見つめないで 第18話
ホテル翡翠には結婚式事業で建てられた、こじんまりとした白い教会がある。
その教会を、ぐるりと取り囲むように広がっている庭園が、西洋の宮殿にあるようなロマンティックな雰囲気を漂わせており、白い教会と相まって、花嫁のお姫様願望をたっぷりと満たしてくれると口コミで話題になり、都内どころか遠い県からここで式を挙げたがる人が増えた。おかげで予約待ちが殺到している。
私たちのお給料にもかかわる事だから、とってもいいことなんだけど……。
「なんで私たちが草むしりしなきゃ、いけないのよぉ……」
果てしなく広いこの庭園の草むしりの仕事は、本来ならウェディング部の新入社員の仕事なのに、何故か客室係の私とみちるがさせられている。
真夏のまっさかりなので、日差しが肌に焼け付くようだ。
「まったく、私に手伝いをさせるなら、前日に言ってくれればいいのにぃ。いきなり今日言うなんてぇ」
さっきからみちるは文句ばかり言っているけれど、手は休まず草をむしり続けている。手際はかなりよく、私と同じくらいのスピードなので、負けまいと私も頑張ってるんだけど、心なし私の方が遅い。
「あんたもぉ、忍兄ぃに言ったらどうなのよ?」
「仕事ですから」
しらず、軍手の手の甲で額の汗を拭う。半そでの作業着も汗びっしょりだ。
「私たちの仕事じゃないのにぃ……。ったく、ウェディング部の奴ら、忙しいからって調子にのってるんじゃないの?」
「まあまあ」
「っとにあんたは、お人よしだわぁ」
ぶつくさ言いながら、みちるはそれでも手は一心に草をむしっていて、なんだか笑えた。
私に対する疑いが一気に晴れたおかげで、仕事は面白いぐらい順調だ。あれからは仕事の後皆で遊びに行ったりするし、お昼の休憩も一人ぼっちなんてことはなくなった。何より刺すような視線が激減したのがうれしい。もっとも、フロント係や秘書課のお姉さま方のキツイ視線は、相変わらずだけど。
「やあやあ、お仕事に精が出るねー」
元凶の早野チーフが、にこにこ顔で庭に入ってきた。
仕事はどうしたんだ……って、今はこの人休憩時間か。私たちは仕事なんだけど。
「この暑いのに、結婚式あげる人多いですから……」
「あー、来週は大野様だしな。ウェディング部も大変だろうよ。客の差別は駄目だけど、区別は必要だ」
大野様というのは来週挙式予定の方で、新婦の父親が代議士でらしい。私は知らないけど、かなり癖のある人のようで、皆が異様にぴりぴりしている。
「総支配人自らが、チェックしに来たからね。ま、仕方ないよ」
「そうですね。で、チーフコンシェルジュは、早くお仕事に戻られた方がいいのでは?」
こっちは忙しいのにと嫌味を含ませると、早野チーフは笑った。
他愛のない話を始めた早野チーフに、早くどっかへ行ってくれないかなーと思っていたら、秘書課の怖いお姉さまが一人近づいてきた。
「早野チーフ」
「なんだい?」
早野チーフは営業用の笑顔に変わった。狸め。
「副支配人が、第三会議室へと」
「今行くよ。ありがとう」
お姉さまは早野チーフの笑顔にうっとりする一方で、早野チーフからは見えない角度で私を睨みつけて、早野チーフと一緒に屋内へ入っていった。
怖い怖い……。
「何あれ。あんなんだから駄目なのよあの女。馬鹿の典型」
みちるが心底馬鹿にしたように吐き捨てる。
早野チーフの相手は、このみちるなんだけどなあ。なんて言っても、多分お姉さま方は納得しないだろう。早野チーフとみちるは、ホテルでは仕事以外では接触しないし、接触時の態度も普通そのものだ。
その早野チーフが、私にはやたらと親しげな上、会うたびに意味深な視線を送ってくるから、あれこれ邪推されるのよ……。
一体、なにやってるのかね、この人たちは。さっきもお互いを無視してたし。
「今夜デートじゃないの?」
「デートだよ。あいつ、変態プレイが好きだから準備が大変~」
仕事中にみちるはとんでもない言葉を口にし、絶句している私の顔を見て笑った。
「ばーか。本気にしないでよぉ。まあ、しつこいけどね」
言っているのがあの話だとわかるだけに、なんともいえない気持ちになる。やっぱりみちるのこういうところが、苦手だ。
しばらくお互い無言で草をむしり続けて、ようやくみちるはこの辺でいいでしょと立ち上がった。
うん、教会から伸びてる石畳に、左右に広がる美しい庭園。雑草なんて見当たらない。
私たちはゴミ袋の口をしっかりと縛った。思ったより少なかった。これくらいならウェディング部でしてよと思ったけど、ま、忍さんからの指示だから仕方ない。
陽が照りつける外から、空調が整えられている屋内に入ると、生き返る心地だ。汗びっしょりの作業着を早く着替えたい。
