ゲーム 第17話
「それよりお腹すきませんか? 僕、まだなんですけれど」
「あ、あそこは止めておいたほうが良いわ。お隣のイタリア料理のほうがいいと思う」
あのまずいレストランに中村君が行きかけたので、慌てて止めた。
イタリア料理のほうがいいとの情報は、鈴木さんだ。彼女はそういうのにとても詳しい。
時間帯もあってかなり混んでいたけれど、それでもなんとか二人分の席は確保でき、私はピザセットを、中村君はステーキセットを頼んだ。経費で落ちるからとちゃっかりした事を言う。
心底うれしそうに中村君が口をゆるめた。
「うれしいなあ。やっと憧れの林さんと二人きりで食事です」
「仕事よ?」
こっちは弟にしか見えないんだけど。
「それでもです。そうそ、宮下さんは?」
「さあ……? そう言えば夕食の誘いが無いわね。何か用事があるのかも。彼のほうはいろいろと忙しいから」
「……そうですね」
それぞれのセットが運ばれてきて、しばらく無言で食べた。
むちゃくちゃ美味しいとは言わないけれど、隣のあのまずいレストランと比べるととても美味しい。
食後のデザートのケーキもいい。
あれ? 中村はがコーヒー飲まないのかな?
「飲まないの?」
「んー、泥水みたいで好きじゃないんです」
「へえ。好き嫌いなんてあるようには見えないのに」
中村君は頬を少し膨らませた。それが年下って感じで、なんだかほほえましい。
さっきまで敏腕営業マンだったから、余計にそう思うのかもしれない。
「そういや。一体どこの物好きなの。あの見城さんと結婚したい男って」
「同じような下種です。お似合いだと思ってます」
「その男って、その最大手の会社の跡継ぎなの?」
「いいえ。爪弾き者です。まあ、会社の力を増やすための捨て駒といったところで、適当に飼いならされてるんです」
「辛らつね。知り合いなの?」
「林さんもご存知だと思いますが」
告げられた名は。私に嫌なあだ名をつけたあのサル顔の男子だ。へえ。誰からも相手にされなくてあんなのに走ったんだ。本当にお似合いすぎて笑える。
少し笑ってから、自己嫌悪に陥った。
ああ嫌だ。こんなふうに人を見下げるなんて。
記憶を消去できる機械があればなあ。
紅茶をを口に含んで、ゆっくり飲みおろした。
明日も出張先へ出勤だ。
会社がどうのこうのは、この際頭の外へ追い出そう。
横領疑惑もなんとかなりそうだし。もっとも桜子が知ったら目を回すだろうな。彼女のことだから私を思って怒り狂ってくれるだろう。
「もう……、何を信じたらいいのかわからないわ」
「林さんがそう言うのも無理はありませんけど、結局、皆、信じるふりをしているだけかもしれませんしね」
思い出したくもないのに、広山優の狂気に染まった瞳を思い出した。
あれが私に向けられていなければ、第三者的に冷静に見られたと思う。
でも、自分に向けられて平気で居られるわけがない。
何も残せない人生に絶望した病人の、生への執念そのものの暗い瞳。
広山優の両親が、宮下君をつけたのは大失敗だったのではないだろうか。
同じ顔で同じ年で、あんなふうに差を見せ付けられたら、誰だって気が滅入る。
絶望も深いだろう。
一瞬、かわいそうと思ってしまい、すぐに打ち消した。
記憶から消し去りたいのなら、怒りも恨みも彼に向けてはいけない。
つながりたくなどないのだから。
「あの、林さん。林さんは結婚はしないんですか?」
「なんなの唐突に?」
さっきから微妙な雰囲気になりかけていたのを避けていたけど、やっぱり中村君は話題をふってきた。
「だって、男の気配ぜんぜんないから」
「結婚なんてする気もないのに、気配があるわけないでしょう」
「……それは、広山優のことがまだ傷になってるから?」
「言いにくい事をずばりと聞くのね」
はやくおばあちゃんになりたい。
そうしたら結婚どうのと言われなくなるだろうから……。
マロンケーキを口に入れ、フォークを皿の上に置いた。中村君は真剣な目だった。
「それもあるけれど……。好きってどういうことを意味するのかわからないの」
「わからない? 広山になってた宮下さんに対して抱いていた気持ちがそうでしょう?」
「あれは違うと思う。優しくされたから、ではないかしら」
「そんな子供っぽい恋を林さんがしますか?」
「わからない」
紅茶の隣においてあるミネラルウォーターの氷が、私をぼんやりと映した。
「僕、ずっと林さんが好きです。朗からずっと貴女の話を聞いてました。内気で消極的な貴女がそれを乗り越えて、就職してからもどれだけ頑張ってるか。白状しますけど、会社を宮下にしたのは、林さん、貴女がいたからですよ?」
胸の奥底が妖しくざわめいた。
中村君の眼差しは、宮下君と被るものだった。