ディフィールの銀の鏡 第21話

 万梨亜の魔力の石の変化によって、起こっていた天変地異は一旦終息を見せた。だが戦乱だけはケニオンを中心に相変わらず続いていて、ディフィールにもその災いがひたひたと押し寄せてきている。

 そんな中、テーレマコスは国王テセウスに召集されて、他の廷臣や将軍達と共に王宮会議に出席していた。テセウスがジュリアスと和解して以来、書記として会議内容をつける役目に任命されている。

「ケニオンの王妃は魔力の石を持っているばかりではなく、魔王の妹だとか。そのような危険なやからを敵に回すのは得策ではありません、同盟を再度結ばれてはいかがかと存じます」

 国務大臣のクレオンが言ったが、テセウスは首を横に振る。

「我が后をよからぬ中へ巻き込んだヘレネー王妃を信用する事はできぬ。前国王夫妻を葬る際に手を貸してもらっただけの相手……、それすらもこの国を滅ぼさんとするケニオンのたくらみであるとわかった今では、同盟など何の意味がある。向こうは最初から破る気なのだぞ」

 現在の重臣達は、すべてテセウスのクーデターの参加者ばかりなので、その事に関しては非難の声はあがらない。それほど皆、前国王の放蕩ぶりに悩まされていたのだ。クレオンは長年冷遇されていた伯爵家の男だ。テセウスよりも三十歳年上だが、ディフィールを建て直すのはテセウス以外有り得ないと忠誠を誓っている。

「ですが、国境付近の村が度々ケニオンの兵に襲撃されております。魔術師や兵を派遣して対処しておりますが、このまま放置しては……」

 そこへ将軍の一人であるエウレシスが口を挟んだ。エウレシスは母が前国王の妹に当たり、テセウスとは従兄弟の関係にある。ディフィール国内で一番の槍の名手であり、魔力も強力の部類に入る。だが父親の身分が低いために、国境警備の司令官などという地位に甘んじている。それが面白くないエウレシスは、テセウスにいつも歯に絹を着せない言い方をする男だった。

「あのケニオンなどの手を借りたりするから、このようにナメたまねをされるのです。これには恐れ多い事ながら国王様に責任がおありです。しかも実の兄君であり、この国随一の魔力をお持ちのジュリアス王子を暗殺されようと企まれたとは、正気の沙汰とは思えませんね」

「言葉が過ぎようぞエウレシス!」

 クレオンが咎めたが、エウレシスは精悍さを湛えた目でどこを吹く風といった感じで続ける。

「いくらジュリアス王子が隠されていたとはいえ、強力な魔力を持つはずの王族の貴方が見抜けないとは情けない話ですよ」

「それを言われると何も言い返せない。確かに私の責任だ」

 テセウスはあっさりと自分の非を認めた。

「兄であるジュリアスの魔力に私は遠く及ばぬ。しかも私は王族であり国王であっても魔力は人並みにしかない、これは皆が知るところだ。それ故魔力というものを軽んじる傾向にあった。それは過ちであったと今更ながら痛感している。兄に対してとっていた行動もだ」

「ではジュリアス王子ご不在の今、国がいかに危険にさらされているかおわかりですね」

 エウレシスの国王テセウスに対する物言いは無礼に過ぎるものであり、ついにクレオンが席を立って指を指しながら怒鳴った。

「エウレシス! そなたの言いようは聞く耳に余る! 国王様を馬鹿にしておるのか」

「私は貴方達と違って現国王に忠誠など誓った覚えはありませんよ。ディフィールを愛しているから護っているだけの事」

「貴様……っ」

 廷臣達から、殺気が沸き起こるのをテセウスが手を掲げてとどめた。

「エウレシスの言っている事はもっともだ。故にこれからの施政で応えようと思っている……」

「貴方がジュリアス王子に勝るとはとても思えません」

「魔力に関しては、な」

 テセウスは、目つきに剣呑さを載せたエウレシスを見返した。

「兄は国や貴族達との争いがたいそうお嫌いだ。しかも戦術戦略及び政治に関する事はほとんど学ばれてはいない。いくら”真実の眼”をお持ちでも、未来が見える故に直るものを直さずに放置という事がおありだ。例えて言うのならこの国が滅びると目に見えたなら、それならそれでいいと思われるような性質のお方だ。あの方の平和を望まれる範囲は、家族限定だと言っても過言ではないと思う」

