あとひとつのキーワード 第22話

 不意にバリアーが消えた。

「どうしてなの? どうして封印が完全に解けたの? すみれが靖則を許すはずがないのに……!」

 沙彩が悔しさを滲ませて言う。

「何を言っているの?」

 沙彩に振り返ろうとしてふらついて、靖則に支えられた。魔力がすっかり戻ったようで、体重を預けても大丈夫だ。目覚めたひなりが私達の方へ走りより、沙彩と真嗣さんに対峙する。

 沙彩の罵倒が襲い掛かってきた。

「すみれ。貴女はどこまで恥知らずなの? レイナルド王子どころかこの男まで許すつもり? わかってるんでしょう? 二人共貴女を陥れて裏切ったのよ。不幸へ追いやったのよ!」

 何を言っているのだ、この妹は。

「陥れたのはあんたでしょうが、沙彩」

「今世ではね。前世ではレイナルド王子自身が、嘘をついてあの処刑部屋へ幽閉したのよ! それなのにどうしてそれを許すの!」

 ……間に何人かの思惑が入りそうな気がするんだけれど。

 そう思っていたら、ひなりが大笑いした。

「これはおかしなことを言うわね。あんたたちってどこまで性根が腐ってるのよ! 邪魔な政敵をレイナルド王子とジョゼを使って葬り去り、魔力が尽きたところで魔力封じをして、監禁して、己の意のままに操ろうと企んでいたくせに。ま、私達もその地点では同罪なのだけど」

 後半だけひなりはしゅんと言葉を弱くした。

 うん。記憶にあるとおりだ。

 私は更に何かを言おうとするひなりを止めて、沙彩と真嗣さんに向かい合った。

「残念ながらジョゼの魔力は化け物級で、あの程度の魔力封じぐらいでは、枯渇状態でも封じられるものじゃなかったの。フリをしていただけなの。彼女は、全て未来が見えていたのよ。私に生まれ変わって、どういう人生を歩まされるか、までね」

「は?」

 さも馬鹿にしたように沙彩が首を傾げる。ひなりは目を瞠って驚いている。

「ジョゼは最後の最後までレイナルド王子を許していたし、未来永劫その想いは変わらないと自負していたわ。だけど、倉橋すみれがどこまで人を許せるかまではさすがに見えなかった。彼女もただの人間に過ぎなかったから」

 靖則の腕から出て、私は一歩二人の前へ出た。

「な、なによ。私は謝らないわよ! あんたなんて上塚の汚点そのものじゃない」

 沙彩が怯えたように後ずさる。私の溢れんばかりに圧倒する魔力が怖いらしい。

「謝罪なんていらないわ。聞きたいのよ」

「何を?」

「あんた、レイナルド王子を愛してたの? 靖則を愛してたの?」

 私の言葉を聞くなり、沙彩は顔を赤く染めて目を釣り上げて怒りを爆発させ、己の魔力を増幅したかと思うと、私に物凄い勢いで炎を投げつけてきた。もちろんそんなものは靖則が払ってしまう。完全に魔力を蘇らせた靖則は、私同様敵なしだ。

 それでも沙彩は攻撃を止めない。凄まじい攻撃が断続的に繰り返されるせいで、さすがに靖則も私を抱えて後方へ下がった。ひなりも加勢している。真嗣さんが沙彩を宥めようとしても、ひなりは聞かない。

「うるさいうるさいうるさい! この……そのへんのゴミや虫と変わらない卑しい女が……! 舐めた口を……ッ! 生意気な!!!!」

「私は愛してるのかどうか、聞いているのよ」

 ごうと炎がまた襲い掛かってくる。沙彩の怒りは凄まじい。

「あんたなんかに教えてたまるものか! いつもいつもあんたはそう! 前世でも今世でも邪魔しに現れて、どれだけ泥に沈めても浮かんでくる。その汚い足で私の美しい庭園に勝手に侵入してくるのよ!」

「沙彩」

「汚らわしい! 私の名を口にするな!」

「ソフィア」

「その名前もよ! 身の程を知れ蛆虫の分際で!」

「ジョセフィーヌの何がいいの。あの程度の魔力私だって持っていたわ。私のほうが身分も高いし美しかった。あんたなんかの何がいいの。暗くてしみったれてて不細工で卑屈な女! 私のほうが誰が見たっていいじゃない! それなのに……それなのに、どうして靖則は、レイナルド王子はあんたやジョゼを選ぶのよ!」

