白の神子姫と竜の魔法 第15話

 馬車が止まったのは、次の日の夕方だった。

 脱獄した時刻は、深夜だと思っていたのは私の勘違いで、夜明け前に限りなく近い、人が一番油断する時間帯だったのだそうだ。

 いくつもの農村地帯、工業地帯を抜け、今走っているのは観光地のような街だった。中世のヨーロッパを連想させるとんがり帽子な建物が多く、全体的にかわいい印象だ。人も沢山いてお祭りのように賑わっている。

 ここまで、元の世界の十八世紀のような建物が多かったから、中世のような町並みは珍しかった。

「ここには光の神殿があります。神子が降臨した際に巡る神殿のひとつだ」

「巡る?」

 ギュンター王子に問い返すと、知らないのですかと意外そうに目をぱちぱちとさせた。

「このマリクにはいくつもの神殿がある。そして光の神子の最初の仕事は、各地の神殿への巡幸です。習いませんでしたか?」

「忘れたわ……」

 ぐったりとして座席にもたれて目を閉じたら、もうすぐ宿に着くとギュンター王子が慰めてくれた。ずっと走り通しだから。腰はだるいし肩もこって痛い。でも、処刑を免れるための強行軍なのだから、文句なんてとんでもない。

「ここは人口のある街ですから、目晦ましには最適だ。だが、明日の夜泊まる街の手前に関所がある、そこが最初の難関です」

「この街だって安全とは言えないのでしょ?」

「田舎よりは安全だし、休憩もなしに馬車は走らせ続けられない。貴女の体力も持たない」

 それは確かだ。だけど……。

 首を傾げた。

「……竜に変化したらどうなんですか? 私の知ってる知識では、疾風のごとく空を駆け抜けるイメージなんですけど……」

「確かに竜に変化すれば一瞬ですが、ここは黒の竜族が住まう国であり、彼らの領域です。したがって、彼らの許可なしには飛べない。国同士のいさかいどころか、竜族同士のいさかいにもなります。今のところ、アインブルーメとマリクの関係は良好だ。それを波立たせたくない」

 それなのに、この人は危険を侵してまで、私を救ってくれるのだという。

 まだ全部は語られていないから、油断をしてはならない。

 きっとまだ、私自身にはいくつもの謎があり、なんらかの利用価値があるんだろう。

 街のはずれにある大きな宿屋の前で、馬車は止まった。周囲はやはり人でごった返している。いい匂いが流してくるのは、何軒もあるレストランの厨房からだった。

 でもやっぱり食欲はわかない。

 ふんわりとした帽子を被せられ、ギュンター王子の手を取って馬車を降りた。お忍びの貴族といった感じの服を着ているから、誰も私達に注目しない。宿屋の受付の老人は、にこやかに私達を迎えてくれ、部屋へ案内してくれた……のだけど。

「……一部屋?」

 なんと、ギュンター王子は一緒の部屋に泊まるのだという! 従者の人でさえ一人部屋なのにっ。  老人が部屋を出て行くなり、カーテンを閉めたギュンター王子に詰め寄った。

「なんで一部屋なんですか!」

「夫婦として手形を取っていますから、当然です。分かれるほうが余程怪しまれますよ」

 手馴れた動作で、ギュンター王子は照明をつけた。夕日を吸い込んだカーテンは、照明の明るさには勝てずに影を落とす。

「でもっ! だって……」

 ギュンター王子はにっこりわらった。

「心配要りません」

 続きになっている部屋のソファを指差し、ギュンター王子はそこで寝るから、私は一人でベッドで眠ればいいのだと言い、お風呂に入って汚れを落としてくださいと付け加えて部屋を出て行った。

 ソファとベッドで別々だと言われても、困るっつーの。

 なんか、こんな展開が多すぎない?

 お風呂やトイレつきなのはありがたいけど、妙齢の男と一緒だと、あれやこれやで恥ずかしいよ!

 ギュンター王子が帰ってくる前に、皆済ませてしまおうっ。

 お腹は空かなかったけれど、身体は確実に汚れて、お風呂に入りたくて仕方なかったし……っ。

 脱衣所には、アメニティがちゃんと準備してあり、着替えまで用意されていた。洗面台は光石がはめ込まれた蛇口があり、かざしてみると水が出た。魔力に反応するらしい。

 リン王妃のまがい物の私にも魔力はあるから、これは助かった。

 服を脱ぎ捨てて浴室に入り、シャワーの湯を出すと思われる光石に手をかざしたら、適温の湯がちゃんと身体を洗い流してくれる。温度調節の必要がないとは超便利。

 思えば王妃の真似をしていた頃は、皆侍女の人たちがやってくれてたから、こういうの体験してないんだよね。

 っといけない、はやく洗ってしまわないと!

 適当にシャンプーやリンスにめぼしをつけて、洗うとドンピシャだった。石鹸もとても質がいい。浴槽が合って入りたかったけど、ギュンター王子が帰ってくる前にすませたかったから、我慢した。

 タオルで水気を拭って、着替えて脱衣所を出たら、ものすごく生き返った心地がして、本当に一息つけた。

 ああ、やっぱり身体をきれいにして、部屋も綺麗だと心が和むわ。

 あのかび臭い牢獄には二度と戻りたくない……。

 こうしていると、何もかもが夢だったように思えてくる。

 夢にしてしまいたいから、そう思うのかもしれない。

 こんな悪夢、見なくて済むのなら絶対に避けて通るのに。

 ギュンター王子の手荷物からノートがはみ出ていて、気になって手に取り、ノートをめくると、今日の様子が克明に記されていた。

 ノートはまだ三分の一ほどだ。

 呪いを断ち切ったら、このノートも消えるのかな?

