清らかな手 第1部 第10話

 フレディは薄暗い路地裏に連れ込まれて、突き飛ばされた。烏の目通りと呼ばれているこの辺一体は、治安が良くなく真っ当な人間はまず来ない。やって来るのは、彼らのような闇の世界の人間だけだ。

「お前もしつこいな、いい加減あの銀髪の事は諦めろ」

 ぼろぼろの服を着た、人相の悪い男がフレディを殴った。

 この男はこの界隈を仕切っている男で、悪い連中からも恐れられている。烏の目通りの近くにいつも人でにぎわうショッピング街があるが、そこで商売をするには売り上げの30パーセントをこの男に渡す決まりになっている。ちなみにその30パーセントのうち半分は、アレクサンデルの組織に吸い上げられている。

「うるさいっ! アウグストを返せ」

 言い返したフレディに、男達の蹴りや拳がふりかかる。多勢に無勢で、百戦錬磨のフレディでも敵うわけがなかった。

 冷たい土の上に叩き落とされ、フレディは立ち上がろうとして頭を靴の裏で踏まれた。

「銀髪はな、アレクサンデル様のイロになったんだよ。てめえみたいなのは嫌だってさ。ちなみに黒の剣も滅ぼしたいんだと」

 そんな事を信じてたまるかと思いながら、フレディは押さえつけられる痛みに耐えた。別の男がその横腹を思い切り蹴り飛ばしてくる。

「ぐ……ふ!」

「おめえ、トビアスにも手を切られて一人っきりだっけ? ひゃっははは!」

「そういやこいつ、銀髪にも役立たずの貧乏人だから捨てたと言われてたぜ?」

 野卑な笑いがフレディの上から渦巻き、彼をまた暴力の嵐へ引きずり込む。土に汚れ、フレディが立ち上がる事すらできなくなった頃、路地の入り口に高級車が止まった。

 車から二人降りてきて、その暴力の場へ向かっていく。

「そいつがフレディだな……」

 暴力を振るっていた男達は、いきなり現れたパウルに驚いた。組織のナンバー2がこんな下町の袋小路に来る事など、あり得なかったからだ。だが、さらに驚いたのは彼の背後にいる美しい青年だ。銀の髪と茶色の目がひどく儚げで、彼らの心の奥底にあるどろどろとした物をかきあげてくる。地べたを這い蹲るような自分達とは別世界の人間だと、彼らは思った。

 フレディはいきなり暴力が止んだのを不思議に思い、ひどく痛む身体に鞭打って目線をあげようとした途端、乱暴に仰向けにひっくり返された。

 忘れられない顔が、フレディを見下ろしている。

「アウグスト……」

「……成る程、本当にぼろ雑巾だな。トビアスに見限られるわけだ」

 懐かしい恋人の声は、ひどく冷たかった。幾千もの思いを目に乗せて見つめるフレディに雅明が思いを返してくる事は無く、代わりに封筒を投げてきた。中には札束が入っているようだ。

