがて、周りの視界がはっきりとしてくる頃、太陽が顔を出した。

 二人は、黙ってその様を見つめていた。少なくともジョゼはそうだった。しかし、気がついたら温かかな男の手が、自分の右肩を抱き寄せていた。

「あ、あの、王子……」

「うん? 二人だけの時は、レイナルドと呼べと言っただろうに」

「大佐に見つけられたら、いいえ、ソフィア様がご覧になったら、きゃあ!」

 抱きしめられてジョゼは頬が火照った。この場所は王城から離れているとはいえ、王城へ務める者たちの登場の際に使われる道に近い。誰に見咎められるかわかったのものではない。

「ソフィアの名は出すな。あの者との婚約は解消するつもりだと、いつも言っているだろう」

 レイナルド王子の唇が、ジョゼの頬を滑る。それがくすぐったくて、ジョゼは身をよじったが、王子は許してくれない。ますますからかいは深くなる。

「でも、あの宰相様が、ご自分の息女を王妃に据えることを諦めるとは思えません」

「諦めさせるように仕向けるのだ。その一つにお前の魔法が役に立つ。見事宰相たちを負い落とせた日には、ジョゼ、お前が王妃になるのだ」

「誰が聞いているかわかりませんのに」

「結界はお前が張っているではないか。この見事な術の綾よ。お前以外に、これほどの強固な術を使える人間は、この国にはおらぬ」

「レイナルド様……」

「愛している、私のジョゼ」

 王子の唇がジョゼのそれと重なる。抱きしめられてじっと王子を見上げていたのにも関わらず、王子の顔ははっきりとしない。ジョゼは王子を愛おしいと思っているらしく、先程から心臓が破れてしまいそうなぐらいに、強く脈動し、痛いぐらいだ。

 思う様に唇を貪った王子が、ジョゼの赤い耳に吐息をまとわせて囁く。

「お前はまるで、夜明けの美しい青に煌めく星……────」

 その言葉にジョゼがハッとした時、私は目覚めた。

 

 日焼けのシミがついている、古いアパートの部屋の、いつもの天井だ。

「…………」

 さっきまで、確かに私はジョセフィーヌで、一緒にいたのはレイナルド王子という男の夢を見ていた。

 今日は雨のようで、窓を叩く雨音がカーテン越しに聞こえる。

 もう秋も深まってきた、そのうちみぞれ混じりの雨になり、雪へと変わっていくのだろう。エアコンをつけるほど寒くはないので、そのまま布団を畳んで押し入れへしまい、服に着替えた。

 顔を洗って、冷蔵庫から朝食用に残しておいた惣菜を取り出して、電子レンジで温めている間、頭に何回もレイナルド王子が囁いた言葉がリフレインした。

 靖則が言っていた言葉と、全く同じだ。

 ということは、靖則はレイナルド王子という男なのだろうか?

 前世の私の所業を見せた靖則だけど、自分は誰かとは今まで一度も言っていない。私にバレるとまずい何かがあるからなのだろう。

 それにしても、こんなにはっきりと夢に見るのは初めてだ。靖則に見せられる映像は無理矢理という力を感じて辛く感じるけれど、今回の夢の中ではすべてが自然ですんなりと頭に入り、より一層鮮明さが際立っていた。

 温めが完了し、皿に移し替えて、一人でひっそりと朝食を取る。

 雨はいよいよ強くなっている。

 今日は会社に、着替えを持っていったほうが良さそうだ。アパートから駅へ着く際は大丈夫そうだけれど、駅から会社までが少し遠くて、ずぶ濡れになる絶対に。

 その夢のことが気になって、単純な伝票の科目分けが今日の仕事だったのにも関わらず。凡ミスを連発しまくってしまった。

「倉橋さん、今日は一体どうしたの? 凡ミスがやけに多いけど」

 昼食の時間、同じ課のお局のおばさんと、新卒の子の三人で、食堂でご飯を食べている。

新卒の子が、お局のおばさんの横で同じように私を見ているのは、普段ミスを連発したりしているのが、その子の方だからだ。

「すみません。ちょっといろいろとありまして」

「具合が悪いのなら帰ったほうがいいのではない? 半休が使えるわよ」

 体調の心配までされてしまい、恐縮してしまう。大抵の会社のお局は意地悪なんだそうだけど、この人はそうではなく、まるで私の死んだ母のように明るくて優しい人だ。仕事はしっかりできるし、直属の係長からも、課長からも信頼は篤い。

