白の神子姫と竜の魔法 第07話

 それから一週間ほど、私はジークフリードの詰め込み教育を受けた。

 本を読んだり、文章を書いたりはいいのだけど、ダンスとか、礼儀作法がとても困った。もともと私は運動神経がよくないし、文化部だったせいで筋肉がなく、身体を使う作業全般が向いてない。

「ここまでひどいとは、思いませんでした」

「うるさい。文句言うなら、貴方の魔法でなんとかしてよ」

「そんなことで魔法など使いません。ほら足、顔は笑顔っ」

 もはや、どっかのスポーツ根性アニメのように、ステップを覚えさせられている私。なんにも御褒美がないのによくやってる。

 今日で教育一週間目だ。このダンスは連日やってたけど、あまりのひどさに、今日は午後ずっとステップの練習をさせられている。

 あの小説では、リン王妃はステップが下手だと嘆いていたけど、ジークフリードが言うには、蝶のように軽やかで素晴らしかったんだそうだ。なにそれ。

「リン王妃は、とてもお上手だったんですけどねえ……」

「顔が似てるからって、何もかも似てると思わないでくれる?」

「……そうですね」

 ジークフリードは、私の手を握り直して、ステップを再開した。

 多分、この男、物凄くダンスが上手なんだと思う。

 なんとかついていけてるのも、この男ののエスコートが絶妙だからだ。下手糞相手だったら、当の昔に潰れてそう。

「王妃の笑顔は、皆をとりこにするものでした。これはなんとかなりそうですね」

「おかげで顔面痛がひどいわ」

「そういうことは言わない」

 小休止を挟んでずっと踊り続け、今日はこれまでにしましょうと言われた時には、腰はがくがく足もがくがく、全身汗でびっしょりになっていた。

 テレジアさんが、さっそく飲み物を持ってきてくれて、のどがからからに渇いていたから、一気にごくごくと飲み干した。

「今日は軽装だからよいですが、皆の前で踊る時は、20キロ程の重さのドレスを着ます。靴もハイヒールですから、大変ですよ」

「うっそ……」

 そんな苦しい思いをしなきゃいけないとは、なんて王妃は大変なんだ……。それが嫌で、リン王妃は眠り病になったんじゃなかろうか。

 ジークフリードは、汗ひとつかいてなくて、涼しげだ。どれだけ体力あるんだろう。軍人だから鍛えてるんだろうな。

 ひとごこちついたのを見計らって、ジークフリードは言った。

「さて、リン王妃が眠り病から目覚めたと、明日触れを出しますが、さっそく見舞い客が訪れますから、頑張ってくださいね」

「本当に一週間ぴったりで公表するのね」

「当然です。ま、リン王妃は、あまり話される方ではありませんでしたから、適当にわかる範囲でだけ応対してください。困ったら、はにかむ笑み……練習しましたよね? それで済ませてください」

「本当に大丈夫かしら」

「大丈夫です。テレジアについていてもらいますから」

 物凄く不安だ。けど、元の世界に帰りたかったらするしかない。

 頑張るぞ!

 

 翌日、朝から早速見舞いの申し込みが殺到した。

 身分順ということで、いきなり例の、アントニア皇太后と弟のウルリッヒ王子だ。勘弁してよと叫びたい。

「単純な性格の方々ですから、絶対にばれません」

 テレジアはのんきに言うけど、そんな保障どこにもないじゃないの!

 ぼけーっとしてる昼行灯が、なんかの拍子にいきなり鋭くなるってよくある話だしっ。

 正装ではないけど、それでも結構なドレスを着せられて、椅子に優雅に腰を掛けた私は、もはや舞台に立つ前の役者状態だ。持ってる扇が震えてるようっ。

「皇太后と第二王子がお越しです」

 外から近習の声がして、本当に二人が入ってきた。

 ひょー……すっごい美形だ二人とも。

 アントニア皇太后は黒髪緑目の、若作りの美女で、ウルリッヒ王子はその生き写しの美青年。この国って皆美形なのかしら。

「リン、眠り病から目覚めた感想はいかが?」

 用意されていた、謁見用の椅子に腰をかけ、皇太后は優しく声をかけてきた。これ演技なのかなあ。

「皆さんにご心配をおかけして、申し訳ありません」

「いいのよ。でも、それほどの心痛をかかえていたというのが、お気の毒で」

「そうそう。兄上のせいなのでしょう?」

 ウルリッヒ王子が会話に割り込んできた。でも日常茶飯事なのか、皇太后は笑顔を崩さない。

 ていうか、兄上のせいって言ってるのは、マイへの浮気のこと言ってんだよね。初っ端からずばりと突くものかな。

 二人とも私の表情を、少しでも見逃すまいって感じで、じっと見てる。

 うう。このリン王妃の得意技のはにかみスマイルって、頬の肉が筋肉疲労起こしそうなぐらいつらいっ。

 ここで変なこと言ったら怪しまれるから、この得意技でやり過ごすしかなさそうだ。

 すると、皇太后は、ほほほと笑った。

「相変わらずのはにかみやさんなのね。五年経ってもお変わりないこと」

 顔は優しいのに、意地悪オーラが出だしたなあ。なるほど、単純ってのはこういうことか。

 本当の腹黒は、こんなにあっさり、尻尾を出したりしないもんね。

 ウルリッヒ王子が、おやおやと目を大きくした。

「いいえ、お変わりになりましたよ、王妃は。以前なら、母上が前にいらっしゃったら、すぐに泣きそうであられましたから。母上がいけないのですよ、何かと王妃としての期待をお寄せになるから」

「ああら。だってリンほど王妃にふさわしい女性は、いらっしゃいませんからね。期待して何が悪いと言うの」

「誰もがマイように、優雅ではいられませんよ」

 はにかみスマイルの維持が、とっても疲れる……。大声で笑いたい!

