白の神子姫と竜の魔法 第17話

 宿へ入るなり、ギュンター王子は真っ先に宿屋の主人に、部屋へ案内させた。

「疲れただろうから、ゆっくり休んで」

 そう言って、笑顔の奥に尋常ではない何かを潜ませながら、ギュンター王子は私を浴室へ送り込んだ。

 やっぱり今夜、私をおいしくいただくつもりなんだろう。

 がらにもなく、身体が細かく震え始めた。

 怖いんだ。ギュンター王子に抱かれるのが。

 浴室から出たくない。汗ギトギトのまんまなら、王子もやる気をなくしてくれそうな気もする。いやいや、あの異様な執念じみた性格なんだもの、それもまた一興とか言って却って喜ぶかも。

 処刑は嫌だけど、王子の嫁も嫌だ。

 小さな脱衣所のスペースに座り込み、どうしようどうしようと悩んでいる私は、みょうちきりんな女なのかもしれない。

 だって本当に、これこそまさしく、四面楚歌! 

 いや違う、袋の鼠。

 外部とのつながりを一切絶たれてるから、助けの呼びようもない。

 なんとかして、この危機を乗り越えなければ。

 震えは大きくなってきて、身体がすっと冷えてくる。

 不意に、こんこんと脱衣所の扉をノックされ、文字通り身体が飛び上がった。

「早くきれいにして出てきなさい。身体を洗えぬほど疲れているのなら、手伝って差し上げてもよろしいですよ」

 とても楽しそうなギュンター王子の声。

 冗談じゃないよっ!

「いえ、ちょっと鏡を見てただけですからっ!」

 入って来かねないギュンター王子をけん制し、震える手で服を脱いで逃げるように浴室へ入った。鍵がないから怖くてたまらない。私の気持ちなんて無視して、今にもギュンター王子が入ってきそうな気がして落ち着かなかった。

 とにかく従順に見せないと……。

 震える手では、身体はひどく洗いにくかった。時間を稼ぐ意味では大歓迎だけど、ほんのちょっとの抵抗にしかならないとわかっているから、気分は落ち込むばかりだ。

 よく考えるのよ、鈴。 

 いくらなんでも逃走中に、女に手を出してくるわけがないではないか。うふふっってやってる間に襲われたら、ひとたまりもないじゃない。なかなかあの王子は用意周到そうだから、いくら豪華な宿でも物足りなくって、もっと自分にふさわしいところでやりたいとか思ってるかもしれない。 …………。

 だめだ。

 いくらか楽観的に考えてみても、50パーセント以上には考えられない。残りの50パーセントは襲われると思ってしまう。朝のギュンター王子の仄暗い目は、隙あらば襲ってくる肉食獣みたいな強欲さを漂わせていたし……。

 今日に限って生理にもならないし、病魔も近寄ってこないし。

 それとも一回ぐらいなら我慢する?

 いやいやそれは無理、ご飯じゃないんだから。ギュンター王子がまあまあの顔立ちだろうが、王子だろうが、生理的に受け付けないよ。

 ジークフリード以外は、絶対に嫌だ。

 結局そこへ立ち戻ってしまい、知らず、ため息が出た。ジークフリードだって、最初は無理やりだったのにな。でも、ジークフリードは妙に優しかった。脅し文句の時はむかついたし荒っぽくて怖かったのに、抱く時はとてもとても優しかった。

 それも、彼の何かの作戦だったのかな……。

 無駄な抵抗と思いつつ、じりじりと時間を稼いでみたものの、いつまでも湯に浸かっていたらふやけてしまうので、仕方なく浴槽から出て用意されているタオルで身体を拭いた。

 何か武器になるものはないかな。

 脱衣所を見回してみたけど、櫛とかタオルぐらいしかない。カミソリとかって異世界にはないらしい。

 着替えはバスローブみたいな、前開きの服しかなかった。着てきた服は、浴室に入っている間に従者が持ち去ったのか見当たらない。

 裸でいるのは嫌だから、仕方なくそれを着た。

 下着がないからスースーする。

 ……やられるなこれは。

 絶対にやられる。

 出たくなくて脱衣所に立ち尽くしていたら、待ちきれなくなったのか、ギュンター王子が突然扉を開けた。

「遅いですよ。おや、もう支度ができているじゃありませんか」

 にっこりと笑うその顔が怖い。

「あの……私、疲れて……」

「ロザリン」

 おびえる私の手を引いたかと思うと、やっぱりと言うべきか、ギュンター王子は唇を押し付けてきた。

「んんっ!」

 やだ! やだってば!