「さては、あの彼氏のせいではありません?」

 新卒の子が嬉しそうに言い、私はキツめに睨んだ。以前、たまたま出先のレストランで、真嗣さんにエスコートされているところを、同じように食事に来ていたこの子に見られている。

「まあ、倉橋さん、ようやくお付き合いするような男性が現れたの?」

 お局が乗ってくるので、参った。こういう場所は人が聞き耳を立てているから困る。食べていた食後のお菓子を持て余しながら、私は曖昧に微笑んだ。

「内緒にしておいてください。ややこしいことになるんで」

「恥ずかしがりねえ。貴女も見習いなさいよ」

 お局が新卒の子に注意するのは、なんと会社の机に彼の写真を堂々と飾って眺めているからだ。二ヶ月後に挙式だから、浮かれても仕方ないかもしれないけど……。

 

 午後はなんとかミスをすることなく終わり、ホッとして社屋を出た。

 今日は誰からもメールはない。家でゆっくりしよう。

 2日前にたくさん買ったから、食材を買う必要もないし……。

 朝の雨がうそのようにからりと晴れ上がり、夕方が綺麗に見渡せる。

 忘れかけていたレオナルド王子の言葉が、また頭の中に浮かんでくる。忘れようったって、全く同じ言葉を口にしていたら気になるわよね、普通。

 

