見つめないで 第12話

 周一郎さんの車に乗り、しばらくは、はじめての二人きりの空間に緊張して、何も言えなかった。しんと静まり返った空気が重い。なにか話があるから来たはずなのに、周一郎さんは何も言わない。何でもいいから話してくれないかな。

 ……ちらっと横目で見たけど、周一郎さんからは話を振ってくれそうもない。

 しんとした空気が、だんだん辛くなってきた。

 新居まではまだ遠い。千夏はなんで一緒にいないのだろう。

 何でもいいから話そう。

「千夏は元気ですか?」

「お泊りからそんなに経ってないんだから、そうそう変わらないよ。元気元気」

「そうですか。良かった」

 思ったより優しい返事で、ちょっと安心した。

 太陽が沈みつつある街中で、ちらちらとネオンが瞬き始め、人の群れで横断歩道は満ち溢れていた。車も多く、時々クラクションが鳴る。

「また赤だな」

 周一郎さんがブレーキを踏みながら言った。さっきから赤信号につかまってばかりで、なかなか車が進まない。

「いつも、この道は渋滞しているのかな。疲れているのにごめんね春香ちゃん」

「明日は夜に出勤ですから、大丈夫です」

「うちから車で送るよ」

「いえ……それは」 

 バッグの中の私のスマートフォンが鳴った。表示を見ると忍さんだったから驚いた。

 ずっとこちらのスマートフォンから、電話なんてして来なかったのに。

 何かあったんだろうか。

 通話しようとした瞬間、なぜか周一郎さん手が伸びてきて、スマートフォンを奪われた。

「え……?」

 なんで周一郎さんが、私のスマートフォンを取るの? 

 前の車のテールランプに赤く照らされた周一郎さんが、驚く私の視線の先でディスプレイの表示を見る。

 その横顔はとても冷たく見え、思わず身震いしそうになった。

「……忍か」

 着信音は鳴り続けている。

「はい、あの、返してもらえます? 千夏の家に行くって言わないと……」

 しかし、私を無視した周一郎さんは、勝手に電話に出た。

「忍か。ああそう、ちょっと彼女、今、コンビニに行っててね。千夏が春香ちゃんと話をしたいと言っているから、家に車で送ってる最中。今日は泊まってもらうから。そう、そう。じゃあな」

 通話を切り、周一郎さんはスマートフォンを返してくれた。

 無言で受け取る私に、周一郎さんはふざけたように肩をすくめたけど、なんだかとてもわざとらしい。

「……ごめん、勝手に出て。忍、どうぞって言ってたよ」

「そうですか……」

 ありえない行動をする周一郎さんに、ホテルについての疑惑がさらにふくらむ。でも、忍さんと話をせずにすんだのは、ありがたい。

 電話に出られたとしても、何を言えばいいのかわからなかったに違いないから……。

 郊外へ向かう信号を抜けた途端、車は一気に流れ出した。

「あ、あの!」

 新居へ向かう道とは反対の道へ、周一郎さんは進路を変更した。

「道が違います!」

「そうだよ。……私の家に向かっているのだから」

 周一郎さんの家? 周一郎さんは確かにお金持ちだから、いくつか家は持っていそうだけれど。

 なんだか嫌な予感がした。

「……そこに、千夏もいるんですよね?」

「当たり前じゃないか」

「…………」

 いいえ。馬鹿なこと考えるんじゃないわ。

 周一郎さんが、私におかしな事をするはずがない。彼は新婚さんで、千夏をとても大切にしている、とてもいい人なのだから。

 千夏に対しては……。

 私はバッグの持ち手を、そっと握り締めた。

 この間からの沈黙を破って、忍さんは何が言いたかったのだろう。

 車が止まったのは、各駅停車の駅前にある、黒っぽい外壁のマンションの地下駐車場だった。

 車を降り、エレベーターに乗っている間、私たちはお互いに何も話さなかった。

 エレベーターを降りたら、誰もいないマンションの廊下を周一郎さんの前で歩かされた。私は背後を人に取られるのが、あんまり好きではない。遅い足取りになりつつ、周一郎さんに首だけで振り向いた。

