白の神子姫と竜の魔法 第16話

 車窓の外には、大草原が広がっていた。私の身長程しかない低い木が、硬そうな緑の葉を扇のように広げて、おおよそ茂っているとは言いがたい形状でところどころに生えている

 時々思い出したように、えらく質素な民家とわずかばかりの畑が現れる。どの家にも井戸があり、数頭の家畜が放し飼いにされていた。家畜は牛だったり馬だったり、羊やヤギ、鶏だったりした。この世界の生き物は、私が知っている元の世界の生き物と大抵似ていた。

 ……………………。

 揺れる馬車の中、向かいに座るギュンター王子の視線が気持ち悪い。

 私に対しての執念がひしひしと感じられ、危ない性格をお持ちなこの王子の視線が、私の気持ちを落ち着かなくさせる。愛されてうれしいのは、自分の好きな人限定だ。好きでもない男に、舐められるような視線を浴びせられ続けると、「助けてくださいっ、こいつ危ないんです! いっちゃってます! 性格が破綻してますっ!」と、叫びながら飛び出したくなる。

 ……ま、このあたりじゃ、せいぜい一人二人ぐらいにしか訴えられないんだけど。第一、そんなの実行したら、それこそこの王子に猿轡をかませかけられかねない……。

 アウゲンダキャッズはこの近くなんだろうか。それとも通り過ぎてしまったんだろうか。

 オトフリートは、すべてにおいて詳しく知っていそうだった。

 どうにかして彼に会い、詳しく話が聞きたい……。

「逃走計画でも練っているのですか?」

 ずっと黙っていたギュンター王子に話しかけられ、まさしくその通りだったから、身体が跳ね上がった。

「逃げたところで、処刑が待っているだけですよ? ジークフリードは本当に容赦がない男ですから。国王を凌ぐ権力の保持者に誰も逆らえない、貴女が私からうまく逃げおおせて、そのあたりの村人に助けを求めたとしても、彼らは貴女をジークフリードへ突き出すだけでしょう」

 午後の陽射しがやわらかく車内へ入ってきて、私と同じく質素な服装の王子の膝を照らしている。話している言葉が普通のものだったら、のどかな遠出ですみそうな穏やかな雰囲気なだけに、現実の冷たさが際立った。

 情報がほしい。

 でも、人がほとんど居ない上、脱出不可能なこの状態では、私は何も知る手立てがない。王子一人ならともかく、護衛を兼ねている御者兼従者がなかなかのつわもので、隙を全く作らないのだ。このままでは、この王子の妻か何かにされてしまう。

 嫌だ。

 ギュンター王子は、あれから私に手を出してこない。

 だけど……、だけど、宿へ入ったら何かされるかもしれない。今朝、あんなに目をギラギラさせていたんだもの、してこないほうが不思議だ。あせりばかりが私の中でぐるぐると渦巻いているのに、身体はそれを裏切って馬車の座席に納まっている。

 馬車は時々止まり、馬は水やえさをもらっている。ギュンター王子は朝食を少し食べただけで、昼食を食べてはいない。従者は食べていた。王子はおなかが空かないのかな。そして、私はこのまま一生、食べなくても平気な身体なんだろうか……。

 水を飲まなくても、食べ物をとらなくても大丈夫だなんて、化け物だ。

 だけどそれは事実だ。私は普通に生まれた人間じゃない。リン王后の髪とロザリンの魂で作られた、ただの物体に過ぎないんだから。

 ……なーんて、ああ暗い。やだやだこんなの。

 やめやめ!

 作り出されたものだろうがなんだろうが、私は今こうして生きているんだ。手足もあるし、心もここにちゃんとある。

 胸に両手を添えて、静かに目を閉じた。心臓の鼓動が伝わってくるのが頼もしい。

「もうすぐですね」

 ギュンター王子が呟いた。 

 私たちが走っている道に、左右から道が交わるようになってきていた。商人や巡礼者っぽい人々を乗せた馬車、御忍びで来た様な貴族の馬車、徒歩の旅人たちが合流してくる。

 関所が近い。

 ギュンター王子が、上半身をすっぽりと覆うくらいの大きさの、薄く青いベールを私に差し出した。

「貴族の夫婦として通すと、教えましたね? これを被ってください」

 偽の名前を告げられ、うなずいた。

「この布はなんですか?」

「高貴な身分の女性は、こういう場では素顔をさらさない。もっとも、本当は目隠しのためです。ロザリンの顔を知っている人間が、どこにいるかわかりませんからね」

 無言で私はベールで顔を覆った。紗に透けた向こう側に、満足そうな王子の顔が見える。

 ……ともかく、怪しまれないためにはしかたない。  

 やがて高台の向こうに、七色の薄いバリアーに包まれた大きな街現れた。乾燥地帯の中に魔法によって作られたのであろう、緑豊かなその街は、ぐるりと城壁に囲まれ、前日の街と同じような中世風の建物がひしめき合っている。

 近づくに連れて、高い城壁がどんどん大きくなって迫ってきた。城壁にくっついている塔があり、塔は大きな門と繋がっていた。門の前には検問の兵が整然と並んでいて、街へ入ろうとする私達を待ち構えている。

 兵達は手際よく検問して行き、通る人は次々と手形を差し出し、差し出された荷物は検問に掛けられ、承認を得て門を通過していく。

 番が近づくに連れて、口が渇いて緊張してきた。

 何も悪い事をしてなくても、こういった検問は心臓ドキドキなものなのに、思い切り後ろめたい私達には半端ない緊張感が漂っている……って、え? 緊張してるの私だけ?