 なんのことはない。さっさとマイに王妃を譲らんかいって、言いに来ただけか。こうもあからさまだとは思ってなかった。

 ああああ、からかって遊びたいけど、ジークフリードの報復が怖いからなー。

 おしとやかに立っていられる、テレジアさんは偉大だ……。

 それからも二人は、見舞いに来たとは思えないほど、ちくちくちくちく嫌味を言い、それではお大事にねと、さも心配そうに言って、帰っていった。

 一番最初から、ものすっごく疲れた……。

 それなのに、次は問題の影の神子のマイさんだった。

 なんなのようっ。

 マイさんは、本当に白木さんだ。

「……お元気そうで、良かったです」

 年数の分大人びて、より一層きれいになっていて、大して変わってない私とは大違いだ。

「ご心配をおかけしました」

「陛下が、とても心配されておられました。お喜びだったでしょうね」

「……はい」

 なんだかこの人も、最初っからストレートだな。あんたなんか、ずっと寝てりゃ良かったのよってオーラが滲んでるぞー。

「陛下は、ここ一週間ほどそわそわしておいでと、伺いました。リン様がお目覚めになったからだと、ようやく腑に落ちました」

「…………」

「やはり、違うのでしょうね。陛下は、貴女の事が本当にお好きで……」

 暗いなー。リン王妃も暗いと思ったけど、この人もなんか暗いっ。

 白木さんって、もっとはつらつとしてなかったっけ?

 リン王妃を演じてなかったら、しっかりしろ、悲しい時は笑えー、つらい時は笑えー、笑える時は思いっきり笑えーっ!!って、背中をばんと叩いてあげるんだけど。

 さっきは、皇太后と王子が意地悪漫才していて、それが面白くて、笑ってはいけなくて辛かったけど、今は、励ましたいのに励ませないのが辛いわ。

 テレジアさんは何も言わない。目配せでそれとなく対処を教えてくれるってことだったけど、ここのはにかみスマイルで乗り切るのか。

 でもなあ……。

「私、リン様になりたかった。そうしたら……」

「あの、私は私で、マイ様はマイ様ではありませんか?」

 テレジアがぎょっとするのも構わず、私は我慢し切れなくてつい言ってしまった。

「私はマイ様をとても美しくて、才気溢れたお優しい方だと思っています。だから、そんなふうにおっしゃらないでください」

「リン……様?」

 マイさんは当然、びっくりしてる。フツーの顔ならひょうきんな表情だけど、美女がすると美しいだけだ。

「私が言うのもなんですけれども、マイ様はもっと自信をお持ちになったほうが、よろしいかと思います。そうでないとライバルとは言えません」

「リン様」

「陛下がお好きなら、もっと堂々としていてください。そのほうが私も気が楽です」

「リン様、私を……お嫌いなのでは?」

「嫌いではありませんが、いい思いはしていません。でも、この世界では結婚していても、人を好きになる気持ちに優先権はありませんから。正々堂々陛下を誘惑しあいたいものです」

「まあ……っ」

 テレジアさんは、顔を青くして、泡を吹きそうなほど気の毒な顔になってしまった。でも反対に、マイさんは見る見る笑顔になった。

「うれしい。私、あとからやってきたのに、それでも結婚されている陛下が好きで……。嫌な女だと思い続けていましたの。でも諦め切れなくて」

「そうなの」

 悦に入ってたわけじゃなかったんだ。

 そうだよねえ。白木さんって、そういうキャラじゃなかったもん。どっちかというと正義感溢れるだったもんな。

「でも私も陛下を愛しております。それは忘れないくださいませね」

「はい。ありがとうございます。リン様……」

 感激したのか、目をうるうるさせてるマイさん。夫を奪っていいよ発言をしてもらって、さぞ心が軽くなったことだろう。

 マイさんは、おそろしく元気なって帰って行った。

 二人きりになった途端、テレジアが怒った。

「何とことをお話になったんですか。陛下を愛しておいでのリン様が、あのようなお話をされるはずがございません」

「私は鈴だもの。それにマイさんも元気になったじゃない」

「とんでございませんわ。おとなしくしていただかないと困るというのに」

 ……ん? 

 私は引っかかりを覚えて、テレジアさんを見上げた。テレジアさんは、私の視線を受けて、はっとしたように口を噤んだ。

「……とにかく、宰相様と陛下の指図どおりになさってください。別人だとばれたら、本当に困りますし、貴女様も謀殺されるかもしれませんのよ」

 ……おいおい。本音が出たよこの人。ジークフリードと同じで、言うこと聞かなきゃ殺すぞってか。

 ジークフリードがすぐに飛んできた。テレジアがいきさつを話すと、渋い顔になったけれど、すぐに普通に戻った。

「……仕方ありませんね。病の後、人は変わると言いますから、それで乗り切りましょう」

 あれ、怒らないぞ。

 と思ったら、がっしと右腕を掴まれて引き寄せられ、キスされた。

 なっ、なっ……、なんなの。

 唇を離したジークフリードは、怖い笑みを浮かべた。

「今夜、覚悟なさい」

 ……何を?

 テレジアはため息をつき、だからおとなしくしていたほうがいいのに、とつぶやいた。

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