天使のマスカレイド番外編 愛おしい君
※43話の直後の話です。
弟に皆奪われた馬鹿御曹司。
ありがたくも無い、ひねりが足りない情けない自分の代名詞だ。
部屋が明るい。時計は朝の10時を指していた。将貴は布団からそっと抜けて、隣でまだ寝ている千歳に冷たい空気が触れる前に素早く上掛けの形を直した。吐く息が白い。このアパートは古い造りのせいで、外の冷えた空気をサッシやドアの隙間からすり抜けさせてしまう。
窓の外は一面の冬景色でひっきりなしに雪が降っている。この分だと明日積もりそうだ。また交通渋滞が起きて各店舗への搬送が遅れなければいいがと思いながら、将貴はアパートの前を見下ろした。想像していた雪はそこにはなかった。近所に住んでいるアパートの管理人がしたのだろう……、狭い駐車場には雪かきがされていた。管理が老夫婦から若い夫婦に代わってから、前よりも手入れが格段によくなった。とはいえ住人である自分も雪かきぐらいはしなければいけないと将貴は思う。所有車の白のクラウンは狭いこのアパートの駐車場には置けない。管理人の所有している近くの空き地に置いているが、車のグレードを軽自動車に落としてここに置いたほうが便利に違いない。千歳は要らないと言っているが、交通事情が都会より格段に落ちる田舎暮らしの場合、車が無いイコールどこにも行けないという事になってしまうのだ。
おまけにここは東京より寒いし雪も多い。
一人暮らしだった頃は気にしなかったが、寒さに弱そうな千歳を見ていると引越しという文字が点滅する。ストーブをつけて薬缶の水がまだ半分以上あるのを確認してから、将貴は水色のパジャマを脱ぎ、枕元に用意してあった着替えを手に取った。
「……その傷は一体なんなんですか?」
いつの間にか起きていた千歳に声をかけられ、将貴はトランクス一枚の姿で振り返った。布団の中の千歳は寒そうにしており、それでも視線は傷だらけの将貴の背中を気にしている。
「虐めとか空手の時のとか……十代にやられたものばっかりかな。そんなに多くないと思うけど」
「や、そういう問題じゃないですよ。跡になるほど残るってどんだけですか? しかもその右足首のかかと辺りの……やけどですよね? 空手ではないでしょうそれ」
「ああこれ? 卒業祝いとか言われて煙草を押し付けられた奴かな」
「どんだけですか! 警察に当然言ったんでしょうねっ!」
目を吊り上げて千歳が怒る。普通はそうだろうなと思いながら、将貴は膝がうす破れしているジーンズを履いた。
「致命傷じゃないし言ってない」
「信じられない。なんだって黙ってたんです。だから虐めがひどくなったんですよ」
「もう良いじゃないか、大昔の事だし、いじめの首魁には致命的なお返しをしたし」
城崎の顔を思い出す。おそらく千歳には本気だったのだろう。本気だったからこそ身を引いたのだ。だが千歳にとっては邪悪の根源でしかないため、将貴はそれについては言わない。
「そういう問題じゃないでしょっ。もう!」
「まあまあそう怒るなよ」
シャツを羽織った将貴は、布団から出る気配のない千歳にしゃがみ込んだ。途端に千歳は顔を赤くして顔の半分以上を隠した。寒いから被っているわけではないのを将貴は知っている。わかっているからにじり寄ると千歳はさらに隠れた。
「な、なんなんですか! 着替えたんなら早く出てってくださいよ」
「ここ俺の部屋だし。なんで隠れちゃうのかなー」
「わーっ、もう朝だから嫌ですっ。お願いします、見逃してください」
頭ごとすっぽりと布団を被った千歳がおかしくて、将貴はごろんと横に寝転び、無理にその上掛けを肩の辺りまで引き下げた。頑張って抵抗しているつもりなのか、妙に潤んだ目で見返されるとまた身体が熱くなってくる。そのまま千歳の上に覆い被さって唇を重ね、散々昨夜から今朝にかけて弄った身体に手を這わせる将貴に、千歳が抗議の声を必死にあげながら身を捩らせた。
「何回やったら気が済むんですかっ」
「何年もしてなかったからわからないなぁ」