 ごそごそと服の上から忙しなく身体を撫で回されて、身体中の毛が逆立っていく心地がする。腕をつっぱらせて身体を離そうとしたら、腰に腕が回ってきて、王子の身体と密着させられ、キスがさらに深くなった。

 舌を吸われ、舐められ、唇も口の中も、めちゃくちゃに蹂躙される。

 そんな中でも、私は懸命に、なんとか離れようともがいた。だけど無力な私はそのまま部屋の奥のベッドまでひきずられていき、キスされたまま押し倒された。

 好きでもない男の体重に、もう征服されてしまうのかと諦念が生まれそうになる。

 だってこの王子。無駄に鍛えてるのがわかるんだもの。

 ジークフリードもそうだったけれど、この世界の男は皆武具を扱うような身体で、鋼のように筋肉が固い。

 ざり……と、聞き覚えのある音がした。

「え……?」

 見上げるギュンター王子の肌蹴た胸元に、目が釘付けになった。

 白の鱗だ。

 まさか……。

 押さえつけられている肩を見て、心底驚いた。ギュンター王子の手が竜の手になっていた。白の鉤爪に白の鱗は、竜族の証だ。

 ギュンター王子が乾いた笑い声を立てた。

「驚きましたか? 竜族の男は興奮すると皆こうなってしまうのですよ」

 いやいやいや、それは知ってるけどっ! ものすごくうれしくないっ! 興奮してほしくないよ!

 身をよじらせる私を楽しむように、ギュンター王子は私の服を脱がせ始めた。両手を使って脱がせる腕を止めようとしても、まったく歯が立たない。

「や……だぁ!」

「可愛い抵抗だ」

 こんな場面で可愛いなんて言われても、ぜんぜん嬉しくないっ!

 ギュンター王子の顔が胸に降りてきて、思いっきり胸の先を吸われた。この王子吸い付き魔だ。さっきも舌を吸いまくってたし。やだ。気持ち悪いってば!

 ぴちゃぴちゃと、ギュンター王子はうれしそうに胸を吸っては舐め、片方の手でもう片方の胸をやわらかく揉む。

 愉悦なんて生まれっこない。

 身体の奥がしんと冷え、震えは大きくなってくる。

 誰か、誰か助けて! ジークフリード!

「王子」

 唐突に従者の声が響いた。

 だけど、王子は私を弄ぶ手を止めないまま、邪魔者を追い払うように、従者に向かって出て行けと手を振る。

 普通なら出て行くところなのに、従者は食いさがった。

「夜は遅いのですから、そんなにあせる必要はないのでは? 性急な男は嫌われます」

「差し出口を叩くな。出て行け」

「ともかく、貴方も汗をかかれているご様子。ロザリン様も、お心をまだ穏やかにされてはおられません。女性というものはいろいろと準備が必要なのですよ。ご配慮あってしかるべきかと」

 私を弄る手が止まった。

「ロザリン……怖いの?」

 こんな言葉を聞くはずがないと思っていたけど、ギュンター王子は涙を溢れさせている私を見て、聞く気になったらしい。黙って私の服の前を合わせた。

「悪かったねロザリン。私は浴室へ行くから、その間に心の準備をしておいで。私はお前を怖がらせたいわけじゃないんだ」

 十分怖いんです!

 とはとても言えず、身体を横向きにして顔を手のひらで覆った。王子は謝りながら、私の頭を優しく撫でた。その優しさを、もっと他のところで使ってもらいたいんだけど!

