見つめないで 第16話

 私は、カードキーを取り上げられ、ホテルの一室に閉じ込められた。

「は…………」 

 力なく、シングルベッドに突っ伏した。千夏の結婚式から良からぬ事が起きまくっている。呪われているのだろうか。

 あれから、想像通りの事が続々と起こった。

 お客様の部屋へ入室したのは、私が最後だと判明する。

 紛失したはずのロッカーの鍵が、何故か同じロッカー室で見つかる。

 そして、私のロッカーが開けられ、原様のロレックスの腕時計と、現金二十万円が入った財布が発見される。さらには、紛失し続けていたホテルの備品まで、発見された。

 こんなに続々物的証拠が見つかったら、私が犯人だと決め付けられても無理はない。休憩室へ降りた私を見る皆の目はとても冷たく、空気になって消えてしまいたいとさえ思った。やっていないと言っても、味方をしてくれる人は皆無で、交友関係をおざなりにしていた自分を呪うしかない。

 千夏なら、沢山いる友人が助けてくれるんだろうな。私ってばこんな場所でも、姉をうらやむ情けない妹だ。情けない……。

「あーあ……。やってもいないのに犯罪者?」

 とんでもない話で、胃がキリキリ痛み気分が悪くなってくる。千夏や家族に迷惑がかかるし、ここを追い出されるのは構わないけど、前科ができたりしたら、就職は難しくなるはずだ。ベッドに顔を伏せ一人でぼやいていると、ドアをノックする音が響き、早野チーフが入ってきた。

「春香ちゃん、俺と一緒に支配人室に行こうか?」

「は? 警察じゃないんですか?」

 なんだかおかしな展開だ。もうとっくに被害届が出て、受理されているだろうと思ってたのに。

 早野チーフは、私の顔が余程間抜けに見えたのか、大声で笑った。緊張感のない人だな……。こっちは犯罪者になる瀬戸際なのに。しょせん人事だからなのだろうか。

「原様が、警察沙汰にはしたくないとおっしゃるんだよ」

「私、やってません」

 信じてもらえないけどと、お腹の中で付け加える。

「そうだろうね」

 早野チーフは、食えない笑みを浮かべながらうなずいた。そして、でも、と付け加える。

「忠告はしたよね? 周りをすべて敵にしないようにって。その結果がこれだ」

 手厳しい意見で耳が痛いけれど、これには私も言い分がある。

「ここは会社です。仕事をする場所のはずです。私は、挨拶も仕事も円滑に行うように、努力は怠りませんでした。引っ込み思案で、人に打ち解けにくかったのは認めますが、私が上司だったら、そういう新入りには、溶け込みやすいように仕事をふる配慮をします。それがここでは完全に欠けていました。また、先に入っている人間に、私を孤立させようとする動きがあったら、敵うわけがありません」