 アパートに帰ってきて、部屋の方を見上げると人影があった。誰だろう……。

 宅配の人のわけはない。

 その人が乗ってきたと思しき車もない。やだな、変質者かしら。遠くから見て知らない人だったら、警察を呼ぼう。

 そう思いながらそっと伺うと、座り込んでいるのはなんと上塚の父だった。

 ……何をしているんだこの人。

 靴の音に気づいて顔を上げた父は、やっと帰ってきたのかと言って立ち上がった。

「なんの用ですか? ご用件なら先日伺ったと思っていましたけれど」

「そうじゃない。あの場では言えなかったことがある。部屋へ入れてくれないか?」

 嫌だという思いのほうが強かった。

 だけど、先日の父とは打って変わって、今日の父は素直な光を目に宿していた。少し話を聞くくらいならいいじゃないかと思い直し、部屋の中へ入れた。

 部屋に他人を入れるのは初めてだ。父は身内になるけれど一緒に住んでいたわけじゃない。他人だ。だから私はこの人をお父さんとは呼ばない。

 私がお茶をいれる間、父はじっとローテーブルの前に座り、タンスの上に飾っている母の写真を見つめていた。

「で、なんの話ですか?」

 向かい側に座ると、父は今度は私をじっと見つめた。先日よりは元気そうな感じがする。

「お前、上塚の家を継ぎたいと思っているのか?」

「え?」

「もしそのつもりなら……」

 言いかけるのを私は止めた。確かに奪ってやりたいと思っているけれど、こんな形で聞かれたら慌ててしまう。

「どこかどう繋がって、そんな結論になるわけ?」

「沙彩と妻が言うんだ。おまえが上塚を乗っ取る気でいるに違いないと。だから」

「止めに来たってわけね?」

「違う。その気なら協力してやろうかと思ったんだ」

 予想外の言葉に、私は呆気にとられた。だけど、沙彩の罠かもしれないので、うかつなことは口にできない。

「どうしてそんな話をするの?」

 さっきまでの素直さが瞳から消え、何かどす黒いものが父からにじみ出てきた。

「……お前は、私が母さんと出会って、お前が生まれて、それなのにお前たちを捨てた経緯を聞いているか?」

「粗方お母さんから聞いています。祖父母に当たる方々が、離婚させたと」

「そのとおりだ。本当は私は嫌だった。だけど離婚して沙彩の母親と一緒になるしかなかったんだ。さもないとお前たちの命はないと脅迫されていた」

 父の様子から見て、そんな辺りだろうとは思っていたので、私は黙っていた。沙彩やあの女なら、そうやって父を脅しかねない。父が好き好んで私達を捨てたとは思ってもいなかったし、財産に目が眩んだとも思えなかった。沙彩親子と父は人種が違いすぎる。そして、あの二人より、あきらかに父のほうが格下の扱いを受けているように見えた。

 お茶を一口啜った。

「で、なんで今さらそんな話をするの?」

「お前が俺達を憎むように、私もあいつらを憎んでいるからだ。爺様も婆様ももうこの世にはいないからできないが、沙彩と沙彩の母とその両親には復讐できる」

「……沙彩は貴方の子供でしょう?」

 くっと父は笑った。

「違う。沙彩は別の男の子供だ。沙彩の母は男には事欠かない淫乱な奴だ。私とは一度も寝所を共にしたことはない。あいつが私と結婚したのは、上塚の持っている土地が目当てだったんだ。私はそれを知っているから、あいつらにはまだ渡していない。渡す気もない」

 すっかり、得体のしれない光を帯びた父の目は、正気を疑う異様な色をまとっていた。

「……会社や家は……」

「とっくに奪われている。あの家や上塚の会社の支配者はあいつら二人だ」

 面倒なことになった。父は父なりに沙彩たちに苦渋を舐めさせられているらしい。だけど、私は真嗣さんがほしいだけであって、上塚は正直な話どうでもいい。実際問題、真嗣さんと結ばれるには必要そうだから、ほしいとは思っているけれど……。

「私に財産分与をして、何か言われたりしませんでしたか?」

「言われたが無視した。第一あれは私の金だ。あいつらのじゃない」

 大した金額のへそくりだ。

 共謀してもいい気がするものの、何かが私を止める。それは私の運の悪さだ。前世では殺されているようだし、今世では長い間私生児扱いだった。今は沙彩のおもちゃになっている。こんな状態からすべてを引っくり返す力があるだろうか、何も持っていない私に。

 考えてみて、確かに靖則の言うとおり私は頭が悪い。感情論が先走っていて、実際の行動が行きあたりばったりすぎる。これがこの父の遺伝ではないと言い切れるだろうか。父がもしも復讐を成功させるような男なら、とうの昔に成功しているだろうし、母と結婚したまま、上塚の家を継げた違いないのだ。

 改めて冷静に考えると、上塚を乗っ取るのは難しい。私は人を惹きつけるようなものはもってないし、その行動力もない。人脈もない。

 父も同じだ。だから娘の私にこんな話を持ちかけるのだ……。

 

 だけど。

 だから。

「私には無理です。そして貴方にも無理でしょう。止めておいたほうがよろしいのでは?」

「すみれ」

「母もきっと望んでいません。そんなことを望む母でしたか?」

「麗子は……」

 言いかけて、父は俯いた。

 やはりこの人はこの程度なのだ。この程度で説得を諦めるような人間と、手を組むのは危険すぎる。

 すっかり子供のような素直さを表した父に、私はこう嘯いた。  

「復讐は天にあるわ。だから何もしないのが復讐になるんじゃないの?」

「本当にそう思うか?」

 単純な父は、これだけで復讐を捨てられるらしい。

「ええ」

 だから真嗣さんとの仲は邪魔をするなと、私は心内で冷酷に父に向かって呟いていた。

 私はこんな形で父親に復讐している。

 そしてこんなことを望む愚かな娘だ。

 真嗣さんが欲しい。

 真嗣さんを奪い、あの沙彩を懲らしめることができたなら、どれだけ私は幸福だろう。

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