白の神子姫と竜の魔法 第18話
薄暗い中で目覚めたら、清潔で真っ白な天井が目に入った。
「気づきましたか? まだ時間は少ししか経ってません。同じ日の夜です」
ベッドのすぐ横に小さな光石のスタンドがあり、オトフリートが椅子に腰をかけていた。
「オトフリートさん、私……」
オトフリートは、読んでいた本を閉じた。
「よく来てくれました。処刑が決まったと聞いて、胸がつぶれる思いでした。なんとかして助けようと、マイ様と夢の中で打ち合わせをしようとしたら、彼女から、貴女は誰かに連れ去られたと聞いて……」
「…………」
白木さんは、本当に私を思ってくれていたんだ。心がほわりとあったかくなった。味方がいるというのは心強いものだ。
ああ。
これは夢じゃないんだ。私は本当にアウゲンダキャッズへ来れたんだ。
安堵に似た思いが胸を満たし、自然、頬が緩んだ。
それにしても。
「私、姿が別人になったのに、よくわかりましたね」
「それなりに魔力は持っています。特に貴女の場合は、根本的にオーラがどの人間よりも独特だから、すぐにわかりましたよ」
それって私が、造られた人間だからなのよね。きっと。
ふてくされていたら、オトフリートは何か悪いことを言いましたかと慌てだしたから、それがおかしくて私はふきだした。
「ごめんなさい。ちょっとおかしくて」
オトフリートはそれならば良いんですけどと言い、話題を変えた。
「どうやってあの塔を脱出したんですか?」
「えと……ギュンター王子に……」
「アインブルーメの? では、なぜギュンター王子とご一緒でないんです?」
やっぱり、聞くよねそれ……。
ギュンター王子に嫁にされかけている話をすると、オトフリートはため息をついた。
「あの王子は、ロザリン姫をいたく気に入っていましたからね。彼女の魂魄を持っている貴女に、狂気を抱いても無理はないでしょう」
「オトフリートさんは、ジークフリードが使った魔法をよくご存知なんですか?」
「私も一応、竜族ですから」
オトフリートは、うなずく。
「竜族って結構多いんですか?」
「いいえ。黒竜公の時代の前に絶滅の危機がありまして、そんなに多くはいません。おそらく黒と白を足しても、数十名ほどしかいないでしょう。」
「竜の命は長いんでしょう?」
長生きなのにどうして死ぬんだろう? それが不思議だ。オトフリートは腕を組んだ。
「魔力があっても、普通の竜族はむしろ人間より弱いものなんです。黒竜公やジークフリード殿は例外中の例外です」
確かに、オトフリートの繊細な容貌からは、ジークフリードのような頼もしさを感じられなかった。触れれば切れるようなあの鋭さを、オトフリートはまったく持っていない。
「どうやってギュンター王子から逃げ出したんですか? あの王子は、ジークフリード殿程ではないにしても、強い部類の白竜のはずですが」
「何故かわからないんですが、一緒についてきた従者さんが逃げ出す方法を教えてくれたんです」 従者と聞いて、オトフリートは眉を顰めた。
「逃げ出す方法?」
私は枕元においてあったノートを広げた。
「このノートに行きたい場所を書けと。その通りにしたらここへ移動できたんです」
オトフリートは私からノートを受け取り、その筆跡をじっと見つめた。何かを探し出すように、ぱらぱらとめくる。でも、今のノートは普通のノートにしか見えない。
「従者が何者かはわかりませんね。ジークフリート殿の手の者か、それとも貴女をギュンター王子の物にしたくない、アインブルーメの貴族に命じられた人間か」
首をふりふり、オトフリートはノートを私に返した。
意味がわからない。きょとんとしていると、オトフリートは説明してくれた。
「このノートの作り方は、竜族なら誰でも知っている。ただ、強大な魔力が必要なのです」
「強大な魔力……」
「そして、もうひとつ必要です」
「なんですかそれは?」
「知りません」
木で鼻をくくったような返事に面食らった。
知らないなら言うなってば。知っているのかと期待したじゃないのよ! 思わず睨むと、オトフリートは申し訳なさそうに謝った。
「でも、解く事は可能ですから、大丈夫です」
本当かなあ……。ちょっと心配になってきた。
でもま、あの執念深いギュンター王子から逃げられたのだから、よしとしよう。
あれ? またくらくらしてきた。
おっかしーなー。気が抜けたせいかしら。
「なんだかだるいです」
「疲れが出たのでしょう。普通なら、食事と睡眠で養生できるのですが」
私の額に手を当て、オトフリートは心配そうに言う。
「私、どうして食事しなくて平気なんですか?」
「平気なわけではないです。現に、もうだるさに動けなくなっておいでだ。別のものを供給する必要がある」
「別のもの?」
オトフリートはうなずいて、何故か頬を赤く染めた。何だ一体……。
「はい……」
「それはなんですか?」
もじもじとするオトフリート。大の大人が子供みたい。もどかしいからハッキリ言って欲しい。
「オトフリートさん?」
急かしたら、オトフリートは観念したように言った。
「男性との……交合です」
「なんですって!?」
怒鳴ったせいで、また頭がくらくらした。
でもさ、ふつう怒鳴るぐらい驚くって!
