ゲーム 第15話
私は見城ほのかを無視してそのまま広山優の元に座り、にっこり笑って往復ビンタを見舞った。病人になんて事を言う人がいるだろうけど、私にやったことを思えば生ぬるいくらいだ。むしろ優しすぎてお人よしの部類よ。
「……あなた、私が好きだったんですってね」
「はい」
「ならどうして、好きだとちゃんと言ってくれなかったの?」
「……宮下には勝てないと思ったから」
「…………」
「誰だって、病弱な僕より宮下のほうが好きに決まってる」
「馬鹿ね。私はこの男が大嫌いよ。昨晩あらためて振ったところなの」
信じられない顔をする広山優に、宮下君は済ました顔のまま頷いた。
「ゲームオーバーです。ですから見城様、あなたの負けです」
どうやら完全に宮下君はこの二人の下の身分らしい。
こんな女にすら丁寧な言葉なのは昔からなんだろうけど、この中じゃどう見ても宮下君のほうが立派な部類の人間だと思うから、必要ないんじゃないかしら。
「どういうことよ。このブタチンが貴方を受け入れないはずがないじゃない。馬鹿なんだからっ!」「そうは言われましてもこの通りですので。これ以後、彼女に監視をつけるなんて悪趣味は止めてください。お父君もこの件はご存知です。破棄すれば、父君があなたを監視されることになりますが」
「おだまりっ! ただの乞食風情が私に意見する気?」
「本当の姫君なら、お約束をお守りください」
見城さんは頬を赤くはれさせた顔で、面白くなさそうにわかったわよとつぶやいた。私には何のことやらわからない。でも三人の間で悪趣味なゲームをされていたのはわかった。
「監視って何?」
「あんたが面白いから配下の者に時々監視させてたのよ。ブタの身分を忘れていい気になってるみたいね」
宮下君に聞いたのに、何故か答えたのは見城ほのかだった。
「はあ? ブタはあんたでしょ?」
「ブタチンのくせに、まったく……だから頭の弱い馬鹿は嫌いなのよ」
唾を吐かれた。信じられない暴挙だ。胸がすいたのか、見城ほのかは嫌な笑みを浮かべた。
「ここまで来たってことは、同級会に来る気になったのかしら?」
「行くわけないじゃない。あんたの顔なんか見たくもないわ」
「へえ? 言うわねえ。でもすぐ泣くことになるわ。宮下の会社は近いうちに潰れるのよ? 私のパパの会社と吸収合併予定なの。優秀な人しか残さないからあんたなんかお払い箱よ」
とことん私を見下げた視線でつんとすまして、見城ほのかは手入れした長いカールの髪を翻した。
性根が腐りきった人間って、悪化することはあっても直らないものなのね。
ぴしゃりと障子が閉まり、部屋には三人だけになった。
「そこに洗面所があるから、顔を洗ったらいい」
広山優が言った。言われなくても洗うわよ、あの女の腐った唾なんて最悪だもの。
さっさと洗ってタオルで拭いてさっぱりした私に、広山優が小さなものを差し出した。
「何?」
差し出されたのは、ミニディスクだった。
「どうしようが君の勝手だ。好きなように使って」
「何それ」
聞いているのに、広山優はまったく別の話題に移った。
「彼女は近いうちに、取り巻きの一人だった御曹司と結婚する」
「何を言ってるの?」
宮下君とは違うやせこけた顔に、目だけがらんらんと光っている。死神に襟首をつかまれながら、何かをしようと必死になっている恐ろしい目だ。
「……僕を許さなくていい。僕は謝らない。僕は、ゆきのが好きだから抱いたんだ」
「レイプよあれは」
「僕は違う。僕はどうしても宮下にゆきのを渡したくなかった。大人しい性格。いじめられても学校へ行って、静かに本を読んで、笑顔を時々浮かべるゆきのが好きだった」
「私を傷つけても?」
「……エゴなのはわかってる。僕にはこうするしかなかった。曲がっているし病んでる」
そこで苦しそうに広山優は布団に横たわった。ずいぶんと無理をしているらしい。今頃気づいたけどとても大きな袋から点滴が、彼の左腕に刺さってぽたぽた落ちていた。
「恨んで、恨んで、憎んでほしい。そうしたら僕はゆきのの中で生きていける」
気持ち悪いと思った。広山優は身体ばかりか心まで病んでいる。
じっと私を焼き付けるように見ていた広山優は、一度目を閉じて宮下君を睨んだ。
「宮下。おまえなんかにゆきのは渡さない」
「もう振られました」
「そうだな、ふふ。ざまあみろだ……」
わがままな子供のまま大きくなった男の典型だ。
それも最悪な形に。
どろどろの執念をびしばし感じて、一刻も早く帰ろうと立ち上がった。
なのに部屋を出ようとした時、広山優の声が追いかけてきた。
「……だけど、やっぱり僕は宮下には勝てなかった」
一体何が言いたいんだこの男は。自分のことばかり。
そりゃ誰だって自分のことが一番大事。だけど、それがレイプや虐めの免罪符になると思わないで欲しい。
そっちの都合で人の人生狂わせておいて、一体なんなのよ!
来るんじゃなかった。
視線を痛いほど感じたけど、振り向かず、ずんずんとお屋敷の廊下を出口に向かって歩いた。
宮下君が追いかけてくる。
さっきの出入り口から外へ出た。
外はもう薄暗くなっており、空には半月が浮かんでいた。生ぬるいけどそよ風が吹き、植えられている草木がさやさやと優しい音を立てた。そこでようやく息がつけた。
ああ、普通だ。
深く深呼吸する私の隣に、宮下君が立った。
「すまなかった。最近落ち着いていると聞いていたんだが」
「……あの人、気が触れてるの?」
「長い名前の病気だ。おれが高校へ入る頃、おかしな兆候を見せ初めて……、今ではあんなふうに時折おかしくなる。だけど、ここ一月ほど発作もなかったんだが……」
「発症したのは、私が原因なのね」
「おそらくは。ああは言ってるけど元が優しい性格だ。自分の欲望のささやきに負けて、それをずっと苦に思ってるんだろう」
本当に愚か過ぎる。まだあの見城ほのかのほうがいっそ潔い。
そんなに自分を追い詰めるくらいなら、レイプなんて止めておけばよかったのよ。
ふと思い出して、ミニディスクを持っている手のひらを広げた。
「なんだってこんなものを……」
「おそらく、良心のなせるわざだろう」
やっぱり意味不明だ。
すぐ帰るつもりだったので、タクシーが待っていた。宮下君は迷惑顔の運転手に謝ってチップを多めに払い、そのタクシーに乗ってホテルへ帰った。