ゲーム 第10話
私はお酒に異様に弱い。気持ちが悪くなるというのもある。だけどそれ以上に、人が違ったみたいに淫乱になってしまう。
それがわかったのは、皮肉にも広山君にはじめてを奪われた日。
あの日、突然の夕立で、傘を持っていなかった私はずぶ濡れで下校していた。
追いかけてきた広山君に、雨宿りに学校近くの彼の家へ誘われて、風邪を引きかけて熱が出ていたせいか正常な判断ができず、躊躇いながらもついていってしまった。
家には誰もいなかった。
彼のお母さんの服を貸してもらって、制服を洗濯してもらっている最中に、ジュースをもらった。
そのジュースにお酒が入れられていた。
熱と風邪とお酒と……これだけの悪条件が重なった上、隠れて待ち受けていたいじめグループ数人に裸にされていたずらされた。
いつ計画されたのかはしらない。ともかく、最初から彼はそのつもりだったんだろう。
あの日の広山君はおかしかった。
優しい彼がかけらも見えず、お酒でいやらしい身体にされて、いやらしい行為に感じてみだらによがる私を見ていた。
クラスメイトの男子は、そんな私に繰り返しいたずらして、罵倒して面白がった。
『すっげえ淫乱』
『ビッチじゃねえの?』
『人嫌いってのはどこに行ったんだよ? 本当はエロが好きで避けてたのか。誘ってくれりゃよかったのにな。はははっ』
『うちのクラスのダッチワイフにしちまえば?』
ぎゃはははと笑ったクラスメイトの男子の一人が、イキすぎて力が入らなくなった私の両足を抱えて、挿入の段階に入った時、広山君は突然彼らを家から追い出した。
当然彼らはブーブー文句を言ったけど、広山君は恐ろしい目でにらみ付け、それ以上彼らに文句を言わせなかった。
二人きりになると、広山君は服を脱いで私の身体に被さってきた。
もっとひどい事を言われると思ってぎゅっと目を閉じたら、広山君は触れるだけのキスをした。
『ねえ、こっちを見て』
ひどく優しい声なのに、目つきが飢えた獣みたいにぎらぎらとして怖かった。ひそかに憧れていた普段の彼とは大違いで、一体これは誰なのと思った。ぐいぐいと欲を押し込まれ、痛くて痛くて涙が止まらなかった。さすがのお酒も破瓜の痛みまではどうにもできなかったらしい。
泣きじゃくる私をなだめながら、それでも彼は私から出て行かずに攻め続けた。
『ものすごく綺麗』
『恥ずかしがらないで』
どうして声はそんなに優しいのに、このひどい行為を止めてくれないのかと思った。達した後、血で汚れたその部分を見てうれしそうにするのが信じられなかった。
身体が動かない私をお風呂場で綺麗にしてくれたあと、広山君は私を家へ連れて帰ってくれた。
家には母がいた。
私が傘を忘れて雨に濡れ、具合が悪そうだったから一緒に帰ってきたという、広山君の嘘を信じてお礼まで言っていた。
『なんていい子なんでしょう』
騙されている母が、とても可哀相に思えた。
それから数日熱で寝込んだ。
学校は一学期の終業式を迎えるだけだったから、特に問題はなく、堂々と休めた。
本当はショックで熱がひどくなったんだろうけど、家族は風邪が悪化したのだろうと看病してくれた。その時ばかりは、朗にさえ本当の話はできなかった。家族が傷つくのを見たくなかった。今も言えていない。
ただ、心底、男の人が怖くなった。
そして、お酒を飲んだら、淫乱になる自分が嫌になった。
汚い。みっともない。蔑む存在の醜い女。
嫌いだ。大嫌いだ。
家族の前では必死になんでもない演技をした。
誰にも会いたくなかったのに、夏休みに入ってから、広山君が来た。
居留守を使いたかったけど、心配してくれているのに何を言っているのと母に叱られ、会うしかなかった。
部屋に二人きりにされて、おびえてスマートフォンを握り締める私に、広山君は土下座をして謝った。
『申し訳ないことをした。謝っても許されることではないけれど、本当にごめん!』
犯した彼とはまるで別人みたいに、何度も何度も謝った。
許せないし、恐怖も拭えていなかったから、帰ってくれというのが精一杯な私に、また来ると言って、広山君は頭を下げて帰っていった。
高校受験を控えていたから、言わないでくれと釘を刺しに来たんだと思った。そう思うとおかしくなった。そんなの言えるわけがない、内申書に響くのはこっちも同じだ。レイプされた女と面白おかしく世間に言われるなんて耐えられない。だから私は黙っているしかなかった。
それに、あの学校が私の叫びを聞いてくれるはずもなかった……。
新学期に入ってからも、広山君は謝り続け、また虐めからそっと護ってくれた。
騙されやすい私は、こんなに謝っているのだし助けてくれるのだからと、学期末には許す気持ちのほうが大きくなっていた。
馬鹿だったと思う。
バレンタインで告白された時、やっぱりこの人が好きだと思った。とてもうれしかった。
広山君はすぐに返事しようとする私を押しとどめて、ホワイトデーに聞かせて欲しいと微笑んだ……。
私はそれを、彼の最大の誠意だと思い込んで……。