ああ……だけどいけない……。だるいのに怒鳴ったりしたらパワーが減る。
くたんとした私を、オトフリートは顔を赤くしたまま、ベッドヘ寝かせてくれた。
「それって……男の人のあれが……体液が食事って事?」
「……はい」
やだよ。何なのその食事は! 淫魔じゃあるまいし!
オトフリートは仕方がないと言った。
「魔力の量にもよるのですが……、ジークフリード殿クラスだと二週間に一度、ギュンター王子クラスだと一週間に一度。わ、わ、私だと……三日に一度」
あほーっ! 何を寝る前提に言ってるんだこの男は!
むかあああっと怒りが湧き上がってきた。
「ジークフリードの魔法を、今すぐ断ってくれたらいいじゃないですか!」
気がついたように、オトフリートは手を叩き合わせた。
「そうですね。そうだった」
……本当に大丈夫なのこの人。心配だなあ。
むちゃくちゃ心配になってきたぞ。何か隠されてるような気もするし。
この際だ。キッチリ確認しておこう。
「魔法を断たれて、私、消滅したりはしないでしょうね?」
とんでもないとオトフリートは首を横に振った。
「解呪の手順を、きちんと踏めば有り得ません。ただ……」
「ただ?」
再びオトフリートは、顔を真っ赤にさせた。
あああああ、もうなんか言われなくてもわかる気がしてきたぞ!
「まさか、絶たれても、食事はずっと男の人と寝る事なんじゃ……」
「いえ、普通の食事をできるようにはなります。なりますが、どうしてもそれだけでは追いつかない場合が出てくるんです。その時は……」
「寝なきゃいけないわけ!?」
「いえ、それは最終手段で、なんというか、異性と接触、もしくは口付けなどによる体液の摂取が、どうしてもメンテナンスとして必要になってくるんです」
なんだ、寝なくても大丈夫なんじゃない。
「寝なくてもいいんなら、抱きつかれるくらい我慢するわよ」
「でも、私ですと半日は必要ですよ?」
またあんたが前提か。なんて嫌な魔法なんだ!
だけどオトフリートが悪いわけじゃないからね。くそうっ。ジークフリードのせいだ。
すみませんと、何故かオトフリートが謝る。
「いえ、貴方が悪いわけではないんで……」
ただ執念深いだけだと思ってたけど、ギュンター王子はこの魔法の仕様を知っていて、供給が必要だから、手を出してきたんだろうな。思いっきり私情はあったろうけど。
「ジークフリードの魔法を断った後、どうするつもりだったんです? 欠陥のあるまま放置なんて考えてなかったですよね」
「そりゃもちろん! ですが、貴女には不本意ですが、その、さっきの手段は止むを得ないと思っていました。消されかかっていたのをお助けするには、とにかくここへ来ていただく必要がありましたので……」
「何故、ここでないと駄目だったんです?」
他のどこでもできそうなもんじゃない。
「それは……」
オトフリートは言いよどんだ。その時だった。
「その男が、おまえをを自分のものにしたかった。それだけの話だ」
いやに威厳のある男の声が、唐突に廊下から響いた。
一気に身体が強張り、緊張する。
同時に、期待と恐怖が身体の中を出口を求めて暴れだし、呼吸が苦しくなる……。オトフリートに護るように抱きしめられた。
ドアを開けて入ってきたのは、初めて見るけれど既視感を感じる美丈夫だった。
ぎゅっと強く抱きしめられて、オトフリートを見上げたら、とても険しい顔をして凄まじい敵意を漲らせている。神官らしからぬそのまがまがしさに、息を飲む。
一体この人は誰なんだ? そう思って再度視線を戻し、私はあっと声を上げた。
なぜなら男の後ろに、あの従者とジークフリードが立っていたから……。