「……周一郎さんは、いくつ家があるんですか?」

「二つしかないよ。新居とここ」

「どうして二つも?」

「別に、いくつあっても困らないからね」

 コツコツと靴音が響くのみで、なんだか薄気味悪い。

 ここだよと、周一郎さんがひとつの部屋のドアの前に立った。

 心は一方で熱く燃え、一方で冷め切っていた。

 とにかく確認すればいい。

 ドアが開けられた。

「…………っ!」 

 私は周一郎さんを突き飛ばして、廊下を走った。でも、すぐに捕まってしまう。

 左腕をきつく掴まれて、かなり痛い。

「うそつき。千夏はいないじゃないですかっ」

 開けられた玄関に見えたそこには、千夏の靴がなかった。

「当たり前だよ、こっちは春香ちゃん専用なんだから」

 私専用? 何それ。周一郎さんの言っている意味がさっぱりわからない。

 私は周一郎さんに、部屋の斡旋なんて頼んでない。

 周一郎さんの握る力はとても強くて、逆らえない私は、そのまま部屋の中へ引きずり込まれた。

「どうして? お義兄さん」

 周一郎さんは何も言わず鍵を閉めた。靴を脱ぐようにうながされ、脱ぎながら周一郎さんを見つめる。こころなしか周一郎さんの表情は固い。

「お義兄さん……」

 怖いとは思わなかった。

 殺されたりはしないだろうし、この人は私を傷をつけられないと、なぜか確信していた。気になるのは、何を考えて私の部屋を作ったのかという事だけだ。

「……お義兄さん」

 だだっ広いリビングに通され、そのまま端っこの黒い革張りのソファに座らされた。

 周一郎さんも、私の横にゆったりと座り長い足を組んだ。腕がすり合うほど近くに周一郎さんを感じ、胸のときめきよりも警戒のほうが強く働いた。

 一体、何?

 問うように周一郎さんを見つめると、やっと周一郎さんは口を開いた。

「忍と君は、恋人同士なんかじゃないよね?」

「!」

 背中が冷たく凍りついた。

 やっぱりばれていた?

「私は知ってる。春香ちゃんが、忍のゲームにつき合わされているんだと」

 ドクドクと心臓の音が周一郎さんに聞こえそうなほど、うるさく私の胸の中で響く。

 落ち着いて。私のこの人への想いがばれたわけじゃない。

 注意深く、探るような目で見上げる私を、周一郎さんは冷たく見つめ返した。

 そんな周一郎さんは、初めて見る男のようだ。

「何か勘違いされていませんか? 私たちはちゃんと付き合っていますよ?」

「そう……? そういうことにしておいてあげる」

 周一郎さんは何もかもわかっているんだけどと、低い声で付け加えてから、話題を変えた。

「忍からどこまで聞いた?」

 なんだか尋問されているみたいで、気分が悪くなってきた。

 こういうのは好きじゃないし、慣れてない。最近はこういう場面に、やたらと遭遇するなあ。

「何をですか?」

「うちの家族の事」

「……お義兄さんと異母兄弟だと。あとお母様が、忍さんを嫌っていらっしゃるとか。それだけです」

「それだけ? 他にはなにも?」

「はい……」

 ホテルのプランが似すぎている話は、言い難がった。根掘り葉掘り聞かれたら、うちのホテルが多大な被害を蒙りそうな気がしたし、誘導尋問をはぐらかす自信がない。こうなったら何にも気づいてない振りをしよう。

 周一郎さんは腕を組みなおして、首をかしげた、

「ふうん」

 え? こんな、人を馬鹿にするような笑いを周一郎さんがするなんて……。

 まるで忍さんが、目の前にいるようだ。

 周一郎さんはソファの肘掛を、人差し指でトントンと突いた。

「都合のいい所だけしか言っていないわけだ。だから詰めが甘いんだよ、あいつは」

「詰めって……、お義兄さん」

「はっきり言うとね、私はあいつが嫌いで、あいつも私が嫌い。母親同士が火花散らしているようにね」

 忍さんが嫌っていた、冷酷な部分を表に出した周一郎さんを、怖いと思う前に、どうしてという思いの方が勝った。

 人前では決して見せないその素顔を、何故私の前で出すんだろう。

 そう思っているのは私だけで、千夏には見せているとか。ううん、それは有り得ない。千夏は男について疑問があると、こちらが恥ずかしくなるほど赤裸々に、皆、私に相談してきたから。

 周一郎さんにとって、これは何の意味があるのだろう。

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