白の神子姫と竜の魔法 第14話

 ご飯らしいご飯が差し入れられたのは、このかび臭くて汚い牢獄に入れられてから二日後の夜だった。扉の横にある差し入れ口から入れられたそれは、見るからに残飯で、腐敗が進んでいるスープとカビが生えた黒パンが、これまたクラシックな木のトレイに載せられている。

 美味しい夕食を食べていたのはほんの数日前だというのに、あまりの落差にため息が出る。

 前の私なら、発狂寸前に空腹を覚えているところだ。

「おかしいな……」

 何故だかわからないけど、まったくお腹がすかない。食べなくても平気で、排泄したいとも思わない。

 一体どうなってんだろ私……。

 人間だけど人間じゃないから……?

 さらに気になるのは、肌の色が妙に白くなり、ストレートの長い黒髪まで白くなってきて、癖がかった巻き毛になってしまっていること。フランスのブルボン王朝の王妃様が、恐ろしいストレスで、一晩で金髪が白髪になってたよね……。あれかな。

「…………」 

 なんらかの異変が、身体の中で起きているのは確かだった。

「今、王宮はどうなっているのかな……」  

 夜の暗闇しか見えない鉄格子の向こう側は、昼になると、青々と広がる森と遠くの山々が見えるだけだ。王宮の方角は壁で様子は伺えない。

 牢番の兵は塔の入り口に二人ばかりいるだけで、一番上にあるこの牢の見回りには一日一回しか来ない。夜は当然来なかった。だらけきっているようだ。

 尋問する人も来ない。

 私は王族をかたった重罪人なのに、なんでこんなに警備が手薄なんだろう。普通、扉の前にも二人ほど警備の兵を置いて、交替で見張るもんじゃないの?

 それとも私には見えない、魔法の結界でも張られているんだろうか。

 ……にしても、暗い。

 光源は傾いた木のテーブルの光石だけで、それも手のひらより小さくて部屋全体を照らす力はない。 ともすると一本のろうそくよりも頼りない光だ。

 寂しい。

 そう思った私に、誰かの声がシンクロした。

 同じくらいの年の女性の声。何かが見えそうになって背中がぞくりと冷える。

 私はもう、狂い始めているのかもしれない……。

 気を抜くと身体が震えだす。

 壊れてしまいそうな自分を止めるように、両手を組んで額にあてた。

 誰かここから出して。怖いの。

 私はどうなるの? このままずっとここに居るなんて嫌だ。私は陛下とジークフリードに脅されて、リン王妃になっただけ。彼女に取って代わろうなんて思ってもいない。ましてや、他国のスパイなんかでもない。

 帰りたい。でも、私に帰る世界なんてない。

 ここに居るのは嫌。

 助けて。助けてよジークフリード。……フィン。

 一度も洗われたことがないと思われる、シミだらけのシーツで横になっていたら、いつの間にかうつらうつら眠っていたらしい。階下から近づいてくる複数の足音で、ふっと目覚めた。

 誰だろうと身構えている私の前で、二日ぶりに扉が開いた。

「おや、もう魔法が解けている。もう見かけは完全にリン王妃とは別人だ」

 入ってきたのは、ウルリッヒ王子とギュンター王子だった。

 心臓に悪い組み合わせだ。何をしに来たのだろう。

 ウルリッヒ王子がくすくす笑った。

「そう怯えるな。助けに来てやったんだ」

 人を小ばかにするような笑顔を浮かべる男に、助けに来てやったと言われても信用できない。

「お前は、一週間後に処刑されることに決まった」

 処刑!

 目を見開く私に、ウルリッヒ王子が顔を厳しいものにした。

「決めたのは、あの冷酷宰相のジークフリードだ。まったく。あの男は付け入る隙を見つけたと思ったら、すぐにその隙を埋めてしまうのだから、大した物さ」

 ジークフリードが……私の処刑を決めた?

 嘘だ。嘘だ。

「尋問もなしに……?」 

「やっぱりされてなかったのか。あいつにとっては、作り物のお前の命など、書き損じの書類と同じだからな。冷酷にもなれるだろう」

 ウルリッヒ王子はなにやら納得している。

 嘘だという言葉に支配されている私に、ギュンター王子が近づいてきて、上から見下ろされた。

「だが、そうはさせない。ここから貴女を連れ出して、アインブルーメへ連れ帰る」

「……アイン、ブルーメ?」

「そうだ。お前はもともとは、アインブルーメに生まれていたんだ」

 話がさっぱり見えない。私はリン王妃の髪一本から生まれたはずだ。そう言うと、ギュンター王子は首を横に振った。

「人一人を作り出す竜の魔法。それには二人の人間の一部分が必要なのだ。ひとつはリン王妃の髪、もうひとつはアインブルーメ貴族の娘、ロザリンの魂だった」

 ロザリン?

