天使のマスカレイド 第40話

 赤塚のフォローのおかげでなんとか仕事をこなしている千歳は、なんとか今日も無事に仕事を終えた。明日は給料日だ。いつもはうきうきする日だが、今回はそれをまるごと人に差し出さねばならないのでちっともうれしくない。だがそうしなければ将貴が壊れてしまうので出すしかない。

 アパートに戻っていつものように手を洗っていると、相変わらず不機嫌そうな朝子が夕食が出来たと背後から声をかけてきた。クリスマスの夜から朝子は千歳の様子を伺ってきて、千歳が部屋に引っ込むのを阻むようになった。そして夕食の後は陽輔と一緒にリビングで話をしたり、カードゲームをするようにしむけてくる。困るのが一緒の部屋で寝るようになった事だ。人妻とはいえ恋敵と枕を並べて寝るのはかなり苦痛だ。でもどうにも押しが強い朝子を拒否できず、結局一緒の部屋で寝ている。陽輔は相変わらずリビングで寝ているようだった。

「将貴さんは忙しいんですから、貴女が病気になったりして迷惑がかからないようにしてるのよ」

「浮気もほどほどにしないと将貴さんがかわいそうだもの」

 などなど、よくわからない事を言いながら朝子は千歳の健康管理に気を配っている。加湿器を運び込んできたり、布団を乾燥機にかけておいたりしてくれる。義姉のあかりがこんな感じだったのを思い出して、暗い気分を彼女は追い払ってくれるのだ。

 そして何故かレース編みを教えてくれるようになった。慣れないながらも千歳はなんとかまともな方眼編みができるようになり、小さな作品に今は取り掛かっている。10センチ平方の方眼編みの中に長編みで描いたクローバーが浮かび上がるものだ。編んでいる間は嫌な事を千歳は忘れ去る事が出来た。

 そんな中で千歳は次の就職先を決めていた。寮もある工場で勤務は先でも寮はいつでも入ってくれて構わないという。千歳は部屋のものをこっそりと片付け始めていた。……皆に気付かれないように……。

 翌日、巨大な寒波が押し寄せてきており、あちこちで交通渋滞が起きていた。工場でも雪で出勤できない従業員が続出し、千歳達はヘルプに借り出された。それでもなんとか就業時間に仕事を終えると、千歳は銀行へ行って20万円を下ろし城崎に指定された料亭へタクシーで向かった。タクシーは城崎が寄越したもので千歳が頼んだものではない。

 手渡しは城崎の指定で、本当のところ千歳は振込みで済ませたかった。城崎は呼び出した老舗の料亭の一室で一万円札を丁寧に数え、ちゃんとそろっていますねと冷たく微笑した。アパートからさほど遠くない、しかも地元では知らぬ者などいない料亭でこんな受け渡しはしたくないが、都内まで行く電車賃もないので相手の言いなりになるしかない。目の前には目を奪うような日本料理がずらりと並んでいるというのに、全く食欲がわかなかった。

「じゃあ私はこれで……」

「来たばかりなのにもう帰るんですか? この酒はおいしいと評判ですよ。一杯どうぞ? なんなら他にもいくつか持ってこさせましょう」

 腰を浮かせる千歳を、城崎が舐めるように見上げながら押し止める。

「そんなお金はありませんから」

「それぐらい奢りますよ。貴女が支払ってくれたこのお金でね」

「私のお金じゃないわ」

 千歳は立ち上がった。しかし城崎の動きは素早いもので、千歳が部屋を出るよりも早く、彼女の腰を抱きかかえて自分の隣に座らせた。

「何するのよっ」

「可愛らしい顔をしていますね。あの時に気付いていたらこんなにややこしくならずに済んだものを……」

 あつかましい手が腰から胸に伸びてきて、身体を固くした千歳に城崎はくくと笑う。

「手取りを全部取られたら大変でしょう? 食材は貴女が支払っているんですか?」

「……違うわ、だから取られたって」

「でも、服も買い換えられないし髪も切れませんよ? そんなものは諸経費に入っていないのでは。女性はともかく物いりなはずだし」

「…………」

 黙り込んだ千歳の目の前に、一万円札10枚が扇のように広げられた。

「貴女がちょっと我慢をするだけで、毎月これだけ返してあげますよ?」

「……それじゃ借金は減らない」

「一旦私が受け取っているんですから返済されている事になります。私の懐に入った時点で私のお金になりますからね。ああ、わかばマネーバンクは私の個人的な会社ですから、会社へ返しても私に返しても同じなんですよ、特にあなたの場合はね、ふふ」

「止めて」

 勝手にコートのボタンを外す城崎に促されるまま、千歳は奥の部屋に連れ込まれた。奥も同じ和室だ。違う点は一組の布団が敷かれているところだった。嫌だと思っても城崎の得体の知れないドスの効いた目に睨まれると逆らえない。黙って眼を閉じたのを了承とみなした城崎は、立ったまま千歳のコートや服を引き剥がすように脱がしていく。いつかの福沢とは全然違う、思いやりも何もない行為だ。

「普通女はもっと騒ぐものなのですけどねぇ……」

 丸裸にされて布団の上に押し倒された千歳は、恐ろしすぎて悲鳴も出てこない。この先にどうなるかわかっているのに、同じように服を脱いで覆い被さってくる城崎を見ているしかない。

「たまりませんね。貴女でも怖いものがあるんですか」

 あるに決まっている。言い返したいのに喉が凍ってしまったようで声が出ない。城崎の顔が降りてきて、首筋を舐め始めた。まるで猫が飴を舐めるように何度も何度も舐めていく。生きた心地がしない千歳はただじっとこの嵐の時間が終わるのを待つしかないようだ。

「いた……っ」

 首筋を何度も強く吸われて、千歳は顔を歪めた。城崎は千歳の身体のいたるところに赤い花を咲かせながら、かたくなな千歳に愛撫を施していく。

「たかだか数時間で10万も帰ってくるんだから、安いものでしょう?」

「キスは止め……」

 拒絶する千歳の唇に城崎のそれが重なり、足が広げられて城崎の手が乾ききっているそこを愛撫し始める。悪魔の遊びだと千歳は脅えながら固く目を瞑った。大丈夫だ、大丈夫。我慢していたらすぐに終わる。明日の朝には絶対に終わってる。初めてじゃない、だから……。

 涙がするりと頬から布団に滑り落ち、自分は何も失うものなんてないと思っていた千歳は、それでもやっぱり自分を護りたいと思っていたのだと気付いた。将貴が好きで、彼の側にいるにはまともで居たいと願ってしまう。それなのに現実は闇金の男に身をゆだねている汚い女なのだった。

「そこまでだ」

 突然将貴の声がして、ふすまが開いた。全裸でいる事も見るも恥ずかしい状態でいるのも忘れて、千歳は思わずそちらを見上げた。灰色のロングコートを羽織った将貴が、厳しい青い眼で見下ろしている。手にはレコーダーがあった。

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