見つめないで 第13話

「兄弟って言っても、同い年で誕生日も少ししか違わない。幼い頃からずっと比べられてたよ。母親にあいつにだけは負けるなと言われ続けて、私達は反目しあいながら、勉強も仕事も恋愛も頑張った。そして昨年結果が出た。君も知っている通り、父の会社も資産も大部分が私が受け継ぐことになった。私は勝ちあいつは負けたんだ」

 忍さんから知らされていない事実まで、つらつらと周一郎さんは話した。

「…………」

「所詮あいつは愛人の子供だ。岩崎の姓が許されるだけでも、光栄に思うべきだよ。あいつの今持ってるものは、君の勤めているホテルだけ。あのお綺麗な顔で、人を誑し込んで関係を築く方法しか知らないから、仕方ないか」

 周一郎さんは、辛らつに忍さんを扱き下ろした。

 一気に冷めていくこの人への想いに、愕然とするのと同時に、私はまだ人を愛する心など持っていない子供なのだと思い知らされる。

 手の先が冷たい。摩っても一向に温まらなかった。

「それが、お義兄さんの地なんですか?」

「一部分だよ。まあ、限りなく近いけど」

 この人は、いくつもの顔を使い分けているらしい。……忍さんと同じように。

「あいつは、私のこんな正体に気づいていても、まだ、だまされているんだ。私が千夏より、君を好きだと……ね」

 ぎくりとした。

 まさか、この人が好きだったのだと、ばれていたのだろうか。

 でもそれよりも、さっきからの冷たい口ぶりで気になりだした事がある。それを確認しないと……。

「あの、お義兄さんは……千夏を愛してますよね?」

 周一郎さんは、見るも優しい笑顔になった。

「ん? 当たり前じゃないか。美人で才女の彼女を愛しているに決まってるだろう?」

 何それ。なんかおかしい。

「……美人で才女、だからですか?」

「そう。私は大企業を継ぐのだから妻にもそういう人を求める。家柄だけの女や……」

 周一郎さんの指が、私の頤にかかった。

 さっき周一郎さんに会うまでの私なら、困りながらも期待をいだいてしまっただろう。でも、私にはわかってしまった。だって、彼はきっとこう言う……。

「並以下の女はいらない。……忍と違ってね」

 想像通りの言葉だ。

 私は、今どういう顔をしているのだろう。

 しばらく周一郎さんは、そんな私をじっと見ていたけれど、目を逸らさない私が嫌になったのか、汚いものを捨てるように私を突き放した。

「おかしかったよ。私が少し物欲しげな視線を送るだけで、優越感に満ちた顔をになる忍が。部屋を覗いたら、さも見せ付けるようにしたりね。君にはいい迷惑だろうから、忍に代わって謝るよ。私達兄弟に関わったせいで会社を辞めさせられたり、愛人ゲームさせられたりしたんだから」

 愛人ゲームって……。

 まあ、ゲームっちゃゲームだけど。

「…………」

「どうしたの春香ちゃん、黙り込んじゃって。まさか君も期待してたんじゃないよね? 私や忍が君を愛してるだなんて」

 忍さんのあの顔が、つきりと心を突き刺した。

「……いえ」

 周一郎さんは満足そうにうなずいた。

「そうだろう。君は忍と違って、身の程をわきまえている。何より千夏を第一に考えている、賢い妹だ」

「…………」

 会社でのいじめより、忍さんの嫌味より、周一郎さんの今の言葉が私を徹底的に傷つけている。

 この人は、どうしたら人が傷つくか良く知ってる。千夏に私が抱いている劣等感に、とっくの昔に気づいていたんだろう。

 そして、私が周一郎さんを好きだった事も。

 この間の新居訪問が、夢の出来事のようだ。

 皆、皆、お芝居をしている。していないのは人が好すぎる千夏だけだ。だって千夏はそんなものしなくたって、人に愛されるのだから。

 今の私がするのは平気なふり。ううん、ふりなんか必要ない。だって、恋心なんて消えてしまったもの。

 失恋の痛みと同時に生まれてきたのは、忍さんに対する時とは違う、冷たい反抗心だった。

 思い通りに傷ついてなどやらない。私はムリに笑みを作った。

「私は賢くなんてありません。ですから、周一郎さんが千夏を愛しているのなら、何も言うことはないです」

「……ふうん。君も……言うね」

 わざとお義兄さんと呼ばない私に、周一郎さんは目を細めた。

 部屋がうそ臭くて汚い空間に思え、これ以上ここにいるのは苦痛だ。

「じゃあ私はこれで……」

 立ち上がろうとしたら、周一郎さんにきつく肩を掴まれて、ソファに引き戻された。

 ぎり……と音がしそうだ。

「い……っ」

 ふふと周一郎さんが笑う。

「駄目駄目。最低でも10日はここに居てもらうよ。君を失ってあわてる忍が見たいからね」

「お義兄さ……」

 今度は容赦なく左腕をひねられ、その痛みに涙が吹き出した。

「私が満足したら開放してやる。あとこれだけは言っておく。もう新居には来るな、お前達みたいな人間と付き合っていると、俺達の価値が下がる。……ねえ、千夏に幸せになって欲しいだろ? 姉に嫉妬する醜い春香ちゃん……」

 これでもかって位に、周一郎さんは、言葉の刃で私を傷つけていく。

「……言われたって、行きませんよ」

「いい子だ。君みたいに物分りのいい人間は大好きだよ」

 乱暴にソファに突き飛ばされ、無様に私は転がった。

 見上げた周一郎さんの目は、私を、蛇か気持ち悪い生き物を見るように蔑んでいる。でもそれは私も同じだろう。

「君と一緒だなんて御免だから、私は帰るよ。食べ物は食材を搬入させるから、飢える心配は無い。電話だけが無いけれどあとは好き勝手に使っていい。……ああ、スマートフォンは、もらっていくね。さあ出して?」

