白の神子姫と竜の魔法 第23話
『ロザリン姫について、どこまでご存知ですか?』
「ギュンター王子のお兄さんの婚約者で、血縁に黒竜公の妹君がいらっしゃるってことぐらい……。あと、ジークフリードが好きだったとか」
オトフリートはうなずいた。
『そうです。世が世なら、ロザリン姫は王妃になっていたのです。ギュンター王子の兄のミヒャエルは、アインブルーメの現国王ですから』
「ちなみに生きていらしたら、おいくつなんですか?」
『……35歳でしょうか』
へえ、だいぶ年上の人なんだ。三百歳超えてるジークフリードから見たら、だいぶ年下だけど。
『勝気で明るくて美しい姫君だったのですが、とても身体が弱かった。病気がちでいらっしゃいまして、それでもミヒャエル王に望まれたのは、それほどご寵愛が深かったからです。二人は幼馴染でした』
「そうなんだ。でもそこに、あのギュンター王子も入るのよね?」
「はい。そこから先がややこしくなります」
あっさり見えてきたぞ。
「つまり、相思相愛の二人の間にギュンター王子が入り込んで、邪魔をしまくっているところへ、さらに、ジークフリードが割り込んできたってことでしょ?」
う、と、オトフリートは喉を詰まらせたように仰け反り、流れてもいない額の汗を拭った。
「そ、その通りですが……。どうしてわかったんです?」
「ロザリン姫は、ジークフリードを一目見ただけで恋に落ちた。けれども、ジークフリードは、当時王太子妃だったロザリンに、おおっぴらに愛を返すわけにいかない。だから応えなかった。それでも姫は恋心を押さえきれず、かといって王太子妃の身分はそう簡単に捨てられるものじゃない。立場と恋の板ばさみになって、ただでさえ病弱な身体に重いストレスがのしかかって、ロザリン姫は病に倒れ、あっさりこの世を去った……。そんなところでしょ?」
「貴女という人は……、恐ろしい」
恐ろしいとは何よ、失礼な。
オトフリートは、まったくもってその通りですがと認めながらも、ですが、と付け加えた。
「宰相は、わざとそのようにしむけたのです。自分に恋するように仕向けた上で、相手にせず、ロザリン姫の寿命を縮めた」
「まさか」
「うそではありません。ロザリン姫亡き後に王太子妃に据えられた姫は、宰相の妹、クララ姫なのです」
「……妹」
「現、アインブルーメ王后です。宰相は、濃い血縁の者を送り込む事によって、さらに自分の立場を強化したのですよ」
嘘だと思いたいけれど、ジークフリードならやりかねない気もする。彼は、気を許した人にはとことん甘くても、そうじゃない人にはひとかけらの情けも持たない、そんな冷たさを持っているから。
「そんなひどい男に、どうしてロザリン姫は恋をしたのかしら?」
『宰相にはお手の物です。現に鈴様、貴女だっていともたやすく、彼に陥落してしまっているではないですか?』
「いともたやすくはないわよ」
むっとして言い返しても、オトフリートは、そらご覧と言わんばかりに首を左右に振った。
『まだ数ヶ月も経っていないのに、貴女はもうそこまで彼に入れ込んでいる。それが宰相のおそろしいところです』
「ジークフリードはいい人よ」
『自然の摂理を捩じ曲げて、貴女という人間を作り、リン王后の替え玉として居座らせたり、それが露見したら投獄したりする、身勝手な男がいい人ですか?』
「ジークフリードだって、苦しんだはずよ」
『自分に言い聞かせるように、彼をいい人だと言い張るのですね。彼の冷酷さを貴女は認めている』
今度は私が、言葉を詰まらせる番だった。
そう、私は、ジークフリードがどんな人間かわかったうえで、彼を愛している。おかしな記憶を植えつけて、私にリン王后の替え玉を迫り、拒絶したら命はないと脅したジークフリードに対しての憤りを、今もはっきりと覚えている。そして、突然あの日の朝、私を罪人扱いにして、恐ろしく汚くて暗い塔へ閉じ込めるように、冷たい目で言い放ったのも……。
だけど。
「……それでも、彼は私を大切にしてくれた。今だってそうよ」
『還る術がない魂の貴女だ。孤独を癒す相手が現れたら、その思いを恋と勘違いすることもあるでしょう。ロザリン姫の魂がもとなら、なおさらです』
オトフリートは、どうあってもジークフリードを悪者にしたいらしい。まあ……正義の人じゃないからね……ジークフリードは。強く言い返せないのが悔しい。
「私がジークフリードに恋しているのではなくて、ロザリン姫がそう言わせていると言いたいの?」
『そうです』
はっきりと言い切られて、動揺が心の中で走った。
うそだ。違う。
恋しているのは私だ。今生きている、鈴のはずだ。
でも……でも!
