びけいこわい 第06話

 とても息苦しい……。

 目を開けたら、漫画みたいにやたらと綺麗な顔のドアップがあって、心臓の鼓動が一瞬おかしくなった。

 身体じゅうべたべたで怪しい臭いがする。

 ああ、俺の馬鹿。やっちまったんだよな!

 あほ過ぎるだろう!

 変な薬は切れたらしくてやりたいとは全く思わないだけに、熱に浮かされたようにああだこうだとねだった俺の記憶が決壊した川みたいに溢れだした。

 尻が痛えんだよ、くそが!

 この変態のせいでな!

 だがその変態にアンアン言ってた俺も、変態なんだろう。

 スマホが鳴ったので、出ようとしてベッドから転がり落ちた。

 うう、腰が立たねえ……。

「いってえ……」

「大丈夫、薫?」

 目覚めた、腰が立たない原因にベッドに戻される俺。情けねえ。俺の代わりに千川はスマホを取ってくれた。

 表示されているのは、響だ。

 ちらりと千川を見ると、千川は意地の悪い笑みをにやりと浮かべて、出るように促しやがる。

 出てけよ部屋から。

 目で言っても通じねえ。奴はすっかり俺の恋人気取りだ。何しろ言質がとってあるからな。ベッドの上の、そのうえ卑怯な薬のせいで言わされたと約束だから、無効だと言っても変態には通用するまい。

 それを今、響に言う気になれなくて、俺はスマホの電源をオフにした。

「出ないの?」

「出ない。寝る」

「なんでさ? 心配してるよ。やっと俺の仲間から解放されただろうし。あ、でも監禁されていたわけじゃないよ? ゲームセンターで対戦して足止めしてくれって、ゲームマスター雇っただけだし」

 ……ゲームマスターってなんだよ。そんなところにまで出張してくれんのかよ。有り得ねえ。

 それより腰が立たないのがな。

 服を着てても風呂に入ってないから、俺も千川もあちこち汚い。

 漫画や小説みたいに、相手の男が寝てる間に綺麗にしてくれるなんて、都合のいい話はねえんだよな。

 時計を見ると、まだ二時間しか経ってなかった。

 おふくろもおやじも当分帰ってこないだろう。

「……風呂連れてけ」

「了解」

 嬉しそうな千川。睨まず、執着しない千川は美形だが怖くない。

 ありったけ俺に好き放題してスッキリしたのか、千川は風呂でも着替える時でも、いやらしいことはしてこなかった。女子が喜ぶ薄い本だと、こういう時も男は盛ってるもんらしいが、こいつには当てはまらないらしい。

 座り込んで風呂に入っている間、千川は俺のベッドのシーツを取り換えてくれ、勝手に俺んちの洗濯機で汚れた服やらシーツを洗濯した。あと数時間したら乾燥機能で渇くだろう。千川は全く服を汚していないから、制服の上着を脱いだだけの格好に戻っただけだった。

「ちょっと寝てたら? まだ疲れてるだろうし」

 おまえはおふくろか、千川……。

 そう思いながらも眠気には勝てず、俺はそのまま眠ってしまった。

 おかしいな俺。

 美形こわくなくなっちまってる。

 あのへんな薬、そういう作用があったのかなあ。

 次に目覚めたら真っ暗闇だった。時計を見たら夜の九時。うお、寝すぎた。

 階下から千川が笑う声がする。

 腰が立つようになっていたから、俺は慌てて階下に降りた。

 するとおふくろとおやじが千川を囲んでいた。

「やっと起きたの薫。千川君ってば夕食をいくつか追加してくれたのよ」

 見ると、テーブルの上には誕生日のごちそうみたいなのが、ずらりと並んでいる。なんで鯛のお頭つきなんてあるんだよ。横に並んでるおふくろのグラタンとか、餃子とか、もはや何料理のテーブルなのかわからない。

「薫が好きなものをお母さんから聞いたんだよ」

 嬉しそうに言う千川。

「この餃子なんて、千川君が皮まで作ったのよ。薫にはもったいないくらいの料理上手なのよ」

 俺にはもったいないくらいっての、何だよ……。

「いや、それほどでも」

「いやいや、実際うまかったしなー。あ、これ皆薫のだぞ」

 こんなに食えるか! どう見ても五人分はあるわ!

