ゲーム 第11話
「車に乗って。おれと一緒に来て欲しい」
「……どこへいくの?」
「京都」
行き場所をなんとなくわかっていた私は、それでも目を見開いたと思う。宮下君は車の後部座席のドアを開けた。
「家へ帰って支度をしてきて。一週間ほど滞在するから」
「表向きは?」
「総務に近いうちに導入される計算システムの研修。おれも同じ」
「……そう」
今避けても、次があるんだろうな。
そう思ったから逆らうことなく、自分を奪った男の車に乗った。
奪う?
馬鹿か私は。奪うも何も、何も持っていなかったのかもしれないのに。
家にはめずらしく休日が取れたお母さんがいて、広山君にそっくりな宮下君に驚いていた。
出張はキャリアウーマンのお母さんには珍しくないもので、ふうん、言ってらっしゃいという言葉だけだった。
急いでいるのでと宮下君は家へはあがらず、車の中で私を待った。
私は自分の部屋でキャリーケースに着替えなどを放り込み、ふと机の上に置かれている、ゴミ箱に捨てたはずの同級会のはがきを見つけた。捨てたはずなのに誰がこんなことをしたんだろう。
手にとってじっと見た。
同級会の日付は明後日と記されている。
…………。
まさかとは思うけれど。もしもそのつもりなら馬鹿らしい。
だけど私も、そろそろ決着をつけるべきなのかもしれない。
虐めもレイプも記憶から消えない。
だけど、それらを封印してきた気持ちは、もう手放す時期なのかもしれない。
支度を終えた私は、玄関のところで会社から帰ってきた朗に会った。
不機嫌そうだ。車の中の宮下君を見たんだろう。
広山君そっくりな彼に、好感など抱くわけがなかった。
「姉さんは、それほどまでに広山先輩が好きなの?」
「あの人は広山君じゃないわ。宮下君。彼のいとこ」
靴を履いて、そのまま横を通り過ぎようとしたら、腕をつかまれた。
「同級会に行くの?」
……あのはがきを机の上へ置いたのは朗だったのか。
「必要になれば行くと思う」
「行かないからゴミ箱に捨てたんだろう?」
「じゃあ、どうして朗はわざわざそれを机に置いたの?」
「……なんとなく」
そう言って、朗は玄関の壁に腕を組んでもたれた。お母さんはキッチンで夕食を作っていて出てこない。こんばんは天麩羅か……食べたかったな。
朗は、やれやれとばかりに首を竦めた。
「姉さんはどうしたって広山先輩が好きなんだ。無理やり抱かれた時も、似た顔の宮下さんとやらに抱かれたのだって、好きだからだろ?」
何でばれてるの! かあっと顔が赤く染まるのを熱で感じる。
「姉さんは救いようのないおばかさんだよ。偽りの優しさで男を好きになるなんてさ」
「いい加減にしてよ。第一どうして知ってるの!」
「中学の時のは、先輩に直接謝罪されたから。宮下さんの場合は、朝がえりの姉さんの腕にあるキスマークを見たから」
「それ、お父さんとお母さんは」
「知らないよ。俺しかしらない」
「そう……」
よかった。両親の前では普通の娘でいたい。
「どうして姉さんは広山先輩を許すんだ?」
「……あんた、馬鹿?」
「なんで馬鹿だよ?」
「馬鹿よ。許さないって気持ちはね、相手に囚われている証拠なのよ」
「じゃあ本当は許してないんじゃないの? 姉さんは、何回も男に襲われかけてるけど皆撃退……」
「もういくわ」
情事が朗にばれていたのがショックだった。
いってきますと外に出て、運転手さんにトランクへキャリーケースを積んでもらった。朗は追いかけてこなかった。車の中では宮下君が目を閉じてシートにもたれている。
車が走り出してしばらく経った時、やっぱり寝ていなかった宮下君が言った。
「駅まで行って、新幹線で京都まで行く。今日は予約してあるホテルに泊まる」
「明日は?」
「多分、林さんの想像通りのところへ行く」
「……宮下君が、広山君本人じゃないかって疑ってたわ」
そこで初めて宮下君はふわりと微笑んだ。
駅について新幹線に乗った。乗っている間、宮下君は口を開かなかった。
窓際に座った私は流れる夜景をずっと見ていいた。
平日のせいか車内はがらがらで、ひどく静かだった。
心の中で、朗の言葉が埋み火のようにじわじわと燃えている。
”姉さんは、広山先輩が好きなんだ”
嫌に耳に残るその言葉を、心の中でひとりごちてみた。
……広山君が。好き?
私を二度も陥れた男が?
他人が聞いたら「やっぱり林ゆきのは馬鹿だ」と言われそうだ。
本当に馬鹿なんだから、仕方ないけど……。
京都駅に着くとタクシーに乗り、市街地のはずれにある大きなシティホテルにチェックインした。さも同然というかのごとく、宮下君と同室にされたのに、私は何も言わなかった。
なんというか、会社で見かける情報部の新入社員ではなく、未来の社長といった存在感ありありな感じに変わっている気がする。広いスイートの部屋のせいなのか、ブランドのスーツのせいなのかはわからない。
だとすると、私は秘書のように傍目には見えるのだろうか。
ルームサービスで夕食が運ばれてきて、二人で食べた。
甘い雰囲気は皆無だ。
食べ終わると、それらはホテルの従業員が回収していった。
「お酒は駄目だから、ミネラルウォーターでも飲む?」
「何もいらないわ」
「林さんがお酒を飲めれば、少しは話しやすいんだけども」
「宮下君にとっては相当話しにくい話なわけ?」
「ああ」
宮下君はそう言いながら、でもやっぱりお酒の力を借りるのは良くないかとつぶやき、取り出しかけたワインのボトルとグラスを元の場所へ戻した。
防音が完璧なのか、聞こえてくるのはバスルームの換気扇の音だけだ。
カーテンは閉めてあって、夜景は見えない。
後でいくらでも見たら良いよと言って、宮下君は笑った。その目に私の腕を舐めた時の、あの妖艶で危険な炎がちらりと揺れているのが見え、抱くことが話しにくい内容なのかと一瞬思った。
あれは同意の上ではなかった。
でもお酒でおかしくなっていたとはいえ、中学のあの男子連中や、大学や就職してから襲ってきた男達のような、嫌な感じはなかった。
やられているのは同じことなのに、おかしい。
私はやっぱり広山君が好きで憎みきれずにいて、その弱さの中に彼を受け入れたのだ……。
「それで?」
いつまで経っても何も言わない宮下君に痺れを切らして、つい自分からせっついてしまった。宮下君は、ずっと話そうと思っていたんだと言ってから、
「おれは、林さんが好きだ」
と、告白した。
何かと思ったら告白か。
気が抜けた。しかもこの間の夜と同じで唐突すぎて、遊びか何かのように思えてしまう。
「私は、宮下君とはほとんど面識がなかったのよ。一体全体どうやって好きになれるの? しかもあんなふうにいきなり抱かれて、私があなたに好感を持つとでも思ってるわけ?」
「これを見たらわかると思う」
宮下君は、胸ポケットから手帳を取り出し、ぼろぼろになった紙を差し出した。なんだろうと思いながら受け取り、心底飛び上がった。
それは、中学三年の遠足で、広山君が私と一緒に撮った写真だった。