初めて身体を重ねた夜は淡白なもので終わった。お互い仕事があったし、将貴自身の体調がよくなかったのもある。実は城崎との対決後やっぱり発熱してしまい、アパートに戻った後、工場に泊まって勤務している福沢に電話で指示をして、千歳が目覚めるホンの数分前まで寝込んだ。城崎のような良くないオーラを持っている人間と対決すると、どうしても将貴の身体は半端ないダメージを受けてしまうようだ。それゆえあの夜は一回だけで終わらせてしまった。千歳と気持ちが通じ合ってとても満足だったし、千歳もうれしそうだった。この数日間それを思い返す度に頬が緩みにまにましてしまう。
それからは怒涛の年末に入り、お互いが多忙になって体に触れるどころではなくなった。三が日が終わって一段落した頃……、つまり昨夜、将貴は千歳を思う存分味わったのだが……。
「もうやだ。忙しかったんですよね、寝込んでたんですよね。その変な体力どっからわいてくるんですか。私はまだ貧血があるんですってば」
「貧血というよりストレスだよな……。大丈夫、すぐよくなるから」
ジーンズの前が苦しくなってきて、将貴は無意識にそこをくつろげた。抗議をあげる唇を何度も何度も舐めまわして口づけると、そのうち抗議の声はあがらなくなり、望んでいた甘やかな声が漏れ始めた。部屋が暖かくなってきたのを見計らい、布団の上掛けをすべて足元に追いやって、昨夜着せたパジャマを再び脱がしてしまう。将貴は愛した証が無数に散らばる肌にまた手を這わせて、巧みに思いのまま愛しい女の身体をむさぼり始めた。
実のところ、女を抱いたのは十年ほど前の朝子の一回だけだ。その後僧侶のように禁欲的になってしまい、不能者の如く女性に対して興味が持てなかった。顔の美貌に反して女性に無関心だとその筋の男と勘違いされてしまうため、仕方なく顔を隠して今まで過ごしていた。
それが素顔を晒したくなったのは、間違いなくこの結城千歳のせいだ。将貴は組み敷いている千歳の肩を何度も舐めては吸い付いてまた跡をつけた。幸い城崎の一件は千歳の心には重度のしこりにならずに済んだようだ。これだけ抱いたら福沢も城崎も千歳から消えるだろう。嫌がりながらも結局受け入れてくれる千歳に将貴は微笑しながら己のものを擦りつけ、彼女の羞恥をさらに煽った。
「駄目……。明日、仕事なのに」
「明日まで20時間はあるから大丈夫だ」
言いながら千歳の下着を剥ぎ取って、もう滑っているその部分を男にしてはやけに綺麗な指を往復させる。千歳が声をあげるのをしきりに我慢しているのが面白い。親にそのように教育されたのか、声をあげるのはみっともないと思い込んでいるのか……おそらく後者だろう。
「意地悪、意地悪……んっ」
なかなか素直にならない口をまたキスで塞ぎ、ささやかな胸と熱くたぎっている局部を指先で攻め立てた。細い手がそれを止めさせように将貴の腕を掴んだが何の抵抗にもなっていない。何か文句をを言おうとする唇を今度は胸の先に噛み付いて止めさせた。
「やあぁ!」
そのまま弄るように強く吸い続けると、千歳の体は震え始めた。怖がっているのではなくて、気持ちよすぎて震えているのだろう。漏れる吐息はとても甘く、さらに弄っている局部は蜜を溢れさせて将貴の指を奥へ奥へ誘うのだ。
雪の白さのせいかカーテン越しでも部屋は明るい。自分を見て欲しいのに、千歳は恥ずかしがって目をずっと固く瞑っているのがなんだか味気ない。将貴はますます虐めたくなって、今度は自分のもので滑ったそこを直接擦りあげる。それでようやく千歳は目を開けて将貴を見た。しかし真っ直ぐに見つめて微笑む将貴に、また恥ずかしそうに目を瞑って顔を横に逸らしてしまった。蕩けるような柔らかさが下半身に痒みに似た快感を広げていき、知らずに将貴は荒い息を吐いた。
「もっと声が聞きたい」
「嫌、意地悪……、あ、あ、来る、やだっ……」
もがく身体をしっかり押さえつけ、胸の尖りを利用して挟み込んで揉みしだくとさらに千歳は暴れた。普段は真面目で性と言う物を感じさせない女なのに、男の愛撫で呆気なく乱れていく変身ぶりがたまらない。ふいに将貴は自分の母を思い出した。母もそういうタイプだった。
(……親子って好みが似るのか?)