(……馬鹿だったわ。何で許したのかしら)
馬鹿でのろまでどじで、騙されやすかった私。
でもそれは、今も変わってない。
一人、ベッドから起き上がって、脇に足を下ろした。ものすごくだるい。
宮下君の姿がなくて、ほっとした。
ふと目をやると、バッグとクリーニングされた私の服と靴が、ラグの上にきちんと置かれていた。
身体はきれいになっていて、多分宮下君がしてくれたんだろうと思う。
服を着て、靴を履き、バッグを手にして部屋を出た。
廊下はしんとしていた。
幸い、おばさんも宮下君にも、途中で会わなかった。一階の奥のほうが妙に騒がしかった。あそこにいるのかもしれない。
そのまま家を出た。
雨はすっかり上がって、太陽がとてもまぶしい……。
土日は何事もなく過ごせ、休み明け、普通に会社で仕事をする。
普通なら宮下君に会うのが恐ろしくて、出社できなくなるんじゃないかな。だけど心に欠陥を抱えてる私は出社した。
桜子となんでもない会話をして、中村君にまた余計なものを頼まれ、いつもと変わりない私。
誰も私に何が起こったかなんてしらない。
誰も本当の私なんてしらない。興味もない。
人間は基本、自分がかわいいし、一番興味があるのは自分だけなんだ。
……そう思い切れたら、どんなにか楽なのだけど。
お昼に食堂であんまり食べる気のないランチをつつきながら、出そうになるため息を飲み込んだ。
桜子は彼氏と充実した休日だったみたいで、ものすっごくキラキラしている。
うらやましいな。
どうしたらまともな男性と出会えるのかな。
って、私がまともじゃないから難しいか。
「林さん、僕、金曜日抱きついてしまったそうですね。すみません」
昼食を食べ終わった私の所へ来て律儀に謝る中村君に、自然笑顔になった。彼は素直なところがとてもいい。
私にはないものだ。
「気にしなくていいわ。それより無事に帰れたの?」
「はい。念のため兄貴に迎えを頼んでおいたので」
「親切なお兄さんね」
「いやいや、何でそんな面倒なことをって不満そうでした。でもこっちは貞操がかかってましたから」
笑えない。女郎蜘蛛集団が相手だと。今もなんかにらまれてるし。
「林さんなら襲われてもよかったなー」
ドキリとする。
「馬鹿言ってないで。午後、すぐに行かなきゃいけないところがあるんじゃいの?」
「そうだった!」
宮下君に襲われた私は、すくなからず動揺してしまったと思う。ちょっと不自然だったかな。中村君が行った後、桜子がこそこそと私に耳打ちした。
「宮下君と何かあった?」
そんなに警戒しなくても、今は昼時で大勢の人がいて騒がしいから、私たちの会話なんて聞こえっこないのに。
「え? ……何にもないよ? てかなんで宮下君?」
「だってあの人、あからさまにゆきのに気があるそぶりだったもん」
「どこが?」
ふっふっふと桜子は笑った。
「入社以来、仕事に関係なく声をかけたのはゆきのだけ。しかも彼、時々廊下から覗き見てるんだよ、あんたを。それもじーっと見るんじゃなくって、ホントさりげなーく」
「……うそ」
まったく気づかなかった。女郎蜘蛛集団にばれたらやばいんじゃないの?
でもその割には私の周囲はいつもどおりだ。
そう言うと、そりゃ、相手は社長の息子様だから、なんかしたのがばれたらクビになるかもしれないし、第一気づいてるのは私ぐらいよと桜子は笑った。
「彼、あんたに関してはものすっごく周りを見てるのよね。でも今日は影すらないわ。となると、何かあったのかなーと思って」
語尾にハートマークがついてそうな話し方を桜子はする。
男嫌いで通ってる私に、ようやく春が訪れそうだからうれしいんだろう。
なんで男嫌いなのか知ったら、桜子はどういう反応をするのかな。
ドライな性格の桜子はそれ以上は何も聞いてこなかった。彼女は友達でもあまりそういう話題はつっこんでこない。だから、私みたいにどろどろしたものをおなかに抱えてる人間には、とてもつきあいやすい貴重な人だ。
今度、桜子の好きなティラミスを奢ろう。
その日の午後も何事もなく過ぎて終業時間になった。
会社から少し歩いて電車に乗って、がたごとと揺られる。
あんまりにも普通なものだから、金曜日の夜に起きた出来事が夢だったのではと思えてくる。
そうか、夢か。
とびっきりの悪夢か……。
そうね。お酒で淫乱になって、見るも汚らわしい私になったなんて悪夢でしかない。
なのに、悪夢だと考えている中で、割り切れない気持ちを持っている私。
どうしてなんだろう。
どうして広山君は、私をあんなふうに期待させて突き落としたの? しかも二度も。
日ごろの親切な彼が偽りだったとは、どうしても考えにくい。
そして、宮下君は一体何がしたかったんだろう。
女遊びがひどいとは聞いてない。そんな風だったら情報通の桜子がとっくに私に話しているはずだ。
わからない。
ぐるぐると考えをめぐらせながら自宅近くの駅を降りたところで、会いたくて会いたくない人に前を通せんぼされた。
真剣な目をした宮下君だった。
その後ろには黒の高級車が停まっていた。