天使のかたわれ 第50話
「……これが頼まれごとなの?」
唇が離されて恵美が聞くと、雅明は唇の端をあげて微笑した。
「抱いてはいけない人を抱いてしまった。雅明さんが抱いてあげて、俺の影を消してください。だそうだけど」
「嘘」
「嘘じゃないさ。それに嘘だとしても、もう恵美には私を拒む理由なんてないはずだ」
再び口付けられる。今度は先ほどのような浅いものではなく、深く、熱かった。
熱を注ぎ込まれるような深い酩酊感に襲われて、恵美が雅明の袖をぎゅっと握ると、さらに深くなった。こうなるともう永遠にこのままなのではと思うぐらい、翻弄されてしまう。雅明の腕にいつの間にか抱きこまれていて、逃げられなくなっていた。
もとより逃げる気など、今の恵美にはない。
そのまま雅明に抱き上げられ、奥のベッドに降ろされた。ベッドに沈み込んだ恵美が覆いかぶさる雅明を見上げると、枕もとの間接灯が雅明の顔を穏やかに照らしていた。おそらく自分も同じように照らされているのだろう。
「確認したいのだけど」
「いまさら何を?」
もどかしそうに服を脱がそうとしてくる手を、恵美はなんとか止めさせた。貴明や圭吾だったら止めてくれなかったが、雅明は余裕があるらしい。
「私は、今でも圭吾を愛してる。これからもずっと愛し続けるわ」
「だからなんだ?」
「そんな私でもいいの?」
二人も愛している自分に恵美は恐れを抱いている。そんなことが許されて良いのかと。
雅明はそんな事を真剣に悩んでいるのかと、ため息をつき、
「私だってソルヴェイを一生愛し続けるさ。当たり前だろうが? それの何が悪い? お前はそれを許さない女なのか?」
「許す許さないじゃないわ。当然だと思う」
「だったら私も当然だ」
雅明は恵美の頬を慈しむように、何度も撫でた。
「私のほうが恵美にふさわしいのか不安になる。私は闇の組織の人間だ。仕事の関係で他の人間と身体を重ねることが、これからもある。お前はそれが……我慢できるか?」
「心を移さないのなら……」
「移さないさ。私の心も身体もお前のものだ。恵美。日本で逢った時からずっと」
「雅明さん……」
恵美が涙を目に溢れさせると、泣き虫だなと雅明は笑った。恵美はそれがなんだか悔しかった。
「あんたなんて、圭吾と違ってちゃらんぽらんで、正人と違って冗談ばかりの変な男なのに」
「おいおい……」
ごしごしと涙を袖で恵美はぬぐった。涙のせいで雅明が滲んで見えない。
「なのに……好きなのよ、雅明」
顔を見られたくなくて両手で隠すと、雅明が手首を掴んでゆっくりと広げた。優しい顔をしているのは間違いなくて、それすらも見るのが恥ずかしくて顔を横にすると、首筋に口付けられた。
「見ないで」
「見るよ。見るに決まってる。やっと素直になったんだから」
「だって」
「私だって恵美が好きだ。愛している」
「雅明さ……」
「呼び捨てろ」
耳元で囁かれて、じんと腰が痺れた。たまらなくなって恵美は雅明にひしとしがみ付き、同じように耳元で呼び捨ててやった。くっくと雅明が笑う。
再び唇が重なり合う。
雅明が手際よく服を脱がせていく。もともとパジャマの上にカーディガンを羽織っていただけだった。すぐにやわやわと胸がいやにやさしく揉みしだかれる。その間も雅明に、角度を何度も変えて口づけられ続け、舌を吸われ、噛まれ、唇を舐められては吸われた。片方の手はずっと恵美の手に絡みついたままだ。
不意に胸を強く握りこまれ、恵美はくぐもった声を上げた。するとすぐに、あやす様に雅明の舌が恵美の口腔内を撫でていく。
息苦しくなってきて顔を逸らそうとしても、同じ方向に雅明が追いかけてくる。頭の中がじんわりと白みがかってきて、何も考えられなくなってきた。
胸の先を刺激していた指が、柔らかく爪を立て、甘くうずくような痛みに恵美は身を捩じらせる。ようやく雅明の唇が離れたかと思うと、今度は耳をぬるりと舐められた。