「小学校教師の仕事みたいだね」

 ふん、八方美人め。

 思わず睨むと、早野チーフは笑った。

「でも、そういう真っ直ぐなところが好きだよ。大抵の奴は、長いものに巻かれてしまう。そっちの方が楽だからね」

「安っぽくてすみませんね」

「人は、自分にできない事を安っぽいと言って、溜飲を下げるのさ」

 そう言って、早野チーフはやけに気障に、椅子に座っている私に手を差し出した。

「ここで毒づいても仕方ない。言いたい事があったら、皆この際だからぶちまけてしまえ。放ったらかしにしてた営業部の飯坂部長に、思い切り文句を言ってやればいい」

「飯坂部長……いい人そうだったのに」

「いい人じゃないよあの人は」

「悪人なんですか?」

「忍と手を組んでるくらいだし。それにいい人ってのは無害だけど、薬にもならない。事なかれ主義の役立たずが多いんだよ」

 ……忍さんの親友だけあって、物凄い毒舌家だな、早野チーフ。

 早野チーフの後に続いて、廊下に出た。ホテルの中は、いつもの穏やかな空気が流れているのに、従業員の区域に入った途端に、刺す様な視線が私を串刺しにした。

「あの人よ……」

「備品盗んでたっていう……、今日はお客様の……」

 私は絶対にやってない。だから顔を上げて歩いた。

 隣で歩く早野さんが、光栄なナイトだと言ってにんまりする。何考えてるんだこの人。

 支配人室の前で、早野チーフは足を止めて、私に言った。

「ここから、春香ちゃんの舞台の始まり。頑張ってね」

「言われなくても頑張りますよ」

 早野チーフはお客様にするように、うやうやしくドアを開けてくれた。芝居がかってて腹が立ったけど、これからのことを思うとそれも直ぐに消えた。

 支配人室に入って少し驚いた。

 和田チーフは当然として、何故か小寺みちるが居る。反対側に飯坂部長が立っていた。三人の間に忍さんと、原様と思われる若い男性が、テーブルを挟んでソファに掛けていて、小寺みちるの横に私は立たされた。

 重苦しい空気の中、飯坂部長が口を開いた。メモ帳とペンを手にしているのは、口述をこの人が書き付けていくからなのだろう

「では揃いましたので、話を始めさせていただきます。ですが原様、うちとしては助かりますが、警察へ通報しないで本当によろしいのですか?」

「私は警察が大嫌いなんだ。そんな事より、さっさとその女に謝罪させろ!」

 原様はかんかんにお怒りで、私に人差し指を突きつけた。謝罪するべきかと忍さんを見ると、忍さんはゆっくりと首を横に振り、飯坂部長に続けるように促した。

「原様がお部屋にいらしたのは、11時30分頃まで。それから1時過ぎまで当ホテル2階のレストラン、『池のや』で昼食を摂られていたので間違いはございませんね? ずいぶん長いお食事ですが……」

「商談相手と食事をしていたと、何度も言っているだろう。財布は総支配人が来るまで、持ち忘れに気づいていなかったんだ」

 お若いのに、原様は恰幅のある男性で、その声は怖いほど威厳があった。大きな企業の経営者なのかもしれない。

飯坂部長は、和田チーフに視線を向けた。

「和田チーフは12時過ぎ、三杉さんに1063号室のトイレットペーパーの補充を頼んだと言いましたね? その時は、原様の財布も腕時計もあったのですか?」

「ありました。鏡台のテーブルを拭いたので、良く覚えています。補充をと思った時に、副支配人から呼び出しがあって、三杉さんに補充を頼みました」

「副支配人は今外出中だが、12時から12時20分ぐらいまで和田チーフと居たと、他の従業員から聞いています。その後は?」

「12階の部屋の、最終チェックをして回っておりました」

「お昼も摂らずに?」

「はい。いつも清掃した階の最終チェックをしてから、皆に遅れてお昼を摂っています」

 和田チーフの口調は淀みない。この人はいつも冷静さを失わないので、清掃主任なんかより他の職業の方が向いているのではないだろうか。

「和田チーフが、チェック表を提出しに営業部に現れたのは、13時10分過ぎでしたね。時間がかかりすぎではないですか? 部屋数は10部屋しかありませんが」

 忍さんが、疑問点をまっすぐに突いた。確かにスイートのお部屋でもないのに、ツインの10部屋のチェックに、50分もかかるわけがないない。

 ……よく考えたら、和田チーフも疑われているのだ。一人行動だし、その部屋の掃除をしていたのだから当然だけれど。

「ミスメイクがありましたので、直すのに手間取りました」

 和田チーフは、相変わらず淡々と説明をする。

「どんな?」

「ツイン部屋のシーツの種類が間違っていたのです。リネン室まで取りに戻って、自分でメイクし直しました。リネン室は遠いし、3部屋も直せばそれくらいかかります」

「何故そんなミスが?」

「伝達ミスです。通常スイートでお呼びするはずの、副支配人関連のお客様を、スイートが満室でどうしてもお泊めできないので、ツインの部屋をとの指示でした。それでせめてもと、スイートの部屋用のシーツを使用、アメニティも備品もスイート並にという話だったらしいのですが、その連絡が当の副支配人から、私どもに伝わっていなかったのです」