「ゆっくりしてくるから、しばらくお休み」

 王子は私の頬にキスを落として、浴室へ入っていった。

 どっと身体から力が抜けた。

 ……、た、助かった!

 震える身体を抱きしめながら、感謝に満ちた目で従者を見たら、従者はにやりと笑った。

 その不気味さに、ぞわーっと背筋に怖気が走り、あわてて目を逸らした。わかってるんだこの従者。私が心底嫌がってるのが。わかってて楽しんでるんだ。私を助けるつもりなんて毛頭ないっ。

 どうしようどうしようどうしよう。

 ばくばく騒ぐ心臓を、聞かれまいと必死に押さえた。

 今のこの安寧は、すぐにやってくる嵐の前のホンの静けさなのだ。

 何故か、関所の小隊長を思い出した。あの粘りつくようないやな目。なんで思い出すんだろ、こんな時に。

「早くしないと、また襲われるぞ、あんた」

 どうしてそんな事を言うの?

 私は胸を押さえながら、従者を再び見た。そうだ、この従者の目にそっくりなんだ。無表情なこの男の目に。

「貴方、何者なの?」

 身体中から汗が吹き出し、じっとりとぬらして気持ち悪い。

 従者は、私の手荷物の中からあのノートを取り出し、つかつかと歩いてきて、私の膝元へ放った。ついで鉛筆に似たペンも……。

「読めよ」

 読めって言ったって、何がどうなるものでもないのに……。そう思いながらも逆らえずに、ゆっくりと起き上がって、ノートを開いた。

 今日の出来事が、変わりなく書かれているのを目で追っていると、文末に見慣れない手書きの筆跡があった。

 あれ。なにこれ。手書き?

 このノートって出版された本みたいな、横書きにきれいにプリントされた文字しか出てこないのに。この見覚えのある筆跡は……。稔の?

【行きたい場所を、このノートに書き込め】

 行きたい場所って……?

 従者を見たら、従者は食えない笑みを浮かべたままうなずいた。

「書けよ。行きたい場所があるんだろ?」

「貴方、何なの一体?」

「長々と説明を聞いてる暇はないんじゃないの? もうすぐ王子が出てくるぜ。そうしたら確実にあんたはあの王子の妻だ」

 それは嫌!

 迷っている暇なんかない。

 罠かもしれないという思いより、逃げ出したいという思いのほうが勝った私は、こんなので本当にいけるのかと思いながらも、【アウゲンダキャッズの光の神殿へ行きたい】と、書き込んだ。

「あ!」

 刹那。ノートからおびただしい光が放たれた。

 覚えがあるこの光は、部室からこの世界へ召還された時と同じものだった。つくりものの記憶なのに、妙に鮮明に思い出されたそれは、ものすごく懐かしい。

 ふわりと優しい空気が私を包んだ。

 やがて、光は治まっていく……。

 気づいたら、私は夕焼けに赤く染まった、どこかの建物の庭のような場所に、ぽつんと立っていた。

「どこ? ここ」

 大理石のような白い石の建物は、華美さはないけれど民家には見えない。かといって貴族の屋敷にも見えない。妙な荘厳な空気を漂わせている建物は、どことなく世界から隔離されているような雰囲気を漂わせていた。

 逃げ出せたみたい……だけど。

 まだ震えている手を見下ろし、持ったままのノートを読もうとしたら、背後で草を踏む音がした。

「鈴……?」

 振り返ると、オトフリートが立っていた。何か作業をしているのか、水の入った木の桶を両手に抱えている。夢ではなくて、本当にそこに居た。

「オトフリート、さん?」

 震え続ける私を、オトフリートさんは不審げに見ながらうなずいた。そして私の足を見るなり、ぎょっとした声で叫んだ。

「貴女、裸足ではありませんか! 一体どうして……。いえ、ともかく中へ入りましょう。冷えてしまう!」

「わ……たし、」

 来れたんだ。アウゲンダキャッズに!

 そう思った途端、言いようのない安心感が私を押し包み、意識は闇に溶けていった。 

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