ディフィールの銀の鏡 第34話
ズン……と貫かれ、万梨亜は息苦しさに浅い息を繰り返した。嫌だ、嫌だ、ジュリオ以外はもう嫌だ。ソファの上で万梨亜を横倒しにした純一郎は、背後から万梨亜を抱きこむように何度も突きながら結合部分に手を回して、肉の芽をやさしく撫でさすった。
「や……っや! 駄目。どうして? 嘘……あっ……あっ」
「いい声だなあ万梨亜。あのマリアとはえらい違いだよ」
マリアを信じたいのに、どうして信じさせてくれないのだろう。
「……締まる……っ」
純一郎は達しやすいほうなのか、比較的早く達した。びくびくと万梨亜の中で純一郎のものが弾けて、万梨亜の中を満たしていく……。やがてぬるぬるとそれが抜かれた時、青臭い臭いがつんと鼻につき、万梨亜は悲しくて胸が張り裂けそうになった。
純一郎は身体を起こして、万梨亜の股や太ももをティッシュで拭った。しかし嫌な臭いは消えない。万梨亜が動けないでいると、純一郎がにやにや笑いながら上着を手に取った。
「いい身体してるなお前。安心しろよ、結婚したって付き合ってやるから」
上着を羽織った潤一郎に、万梨亜は尖った視線を投げつけた。自分はなんでこんな男が好きだったんだろう!
「そんな……事、望んでない……」
「は?」
上着を着た純一郎は、上半身だけ起こした万梨亜に振り返った。その顔は、万梨亜が自分を嫌うとは思っていない傲慢さが滲み出ていて、吐き気がした。こんな男に振り回されるなんてもう真っ平だ。
「貴方なんて……マリアにふさわしくない!」
そう叫んだ万梨亜を、純一郎は呆気に取られたようにしばらく見下ろしていたが、すぐに嘲る様に返してきた。
「馬鹿かお前は。どこまで頭の中がお目出度くできているんだ。言っただろう? すべてマリアの指図だって」
「貴方がそうしたんだわ!」
「まさか」
純一郎は考えるように顎に手をやって、何か思いついたように笑みを浮かべた。
「じゃあ、パーティーの後に、僕達の後をつけて来いよ」
「……マリアは、貴方なんかと別れるつもりなんだから」
「そうしてくれたほうがうれしいけどね? おっと時間だ。お前も早くドレスを着なおしたほうがいいよ、それじゃ」
万梨亜は、純一郎が部屋から出て行くのを無視した。誰が折角着たドレスを脱がしたのだ。部屋に備え付けになっているシャワールームで汚れを落としながら、万梨亜は泣きそうになるのを我慢した。泣いたらメイクがまた無駄になる。もう時間は無い。
何処にもあざをつけられなかった事に安堵しながらも、なんでこんな目に遭うのだろうと万梨亜は情けなくなった。好きなのはジュリオだけなのに、大島や純一郎にまで抱かれてなんてはしたない女だろう。そういう女は隙があるからいけないとテレビで言っていたが、万梨亜は隙など見せているつもりは無い。露出の高い服は着ないし、化粧だって控えめだ。男性に気がある態度も見せたいとは思わない。ただ一人を除いては……。
「なんで……? 」
足元に落ちていくシャワーの湯を見下ろしながら、万梨亜は震えていた。
パーティーは想像以上に華やかなもので、沢山の人が大広間に集まった。給仕しているのはこの屋敷の使用人達で、皆、万梨亜が参加しているのを訝し気に見て通り過ぎていく。彼等にしてみたら万梨亜は使用人の娘なだけで、このような場所に出てこれるような身分ではない。
マリアは幸福そうに純一郎の隣に立ち、お祝いに駆けつけた人と談笑している。万梨亜はそれを目立たないように壁側に立って見ていた。そしてまた疑念が湧いてくる。これだけ大掛かりにお披露目をして、婚約解消など本当にできるのだろうかと……。
「戸田さんじゃない」
聞き覚えのある声に顔を上げると、木谷が居た。木谷は相変わらず万梨亜に意地の悪い視線を投げかけて、くすりと笑った。伝染したようにカワサキハウスの女性社員数名が背後で笑いあう。従業員も多数呼ばれているので、彼女達が居ても不思議ではないが……。
「よくまあずうずうしく来れたものね。どういう神経なのかしら?」
「……マリアが……、どうしてもって言ったから来たんです」
万梨亜はマリアがこっちを見ているのに気付いた。助けてくれるのだろうか。だがマリアはすぐに他のお客様に呼びかけられて、そっちに行ってしまった。
彼女達が万梨亜を苛めようとしている事はわかるはずだ。それを証拠に少し離れた所から見ている招待客は、ひそひそと話して万梨亜達を見ている。よそ見している万梨亜にいらついたように、木谷が言った。
「馬鹿ねえ、そんなの義理立てに決まってるじゃない。何で断らないのよ。ああ嫌だわ、貧乏くさい女がこの会場に居るなんて!」
木谷も取り巻きもマリアほどに無いにしろ、それぞれいい所のお嬢様だと聞いている。万梨亜は場違いな場所にいるのはわかっていたが、こうもあからさまに言われるとたまらなかった。
「しかもなあにそのドレス。三年前に流行ったものじゃない。よくそんな時代遅れなものが着れたわね。どこのレンタルで借りてきたの?」
「これは……マリアが……」
「いい加減にしなさいよ、この嘘つき! 峰秋どころかマリアさんまで陥れる気?」
「佐原さんは!」