 誰だそれは。聞き覚えが全くない。

 ギュンター王子は、嫌に親しみをその秀麗な顔に浮かべ、私の右手を取って片膝を付いた。

「ロザリン……、お前は私の兄の婚約者だったのだよ。病弱だったから兄と結婚する前に死んでしまったけれど、兄も私もお前の事はよく覚えている」

 にわかには信じがたい話で、また、妙に馴れ馴れしく右手に口付けるギュンター王子が薄気味悪い。

「鏡がないから、自分の変化に気づいていないようだな」

 ウルリッヒ王子が、手鏡をどこからともなく取り出し、私の手のひらに乗せた。手のひらサイズのコンパクトなものだ。ごてごてと裏側が装飾されていて重い。

「……変化って」

 いや、なんとなくは気づいていますけど……って、うぇえ!?

 あまりの激変に、私は卒倒しそうになった。

 誰これ誰これ誰これ────っ!

 映っていたのは、サファイヤのような青い瞳の西欧人の女性だった。髪も真っ白で綺麗に縦ロールになってしまっている。日本人の鈴の面影は全くない。

 な……なっ。

 呆気にとられている私に、ウルリッヒ王子が爆笑する。こいつ、やっぱり性格悪いわ! 睨むと余計に笑うから、処置なしだと呆れていると、ギュンター王子がごめんねと謝った。

「あんまりにも私が話したロザリンに似ているから、ウルリッヒは大笑いするんだよ」

「病弱な割には勝気で負けん気が酷かったって。でもそれは、病弱をひたかくしにするためだったとか、言ってたからな」

 へー、そうなんだって、……聞いてる場合じゃない。本当かどうかもわからないのに!

「ジ、ジークフリードは、どうやってロザリンさんの魂を手に入れたんですか?」

 目の前のギュンター王子の顔が、見る間に怒りに染まった。

「知らぬ。だがあいつは、何も知らないお前を言葉巧みにたらしこみ、あまつさえ命さえも奪った。最低な男だ」

「でも、国が違うのに……」

「ロザリンの祖先が、ジークフリードの父親の黒竜公の妹のサヴィーネだったんだ。だからたまにアインブルーメを訪れていた」

 面白くなさそうに言い捨て、ギュンター王子は私を無理に立たせた。

「さあ早くここを出よう。馬車を待たせている。魔法は残念ながら使えないからね」

 私は躊躇した。ばれたら外交問題に発展するじゃないか。

 ウルリッヒ王子が紙人形をポケットから取り出し、静かに詠唱した。すると紙人形は膨れ上がって私の姿になった。それをベッドに寝かせて、シミだらけのシーツをかけると振り向いた。

「ジークフリードを待っても無駄だ。あいつは今、リン王妃にかかりきりで、お前など思い出す暇もない」

 でも……。

 ためらっていても、男の力には敵わなかった。ギュンター王子は私を抱き上げて牢を出、ずんずん真っ暗な階段を下りていく。普通の人間なら転んで怪我をするところなのに、彼ら二人が平気なのは、二人とも白の竜族で夜目が利くからだという。

 心臓がばくばくする。脱獄なんて怖い。牢番がいるのにここを無事に出られるのだろうか。

 そう思いながら身を固くしていると、牢番はなんと眠らされていた。だらしなく寝転んでいる横には酒のビンが転がっている。

「お前しか居ないから、こんな小細工があっさり通用した。もうひとつの監獄だとやっかいだったがな」

 ウルリッヒ王子が言い、酒瓶を拾い上げた。

「この人たち、あとで処罰されるんじゃ……?」

「処刑までは行くまいよ。私は同行できぬが、もう行け」

 馬車が一台止まっていた。明かりはひとつのカンテラだけで暗い。秘密に徹する必要があるから当たり前だけど、酷く心細い印象を受けた。

「処刑の日までは誤魔化せるだろう」

「貴方は大丈夫なの?」

「光の神子の望みには、ジークフリードといえど敵わない」

 早く行けとウルリッヒ王子が促すと、ギュンター王子と私を乗せた馬車は静かに動き出した。もっと音がする乗り物だと思っていたのだけど、がたがた揺れることもなく、スムーズだ。車内を照らすのは、小指サイズの光石で、それも明るさを極力落とされている。

 ギュンター王子は、額に滲んだ汗を拭った。

「転移陣も使えないから一般道を走る事になる。関所が至る所にあるが、万が一怪しまれても顔かたちが別人だから捕まるまい。この国に送り込んだ白の竜族が、そこかしこで護ってくれる、心配は要らない。私とお前は一応夫婦として偽の関所手形がある」

 話をほとんどしたことがないのに、妙な懐かしさにとらわれた。この気持ちをなんと言うのだろう。ジークフリードと陛下以外の男の人と密室で過ごすのは初めてなのに、なんの危機も感じていない私は楽天家過ぎるのだろうか。

 何故か勝手に、ギュンター王子を信用できると思ってしまう。舞踏会の時はあんなに怪しんでいたのに……。

 はた、とした。

 それがつまり、ジークフリードの守護であり、魔法の束縛だったのではないか?

