白の神子姫と竜の魔法 第12話
「王后陛下、貴女は国王陛下にとっての唯一の御方です。それは誰にも覆せないのです。それをよくご理解ください」
「ジークフリード」
じゃあ、ジークフリードにとっての唯一は誰なの?
聞きたくてたまらないのに、こんな場所では聞けなかった。見つめ合って、手を重ねて熱を分けあっても、二人きりではないのだった。王妃と臣下として、私たちはこの場にいる。
「休暇は少しは先になりそうですか?」
「そうご心配なさいますな。一人になるわけではありません。テレジアもおります」
「ええ」
そうじゃない。こんなことが言いたいんじゃない。
私が聞きたいのは……。
ジークフリードに縋りたい気持ちと格闘しながらステップを踏み、それだけで時間は過ぎていく。
音楽が終わり、私は前よりも疲労を感じて席へ戻った。
疲れているのは身体よりも心のほうだった。
いつの間にか、ジークフリードを思うと、見えない鎖で縛られて身動きがとれなくなるようになった。
そして奇妙なことにそれを喜ぶ私がいる。嫌だという私もいる。
「リン、いかがした」
陛下の声に、私ははにかみ笑顔を浮かべて、何でもないと返した。陛下は何かを探るように私を見ていたけれど、ならば良いと顔を表に戻した。
舞踏会の会場から王妃の館へ戻してくれたのは、ジークフリードではなく陛下だった。
「最愛の妃だからな」
陛下はジークフリードににやりと笑った。ジークフリードは何も言わず、頭を下げた。
疲労困憊していたから、本当はジークフリードが良かった。でも皆がじっと見ているからそんなわがままは言えず、私はリン王妃として振る舞うため、嬉しそうに陛下の手を取った。
部屋に戻ればもう眠るだけだ。その気持ちが後押しもした。
場にいる全員が私たちに礼を取る。
陛下は何も言わず、私も何も言わずに光の間を出て廊下を歩き、部屋へ戻った。
部屋ではテレジアさんが待ち構えていて、侍女達に指示を出しながら、自らも動いて、陛下と私の着替えを手伝ってくれた。
「お疲れ様でしたね」
「そうね……疲れたわ」
他の侍女が数人いる手前、完全にくつろげないから、私はおとなしくソファに座った。すると隣に同じように普段着に着替えた陛下が座る。
え? 帰らないの?
そう思ったけど、とてもそれを口にできず、食べそこねた夕食をテレジアさんの給仕で取った。陛下も同じように夕食をとる。
なんか、なんかこれ、やばくない?
侍女達が部屋を出て、テレジアさんと三人になった。
「あの、陛下?」
「なんだ」
「部屋へおかえりにならないのですか?」
「今日は帰らぬ。皆が見ている。ジークフリードも屋敷へ帰った」
「は……あ」
警戒しているのがわかったのか、陛下はそんなに怯えるなと、私のおでこを人差し指でつついて笑った。む、こうされると近所のお兄ちゃんのようだ。
「私にはリンだけだ。そなたに手を出そうとは思わぬし、出す気も起きない」
それは良かった。
あからさまにホッとしたのがまるわかりだったようで、陛下は大声で笑った。
ちょっと恥ずかしいかな。
でも本当にほっとしたんだもん。仕方ないじゃないの。
陛下はひとしきり笑った後、用意されていたお酒を飲み、テレジアさんに向かって手を払って退出させた。
私は食後のデザートのアイスクリームを食べた。
ああ、甘いモノって癒されるから好き。
チョコレートがあればいいんだけど、こちらへ来てから見たことないから、多分ないんだろうな。でもこの際は贅沢は言えない。
陛下は二杯目の杯を傾け、それもすぐ飲んでしまった。
結構キツイやつだよねそれ。ジークフリードと同じで、お酒に強いのか。
「リンは、ようやく目覚めそうだと聞いたか?」
「はい」
「そなたもお役御免というわけだ。大役を今宵はよく果たしてくれた。誰もそなたを疑っておらぬ」
「はい」
そこで陛下は黙りこんだ。
何かを言いかけて言いよどむ、そんな感じだ。なんでも直球のこの人にはめずらしい。
「そなた、どうあっても元の世界に戻りたいか?」
「もちろんです」
即答すると陛下は苦笑した。
「……心残りはないのか? 例えば、ジークフリードと別れても平気か?」
ずくんと胸が痛んだ。どうしてかな。
「別に……。ところでノートはまだ五分の一も消化出来てませんが、本当に帰れるのでしょうか?」
「それよ。竜の魔法の仕組みは、竜族ではない私にはわかりかねる。ひょっとするとジークフリード自身がわかっていないのではと、思うことがあってな」
「そんなあやふやでは困ります。私、なんのために努力してるんですか」
「リンを救うためだ。リンはもうすぐここへ戻る」
ため息が出そうになる。この人にとって、私は人間ではなく便利な道具であるらしい。最悪だ。悪い人ではないみたいだけど、いい人でもない。
「だが、ジークフリードのことも考えてやってはくれないか? あれはあきらかにそなたに気がある」 どきんと胸が高鳴った。
即座に肌にジークフリードの愛撫が蘇り、それを抑えるのにいささかの時間が必要だった。
どうなってるんだ私。
身体でジークフリードに落ちたって事?