 しかし、反論する言葉は空腹に勝てなくて喉の奥に引っ込み、俺はおとなしく食べ始めた。確かにうまいが、うまそうな顔なんかしてやるもんか。

 食い物には罪はない。

「それでね薫。千川君が明日から、この家に住むって話になったんだけど……」

「ぶほおぉっ!」

 思いっきりおやじの横顔に餃子をぶちまけてしまった。

 あらあらと言わんばかりに千川が、おやじの顔のそれらをタオルで取っていく。お前は嫁か!

 それより、それより。

「千川がなんでうちに住むんだよ?」

「うん。千川君ずっと一軒家に独りぼっちなんだって。最近千川君の家の近所で、事件が起きたの知ってるでしょ」

「しらねーよ」

「中学生の女の子が襲われたのあったでしょ。暴行未遂だったけど……」

 そういやあったな。でもそれ女だろうが。

「千川君のおうち、ご両親がお仕事でほとんど家にいないんですって。だからご両親が心配していらして、それで今日お電話で話し合って、うちに同居すればって話になったのよ」

「阿呆か。こいつ引き取ってこいつになにかあったら、どーすんだよ」

 俺が言うと、おやじがそれがなあと頭を気まずそうに掻く。ちょうど千川のスマホに電話が入って来て、千川は廊下に出て行った。

「千川君のお父さん、うちの会社の専務の弟さんなんだよ。専務に頼み込まれてね。断れないんだ。断ったら父さん、クビになっちまうんだ」

「なれば?」

「ひどい薫! 四十代で倒産がリストラされたら、この家も終わっちゃうのよ!」

 おふくろが詰って来ても、そりゃねえよ。

 立派なパワハラじゃねえか。千川が裏で手を引いてるのは間違いない。

 なんて野郎だ。だからがっついてねえのか。

「それに千川君、家事とかばっちりだし、何にもできないあんたを仕込んでくれるっていうのよ。いい話だと思うの。勉強も教えてくれるって」

 そう来たか。

 俺は肩を落とした。外堀を埋められてるって奴だろう。

 千川が電話が終わって部屋に入ってくる。

 それ以上は何も言わずに俺は飯を腹に詰め込んだ。

 この家にいる限り、この決定事項に従うしかないんだろう。

 たった一日でここまでやるなんて、美形ってやっぱりこええわ。

 早速空き部屋が千川の部屋になり、ベッドはあとからということで今日は客用の布団が持ち込まれた。デブの親父や、力仕事ができねえおふくろは当てにならないから、俺がすべてしてやった。つうか、千川が先頭になってどんどん部屋を整えていった。

 夜中にはりっぱに千川の住処と化した。

 ……俺の部屋の隣が。

 

 さすがに夜は千川はおとなしく自分の部屋に入ってくれたので、俺は響に電話した。響は待ち受けていたらしくワンコールで出てくれた。

『お前、大丈夫か?』

「……大丈夫じゃない。最後までがっつりやられた」

『あちゃー。こうなったらおまえ、諦めてあいつとつきあうしかねえぞ。聞いたんだが、あいつ、その手の世界ではスッポンの要って呼ばれているらしい』

 ……品もへったくれもセンスもないあだ名だな。イメージはすぐにわくが。

「あいつ、俺んちに居候になった」

 そこまでとは響は思っていなかったらしくて、向こうで絶句した。

『……あしたくわしく話聞くわ』

「うん……」

 通話を切ったら、なんだかごちゃごちゃと頭が悩みだす。

 寝よう。起きててもどうにもならん。

 とにかく美形はやっぱり怖いわ。

 それに尽きる一日だった。

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