白の神子姫と竜の魔法 第13話

 白木さんは、驚いている私に大笑いした。

「私も一応神子だからね。対になる神子が替え玉だなんてすぐにわかったのよ。ものすごくよく似てるけど貴方はリン王妃じゃなかった。よくまあここまでするものだと思ったわ。陛下はどうしてもリン王妃がいいのね」

 笑顔にうっすら悲しみが見え、かえってそれが白木さんの悲しみを強く感じさせた。

「他に気づいてる人はいるの?」

「今のところは、オトフリートと私だけよ。この国で、ジークフリードに勝る魔力を持つ者は居ないもの。持っていたとしても、三百年にもわたって宰相として君臨してきた彼に、誰も逆らえない。父親は今のこの国の礎を築いた、黒竜公アレックス。この父子の権力は陛下さえも凌ぐわ」

「私どもは、これを公にする気はありません。このままいけば、おそらく王妃交代はすんなりといくでしょうから」

 オトフリートさんが、白木さんの話題が明後日のほうへ転がっていくのを懸念して、強引に話に割って入ってきた。

「うまくいくのならいいんじゃないの?」

「貴女には良くないのです。このままでは貴女は完全にこの世から消えてしまう」

 さっきも言われた言葉だ。

「どうしてですか?」

「グロスター公爵ジークフリードは非情な男です。貴女の存在など髪の毛一本の価値しかないのです」 髪の毛一本!?

 そこまで存在を貶められた事はないわ。何だこの人。

「貴女は、役目を終えたら、元の世界に戻れると言われたのですよね?」

「え? ええ……」

「それはつまり、貴女にとって消滅を意味します。貴女は普通に生まれた人間ではありません」

 意味が良くわからない。

 オトフリートの哀れむような眼差しが、一層深くなった。

 何故か白木さんに、左手をぎゅっと握られる。なんで?

「貴女はリン王妃の髪一本から、グロスター公爵ジークフリードが作り出した存在。ですから帰る場所などないのです」

 その言葉の意味が腑に落ちるまで、私は、オトフリートの瞳をただ見ているだけだったと思う。

 作り出した存在?

 帰る場所などない?

「ふ……あははは……っ!」

 腑に落ちた途端、笑い声がお腹のそこから沸いて来て、大声で笑った。

「やだなあもうっ! 夢の中だからってなんでもありなのねっ。おもしろーいっ」

 何ていうファンタジーな夢だ。

 ここまでの想像力が、私の超リアルな脳内にあるとは思ってなかったよ! 元の世界に戻ったら、これをもとに小説書いて応募してやろうっ!

「鈴さん! 夢だけど、オトフリートの言っているのは事実なのよ?」

 白木さんはまだ言う。

「わかったってば。はいはい。私は髪の毛なのね? うんうん。それで?」

「わかってないじゃないの! あのね、ジークフリードがその気になったら、貴女は消えてしまうのよ?」

「うん、この世界から消えて、元の世界に戻るよ?」

「真剣に聞きなさい!」

 ぐっと両腕を強くつかまれ、痛いったらない。

 二人とも笑ってなくて真剣だった。

「じゃあ聞くわよ? 貴女のお父さんとお母さんの名前は? 通っていた高校の名前は?」

「変なこと聞くわね。お父さんの名前は…………」

 あれ?

 お父さんの名前が浮かんでこないぞ。ど忘れしちゃったのかしら。じゃあお母さんの名前は……。

「二人はどんなお顔? 貴女はどんな家に住んでいたの?」

「…………」

 私は白木さんと見つめあった。

 浮かんでこない空白を埋めるように、私は白木さんの瞳の底を見つめ続けた。

「名前……」

「そうよ。それだけ帰りたいのなら、言える筈でしょう! 言ってみなさいよっ!」

「…………」

 何も……、浮かんでこない。

 そんな馬鹿な。嘘、うそ!

 私は元の世界に帰るんだ。懐かしい家へ帰るんだから。そう約束してもらったんだからっ!