どうして私は、ここまで彼に恋焦がれているのだろう。まるで、鳥類のひなが、初めて見たものを母親と信じるように、彼に恋している。
わからなくなってきた。恋というものが。人を恋い慕う気持ちが。
やはり、これはロザリン姫の想いなの?
心に共鳴したのか、白かった周囲に歪みが生じ始めた。気づいたオトフリートが立ち上がり、何かを唱え始めても止まらない。歪みは次第に色を持ち始めて、どこかの貴族の屋敷の、バラが咲き誇っている庭になった。
『ここは……』
オトフリートが息を飲んだ。知っている場所らしい。
どこなのかと、聞こうとした時だった。
『来てくれたのね……フィン』
鈴を振るような、気高く品がある女性の声が響いた。
また誰か来たの?
見ると、いつの間にかそこに、ロザリン姫が立っていた。オトフリートが驚いて、後ずさる。ロザリン姫は、木陰から現れた男に抱きついた。見覚えがある軍服に……マント。
ジークフリードだ。
二人は、愛し合う恋人同士のように、熱く口付けを交わし、抱擁し合った。
何よこれ。オトフリートが見せる幻惑? だけど、オトフリートも驚いているから……って、私を見て驚くな!
「何よ?」
『気づいていないのですか? 貴女は今、ロザリン姫の姿になっていますよ……』
「うそ……。うわ、本当……」
どう見てもこの真珠みたいな白い素肌に、目の前のロザリン姫と同じ色の髪だ。どういうことなの?
「…………っ!」
身体が……熱い。切ない思いが渦巻いて、大きくなっていく。
目の前のジークフリードとロザリン姫は、やがて楽しげに何かを語らい始めた。ジークフリードは、私を見る時よりも優しい目で、ロザリン姫を見ている。
やめてよ。夢の中でも冗談じゃない。
『鈴……っ近寄っては!』
オトフリートが慌てて静止したけれど、遅かった。
ジークフリードと私たちの間に、透明な壁ができていて、それに思いっきりぶつかった。
まるで二人の邪魔をするなと言わんばかりだ。
「やめて! 離れてよ二人ともっ! フィンは私のものなんだから!」
叫んでも二人には届かない。オトフリートに、壁を叩く手を掴まれても、私は叫んだ。
「離れなさいってば!」
オトフリートが慰めるように言った。
『おそらく、貴女の中の、ロザリン姫の過去なのでしょう』
「ジークフリードは相手にしなかったはずよ……!」
『姫に、自分に恋をさせるように仕向けたと言ったでしょう? 当初はあのように、甘く誘っていたに違いありません。』
うそだ。うそだ。
身体の中で激情が出口を求めて、一層暴れ狂った。
苦しくて切なくてやりきれない!
やめてってば。
ジークフリードを愛しているのは、私。
ジークフリードが愛しているのも、私。
ロザリン姫なんかじゃない。
だけど、湧き上がってくるこの想いは、私のものじゃない。私は、こんなに激しく彼を想ってない。
『愛してるわ、フィン』
ロザリン姫の声が、身体の奥底から響いてくる……。
駄目、負けてしまうこのままでは。
姫の気持ちに、私の気持ちが……負けて……しまう。
『鈴、しっかりしなさい!』
オトフリートが、私の身体を揺さぶる。
その声は、膜を張った向こう側のように、遠く聞こえた。
「愛してるのは、私」
力なく、私は呟く。
不意に庭は消えて周囲は暗くなり、ガラスが砕け散る音が響いた。