「その金で日本に行って、佐藤貴明を誘拐して来い。あっちにも闇の組織はあるだろう。成功したらアレクサンデルが組織に入れてくれるそうだぞ」

「だれが……っ!」

「お前にできるとは思えないけど。まあ逆にとっ捕まって殺されたほうがいいかもな」

「アウグスト……、どうして……」

「目障りなんだよ私の周りをうろちょろと。さっさとこの街を出て行け」

 ナイフが刺さるように身体中が痛かったが、フレディは立ち去ろうとする雅明の足首を必死に掴んだ。

「待て……待って……アウグ……。お前のやろうとしている事はわかって……る。だけどそれでお前は……幸せになれるのか?」

「……離せ」

 しかし、フレディは必死に雅明の足首を握り締め放さない。

「それに俺は、今もずっと、お前を…………」

「私は最初っからお前なんか嫌いだ。勘違いするな」

「うそだ……うそだ!」

 流れる血でフレディは右目が見えにくい。それでも泥だらけの手で縋りつき最愛の男を止めようとしたが、非情にもパウルの足がその手を蹴飛ばした。

「ぐ……っ」

「汚い手で大事な商品に触るんじゃない。お前みたいなゴミと違うんだ。さっさと東の島国へ行ってしまえ!」

 とどめに頭を蹴られ、フレディの意識は闇に沈んだ。雅明はパウルとともに高級車に乗って消え、動かなくなったフレディを放置して、暴力を振るっていた男達も散っていく。

 夜の闇が、一人残されたフレディを包み込んでいった……。

「恋人があのように扱われて寂しそうだな」

「……私に恋人など居ない」

「そうかな」

 雅明は窓から夜のネオンをぼんやりと見ていた。アレクサンデルの館に来てから季節が移り変わり、夏になろうとしている。雅明が黒の剣のシステムに入り込んでいろいろと情報を引き出したため、わずか半年で黒の剣は崩壊の危機に瀕していた。あまりとあっさりと崩れ去ろうとしている為、アレクサンデルが、雅明とトビアスとの間で何らかのたくらみがあったのではないかと、怪しんでいるらしい。

 だが雅明はそんな事はしていない、どう嬲られようとも問い詰められようとも、何もしていないのだから口も割りようが無い。ひょっとすると、トビアス自身が組織を壊そうとしているのかもしれないと雅明は思っていた。それならばこの脆さも納得がいく。トビアスはアンネと彼女の親族にのっとられている組織を、あまりよく思っていない。

 他人には難解でも、雅明だと比較的短時間で解読できる暗号は、まるで彼に解読して欲しいと言っているようだった。どちらにせよ、黒の剣が崩壊するのは時間の問題だ。

(その時、私の人生も終わる……)

 雅明は睫を伏せ、自分の物思いに沈んだ。さっきのフレディの手の感触が足首に残っていて、それが雅明をいらただせた。

 わかってはいるのだ、こんな事をしても喪うばかりで何も得られないと言う事は。だが、このまま他人の玩具で人生を終えるには、余りに自分が可哀相過ぎる……。

(恨んでいるだろうな、フレディ……)

 微かに泣き笑いを浮かべた雅明に、足音が背後から近づいてきて、屈強そうな腕が情熱的に抱きしめてきた。

「アウグスト……」

 パウルが抱き寄せて頬に口づける。さっさと部屋を出て行くだろうと思っていた雅明は、今日はこいつかと思いながら、観念したように目を閉じた。体力がますます弱ってきたため、暗号解読以外の仕事は振られなくなった。雅明を抱けなくなった客達は残念がったが、アレクサンデルは雅明の身体の商売はもう止めたようだった。売る前に雅明に死なれると金が儲からないからだ。

 お前が死ぬ前に、黒の剣を潰してやる。その後は金持ちに売りつける。

 アレクサンデルは雅明にそう言い、雅明も了承したのだ。どの道、この先の人生など半年もないのだから……。それ以来、時々交代でこの館の男達に抱かれている。

「く……んん……ん……」

 白いシャツの前ボタンがはずされ、入り込んだ手が執拗に小さな乳首を押しつぶしては摘んだりしている。顔を上気させ始めた雅明にほくそ笑み、パウルはその赤くなりつつある耳をゆっくりと舐め上げていく。

「やっ……だ、それ……あぁ!」

「相変わらず感じやすい身体だ。期限切れが近いのが惜しいな」

「あっ……ぁ……もお……どうして……」

 パウルの手がふくらみ始めたズボンのチャックを下ろし、それをつかみ出して抜きだされると、雅明の身体が跳ね上がる。

「ああああっ……、くう……っ……ん……」

 自分の身体を弄る手を止める事ができない雅明は、そのか細い両手でカーテンを握り締めた。

 細かく震える雅明に際限ない愛撫を加えながら、パウルは荒い息を大きく吐いた。かつてこんなに人の身体に執着した事は無い。男も女も一夜限りの使い捨てだった。

「いいのかアウグスト? こんなに固くさせて……」

「いいっ……だから……っ、あっぁ……」

 先走りの蜜で滑りよくなった肉棒は、パウルの淫らな指使いで戦慄かんばかりに熱く固くなったが、乳首を嬲るのを止めたもう一方の手の指の輪が、根元をきつく締めているため射精はできない。