 沙彩の前世のソフィアがデジャヴする。

 あの処刑の日、あまりに二人が遅いとやきもきしているところへ、近衛兵たちが報告へ来て、宰相とソフィアが駆けつけた時にはすべて終わったあとだった。

 レイナルド王子は、寝台で、殺したジョゼフィーヌの横で、首から血を流して眠るように死んでいた。

 ソフィアの中で怒りの炎が吹き出した。

 レイナルド王子は嘘をついてこの部屋に入り、この先地獄しか無いジョセフィーヌを殺すことで守ったのだ。さらに、ジョセフィーヌを使っての繁栄の魔法を阻止するために、己自身を使って繁栄の魔法を発動させた。

 ソフィアはレイナルド王子がジョセフィーヌを殺して命乞いをしたら、自分の愛人として遇するつもりだった。

 それなのに、こんな下賤な女にの身代わりに死んでしまって、すべてが水の泡になってしまった。

 レイナルド王子のジョセフィーヌへの深い想いを瞬時に悟らされ、少女のように眠るジョセフィーヌが、ソフィアは憎くて憎くて仕方がなくなった

 にらみ続けているうちに、ジョセフィーヌが掛けた封印魔法を感知した。さすがの彼女もレイナルド王子の心はわかっていなかったのを知る。

 

”レイナルド王子の生まれ変わりが自分を愛し、また自分が姿形が変わったレイナルド王子を見破れば解呪する”

 来世も自分が同じように彼を愛したら、また尽くしたい。また、愛されたいと願うジョゼの思いが詰まった封印魔法だ。

 愛されていることを知らなかったジョセフィーヌをあざ笑うと同時に、来世で少しでも愛されたいと願う、その厚かましさにまた憎しみが深まり、ソフィアは必ずこの屈辱は来世で晴らしてやると心に誓った。

 この世に生まれ、物心がついてすぐにすみれの存在を知り、居場所を特定すると、じわじわと不幸になるように手回しを開始した。人を使って仲間はずれにして孤立させ、何をやっても不幸せになるように持っていく。母の麗子を憎んでいる沙彩の母も加勢した。思うように不幸になっていく母子が楽しくて仕方がなかった。

 病院で母の麗子を追い詰めて、命を縮めたのも良かった。骨と皮だけになった無様な姿に、沙彩の母も胸がすいたようだった。

 弱虫な父は、愛したはずの女性を守りもしない。とことん馬鹿だと軽蔑したが、それは都合が良かった。

 だが……娘のすみれは、どれだけ甚振っても、どうしても目の光の強さが消せなかった。それに強く惹かれる靖則を、変えることも出来なかった。

 いつもいつも、二人の前では沙彩は敗者なのだ。

「私を愛さない靖則なんて、一生その女に憎まれて苦しみ続ければいいのよ。ずっとずっと軽蔑されて拒絶されて、前世での自責の念に苛まれ、今世でのひどい仕打ちに苦しんで、望んでも得られない心を渇望して、めちゃくちゃになればよかったの! それなのに……!」

 ずいぶんと屈折した愛情表現だ。それでは靖則の心でも掴めまい……。

「あんた馬鹿じゃないの? そんなふうに私を虐めて苦しめて、靖則の意思に反して酷い行為を強要するような女を、愛せるわけがないしょうが普通……」

「うるさいと言ってるでしょ。あんたなんかに言ってない!」

「言ってなくても言いたくもなるわよ……。あんたが私に仕掛けた行為を思い返しみたら、普通の神経持ってる人間なら、誰でもあんたが嫌になると断言できるわ」

「黙れって言ってるでしょ! あんたは引っ込んでてよ! 靖則……ねえ、どうしてなのよ!」

 そんなの靖則だって返答に困るだろう。さっきこの女が私に言ったマゾならともかく、前世が気高い王子だった靖則にとって、意思を束縛して操る魔法を仕掛ける女なんて、与えられた屈辱で嫌いになりそうなものだ。