「は……まさ、あき」
「恵美。好きだ……、好きだ」
吐息混じりに熱く囁かれ、恵美は陶然とした。自由な左手で雅明の頭を抱え、強く自分へ押し付ける。耳を舐めていた舌が離れ、今度はやわらかく歯を立てられた。
「……っ!」
「好きで、たまらなくて、ずっと気が狂いそうだったんだ」
「まさあ……っ……んっ」
乱暴に胸を鷲掴まれて、恥ずかしい場所がぬめりを覚えていく。雅明は絶対にそこには触れない。ただ、スラックス越しに、固くなった慾をぐいぐいと押し付けてくる。
求められているのだと甘く痺れた。
「ぁあ……」
耳を弄ばんでいた雅明は、ゆっくりと頬から顎、首、肩まで降りてきて、そこを強く吸った。
「ああ!」
同時にいつの間にか解かれていた片手が、強引に左足を押し広げる。
「や、それ……っ」
しばらく熱をうつすかのように太腿を撫でていた手が、きわどい部分まで上ってくる。その間も胸の愛撫は続き、肩も何度も吸い付かれ、恵美は翻弄された。
淫靡な毒がじわじわと浸透し、布越しに触れる雅明のぬくもりからもそれは滲み出ている。
勇気を出して目を開けて雅明を見ると、気づいた雅明も嬲っていた肩から顔を上げた。
薄茶色の瞳は虹色がかっていた。
「にじ……」
「恵美が私をそうさせる」
「わたし?」
「そう」
妖しく笑った雅明は、きわどい部分に触れていた指を、一気にぬかるみに埋没させた。
「あああぁん! ……まさ!」
触れてもらいたくて我慢していた刺激が一気に与えられ、身体がはねた。その自分を雅明が冷静に見ているのがわかるだけに、羞恥と弄ばれる歓びが恵美の秘めていた官能に火をつける。
雅明は乱れる恵美を見下ろしながら、静かに服を脱いだ。片手で相変わらず恵美の濡れそぼった部分を攻めているので、恵美はよがり狂って気づいていない。
ぬち、ぬちゃ、ぬちゃり……。
いやらしい音が響く。
「どこを触って欲しい?」
「…わか、ないっ」
「わからないはずないだろう?」
雅明の濡れた舌が、ぴちゃりと左足の内側を舐める。また、淫靡な毒が注ぎ込まれた。
ゆっくりと上ってきた舌は、先ほどの手と同じようにきわどいところで止まってしまう。違う、そこではない。すぐそばのたまらない部分を何とかして欲しい。
「言わなければこのままだけれど?」
笑いを含んだ声で雅明が言う。
「いじわる……」
涙がぼろぼろ出て、恵美は言うことをなかなか聞かない身体を叱咤して、ベッドの上をごろりと転がった。
「もう……しない……っ。あああ!」
離れた瞬間に、うつぶせになった恵美の身体の上に雅明が乗っかってきて、両乳房を力任せに揉みこんできた。それだけで身体は震えるほど歓んで、恥ずかしい部分がますます潤んで熱くなり、恵美は艶のある声をあげてしまう。
触って欲しい。思い切り達させて欲しい。
それなのに雅明は触れてくれない。
「しないじゃないだろう? したくてたまらないくせに」
「うるさ…っ や! いじわるすぎる……そんなの、誰もしなかった!」
「へえ? 他の男と比べてるんだ。貴明か? 圭吾か? それとも奏?」
他の男を匂わせたせいで、ますます雅明の指が意地悪く乳房ばかりを嬲る。先をつまんだかと思うと片方は残忍に爪を立てる。そのたびに恵美は逃れようとしては、捕らえられて、より強く弄ばれてしまう。
ちゅ、ちゅ……と、背後から肩や首筋に吸い付かれ、熱く固く反り返った慾が、濡れて蠢く部分をぬちぬちと刺激して滑っていく。
腰がとろけて、指先まで痺れ、恵美の抵抗が弱弱しくなったところで、雅明の指がようやくぬかるんだ蜜で濡れる肉の芽をぬるりと擦った。
「やああっ! いや、違うそれは……っ。あ、あ、ああッっ!」