佐原峰秋は、自分が仕掛けた罠にひっかかって自滅しただけだ。陥れたりなど万梨亜はしていない。しかし彼女として付き合っていた木谷には、屈辱だったのだろう。木谷は万梨亜の手を引っ張って、大広間から外へ引っ張り出した。周囲は少しざわめいたが、誰も助けてくれない。
突き飛ばされた所は、ライトアップされた庭とは違い、反対側の暗くひっそりとしている裏庭だった。木谷は室内灯の影になっていて表情は見えなかったが、憎しみの目で万梨亜を見ている事だけは分かった。
「木谷さ……」
「峰秋はもうめちゃくちゃだわ! あんたのせいで麻薬中毒になったんだから!」
「それは……っ」
「あんたが嘘ついて峰秋に濡れ衣を着せなかったら、ああはならなかったわ。このっ……」
「やめてっ……!」
万梨亜は木谷に髪の毛を掴まれ、何度も建物の壁にぶつけられた。憎しみのままぶつけられ、万梨亜はその衝撃でされるがままになった。そのまま芝生に倒れぴくりとも動かない万梨亜に、取り巻きの一人が恐る恐る言った。
「ちょっと、やりすぎじゃない……? 木谷さん」
「構いやしないわ。マリアさんがそうしろって言ってたじゃない。とことん傷つけていいって」
「でも起き上がらないわよ? ばれたりしたら……」
「大丈夫よ。こんな子、怪我をしたところで騒ぎなんかならないわ。本当は殺してやりたいくらいなんだから。これくらいで済ませてあげるのに感謝して欲しいくらいよ」
木谷達の会話が、ガンガン鳴る耳鳴りの遠くで聞こえる。妙に生暖かいものが伝わるのは血が出ているのだろう。ぼうっとしている頭が元に戻るのを待っていると、上から液体が降ってきて万梨亜の頭を濡らした。
「シャンパンを奢ってあげる。あんたと会うのはこれで最後にしたいものね。ははは……っ!」
「ちょっと木谷さん……」
取り巻きの連中がとまどいながら、大広間へ帰っていく木谷を追いかける足音がした。
裏庭は静まり返り、遠くからパーティーのざわめきが聞こえてくるだけになった……。
ぶつけられた部分と頭が痛み、万梨亜はしばらく何も考えられなかった。今すぐ病院へ行ったほうがいいかもしれない。起き上がれるようになったのを見計らって、万梨亜はゆっくりと上半身を起こした。血だまりが芝生の上にできていて、薄暗い中では黒く濡れて光って見えて気持ち悪かった。
多少ふらつくが、なんとか起き上がれた万梨亜は自分を見回した。
ドレスは無事だったが、顔がひどい有様になっているのがわかる。このまま普通に廊下を歩いたりしたら大騒ぎが起こるのは目に見えていたので、万梨亜は肩に掛けていたショールを頭からすっぽり被って、使用人が使う通路を使い、マリアの部屋の隣の客間までなんとか頑張って歩いた。
幸い誰にも会わず万梨亜は部屋にたどり着き、ほっとしてドレスを脱いでシャワールームに入った。
「……これは……ひどいわね……」
左の頬がはれ上がって、赤と青のまだらになっている。かすれたような傷ができていたがそれは出血量に反してかなり小さかった。青いしみはすぐに消えるだろうし、これくらいの怪我なら痕も残らないだろう。しかし血がこびりついていて、ぬるま湯を当てると激痛が走り、万梨亜は痛みに泣きながらゆっくりと血を洗い流した。
凍えていた身体も温まった頃、万梨亜はシャワーのコックを閉めた。その頃には頭痛も大分マシになっていた。濡れた身体をタオルで拭き、着てきた服を着て人心地ついた。
「ひっ……!」
「万梨亜……」
シャワールームから出た万梨亜は、居るはずがない人が部屋の中に居てぎくりとした。鍵を確かにかけたはずなのに健三がそこに居たのだ。
「……旦那様」
健三は万梨亜の頬の傷を見て驚き、駆け寄ってきた。
「これは……いったいどうしたんだね万梨亜」
「ちょっと、転んだだけです」
「とにかく手当てをしないと! 大広間に居ないから心配して探しに来たんだよ」
「……申し訳ありません」
「直ぐに連絡をくれればよいのに。私はいつも携帯を持ち歩いているのだから」
健三は部屋に備え付けてある救急箱を持ってきて、万梨亜をソファに座らせて手当てを始めた。それはありがたかったが、万梨亜は健三が怖かった。また襲われたりしたらどうすればいい。早く逃げなければ。さっきあのまま帰ってしまったらよかったかもしれない。しかしコートもなしにドレスで帰るなど、この寒い季節にしたくなかった。
「あの、マリアの大事な日ですから、もうお戻りに」
「何を言っているんだい。さっき終わったのだよ」
万梨亜は驚いた。そんなに長い間、自分は倒れていたのだろうか。純一郎とマリアを探さなければ!
ソファから立ち上がろうとした万梨亜を、健三が腕を引っ張って戻した。
「どこへ行くの、万梨亜?」
健三が、逃げようとする万梨亜を強く抱きしめる。あの夜の事が鮮明に蘇って、身体中に怖気が走った。
「離してっ……」
「離さないよ万梨亜。万梨亜……」
万梨亜は健三を父親のように思っていた。だからこの様な事をされると禁忌を犯しているようで、純一郎に襲われた時より恐ろしい。そして汚らわしいと思う。
「奥様がいらっしゃるんですよ! 同じ屋敷にっ」
「それがどうした。あいつはあいつで新しい若い男と部屋に入って行ったよ。文句など言うはずが無いさ」
その時、キィーンと金属がなるような音がした。床に押し倒された万梨亜は、健三の黒い目が、ぼんやりと赤く光っているのを目にした。