 こういう事はままあるので、なんら不思議ではない。忍さんは頷いた。飯坂部長が再び口を開いた。

「和田チーフが最後に1063号室を入ったのは、何時何分ごろですか?」

「13時10分過ぎに、最終チェックをしたのが最後です」

「時計と財布は見ましたか?」

「無くなっていました。ですから営業部に連絡しました。チェックアウトと思い込んで、三杉さんがフロントへ持っていったのかと彼女を探しましたが、どこにも見当たらなくて、……こんな事になって残念です」 

 飯坂部長は、次に私を見た。

「三杉さんは、トイレットペーパーの補充の時に、財布と時計は見ましたか?」

「あ、はい。ワゴンにもトイレットペーパーを補充しようと8個ほど持ってきたので、鏡台に少し置かせてもらったんです。その時に……」

「その時に盗んだんでしょ!」

 小寺みちるが、楽しそうに言った。

 何なのよこの女!

「小寺さんには、まだ聞いていません。三杉さん、それから何をしましたか?」

 落ち着いた飯坂部長の声が、小寺さんを制した。

「それから部屋を出て、鍵が閉まるのを確認しました。そしてお昼を摂ろうとして、ロッカーの鍵を無くした事に気づいて探していました」

「それで、私に出くわしたわけですね」

 忍さんが、成程とうなずいた。

 忍さんの前のテーブルには、私のロッカーから出てきたという、タオルやアメニティ、ドライヤーなどのホテルの備品が並べられていた。そして、原様の腕時計や財布もある。

 飯坂部長が言った。

「貴女のロッカーの中に、原様の物と、今まで紛失していたホテルの備品が大量に入っていましたが、貴女が持ち込んだものではないのですか?」

「持ち込んでなどおりません」

 思わず怒り口調で言ってしまう。

「不思議ですね。鍵は本人所持ですのに」

 早野チーフが口を挟んだ。

 私がそんな事をするようには見えないって、早野チーフは言っていたのに、疑っているのだろうか。でも早野チーフは、私に対して言ったつもりはないらしい。テーブルへ視線を注いでいる。

「三杉さんの言い分はわかった。では、小寺さん……」

 小寺みちるが、私をちらちら見ながら話し始めた。

「私は12時のお昼きっかりにロッカーへ行って、ペアの石芝さんと鴨井さんの三人で休憩室に行って昼食を摂ってました。そして休憩時間が終わる前の……13時20分ぐらいにロッカー室に行ったんです。他の二人はトイレ行ってて私が先だったんですけど……。そしたら三杉さんの鍵が落ちてて、そういや三杉さんはお弁当食べてないから届けてあげようと思って、ロッカー開けたんです」

 小寺みちるの行動が信じられなかった。普通、他人のロッカーをいきなり開けるだろうか。非常識にも程がある! それは飯坂部長も思ったらしく、眉間に僅かに皺が寄った。

「何故本人に届けなかったんです? 聞くところによると、三杉さんは長い間鍵を探していて、貴女達にも拾っていないか聞いて回っていたと、他の従業員から聞いています。私も知っています」

「だって、三杉さん本人が居なかったんです。それにお昼のお弁当がまだだって知ってたから、届けてあげようと思って……」

「貴女と三杉さんは仲が悪いと聞いています。ロッカーを開けてまで届けようとしたのは何故ですか?」

 全くその通りだ。この女が、そんな親切心を持ち合わせるわけが無い。

「その時貴女は、一人だったんですよね? 他に何か持っていませんでしたか?」

 飯坂部長の冷めた視線を浴びて、小寺みちるの顔は怒りに染まった。

「冗談じゃないわっ! まさか私を疑ってるんですかっ。私は12階なんて今日一度も行ってないんですよ!」

「私は皆さんの言い分を聞いているだけです。12階には行っていないんですね?」

「今日は一度も行ってません」

「わかりました……。総支配人、以上です」

 飯坂部長はペンを止めた。 

 忍さんは大きく息をついた。そしてぐるりと私達を見て足を組み、ソファの背もたれに背を預けた。お客様が目の前にいらっしゃるというのに。私も和田チーフも唖然とした。こんな総支配人がいるだろうか。

 その視線を受けて、千両役者もかくやとばかりに、忍さんは華やかな笑みを浮かべた。

「さあて、貴女達の中の誰が犯人でしょうか?」

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