「学校の部室以外の教室は? 校庭はどんな感じ?」

 たたみかけてくる白木さんに、何一つ言い返せない。

 冷たくなった足先が震えを生んで、かたかたと私を揺らし始めた。手も指先から冷えていく。夢の中なのに……。

 そう。

 これは悪夢だ。

 早く目を覚まさなきゃ。

「目を覚ましてもこれは事実なの。貴女は髪の毛一本から作られた存在なのよ! リン王妃を連れて帰ったら、ジークフリードは貴女を躊躇いもなく消すわ! 消される前に逃げなさいっ」

「…………」

 悪夢なんだから……。

「白の姫神子。私なら貴女を救えます。王宮を出て、東へ行きなさい。アウゲンダキャッズという町があります。その麓の光の神殿に、私は神官として仕えていますから」

 早く目を覚まさなきゃ。

「近くに光の泉という霊泉があります。その泉の水を飲むと、あらゆる呪いを断つと言われています。きっとグロスター公の魔力も断てるでしょう」

 早く。早く……!

「真剣に聞いてよ、鈴! オトフリートは銀の竜族の末裔なの。その魔術は世界一だわ。信用して頂戴。そうでないと貴女は消えてしまう!」

 目を……。

 世界は真っ白になった。

 

 ひどい悪夢だった。

 身体中が嫌な汗びっしょりで、なんだかだるい。

 ソファで寝ていたのに、なんでベッドに居るんだろう。陛下の姿はない。ひょっとすると運んでくれたのかな? ソファで寝ていたのなら身体が痛みそうなものだけど、全然痛くないから、結構早いうちに移動させてくれたのだろう。

 髪がさらりと流れ、何気なくそれに触れた。

 …………。

 私は。

 私は……人間じゃない?

 腕を伸ばして、拳を握ってみる。爪が食い込んで痛い。

 反対側の手で頬を触ってつねってみた。痛い。

 痛みも、温かさも感じるのに……、私は人間ではない?

 ベッドから降りて、テーブルの上のノートをとり、ぱらぱらとめくってみた。かなり進んでいるはずだ。

「……え?」 

 愕然とした。

【鈴はリヒャルトに寝台を譲り、心安らかに眠りについた。

 眠りは長かった。しかし、それは眠り病の名残で、ほんの数日のものだと宰相と医師は診断し、国王および臣下の者達を安心させた。

 鈴が目覚めたのは、長雨が止み、快晴で青空が広がる気持ちのいい日だった。】

 何これ。

 夢の部分が綺麗に抜けてる。

 おまけに数日眠っていた?

 どういうことなの?

 震える指先で、浮かび上がる文字をなぞった。

【よく眠ったのに、鈴の心は優れなかった。鈴はジークフリードが、自分をどう想っているのか気になって仕方がなかったのだ。何故なら、ジークフリードの忠誠は王后リンと国王リヒャルトに向けられ、自分自身に向けられていない事が明白だったからだ……】

 どういうことなの……。どうして、あの夢の中の出来事が文字になっていないの?

 私に起こった出来事は、ほんの一行であっても記されているはずなのに。

 オトフリートさんの言葉が、頭の中に響いた。

『貴女はリン王妃の髪から、グロスター公爵ジークフリードが作り出した存在。ですから帰る場所などないのです』

 ジークフリードの結界の隙をついて告げられた、夢の中での真実。

 このノートとジークフリードの魔法が私を縛り付けていて、だからこそ私に起こった出来事が文章になって記されていく……。彼の魔法が及ばない夢の中の出来事は、ノートは映し出せない。

 本当、なの?

 白木さんとオトフリートの話は、事実なの?

 私は人間じゃないから、元の世界に戻れない。

 ジークフリードがいなければ、生きていけない作り物の存在。

 リン王妃が目覚めるまでの、ただの替え玉なんだ。

 用が済んだら、そのまま消滅させられてしまう。

 消滅って何だろう。

 消えたら、私はどこへ行くんだろう。

 震えは今では全身に及んでいて、立っていられなくなった。

 ものすごく気持ち悪い。

 作り物なのに気分が悪くなる……。

 こんなふうに、普通の人間と全く同じなのに……!