 内にこもる熱に雅明はパウルに哀願する。

「いかせて、いかせてくれ……」

「ふふふ、良い様だ」

 それに対し、パウルは抜く指の動きを速めただけだった。電流が出口を求めて身体中を駆け巡り、甘く疼いてたまらない。

「ああっああっ……お願い、お願いだからっ!」

「お前は後ろだけでいけるんだろう?」

「嫌だっ、お願いだから!」

「後ろでいったらいかせてやるよ……」

 パウルは切なく息づいている雅明の肌を舐めながら、だらだら蜜を溢れさせる肉棒の先に爪を立てた。雅明がそれに耐えられないと知っていて、強弱をつけて小さな穴をぐりぐりと刺激する。 

「あっあっあ! パウルっ……んんあっ……あう……うううっ」

「いやらしい身体だな。昨日、新しい商品を味見したんだが、お前ほどの奴はいなかった」

 睫を震わせて涙を流す雅明に嗜虐心を煽られながら、パウルは根元を締める手はそのままに、後ろのアヌスへ指を伸ばした。何人もの男達を銜え続けているそこは、蜜を潤滑油にやわらかくパウルの指を飲み込んでいく。

「ぐ……ぐ…………っ」

 カーテンを必死に握り締めながら、雅明は新たな快感に耐えている。もう足はがくがくで立っていられる状態ではなく、パウルの腕がその細い身体を抱えている。白いシャツのボタンは全て外され真珠色の肌が露出していて、下着もズボンと一緒に床に落ちて着ている意味を成していない。官能の疼きに震える雅明の身体が淫らに動き、そのたびにシャツが揺れていた。

 アヌスに入り込んだ指が、雅明のいいところを撫で回し、いきたくてもいけない肉棒をより固くさせた。

「いきたいっ……ぃきたいっ……パウルっ!」

「まだ我慢しろ……そのほうがもっと気持ちいい」

 頬に流れている涙を舌で舐め上げながら、パウルが低く笑う。ひくついて自分の指をぎゅうぎゅう締め付けてくるアヌスと、みだらに蠢く白い尻がパウルの下半身を熱く興奮させる。

「ううんッ……ああっ……あああっ! く……く……っ……あ……んっ」

(まだだ、もっとだ。もっとあられもなく乱れろ!)

 パウルは性交には淡白なほうだと今まで思っていた。商品である、攫ってきた人間の味見は仕事のようなもので、いつもつまらないと苦痛に思うほどだった。だが雅明は違う。雅明が感じ出して喘ぎだすと、もっといたぶって念入りに愛撫し、何度もいかせたほうが楽しいと思ってしまう。

 しつこい愛撫に、ついに雅明は後ろだけで達した。

「………………っ……!!!」 

 カーテンにしがみ付いていた白い手を離し、前のめりに倒れこんでいく雅明を、パウルは右腕で抱えベッドへ移動する。

「いかせてやるよ」

 甘く低い声に、雅明の身体がぶるりと震えた。胡坐を掻いたパウルは自分の肉棒の上に雅明のアヌスを当てた。雅明を後ろから抱きかかえる格好で、ずぶずぶと己のものを突き刺していく。

「あぁっ……あ……あ……」

「腰をくねらせて、貪欲な奴だな」

「動いて、いかせて……んん……っ」

 ぬぷぬぷと蜜が混ざった音をさせながら、雅明はより深くパウルとつながった。まだパウルは根元をきつくしめている。最後の最後まで開放しない気なのだ。腰はとろけんばかりになっているのに、そこで快楽がせき止められていて、雅明は辛さのあまりまた涙を流した。

 抜いては挿され、雅明の身体がパウルの上で揺れる。もうお互い汗で肌がぬめり、部屋の空気は淫靡極まりなくなっている。お互いの獣のような息遣いと、ぶつかる肉の音と、蜜がぬめる音が官能の炎をさらに燃え上がらせていく。