 目の前のギュンター王子は涼しい顔をしているし、従者からもそんな緊張感は伝わってこない。しょっちゅうこういう事をしてるんだろうか……。さすがに違う国の罪人を連れて、国外脱出は初めてだろうけども。

 前後の人たちに至ってはおきらくそのもので、マリクの平和さがしのばれる。もしも権力者が思いのままに振舞っていたら、役人や軍人達にもそれが浸透して、好き放題に商人たちの荷物を勝手に没収したり、女性に悪さしたりするから、全体的にぴりぴりした雰囲気がただよって、私達以上に緊張しているに違いない。

 私……アホ? 

 でも、ここの関所が難関だとギュンター王子は言っていた。緊張するのは当たり前だ。だけど、確かにがちがちに緊張しているほうが、怪しまれるかもしれない。

 よし、ここはリラックス、リラックス。

 深呼吸をして……。

 そしてまたリラックス。

 呪文のように、リラックスと心の中で唱えていたら、やがて自分達の番が来た。

「次!」

 小隊長っぽい人の前で、一人が従者から関所手形を受け取り、数人がかりで馬車を確認する。偽の名前を読み上げられ、ギュンター王子がうなずいた。

 続いて、私の偽の名前を聞かれた時だった。

 服の中に忍ばせていたはずの、ジークフリードからもらったネックレスが、外へ滑り落ちて馬車の床にだらりと転がった。

 うそ! なんで勝手に床の上に滑り落ちるの!

 馬車の中で緊張が走った。

 紗の向こうのギュンター王子が、一瞬目を鋭くさせた。しかし、すぐに穏やかさを取り戻し、自然なしぐさでネックレスを拾い上げ、私の手に握らせた。

「失礼」

 ギュンター王子が言う。検問の兵は何も言わなかった。検問を再開し、馬車の中と外を点検したあと、通行許可を出してくれた。

 ほっとしていると、後ろで黙って見ていた小隊長が、なぜか扉をわざわざ閉めに出てきた。灰色の髪に漆黒の瞳の、まだ少年のような甘い顔立ちの男だった。

「竜の首飾りをお持ちとは。馬車に似合わず、由緒ある家柄の御方とお見受けいたします」

 ……竜の首飾り?

 べつにどこも竜っぽくないし、ただの真珠にしか見えない。鈍い七色の光沢を持つ黒っぽいそれを、私はベール越しにそっと見下ろした。

 ギュンター王子は、胸をそらし、小隊長をそれとなくけん制した。高貴な身分特有の尊大さを滲ませるそれに、小隊長は己の非礼に気づいた平民のように、ずいぶんと丁寧に頭を下げたあと、静かに扉を閉めた。

 馬車が動き出す。

 後ろの窓から、小隊長がこちらを伺っているのが見えた。

 それはあやしんでいるようでも、咎めているようでもなかったのに、まとわりつくような粘り気を伴っていた。

 

 門が大分小さくなった頃、ギュンター王子が口を開いた。

「それは誰からもらったのですか?」

 なんとなく危険な香りがしたから、ジークフリードの名前を出すのは憚られた。

「マイさんにいただいたのよ」

「光の神子から?」

 訝し気に、ギュンター王子は眉をひそめた。

「光の神子と貴女は、物をやり取りするほど親しそうには見えませんでしたが……」

 よく知ってるな!

 内心でひやりとしながら、私はしらっと嘘をついた。

「眠り病が治ったって時に、お見舞いにいらしたの。その時に快気祝いだってくださったものよ」

「……竜の、首飾りをですか?」

 だから、それは一体なんなのよ~~~~っ!  

 何もわかっていない私に、ギュンター王子はやっと説明してくれた。

「それは、力のある竜が、特別な相手にしか渡さないものです。強力な幸運が宿ると言われておりますし、当然流通しませんから、王族や貴族達の間で高値で取引される類のものです。光の神子はマリクの国王に溺愛されていた時期がありましたから、その頃下賜されたものでしょう。……まったく、異世界の人間は価値がわからぬゆえ、簡単に宝を手放す……」

「価値って……どれくらい?」

「小さな国なら、それ一本で買えます」

 ため息とともに吐き出されたその言葉は、ジークフリードが住んでいる心の片隅を、複雑に強くかき乱した。

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