 でも、靖則はそう言わなかった。

「お前には父母が居てこの家がある。そして北山がいるだろう。私など必要ないだろう」

 靖則自身が口を開いたことによって、やっと沙彩は怒りが収まったらしい。ひなりが私達の後ろで「馬鹿の典型」と小声で言うので、これ以上話を拗らせないよう後ろ足で軽く蹴飛ばした。

「前世で、お前を愛せなかったことは悪かったと思っている。だが、ジョゼやすみれにしたことは許しがたい行為だ。彼女を傷つけることは私を傷つけることだと、お前はわかっていない。そうであることが我慢できないというのなら、お前が愛しているのは自分であって私ではないということだ」

 沙彩は真嗣さんに抱き寄せられて、真嗣さんを見上げ、靖則を見た。 

「北山もおまえも、愛する人間を痛めつけることで悦に入る、悪魔のような部類の人間だ。仲良くなるどころか、愛することすら難しい」

「また、私よりその女を選ぶの? 来世も同じだというの?」

「来世など知らない。もう私は、前世など忘れたい。魔力などもう必要ないし、ただの榊原靖則として生きていたい。私がお前に対して望むものがあるとすれば、もう罪を重ねないでほしい。それだけだ」

 部屋の中は酷い有様だ。沙彩が荒らしまくってくれたおかげで、あちこちが焼け焦げたり、壊れたり、焦げ臭い臭いが漂っている。

 沙彩は靖則の言葉をどう取ったのか、真嗣さんを再び見上げた。

「真嗣さんはどうなの?」

 すると真嗣さんは、いつか私に向けてくれた、あの優しい笑みを沙彩に向けた。

「沙彩の望みどおりに。すみれさんを不幸にしたいのなら手伝ってやる。靖則を地獄へ突き落としたいのなら、手配してやろう。今、どうしたい?」

 物騒な物言いだ。真嗣さんの頭は狂っているとしか言いようがない。元があの宰相なのだからさもあらんだけども。

 沙彩は珍しく、悲しそうに目を伏せた。

「だってあの二人、どれだけ痛めつけても効果がないわ。靖則は私を選んでくれない。すみれは泣きもわめきもしない」

「うん」

「……もう、飽きちゃった」

「そう」

「あの二人に構うの、止める」

「うん。それがいいだろうね」

 沙彩はもう私達など見ていない。真嗣さんだけを見ている。

「私はこれからどうしたらいいのかしら?」

「これまでどおり、女王のように振る舞ったらいい。私はそのサポートをする。不服かい?」

 勝手な言い分だ。人を散々なぶって人生を狂わせておいて、何様のつもりなんだろう。私と靖則はこの二人のおもちゃではない。そして、謝罪のひとつも口に出ない。最低な人間たちだ。ひなりが言った。

「結局、この二人は自分しか愛せないのよ」

 全く持って同感だ。そして私達も似たようなものだ。ただ、その影響が少ないからバレにくいだけに過ぎない。

 私は人を救いたいとか、幸せにしてあげたいとか考えない。

 そもそもそれは傲慢な考え方だと思うから。真面目に仕事して、家へ帰って休んで、御飯を食べて、自分が快適に過ごせたらいいなと思って過ごしている。沙彩の場合は、人を地獄に突き落とすことが幸せなのだ。ずいぶんと傍迷惑で、罪が重そうな幸せだ。

 だからそれだけ、靖則とひなりの愛情を強く感じてしまうのだ。

 沙彩は、さっきまで悪鬼のように暴れ狂ったのが嘘のようにおとなしくなり、真嗣さんがその身体を抱き上げた。

「すみれさん。榊原が嫌になったらいつでもいらしてください。お待ちしてますよ」

「行きませんよ。自意識過剰も程々にして」

「でしょうね。沙彩が喜ぶかと思っていろいろやってみたんですが、力不足だったようです。まったく、君たちは前世でも今世でも私達をいらいらさせる」

「私達は貴方達のゲームの駒ではないのよ。そう思っている限り、勝てはしないっつーの!」

 ひなりが吐き捨てるように言い、思い切り舌を出した。真嗣さんは、怖い怖いとわざとおどけてひなりを逆上させ、そのまま部屋を出ていってしまった。

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