ゲーム 第12話

 なぜ彼がこれを持っているの? 

 レイプされてそのあと謝り倒されて、変わらず私を虐めからかばい続けてくれた広山君を許すかどうかでふらふらしていた頃の写真。

 とまどったように微笑む私の横で、同じような顔の広山君が写っている。

「どうして彼の写真を……」

 喉が妙に渇く。やっぱりミネラルウォーターを頼めばよかった。

 あのレイプされた日感じた違和感が、頭の中でにわかに急浮上してきた。

 普段の優しい広山君。

 怖かった広山君。

 バレンタインの日の広山君。

 ホワイトデーの時の広山君……そして卒業式の時の…………。

「それはおれだ」

 私が写真から目を上げたら、宮下君は申し訳なさそうに瞳を揺らした。

「ごめん。おれは林さんを知らないふりをしてた。でも、本当は誰よりも知ってる」

「これは広山君、あなたのいとこでしょう?」

「いいや、それはおれだ。でもその時は広山優を名乗ってた。中学を卒業するまで、おれは広山優の人形だった」

「どういうことなの?」

 いやな予感がする。頭がずきずきと痛んできた。

「おれは孤児だ。広山コーポレーションの一人息子の広山優の遊び相手になるために、スペアとして利用されるために、子会社を運営する宮下家に引き取られたんだ。当時の宮下はまだまだ小さな会社だった」

「…………」

「優は生まれつき身体が弱くて、ずっと入院生活だった。学校に行けない優の代わりに、優のために学校へ通って、その生活を話すって毎日を続けてた。学校側には事情が説明してあって、ちゃんと宮下優として証書はもらってある。でもそれは皆知らない。顔が似ているのは、本当にいとこだからさ。名前が同じ理由は知らない。広山優の母親の妹がおれの母親。もっとも彼女はかけおちで家を出て、おれを生んで、おれが三歳の時に交通事故でおれの父さんと一緒に亡くなってる」

 少しずつ、少しずつ、絡まった糸が解けていく。

 感じていた違和感は、やっぱり正しかったんだと思った。

「小学校の時も中学校の時も、特に異常はなかった。優は楽しそうにおれの話を聞いて、病院で勉強して治療する。その毎日だった」

 その頃を思い出したのか、宮下君の顔に懐かしいものを見るような優しさが宿った。でもそれはすぐに打ち消され、私に視線を走らせたかと思うと、すぐに足の間に組んだ手元へおとした。

「変わったのは。おれが……林さんのことを、話すようになってからだ。ほとんど一心同体状態の優はすぐに気づいた。おれが林さんが好きなんだと。同時に優も林さんが好きになってしまった」

「そんなの有り得ないわ。私は当時太ってたし……」

「関係ない。おれは、いつも教室の片隅でひっそり本を読んでる林さんに恋してた。色白で、柔らかそうで、ふとした拍子に浮かぶ笑顔が好きだった。でも、おれは見城ほのかの命令を聞くしかなくて、表立っては助けてやれなかった。事あるごとに、言うことを聞かないとすべてをばらしてやる、林さんにもっとひどいじめをするって脅されてた」

 彼女ならやりかねないと思った。いつだって女王様で、人前で私を堂々と馬鹿にするような言葉を吐く人だったから。

「あの女は、林さんをどうやっていじめるかってよく取り巻きと考えてた。あの夏の日にレイプしようと言った時、おれは猛反対した。それだけは絶対に駄目だって。もうばらしたってかまわないとまで言った」

 ずくんと胸が痛んだ。でも、じゃあ、あの時の広山君は……。

「でもあの女は、せっかく思いついた残虐なゲームをあきらめるつもりはなかった。おれがどうあっても言うことを聞かないと悟ると、こんどは優にそれを持ちかけた。好きな女を抱くチャンスだとね。なぜか知らないけど彼女は優の気持ちを知ってた。おれはそんな言葉をやさしい優が聞くはずないと信じてた。だけど、おれは知らなかった。優がおれに嫉妬していたのを」

「嫉妬……」

「おればかりが林さんの近くにいていられるのに、ベッドに縛り付けられている自分が悔しくて、優はおれへ屈折した思いを抱えるようになっていたんだ」

「あの日の彼は、本当の広山優だったの?」

「そうだ。おれがそれを知ったのは何もかもが終わった後だった。優が言ったんだ。もうゆきのは自分のものだって。どういうことだと聞いたら…………っ」

 別人のように平謝りしてきたのは、この目の前の宮下君。広山優として過ごしていた彼。

「バレンタインで告白したのも、ホワイトデーでふったのも、本当の広山優だ。おれはその二日間、こっちの宮下家に呼ばれていた。受験を控えている忙しい時期におかしいと思ったけど、すべてを知ったのはやっぱり後だった」

「どうして? 本当は優しい人だったんでしょう?」

「あいつは、おれとゆきのが恋人同士になるのが我慢できなかったんだ。自分は病院に縛り付けられて友達も誰もいないのに、どうしておれは好きな女と結ばれるんだと。健康も友達も皆持ってる癖にって……」

 私は突きあがってきた怒りに我慢できなり、立ち上がって窓まで歩いた。理不尽な虐めの全容を聞かされて、腹が立ってやりきれない。

 ふざけんな!