「恋人を……足蹴にしたのを思い出して、……興奮しているのか」

「ちがう……っ ……あいつはもう……恋人なんかじゃ」

「嘘をつけ、今アヌスが締まったぞ?」

 パウルの中で言いようのない嫉妬が沸き起こり、めちゃくちゃに腰を動かし始めた。

「あああっ……あうッ……ンンッ……ちが……あう……あッ! 許して……ああッ」

「そうなんだな、お前は……本当はまだあいつが好きなんだろう?」

 雅明を四つん這いにすると、パウルは細い腰を抱えて上下左右に乱暴に揺すりたて、固く尖った小さな乳首をひねって押しつぶした。

「ぐうううっ……ッ……ちがう……あんな……」

「あんな奴でも……お前は好きだろう? ……何が……佐藤貴明を誘拐しろだ……。本当はあいつを貴明に保護させたいだけだろう」

「ちがう……ち……が……」

 パウルが揺れる雅明の銀髪を掴み、俯いていた雅明を乱暴に上向けにさせる。

「かまわないさ、……どのみちあの男にはもう何もできやしない……。だからそんな酔狂な事を……俺は許してやったんだ」

「くうっ……うん……う……ぐ……ぐッ」

「お前が欲しいという日本人が昨日現れたんだよ。大金を積んで来たからそいつにお前を売る事にした。お前の弟を大層憎んでいるらしい。何をされるんだろうなアウグスト……」

 髪の毛を離し、パウルは雅明の首筋に噛み付いた。許せないという気持ちがメラメラと燃え上がる。何一つ自分ではできないくせに、男も女を惑わしている雅明が憎らしい。自分や他の男をこんなに夢中にさせているくせに、フレディをまだ愛しているアウグストが殺してしまいたいぐらい愛おしい。

「ひ……いい……ッ……ふぐ…………ちがう、ちがう……ちがう」

「ボスは大喜びだ。……黒の剣は潰せるし、大金は稼げるしで……」

 パウルはやっと根元を締め付けていた指を離した。そしてさらに腰を激しく動かし、肉棒でこれでもかと雅明の中を擦りあげる。

「……ああッ……ひいッ……んんん……あぐ……ッ! ああっああっ……!」

「どこまでも可愛いなお前は……、ふ……」

 どんどん登り詰めていく雅明に、パウルはさらに激しい愛撫を加えていく。その執拗さは男達の中でダントツで、雅明はパウルに抱かれるのが一番好きではなかった。この男に抱かれると疲れきってしまい、必ず発熱する。次の日は指一本動かせず、下の世話までこの男がしてくる羽目になるのだ。

「うう……っ……うーっ…………」

 雅明はやっと熱を解放する事ができ、白濁した蜜を流して、パウルの腕の中でぐったりとして気を失った。パウルは自分の肉棒を引き抜くと、雅明の白い背中にぶちまける……。

 雅明が目覚めると、パウルが自分の身体を丁寧に濡れタオルで拭っているところだった。自分でやりたいと雅明は思ったが、やはり指一本動かせない。散々泣いたせいで目が痛み、何度も目を瞬かせながら頭をゆっくりと巡らせた。

 外はもう夜になっていて、真っ暗だった。部屋の中は間接照明が薄暗く照らされている。

 パウルが凍りつくような美貌を、雅明に向けた。無表情なそれに、やはり得体が知れない男だと雅明は気持ちが悪い。普段は無表情の癖に、なぜセックスの時だけはああも熱情的で執拗なのか。雅明は自分にだけパウルが性癖が変わる事を知らない。

「さっき、アンネが出産したと情報が入った」

「な……」

 雅明は指を細かく振るわせ、パウルを睨みつけた。パウルは相変わらず無表情に首を振る。

「早産だったそうだ。お前の望みを叶えたかったんだがこれだけは仕方ない。どうする?」

「決まってる……、殺すさ」

 掠れた声で雅明は即答する。そこにはわずかな迷いも無い。憎い女と、将来が奴隷である事を定められている子供など、この世から消えたほうが良い。

「アウグスト……、子供は、女だったそうだ」

「それがどうした?」

 見つめ返す雅明に、パウルの表情がわずかに動いた。試すような目だ。

「……お前に殺せるかな? 穢れない赤ん坊が」

「私はそれだけの為に生きている」

 そう言った雅明は切ないほどの美しさで、凍りついたパウルの心を嫌にかき乱した。

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