今度は執拗に擦られて押され、直接の刺激でおかしくなりそうになる。とめどなく溢れた淫らな蜜が、股間や雅明の嬲る指と手、自分の内股をぐしょぐしょに濡らしていくのがわかって、はしたなくて、恵美は顔どころか身体まで赤くさせて羞恥に悶えた。
「ふふ……違うって何がかな? ああそうか、指じゃなくて、もっと太くて固くて長いものが欲しいのかな?」
「ぁああ……違うの、そう……じゃなくて、私……っ、あんっ! ふぅうう……っ」
何もかもわかっている雅明の愛撫がさらに強くなり、身体が上り詰めていく。
ぬちゃり、ぬぷ……。
熱くて、甘くむず痒くて、その熱をどうにかしたい。
不意に雅明が唇を重ねてきたため、熱がますます内側に篭って、恵美の中で暴れ狂い、びりびりと手の先足の先に熱が上ってきた。それはすぐに帰ってきて、雅明の指が嬲るぬかるみの部分へ集まっていく……。
「────……あぁ!」
びくびくと恵美は身体を震わせて、達した。
だるくなった身体を恵美は少し休ませたいのに、恵美を貪り尽くそうとする雅明は容赦してくれなかった。ごろりと再び恵美の身体を仰向けにして、足を広げ、男を求めてじゅくじゅと蠢いているそこへ、熱くて固い己の慾を一気に埋め込む。
「んあぁああっ……!
それだけで再び恵美は上り詰める。
雅明は絶頂を続ける恵美の腰を抱えて。ガツガツと腰を動かして恵美をこれでもかと攻めてくる。蜜でぐちゃぐちゃになった結合部は、この男にもっと屈服しろとばかりに濡れた音を派手に響かせ、恵美をめちゃくちゃに乱れさせるのだ。
「ああっ! ああっ! んんっ……、あ! は……んっ」
雅明の方は、己の精を吸い尽くそうとする恵美に、必死に耐えている。熱く蕩けたそこはきつく己の慾を締め付けて、離そうとしない。
幾人もの男を誑かす、妖しい魔力を秘めているような女。甘い香りが漂う彼女に魅せられた彼らは、この肌どれだけを愛して、己の慾で貫き、淫らな花を咲かせたのだろう。
恵美は揺さぶられながら、かすんだ目で雅明を見上げた。そこでようやく、いつの間にか雅明が全裸になっていて、じかに肌を合わせていたのだと気づく。
男にしてはやけに美しい肌だ。ひょっとすると恵美自身の肌とあまり変わらない柔らかさだ。
女の直感が、この雅明の身体を他の人間が、現在進行形で楽しんでいることを継げる。
「誰……よ?」
それだけで、雅明は恵美の言わんとすることを悟る。
「見た……、ろ? あの、……大男。フリッツ、さ」
偽ソルヴェイの部下だった男だ。
「女になって、調教っ…、…した。私を欲しくてたまらないように……っ、して、やった……。そうしなければ……ならなかった!」
話しながらも雅明の腰は、だんだん早くなってくる。恵美の心に、そのフリッツという男への嫉妬で火がついた。
恵美だけを愛していると言いながら、この熱をその男と分け合ったというのか。
だけどそれは恵美も同じだ。
こうやって雅明に貫かれながらも、圭吾の事を心の片隅で考えている。比べられる雅明はたまったものではないだろう。その嫉妬が雅明を今動かしているのだ。
だが、二人は今は居ない。
こうやってじかに触れることなど、できやしない。
傲慢さが二人を上り詰めさせていった。
「……────っ」
雅明が息を詰めるのと同時に、熱が放たれる。恵美の身体は貪欲にびくびくと震える雅明の慾ごと、それを一滴零すまいと飲み干していく……。
愛する男の中で、恵美は幸せすぎて今なら死んでも良いと思った。
こんなに満たされたのは何年ぶりだろう。
ずっとずっと、このままでいたい……。
恵美の頬に何度も口付けながら、雅明が言った。
「私の心は……恵美のものだ」
恵美はくすりと笑った。
自分達は本当に似ている。恋人以外の身体を知っているから、そんな言葉で相手の心を乞うのだろう。相手は自分を深く愛しているという絶対の自信と、傲慢さを心の奥底に秘めて。
「私もよ」
夜はしめやかに更けていった。