そんな阿呆な。
「あの淡白な男が、必要もないのに、そなたを抱きまくっている様子だからな」
かっと顔が熱くなった。
「どうして臆面もなく、そんな言葉が出てくるんですか」
「事実か」
かまをかけられたのだと知り、腹がたったけど罵る気にもなれない。
「でも、ジークフリードには、好きな女性がいらっしゃるんでしょう?」
「……名は知らぬ。かれこれ何年になるのかしらんが。片思いでな」
杯をテーブルに戻して、陛下はベッドへ向かい寝転んだ。今夜はソファで寝るのか私。仕方ないなあ。相手は国王だし文句は言えない。
「ジークフリードってモテるんでしょう?」
「ああ。独身だし見目も良く身分も重い。そなたの世界で言う、玉の輿とやらになるのか」
「ダンスの時、貴婦人方の視線が熱かったです」
「相手は王妃ゆえ、何も言えなかったようだな。ただの貴族の小娘だったら、当てこすりを言われてワインでもひっかけられるところだ」
「へえ」
どこにでもあるのか、女の醜い争い。
「そういえば、いくつなんですかジークフリード」
「……確か、もうすぐ三百歳だ」
三百!
途方も無い数字が出てきて、目が回りそうになった。
「竜は長生きだと言ったであろうが。だが、われわれ人間は長生きは出来ない。そなたの世界と同じで百年も生きればいいほうだ。私も竜の血がときおり混ざってはいるが、薄くて、よくて百二十あたりまでだ。ジークフリードは私が物心つく頃から、ずっと宰相であのように若く美しいままだ」
「はあ」
ジークフリードは、随分長い間宰相をしているらしい。
ふと、寂しくはないのかと思った。
この異世界の人の平均寿命が、私達の世界と同じで百そこそこだということは、何回も人の死を見送るということだ。
一緒に笑い涙した仲間が年を取りどんどん死んでいくのに、己は永遠に若いまま生きなければならない。置いてけぼりになる寂しさは、孤独を強く意識させるのではないだろうか。
「宰相って続けないといけないんですか?」
「適任者がおらんのでな。普通、王が独り立ちすれば要らぬが、我が国では常に必要だ。内政と外交と軍を掌握する国王を補佐するものがな」
「……そうなんですか」
「話を戻すが、ジークフリードの片思いの女は、私が生まれる前に出会い、死に別れたと思っている。あれは優しいゆえ、無理に相手を奪わなかったようだな」
ふーん。本気の相手には優しいんですね。私には脅迫して、殺すとか、生き人形にするとか言ってましたけど。
むちゃくちゃ面白く無いぞ。
「そろそろ代替りをした方が、あれも幸せだろうと思っているのだが……」
それきり陛下は何も言わなくなり、私も腹を立てながらも目を閉じた。それを上回る眠気が襲ってきて、怒り続けるのもなかなか難しい。
考えるのも怒るのも明日にしよう。おやすみなさい。
あっという間に眠っていたらしい。
不意に夢へ浮上した。
『白の神子姫』
眠りの世界をたゆっている私に、若い男の人の声が近寄ってきた。足音はなく、声だけが近寄ってくる。聞いたことがない声だ。誰? 眠いから寝させてよ。
『鈴。起きてください』
私を知っている?
真っ白で何もない空間でふわふわ浮いていた私は、声がする方へ身体を起こして立ち上がった。
白の風景は雲の中だったようで、雲の切れ間から光が差し込み、灰色髪の若い男の人がすっと音もなく現れ、私の前に立った。
水色の目にはなんの表情もない。
「貴方が呼んだの?」
「そうです。白の神子姫」
白の神子姫とは私のことらしい。誰もそんな奇妙な呼び方をしないから、気になるなあ。
「誰なの?」
「私はオトフリート。白の竜族です。貴女がこちらへいらした時からずっと接触しておりましたが、妨害が入ってどうにもなりませんでした。今日は媒介をしてくださる方がいらしたので、その方の力をお借りしています」
「……一体、私になんの用ですか?」
オトフリートは厳しい視線を私に向けた。
「今すぐにでもこの国を去りなさい。さもなくば貴女はこの世界から消えてしまう」
「ええ、元の世界に戻りますけど」
オトフリートは、重々しく首を横に振った。
「そうではありません。貴女自身が消滅してしまうと言っているのです」
穏やかではない言葉に、私はぞっとした。
消滅?
そんなの聞いてない……。
恐ろしさに身を竦ませていると足元から影が広がってきて、すうっと上へ上がってきたかと思うと白木さんの姿になった。
「マイさん!」
白木さんはにっこり笑った。
「……舞踏会で話したかったのだけど、ジークフリードと陛下に邪魔されて、お話ができなくて困っていたのよ。夢の中でずっと接触を図っていたけど、なかなか貴女と波長が合わなくて苦労したわ。でも今日、リン王妃がお目覚めになるから、ジークフリードの守護が解けたの。彼にとって一大事だからあちらへ気を集中させたのね」
ちょっと陛下ばれてるじゃん! 思いっきり。