「貴方は、どうして私が偽者のリンだとわかったんですか?」

「舞踏会で遭った時、妙な懐かしさを感じた時から怪しんでいたんだが、ジークフリードに阻まれて確証を持てなかった。翌日もう一度面会しようと思っていたら、貴女は眠り病にかかったと断られ、目覚めたと思ったら、本物が現れて、貴女は牢獄に放り込まれた。マイが大騒ぎしていたよ」

「マイさんは何と……?」

「貴女を牢獄に入れるのはひどいと。真実を公表すべきだと叫んで、近衛兵に部屋へ連れ戻されていた」

 心の中がほわりと温かくなった。彼女は私の味方でいてくれたんだ……。

「王宮内では大騒ぎだった。ジークフリードは貴女を刺客として処理し、数ヶ月前から王妃を狙っていたのだと公表した。そして、王妃の館に関係する全員が処分された。ああ、死刑とかではないから安心しなさい。私は他国の人間だから、真実を知っていても口出しはできなかった」

「……貴方とウルリッヒ王子は、マイさんを利用して、王位簒奪を狙っていると聞いたわ」

 ギュンター王子は頷いた。

「きれいごとではないし醜く思われるでしょうが、ウルリッヒは、そろそろジークフリードは引退すべきだという考えです。彼は、あまりにも長い年月この国に君臨し続けている。世代交代をしないと、王家の力も地に堕ちる」

「そしてアインブルーメが、この国をのっとるんでしょう?」

「そんな単純なものではありません。竜族の未来や、神子達、貴族達の思惑、神殿の策略、霊脈の流れ、世界の均衛も絡んでいます」

 ギュンター王子は首を横に振り、話を元に戻した。

「ジークフリードが完全に貴女を見放して、守護しなくなったおかげで阻んだものが消えた。そして、マイとリン王妃の協力で、今日何もかもわかったんです」

「私がロザリンさんだと、どうやって?」

「まだジークフリードの魔力で生きている貴女にはわからないのでしょうが、魂が共鳴するのですよ。驚きました。死んだはずの彼女は天へ召されることなく、隣国で偽者の王妃になっていたのですから。人を作り出す魔法も竜族共通のもので、特に珍しいものではない。ただ、禁忌に近い秘法です……」

 辛そうに睫を伏せ、ロザリンはどうして……とギュンター王子は呟いた。

「陛下はなんと?」

「リヒャルトは何もできない。ジークフリードに牙を剥いて生きていける人間は、この国には居ない。遊学していた頃に嫌って言うほど見させられた。リヒャルトはジークフリードの傀儡だ」

「じゃあ、私が逃げたってばれたら……」

「そう、だから今急いで逃げている」

 にこりとギュンター王子は笑い、それでも私を助けなければならないと言い、窓の外を睨んだ。外は漆黒の闇そのもので、矢のような速さの馬車は、その中をすべるように走っていく

「ウルリッヒ王子にも聞いたけれど……、貴方も大丈夫なのですか?」

「同じように、身代わりの人形に病気になってもらっています。なに、私は病弱で通しておりますから、一週間寝込んでも誰も気にしません」

 ずいぶん元気な病弱だと思っていると、遊学していた頃の話だと言って、ギュンター王子は笑った。そして、あのノートを私に差し出した。

「これ……!」

「魔法を絶つのに必要なので、マイと協力してリン王妃からもらってきました」

「リン王妃はどうして協力してくれたんですか?」

「彼女は夢の中で何もかも見ていた。マイによると、しきりに貴女に申し訳ないと言っていたそうです」

 テレジアさんの目を掻い潜るのは難しかっただろう。彼女はジークフリートの部下のようなものだったから。

「光の神子の思念は強力なものです。きっとわれわれは脱出できるでしょう」

 そう言いながらも、ギュンター王子は油断なく窓の外に目を配り、馬車を急がせている。

 アインブルーメの国境までは遠く、五日はかかるらしい。

 転移陣というのは、その道程を短縮するシステムで、王家の許可があれば使用できるけど、当然今のような逃避行では使用できない。

「国に帰ったら、早速魔法を絶ちましょう。貴女は消えることなく普通の人間になれます」

 ふと、オトフリートの言葉を思い出した、

「アウゲンダキャッズという町は、通りますか?」

 ぴくり、とギュンター王子の右目が動いた。

「……通りません」

 どうやらギュンター王子は、私に害意はないものの、完全な味方というわけでもないらしかった。王子の本当の目的がわからない以上、最後まで身をゆだねるのは危険だ。私は、なんとしてもオウゲンダキャッズへ行って、そこでジークフリードの魔法を断ち切らなければならなかった。暗すぎてノートの文章は読めないけれど、おそらくそういった類の文字が浮き出ているはずだった。

 ジークフリード……。

 何があっても助けに来てくれると言ってくれたのに、今は貴方から逃げなければならない。

 ……どうしてなの?

 信じたいと思う私は、やはり愚かなのだろうか。

 そう。

 私はジークフリードが好きなんだ……。

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