「ここだけの話、大野様は当初、周一郎兄ぃのホテルで結婚式を挙げる予定だったんだよぉ」
「本当ですかそれ」
みちるは珍しく真顔になって振り返り、私の肩越しに教会を見つめた。でも直ぐにエレベーターに向かって歩き始める。
「でも、代議士先生が、途中でホテル翡翠に変更するって言い出してねぇ。もう大変だったらしいよ、特にあの正妻がねぇ」
ヒステリックに叫ぶ正妻を、思わず頭に思い描いた。嫌いだけど、周一郎さんも大変だったろう。
「そんなわけで忍兄ぃはぴりぴりしてて、それがウェディング部の連中にも伝わってるわけぇ。あの秘書は、暢気に純のことばっかり考えてるみたいだけどぉ」
秘書にもいろいろいて、忍さん付きのあの水沢さんみたいな人もいれば、さっきのような秘書も居る。性格は悪くても仕事はできるのだろう。しがない客室係の私が、花形のチーフコンシェルジュと親しくしているのが、プライド触ってああなるんだろうな。盗みの疑いが晴れても、態度は変わらなさそうだ。
誰も居ない廊下を歩く。
「……おまけに花嫁が妊娠してるから、大変だわぁ」
「授かり婚なんですね」
昔なら大問題な花嫁の妊娠も、今はおだやかなものだ。私から見たらつわりで辛そうなのに、結婚式なんてよくやるなあと思うけど。
「ん~」
みちるは首を可愛く傾げた。私に媚売っても無駄なんだけど。ま、この女のことだから嫌味かなんかなんだろう。美人じゃない私にはできない芸当だから。
みちるは誰も居ないのに周囲を見回し、声を極端にひそめた。
「違う。計画的に種付けしました婚だよぉ。花婿がものすっごい野心家でねぇ。世間知らずな頭空っぽお嬢様を、上手くかきくどいたってわけ。まあ、あの男の面とで甘い言葉囁かれたら、大抵の女ならころっと参るわ」
どうやらみちるは、花婿を知っているらしい。
「じゃあ、その父親の代議士の方は」
「最初は猛反対だったそうよぉ。相手は頭と面はいいけどぉ、至って普通の一般家庭どころか、水商売のホステスを母親にしてる、いかがわしい血筋の男だもんー。でも、勤めてる会社が一流商社でねぇ」
「へえ」
「その上司とか周囲が、うまく代議士様を説得したいみたい~。代議士様もその辺りが残念なひとなんだわぁ」
そんな、いろんな思惑がうずまいてる結婚式を、うちで挙げるなんて。
廃棄物室にたどり着き、私たちはゴミ袋を置いた。
「あんたが心配することじゃないわよぉ。あんたは、掃除と忍兄ぃの世話だけしてりゃーいいのぉ」
「あほみたいじゃない」
「そ、あんたなんてまだまだだもん」
悔しいけれど、みちるは仕事ができる。あのサボリ癖の仕事ぶりは、辞めた和田チーフをあぶりだすカモフラージュだったらしい。やれやれ。
腕時計を見たら、13時も半分に過ぎていた。
やっと休憩時間だ……。
汗をタオルで拭いて、私たちはお弁当を取りに休憩室へ向かった。
その夜、忍さんはむすっとした顔でマンションへ帰ってきた。
こういう時はご飯だけ用意して、さっさと部屋に閉じこもるに限る……んだけど…………。
「待てブス子。なんで逃げる」
……やっぱり駄目か。
しぶしぶ、対面キッチンの向こう側のリビングのソファに座った。キッチンのテーブルに用意しておいた夕ご飯を、忍さんはむしゃむしゃ食べる。
なーんにも話さないんだったら、いーんじゃないのと思ってたら、そのうち忍さんはぼそぼそと話し出した。
「……もうなんか、あのアホカップル。すげえわ」
バカップルを通り越して、アホカップルか。
「大野様のこと?」
「そー。そんでまた、そいつらの親がすげえのよ。客じゃなかったら絶対に付き合いたくねえ。あれがうちのホテルに来たのって、絶対同族嫌悪だわ。正妻そっくり。見栄っ張りの金に汚い傲慢な奴らだ」
「へー」
忍さんは、私の手製の胡瓜の糠漬けを、うまそうにばりばりと食べて飲み込んだ。あー……二本分を一気に食べたわ。また漬けないとなあ。
……にしても。
「なんで総支配人が、そこまで知ってるわけ?」
「親父が挨拶しろってうるさかったからさ。性格に問題はあっても代議士様だからな」
「大変ねー」
「ああ、担当のプランナーが胃炎になってる。早く式が終わって欲しいよ」
「そうね……」
どうやら忍さんは、愚痴を聞いてもらいたかったらしい。適当に相槌をうっていると、夜の十時だというのにインターフォンが鳴った。
誰よ……。絶対みちると早野チーフだろうけど。いっつもここで飲み食いするから迷惑なんだけどな。
やれやれと、インターフォンの画像を覗き込んだ私は、予想外の人物が映っていたから、急いでドアを開けた。
「どうしたの千夏!?」
「春香……」
千夏は涙を流していた。