「…………」

 私は無言で自分のスマートフォンを渡した。周一郎さんは、それを床に落として踏み潰して壊した。

 思わず私は自分のバッグを抱きしめた。

 周一郎さんは、大人しくしていろと優しく耳元で囁き、動かない私を置いて部屋から出て行った。

 玄関から鍵の閉まる音が聞こえ、部屋はしんと静まり返った。

 開放感からか、涙がぶわりとあふれて頬を伝わっていく。

 周一郎さんの正体を知って悲しいのか。

 自分のピエロぶりが滑稽でおかしいのか。

 やっぱり自分は駄目なんだと、甘えが滲んだ自己憐憫の涙なのか。

 ……少なくとも失恋の涙じゃない。

 忍さんを思った。

 嫌いな男だけれど、あの周一郎さんの正体を知った今では、忍さんの苛立ちがわかってしまう。

 そうだ……、私は忍さんのこれまでなんて上っ面しかしらない。立ち入った過去に興味などなかったから。

「……言うわけ無いか。私なんかに言ったって仕方ないもんね。あーあ、私も千夏も男見る目ないなあ」

 軽く言ってみたけど、自分が想像以上に痛めつけられてるのを、思いっきり自覚する。千夏はこれから先大丈夫だろうか。

 綺麗で頭が良い千夏は、残念ながら男運が悪い。

 千夏が連れてきた歴代彼氏は、ストーカーになってしまったり、ヒモ男だったり、変な男ばかり。一番立派な男性に見えた周一郎さんは、一番最悪だ。温厚で仕事ができ、とても優しい男に見せかけて、中身は自分が一番可愛いという、誰も愛せないタイプだ。

 でも、千夏は素直だから、周一郎さんがへまをしなければ一生気づかないだろう。心配だけれど今のところはうまくいっているのだし、夫婦についてとやかく言う権利は無い。もうお互いいい大人なのだから。

 バッグの中でシルバーのスマートフォンが震えた。バッグからそれを気だるげに取り上げて、表示を見ると、想像通り忍さんだった。

「はい」

『周一郎が帰ったみたいだから、迎えに来た』

 同時にインターフォンが鳴った。

 私は早くここから出たい癖に、のろのろと立ち上がってゆっくりと玄関へ向かう。

 どういう構造なのか、ドアは鍵を差し込まないと開かない仕掛けになっていた。

「鍵がないと開かないのよ」

「大丈夫だ、持ってる」

 外から忍さんが言い、ガチャリと音がしたからドアを押すと、あっさり開いた。

「ブス子っ」

「きゃ」

 大きくドアを開いた忍さんは、私を部屋へ押し戻しながら、抱きついてきた。外は雨が降り出していたようで、冷たい腕だった。

「ブス子の馬鹿が。あんな野郎についていくな」

 いつもひねくれて意地悪な忍さんの悪態が、なんだか可愛く聞こえる。

 私は黙って、忍さんに抱きしめられていた。

「あいつ……言ったんだろ? 千夏に惚れてないとか、俺がホテルもらっただけとか……」

 周一郎さんが、千夏に惚れているとは、とても思えなかった。

「……うん」

「ブス子を馬鹿にしただろ?」

「うん、貴方達最悪の兄弟ね……。二人そろってもう最悪……んっ……」

 壁に押し付けられて、乱暴にキスされた。忍さんの手はわずかに震えている。とても心配してくれたんだろう。

 嫌だ。こんなキスをされたら、私みたいに男をろくに知らないモテないタイプは、すぐ騙されてしまう。周一郎さんみたいに馬鹿にしてくれなきゃ、馬鹿な自分をあざ笑えない。

 唇をはなした忍さんは、私の耳元で笑った。

 くすぐったいっての。

「ゲームオーバーだ。あいつを嫌いになったろ?」

「……そうね」

 そういや、そんな事を最初忍さんは言っていたっけ。あの頃はこんなふうに、周一郎さんを軽蔑するなんて思ってもみなかった。

 ああ、千夏のことは言えない。私も本当に男を見る目がない……。

 忍さんにキスされて嬉しいなんて、どうかしてる。

「……俺はあいつが、嫌いだ。ブス子は……?」

 私は吹き出した。聞かれるまでもない。

「普通、あそこまで馬鹿にされたら、好きだったものも嫌いになるでしょうね」

「……俺は?」

「嫌いに決まってるでしょ」

 忍さんは肩を震わせて笑った。おかしな事に私も笑えてきた。

 さっき、ひどく傷つけられて放心状態だったのに、大嫌いな忍さんの可愛い態度が方向転換させてくれたらしい。私はくすくす笑いながらこう付け足した。

「でも、さっきまでついていた、嫌いの上の大という漢字はないわよ?」

 言ってしまってから、調子に乗ったかなと後悔した。

 忍さんは信じられないとでも言うように、私をまじまじと見下ろして黙っている。

 止めときゃよかったかな……。

 だけと忍さんは、にやりと口元を歪めただけだった。

「言うじゃないか、ブス子の癖に」

「同じような事言われたけど、やっぱり忍さんは甘いよ……。だから、お義兄さんに出し抜かれるんじゃない?」

「……だけど、今回はブス子のおかげで、出し抜き返したからいい。あいつ、明日ビックリだぞ。ここがもぬけの殻になってて」

 私達は、初めて二人で大笑いをした。

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