 ベッドによろよろと倒れこみ、震える手で上掛けを手繰り寄せた。

  

 どれくらいベッドの中で震えていただろうか。

 突然、扉が乱暴に開かれる音がして、数人の靴音が近づいてきたかと思うと、乱暴に被っていた上掛けをまくられた。

「出ろ!」

 腕を強い力で引っ張られて床へそのまま突き落とされた。勢いそのままに、したたかに頭と背中を打って、星が散る。

 何? これは……っ。何が起こったの?

 衝撃に頭がくらくらとして、顔をあげられない。それなのに突然入ってきた近衛兵は、私を立たせようとする。気持ち悪いんだってば。だいたい王妃の部屋に入ってきて、こんな狼藉を働くなんて…………。

「その者は、恐れ多くも王后を騙った偽者。その罪は万死に値する」

 聞き覚えのある声が、した。

 恐ろしく現実感がない。でもこれは現実だ。

 近衛兵二人が、私の両腕を引っ張って無理に立たせた。頭も、引き摺り下ろされた時に打った背中も痛い。

 そして、目覚めた時から心が……痛い。

 ジークフリードが、リン王妃を伴ってこちらへ歩いてくる。私そっくりのリン王妃は、私の顔を見て驚いたようだけど、何も言わなかった。

「青光の塔へ連れて行け」

 冷酷極まりない声が響く。

 そこへ陛下が慌てたように、足音も高く、部屋へ入ってきた。

「ジークフリードっ!」

「陛下、朝早くからいかがされましたか?」

 対して、ジークフリードは冷静そのものだ。陛下は私を見て、ジークフリードに向き直った。

「気が狂ったのかそなたは! 予定が違うではないか」

「何の話かわかりかねます。私はただ、王后を騙った偽者を発見し、今、投獄しようとしているところですが」

「待て!」

 陛下は何も聞かされていないらしく、しきりに私を庇おうとしてくれた。しかし、ジークフリードは首を横に振り、それを受け入れない。

「陛下にとって大切なリン王妃を騙った女です。お姿をここまで酷似させるとは、相当な魔力を保持しているようです。他国の密偵の可能性が高いでしょう。さっそく尋問いたしますので、陛下はいつもどおり執務を開始してください」

「ジークフリード!」

「貴様ら何をしている。早く連れて行け!」

 ジークフリードに命令された近衛兵が、腕を引っ張って私を歩かせた。前へつんめのりそうになりながらも、ジークフリードから目を離せなかった。その漆黒の瞳は何も返してこないというのに……。

 どうして?

 陛下が私に何かを言おうとして、ジークフリードに留められる。

 ざわざわと、侍女や兵がたむろしている廊下を歩く。いずれも非難がましい視線だ。

 途中、白木さんが居て、じっと私を見ていた。

 とても痛ましそうな目で、私に飛びつかんばかりだ……。 

 

 そのまま外に連れ出され、うっそうとした森の中に建てられた青光の塔へ向った。

 青光の塔は、罪人の中でも特に罪が重い者が放り込まれる監獄だと、以前ジークフリードが言っていた。灰色のレンガを積み重ねて作られた塔は、全体的にかび臭い空気に包まれている。嵌められた鉄格子は黒く腐食しているのが、外からもよく見えた。

 苔むした、じめじめとする螺旋階段を昇らされ、足が疲れた頃、ひとつの独房へ突き入れられた。

 さび付いた金属製の扉が閉まる。

 私は、抜け殻のようにそこへ倒れたまま、しばらく起き上がれなかった。

 美しい王妃の部屋と比べて、なんて粗末で汚い部屋なんだろう。

 はだしのまま歩かされたせいで、足の裏が痛い。

 お腹もすいた。

 でもそれよりも、もっと、心が痛い。空っぽだ。     

 涙がぽろぽろと零れ、ごつごつとした岩のような床にぽたぽたと落ちていく……。

「……ジークフリード…………。フィン……」

 その声は誰にも届かず、涙と一緒になって床へ消えていった。

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