「…………」

「そのような人間が国王になったら、民としてはたまったものではない。そなたもそうは思わぬか」

 傲慢だったテセウスは成長したなとテーレマコスは思った。以前の彼なら、国王である事を振りかざして相手を黙らせただろう。今のように相手を諭す様な事はなかったのではないか。僅か数日間のジュリアスとの交流がテセウスに劇的な変化を遂げさせており、他の廷臣達もそれを感じ取ったのか、感慨深い顔をしている。

「王族である前に人間でありたいと思っているのが兄だ。私は人間である前に王族でありたい。それぞれがふさわしい事をしているほうが、国は安定すると私は思っている。兄は国王になりたくないからあのような偽りの格好で愚鈍さを演じ、農民のような生活をされていたのだろう。そこまで兄をそなたが推すからには、兄の望みもわかっているはずだ」

 エウレシスは小さく息をついた。

「……ですが今の状況で、ケニオンと戦争になったら勝ち目はありません。ケニオンとの国境を警備をしておりますと、ヘレネー王妃の魔力に圧倒されます。それなのに貴方はケニオンとは決別するような事をおっしゃっておいでだ。いかな策がおありなのか伺いたいものです」

 それは他の廷臣達も同様に思っていた事だったので、テセウスに視線が集中した。

「魔力に関しては、兄と万梨亜が戻るまで持ちこたえれればと思っている」

「亡くなられたのかも判らない方々を貴方は待つと言われるのか。そんな……」

「二人は亡くなってはいない。デメテル、説明しろ」

「はい」

 しわがれてはいるが、しっかりとした威厳のある女の声が響いた。一番末席に座っている宮廷魔術師長のデメテルが椅子から立ち上がる。

「今、万梨亜様の魔力の石は、次の段階へ踏まれる準備段階だと思われます」

「準備段階?」

 エウレシスは眉を顰めた。デメテルはうなずき、一個の宝石を服の中から出した。

「それは何だ?」

「……今から約五十年ほど前に亡くなった女を、火葬する際に焼かれず残りましたものです」

「人間の身体から?」

「そうです。その女も万梨亜様と同じく、強い力の魔力の石を持つ女だったのです」

 女の手のひらに載るほどの小さな小石は、青緑色にキラキラと輝いている。

「魔力を感じないが」

 エウレシスが言うと、デメテルは低く笑った。

「当然でございます。この女が愛した男はもうこの世にございません。よってこれは唯の石ころです」

 デメテルのしわだらけの手が放ったそれを受け取り、エウレシスは鼻を小さく鳴らした。

「魔力の石の力は、その女を抱いた男のものだと言うが、この石の女もそうだったと言うのか?」

「さようです。ですが、万梨亜様はひょっとすると、ご自分で操れるようになるかもしれません」

 廷臣達がざわめいた。この国の出身でもない異界の女が、巨大な力を思いのままに操れるかもしれないという事を危惧したのだ。それを察してデメテルは言った。

「ですから、万梨亜様とジュリアス様は違う次元に行かれたのです」

「隠れてしまわれたのではなく、違う次元とは……、そして準備段階とは、それは修行のようなものか?」

 エウレシスが聞くと、デメテルは頷いた。

「おそらくは。ジュリアス王子の導きで、何か真っ黒なものに汚れていらっしゃる万梨亜様の魂を、元の輝きに戻さんが為の世界へ行かれたのではないかと……。あの方は神に限りなく近い方ですから可能でしょう」

「そのような事が本当に可能か?」

「一般の私にはわかりかねますが、魔王の手を離れたはずのお二人が消えた理由が他に見当たりませぬゆえ。亡くなられたなら万梨亜様の石がどこかにあるはずです。これは死体が消えても必ず残るものなのですが、魔王や他の者達がそれを手にしたとも聞きませぬ。やはりお二人は違う次元へ行かれたものではないかと思われます」

「それで、万梨亜様が何らかの形で成長されたら、こちらへ戻ってくると言うのか?」

「あの方々の生きる世界はこちらしかございませぬ」

 すると、他の廷臣から声が挙がった。

「しかし、万梨亜様は異世界の人間。そちらへ行かれてしまうと言う事は……」

「もはやありえませぬ。魔力の石を持つ女は、愛する人間の世界で生きる事が定められております。魔王の導きとはいえ万梨亜様はご自分の意思でこちらへいらしたのですから、そこで異世界との縁は切れております」