 窓の枠をカーテンごと叩いた。痛かったけど、怒りのほうが大きかった。何度も何度も叩いて、血が出た。それを見た宮下君が背後から私の手を止める。

「もう止めろ」

「あんたたち、最低っ!」

 今度は宮下君を叩きまくった。見城ほのかも、広山君も宮下君も許せない。どいつもこいつも自分のことばっかり。私はこんなやつらのせいで一生消えない傷をずっと抱えてたんだ。わがままな意地悪令嬢の暇つぶしにされて、めちゃくちゃにされて……。

「私の一年間を返せっ! 返してよっ」

「……ごめん。本当に、ごめん。許さなくていい。ただ、どうか、優に会ってやってほしい」

「ふざけんな! そんなやつの顔なんか見たくないっ。もう帰る」

 暴れる私を抱きしめ、それでも宮下君は言った。

「頼む。お願いだ。これがすんだらもうおれたちは林さんの前から姿を消すから……」

「じゃあなんで私を抱いたのよっ。そっとしといてくれたらよかったのに」

「それは……」

「被害者ぶって! あんたが一番最低。最低! 最低!」

「そうだ、最低だ」

 どれだけ鍛えてるのか知らないけど、宮下君は妙に筋肉がついている。

 だからどれだけ叩いても痛くなるのは私の手だ。

 疲れて息が上がり、仕方なく手をゆるゆると下ろした。

「……本当、最低」

 自分の手ばかりが痛むのは何故。

 悪いのはこいつらなのに、どうして私は自分を責めるの。

 ……わかってる、それは、何もしなかった自分を知っていたから。

 いくらひどいクラスでも、私はやっぱり戦うべきだった。

 弱い自分から逃げていたのは私。

 目を背けていたのは私。

「見城さんの言いなりになっていた、事情って何?」

「おれが養子で優の替え玉って事と、当時、広山コーポレーションは倒産の危機を迎えてた。それを援助したのが見城の会社だった」

「会社と見城さんは……」

「見城の父親は彼女を溺愛してた。彼女の一声で援助は簡単に打ち切られそうだった。だから仕方なかった」

 宮下君は、深いため息をついた。

「今、宮下が狙われてる」

 不穏な話だ。そんな雰囲気は会社では見られないから、にわかには信じがたい。だけど、今更私に嘘を言うわけがなかった。

 宮下君は私をそっと放し、思い切り窓の横の壁を叩いた。

「おれはあいつを許せない。林さんがおれ達を許せないように。あいつのせいで優は狂って……、林さんはっ!」

 そこには私と同じくらいのやりきれない怒りがあって、思わず心配してしまうほどだった。罪を犯した人間は罪を重ねるほど、その呪縛で雁字搦めになる。

 はは、と自分を嘲るように宮下君は笑った。

「……すまない。林さんからしたら言い訳にしか聞こえないな」

「…………」

 見城さんに逆らえなかったとしても、結局は自分で選択したこと。

 私をもてあそんだのに変わりはない。

 宮下君は罪をすべて認め、一生背負おうとしている。

「優はもう長くない。もって一ヶ月って言われてる」

「一ヶ月」

 一ヶ月という短さは、少なからずとも私に動揺を与えた。いろんなことがぐるぐると頭の中を駆け巡るのを処理していると、宮下君の優しい目とかち合った。

 嫌いな男のはずなのに、胸が騒ぐ。

「何よ」

「いや。本当に林さんはいい人だなって思って」

「利用しやすくて落しやすいってこと?」

「まさか。それに、林さんがおれ達を嫌いで恨んでて、大嫌いってわかったから、もう抱いたりしないから安心して」

「何それ」

「おれも優も、林さんを愛してるけど、やった罪は消えない。でも未練がましく想いを引きずって、また罪を増やした。愚か者の末路なんてこんなもんだ」

「そうね。警察で罪を暴かれることだけが罪の償いになるわけではないわ」

「……いっそそうしてくれたほうが楽だ。林さんが告発してくれないと、おれは動けない。ずっと宙ぶらりんでじわじわ殺されていくんだ」

 くすりと私は笑った。なんて弱い男だろう。

「ざまあみろって笑ってあげる。一生苦しむが良いわ」

「最悪の気分だ」

 宮下君は力なく笑った。どことなく砂が崩れ去るような感じが妙に気にかかる。

「ひょっとして、まだ見城さんに何か言われてるわけ?」

「……林さんには関係ないよ」

 宮下君は自分のキャリーケースを手にした。

「どこ行くの?」

「おれの部屋に決まってる。同じ部屋なんて林さんが嫌だろ?」

 なんでもない事のように言い、唖然としてる私を置いて宮下君は部屋を出て行った。

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