 断ち切れないままノートの終わりが来たら、私は消えてしまうのだろうか。

 ぱらぱらページをめくりながら、私はギュンター王子を待った。

 しかし、どれほど経っても戻ってこない。

 お腹は空かないけど、もう夜も深まっている時刻だ。

 遅い。

 ギュンター王子に聞きたい事が山ほどあるのに、戻ってくる気配がない。隣の従者の部屋に居るのはわかってても、さすがに男二人が居る部屋には行き辛い。こんなふうになるんなら、私が隣でよかったのにな。

 眠いから、寝てしまおうか。

 でもさすがに、王子をソファに寝させるのは……ねえ?

 どうしようかな。

 そうしている間にも、疲れが出てとろとろと眠りそうになる。

 寝ちゃ駄目だってと思っても、疲れきっているせいで言うことをきいてくれない……。

 待ちくたびれてソファで眠ってしまった私は、いつの間にかベッドに移動しており、ギュンター王子がソファで毛布に包まって眠っていた。

 朝まではまだ間があるようで、カーテンをめくって外をうかがうと、空が茜色に染まりかけているところだった。

 夕方、宿に入った時はあんなに人で混雑していたのに、今の目の前の道は人一人通らず、シンとしている。

 窓を開けてみた。

 冷涼な朝の空気がすがすがしい。

 これから冬へ向っていく季節だから、寒いと言ったほうが正しいのかもしれなかった。

「まだ早いですよ」

 背後でギュンター王子が起き上がる気配がして、カーテンを閉めた。

「もう眠れません」

「でしょうね。昨日は走り続けだったから、相当疲れていたのでしょう。本当は今日も休ませてあげたいんですが」

「……逃げなきゃいけないものね。ところでここはなんていう街なんですか?」

 ずっと気になっていたので、ギュンター王子に聞いてみた。

「貴女が知る必要はない」

 にべもなく、撥ね付けられた。やっぱり教えるつもりはないらしい。

 この話題は無用だとばかりに、ギュンター王子は起き上がり、今日も一日走り続けるのだから出発まではゆっくりしてくださいと言う。

 私はどうしても知りたいので、食い下がった。

「名前ぐらいいじゃない」

「貴女はアインブルーメでこれから生きるんですよ。マリクの情報など知ったところで役にたたない。無用な知識は必要ないし、むしろ邪魔だ」

「邪魔かどうか決めるのは私よ。それとも私に知られると、何か困るわけ?」

 言い返した私は、すっと目を細めたギュンター王子の顔に、なんとも言えない恐ろしい影を見て口を噤んだ。

 それでも後へ引けず、睨みあう形となって目を離せないままでいると、ギュンター王子がゆっくりと近づいてきた。

 影がもたらす威圧感が怖くて、後ずさった。

 その分ギュンター王子は近づいてくる。

 それを繰り返していたら、とうとう部屋の壁まで追い詰められてしまった。

 横に逃げたらいいのだけど、気を逸らせない。

 怖い。

 顔の横に、ギュンター王子の右手が置かれ、その恐ろしい影を含ませた顔が近づいてくる。

「ロザリン。我侭はいけないよ……? いつもそう言っては兄上を困らせていただろう」

 そんな事言われても、私はこの人の兄も、ロザリンとしても記憶もない。あるのは、本の中にあるものだけだ。

「……街の名を知りたいのが、どうして、我侭なの?」

 怖くて声が掠れ、話すのも一苦労だ。

「街の名云々を言っているんじゃない。我侭が駄目だと言っている。兄上はそういうのを御厭いだった」

「……だったって」

 なんで過去形なんだ。

「だって、兄上はもう、この世に居ないのだからね」

 この世に居ないって。

 じゃあ、私は一体なんだって、アインブルーメへ帰るんだろう。

 ううん、マリクを脱出する必要はあるけれど。 

「わた、私は……、アインブルーメで職にありつけるんでしょうか?」

 なんだか怖い雰囲気がますます強まってきたから、話題転換を試みたけど全くの無駄で、ギュンター王子はくすくす笑っただけだった。

「職? 馬鹿な……。貴女が行くのはアインブルーメ王宮以外にはありえない」

「侍女とか……、厨房で働くのですか?」

 大変かもしれないけど、王妃よりは精神的にましだと思う、私みたいな性格だったら。

 人に仕えられるより、仕えるほうが落ち着くんだよね。

 と、現実逃避したいのに、ギュンター王子はさせてくれない。   

「働く必要などない。貴女はずっと私のそばにいればいい。私の妻になって、今度こそ一生添い遂げるんです」

 近づいてきた顔が真っ暗になり、キスされた。

 同時に手が伸びてきて、胸を弄ってくるから必死に身をよじらせたけど、悲しいかな、私はやっぱり非力なのよっ。

 やだってば!

 魂胆があるとはわかってたけど、これはないわよぉ!

 口の中をめちゃくちゃ舐めまわされて、開放された時には立っていられなかった。だけど座り込む事は許されず、腰にギュンター王子の腕が回される。

 これ以上何をされるのかと構えていると、控えめなノックの音がした。

 きっと従者さんだ。助かった!

 ナイスなタイミングだよ従者さんっ!

 ギュンター王子は、ため息をついた。

「ここまでにしておこう。でも忘れないように。貴女は私の妻になる。必ず」

 苦しいくらいに抱きしめられ、冗談じゃないと叫びたい。

 何とかしなくては!

 突き飛ばすと簡単に開放され、ギュンター王子が扉を開けに行く。

 心臓の嫌な高まりがうっとうしいし、気分が悪い。

 味方といえば味方だけど、救ってくれたのも間違いないけど、これは絶対嫌だ!

 

 ああもうっ! この世界。ろくな男がいない……!

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