「ふーむ……。なんとも酷な運命よな」

 廷臣達が唸り、エウレシスは納得するかのように黙った。テセウスはそれを見やりながら言った。

「……魔力の石を持つ女は万梨亜だけではない。私は国内にいるはずの万梨亜以外の魔力の石を持つ女を捜す必要があると思う。少なくとも二人が帰るまでの間持ちこたえる事ができぐらいの……」

 それに対してクレオンが言った。

「国王様。恐れながら魔力の石の女ばかりではなく、新たな魔術師の育成や兵の事もお忘れにならないでいただきたい。ケニオンが強いのはヘレネー王妃がいるからだけではございません」

「わかっている、だからこそ必要なのだ……。あの石はあらゆる力の源、あるのとないのとでは天地の開きがある。この間の万梨亜の一件でそれは骨の髄まで染みる思いだ。とにかく国中を探すのだ」

「は」

 一同が頭を頭を下げた。

「前国王の腐政で、機能していない機関がいくつもある。癒着による税のごまかしも多数報告が来ているし、それぞれの地方の検地も必要だ。それを行いながら探せ。そして他国からの侵入者を捕らえろ。今の時期が一番活発だと思う」

 担当する廷臣達が頭を下げていく。

「国境は警備兵を増員させよ。ただし、相手方に気づかれぬように。今は戦争しても勝ち目はない。だがそれを周辺諸国に悟らせるわけにもいかないのだ。相手方の挑発に決して乗ってはならぬぞ、末端まで徹底させよ。消極的な策だが、今はこれに限ると思う」

 テーレマコスは発言せずにじっと会議の動向を見ていたが、ひとまずは安心かと思った。テセウスは確かに国王としての責務を果たそうとしている。一部の強欲な貴族達に政務を放って遊び暮らしていた前国王とは全く違う。

 それからさまざまな事が取り決められ、朝早くから始まった王宮会議が終わったのは昼を大幅に過ぎた頃だった。

 会議をしていた部屋から廷臣達が出て行く中、テーレマコスはふとテセウスの視線を感じた。やはりじっとこちらを見ている。

 目配せをされたテーレマコスは、黙って皆に気づかれないように頭を僅かに下げた。

 王宮の奥の後宮に、足を始めて踏み入れる事になったテーレマコスはいささか緊張した。女官長を先頭に次がデメテル、テセウス、テーレマコス、そして後宮の近衛兵数名が続く。王妃の部屋の両扉を待っていた侍女達が開けた。そこからテセウス自らが王妃の部屋の奥の扉を開け、テーレマコスとデメテルと三人だけが寝室に入った。

 テセウスが天蓋ベッドのカーテンを開けると、眠っているマリアが現れた。

「この通りだ。兄上が魔界に行った日から眠り続けている。密偵の情報によると、ケニオンのヘレネー王妃も眠り続けているらしい」

「どうやら、万梨亜様に関係のある者が眠り病になったらしいですね」

 テーレマコスは確信を得たように言った。椅子に腰を掛けたテセウスは、侍女が捧げ持ったトレイから水の入ったグラスを取り、ごくごくと飲んだ。

「どうも私もヘレネーの魔法にかかっていたようでな。兄上暗殺未遂の日から、兄上がマリアと密通している現場に踏み込んだ日までの記憶がおぼろげなのだ。どうも女遊びをしていたようなのだが、相手の顔がはっきりせぬ」

「入り込んでいた密偵や女達はいかがなりましたか?」

 テーレマコスが聞くと、困ったようにテセウスは首をすくめた。どうやら彼はテーレマコスをかなり信用しているらしく、国王らしくない振る舞いを彼に見せるようになった。

「一匹も捕まえる事はできなかった。すべてヘレネーにしてやられたようで、あの女がケニオンに引っ込むのと同時に、霧のように消えてしまったのだ」

「すべて魔族だったようですね。ジュリアス様以外に記憶操作までできるのは魔族か神だけです。魔術師ではできません」

 デメテルが重々しく言った。彼女はジュリアスに継ぐ魔力を持っている宮廷魔術師長だが、そんな彼女でも記憶操作はできない。人間はどうしても神や魔族には劣る。

「兄上に捕まえるように言われていたのに、情けない事だ」

「気にされる事はありません。王子もできてないんですから。基本、なんでも面倒な事は人任せなんですからねあの人は」

「好きな事には熱心なのだろうがな」

 はっはとテセウスが笑い。三人の笑い声が部屋に響いた。それから三人はテセウスの部屋に移り、さらに内密の打ち合わせを行ったのだった。

「おい、テーレマコス待て」

 テーレマコスは帰り途中の王宮の廊下で、エウレシスに呼び止められた。テーレマコスは、なんだか油断がならない気配がいつも漂っているこの男が、あまり好きではない。会議終了から大分時間が経っている。どうやらテーレマコスをずっと待っていたらしい。

「急いでおりますので?」

 吹っ切ろうとしたが、エウレシスはそのままテーレマコスの横を貼り付くように歩いてくる。

 

「……お前、本当はジュリアス王子がどこにいるのか、知っているのではないのか?」

「王子がどこにいらっしゃるか判っていれば苦労はせぬ。いい加減な事を言うな」

「ほお。ではお前、マリア妃が眠り病に罹った事を知っているか? ケニオンのヘレネー王妃も?」

「そんな怪しいうわさを信じていらっしゃるとは、国境も危ういですね」

 眠り病の事はごく一部の人間しか知らない。極秘事項なのでテーレマコスはさらりとかわしたが、くっくとエウレシスは笑った。やはりこの男は油断がならない。

「早く仕事に戻られたほうがいいでしょう、私も忙しいですから……」

「ただの村長が王宮会議の書記ができるとは思えないな。成る程、上手く廷臣達をごまかせるようだな。家は貧乏伯爵家か、ふふ、身分から言うと書記になる権利はある」

 テーレマコスは足を速めた。彼は宮廷を出入りするようになっても村長としての義務を果たしている。今日も農地の見回りが待っているのだ。口さがない貴族達は農民が宮廷に出入りしていると影口を叩いている。だがテーレマコスの家は伯爵の称号を持っている為、あからさまに中傷してくる事はなかったし、妨害もなかった。

 王宮の外は、曇り空が広がっていて、今にも雨が降りそうだった。今から急いで帰ったところで、雨が降れば見回りはなくなるかとテーレマコスは思いながら、自分の馬を預けている厩舎に向かう。エウレシスがしつこくそのテーレマコスの後をついて来る。

「エウレシス殿、馬は?」

「馬には乗ってきていない。瞬間移動で来た」

「余計な魔力を使うべきではありません」

「ジュリアス王子のような事を言うな。ちょっとお前の家に寄りたいんだが。瞬間移動が駄目ならお前の馬に乗せろ」

「男同士で乗りたくない。借りてください、どなたかから」

「まったく変なところにこだわる男だ」

 ぶつぶつ言いながらエウレシスは、馬番から空いている馬を借りた。

 

 二人がテーレマコスの家に着く頃に雨が降り出した。黒馬のニケが途中で現れて二人の馬をけしかけなかったら、二人はずぶ濡れになっていただろう。エウレシスはニケが黒馬から人間に変わった時、万梨亜と同様に驚いた。

「テーレマコスは、あらゆるものとつながりがあるのだな」

「私ではない、ジュリアス王子がいろいろと……ね」

「そうか、やはり神々は違うな」

「そう思う」

 ニケは手際よく二人の為に遅い昼食を出した。お腹がすいていた二人が食べているところをじっと見て、にやにや笑っている。果たしていつもどおりテーレマコスが仏頂面で言った。

「だらしのない顔をするな。これだからお前はふしだらなんだ」

「なんだよ。女の世話した俺に言う事かよ」

「誰も頼んでなどおらんわ!」

 テーレマコスは淫魔のルシカに一目ぼれされてしまい、最近ずっと追い掛け回されていて疲れている。

「あんないい女の何が文句あるんだ。あんたまさか、王子に懸想しているんじゃ……」

「気持ちの悪い事を言うな!」

 掴みかからんばかりに怒っているテーレマコスを、何故だかエウレシスが止めた。

「まあまあ……、それにしてもニケとやら、テーレマコスを待っていたのは何か魔界であったからではないのか?」

「あんたに言う事はありませんよ。仲間じゃねえし」

「つれないねえ」

 エウレシスは特に気にした様子もなく笑った。テーレマコスはため息をつき、ニケはワインを木のコップに入れてがぶ飲みした。

「収穫後は農産物の売買の為に他国からの人間が多く出入りする。入ってきてどこかに潜入し、よからぬ事を働く密偵を捕らえよ、か」

 テーレマコスは、突然何かを探るように言い出したエウレシスを見つめた。エウレシスの目は笑ってはいない。

「お前が帰ってこなくなったら、国王は騒ぐだろうな」

「なんの話だ」

 ごく自然にテーレマコスは言った。自分が密偵として活動している事は、国王を始めごく一部の人間しか知らないはずだ。

「今年は止めておけ。洪水や旱魃の原因の人間が居たディフィールという国を、近辺諸国は警戒している。下手な動きをしたら捕らえられるぞ」

「何の事かさっぱりわからない」

「しらを切るならそれでもいいが、警告はしておく。今年だけでも余計な事はするなよ。お前の行動で国が滅ぶかもしれないんだからな」

「……国王に先ほどあんなに楯突いておいて、よくもまあそれだけ……」

 テーレマコスが感心していると、エウレシスはふんとワインをあおった。

「私は昔っからテセウスが嫌いなんだよ。魔力も剣も槍も大した事ないくせに、あのアホ前国王の息子というだけで今国王様なんだからな」

「名乗り出たら良かっただけでは?」

「クーデターが起こった時は、残念ながら国境のいざこざに巻き込まれてたんだよ。多分、ケニオンの魔女がやったんだと思うが」

 ヘレネーはとことん用意周到に、前国王暗殺とテセウスを抱き込む事に気を注いだらしい。ニケにワインを注がせながらエウレシスは言った。

「あの魔女、ジュリアス様に反撃されて今は大人しいが、復活したらまた何かしら仕掛けてくるぜ。あれをなんとかしないとこちらは戦えん」

「ディフィールはそんなに弱いですか?」

「魔女がいなくても負ける。国王デュレイスは戦争するために生まれてきたような奴だ。魔法も剣も凄腕だ」

「デュレイス国王は、戦争はお嫌いと聞いていたんですがね。とても優しい方だと……」

 考え込むように言ったテーレマコスに、ニケがけらけら笑った。

「戦争を無い世の中にしたいから戦争してるんですよ。アホですよね」

「言い方は悪いが、そのようなものだ。戦争しかした事無い世間知らずだから厄介だよ。なんだってあんな傍迷惑な国が隣なのやら……」

 エウレシスは、そのやっかいなケニオンとの国境警備に腐心しているらしい。ぶつくさ言った後、エウレシスはこげ茶の髪をばりばりと掻いたが、見かけが王族の品をまとっているので、その動作は粗野に見えた。だが国境警備の兵はお上品な連中では勤まらない。大半が身分の低い貴族の子息か、借り出された平民の男達だ。力があるものばかりを集めているのだが、残念ながら品のいい部隊ではなかった。その彼らの司令官なわけだからそうなってしまうのだろう。

「ジュリアス王子は本当にお戻りになられるのか、心配だ」

「エウレシス殿が、そんなに王子を崇拝しておいでとは存じませんでしたが」

「あの方は真に平和というものをご存知だからな……」

「…………」

 ざあざあと雨音が開いている窓から入ってくる。三人は押し黙った。

 やがてエウレシスが呟いた。

「歯がゆい事だ。国や世界の平和が、たった一人の女の心次第とは」

「それは違いますよ」

 テーレマコスは微笑みながら言った。

「たった一人が世界を変えるわけではありません。大勢の心が、一人ひとりの心が変えていくんです」

「だが……」

「万梨亜様の心を変える事ができるのは確かにあの方御自身ですが、きっかけを与えるのは周りの人間です。結局は我々の力が変えるのです」

 ワインを見つめていたエウレシスは、くすりと笑った。

「……まさしくジュリアス王子が言いそうな事だな」

「ですから、安心して私はあの方に仕えているんですよ」

「そうそう」

 ニケが自慢げに胸をそらしたところを、調子に乗るなとテーレマコスがどついて、ワインを飲みかけていたニケがむせてしまい、小さな家は大騒ぎになった。

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