千歳は福沢や鈴木、城崎の事を気にしていたが、これを見せてしまったのならその恥じ入る気持ちはよくわかる。同時にそれを許せない思いがむくむく起き上がってくる。重すぎる男だとは思われたくない一心で寛大な自分を見せようとした過去の自分をぶん殴ってやりたい。
自分の中の突き上げる衝動を我慢しながら、将貴は千歳を抱き起こして自分の膝の上に乗せた。起きてするのがさらに恥ずかしかったのか、千歳は将貴の肩に顔を埋めた。壊れそうに細い身体がたまらなく自分を刺激する。
「ものすごく濡れてるんだけど?」
「将貴さんのせいよ……、っふ……うう」
腰に腕を回して股に手を差し込みひっそり息づく芽をいらうと、千歳の身体がなまめかしく揺れる。両腕に力が入らない千歳は愛撫にあわせて震えたり、ぴくぴく指先だけ動いたりする。
「俺のせい……ね?」
将貴は弄っていた花びらから指を引き抜き、ぐっしょり濡れた指先を赤い舌を出して舐めた。頃合か……でももう少し……。そんな事を考えながら挿入せずにそのまま自分のもので滑った柔らかな肉の感触を楽しむ。視線を感じて千歳の肩から目を上げると本人と目が合った。どうやら指先を舐めているのを見られていたらしい。わずかに脅えている目に苦笑する。千歳の目に今の自分は獰猛な獣に見えているのだろう。
「俺が好き?」
自分のものを花びらに押し当てて、将貴はからかうような口ぶりで千歳の耳元に囁く。好きだと言え! そう叫ぶ自分勝手な心を押さえ込みながら、ますます熱くなっているその部分をゆっくりゆっくり焦らすように弄る。愉悦に耐え切れない千歳がぐずぐずになってしまうのを腕で支えて、今度は軽く爪を立てた。
「く……ぅ」
震えながら千歳が我慢しているのが、何故かうれしくて仕方が無い。ずぶりと指を一気に三本差し込むと、千歳は甲高い声をようやくあげてぽろぽろ涙を流した。
「ああっ……あっ……は…………」
「好き?」
耳に口を寄せてささやく。声にも敏感な千歳に指がさらにきつく喰いしめられた。挿入していたら甘美な締め付けに簡単に達していたかもしれない。
「好き……です。あああ!」
その細い声を耳にした途端、獰猛な自分が千歳を貫いた。濡れたシーツの上に千歳を引き倒して、昨夜から今朝にかけて何度も穿った場所をまた深く穿つ。
「……や! どうしていきなり……あぁ!」
大人しいはずの自分の性格が、時々激変するとこういう場で気付かされる。日頃どれだけ大人しく振る舞い、美しい素顔でノンセクシャルな雰囲気を漂わせていても、好きな女を前にしたらどうにも制御不可能な雄の本能が露呈してしまうのだ。おそらく千歳は優しい愛撫を望んでいるのだろう。申し訳なく思うが止まらない。愛しくて愛しくて、気が狂いそうになるのを押さえているのだ、これでも……。
「あっ……あっ……強すっ……よ! もっと優……し……して」
「ごめん、無理……」
可愛い事を言う恋人の唇を塞ぎ、きつく抱きしめる。優しくなんてどうしたってできない。この細い体にもっと深く自分を刻みつけ、自分を千歳の中にうつしてしまいたいのだ。
「これ以上……ら、明日、行けない…………っ」
長いキスが終わり、口の端からどちらのものかわからない露を流して千歳が喘いだ。流れるそれを舐めて将貴はそれでも腰の動きを止めないまま囁いた。
「うん……、これが終わったら明日までしないよ」
「ほんと?」
「うん」
ほっと安心した顔をした千歳が許せなくて、細い足を抱え上げて深く穿つ。なし崩しに快感におぼれる自分に耐えられないのか、千歳は女そのものの細い声ですすり泣いた。その顔の儚さにますます想いが深くなる。自分が怖いと言っていた美留を思い出す。でも千歳は美留のように逃げたりしない。自分をさらけ出しても受け止めてくれる……。
(ああ……)
再び千歳に唇を寄せて、将貴はこの幸せを深く感謝する。
(大事にする。愛してる、愛してる……)
それなのに今は千歳を攻め抜いている。どうしようもない男の性だ。代わり普段はたっぷり甘えさせてあげるから、一生大事にするから。
「駄目っ、来る、来ちゃうの! あっ……ま、さぁ……──っ」
「将貴、だよ」
「まさ……さ」
これからは呼び捨てにして欲しいなと将貴は思いながら、さすがに余裕が無くなってきて腰の動きを早めた。
────数ヶ月前。
「今日結城さんが来るんだって?」
品質管理の部長室で将貴がコーヒーを片手に窓際に立っていると、福沢がにやにや笑いながら入ってきた。相変わらず篤志は情報が早い。こいつはどうして自分の事をそうも嗅ぎまわるのかうっとうしく思いながら、将貴はコーヒーを啜った。煙草を吸いたいが、この工場は禁煙だから喫煙所が無い。徹底して臭い対策をしているため、当然喫煙も禁止なのだ。見つかれば即退職になる。自分で決めた社則の為、自分で入れたまずいコーヒーで我慢するしかない。
『何で知ってるんだ』
話せない将貴が書いた紙を見て、篤志は柳田に聞いたのだと言った。相変わらずこの二人は親友ごっこを続けて将貴のプライベートを酒の肴にしているらしい。
「可愛い子だといいな~」
馬鹿。どこにでもいるような平凡な顔だったよと将貴は心の中で毒つく。化粧気の無いショートヘアーの女かどうかも怪しい顔だった。歳は4つ下で25歳。柳田が持ってきた写真に映っていた女はそういう女だった。
どうせ佑太がまた何かを企んでいるのだろう。必要ないのにご苦労な事だ。彼女は男に騙されて借金が半端なかったらしい。それを全額返済するからと好条件を佑太がぶら下げ、彼女がそれに飛びついた形だ。あれだけの高額な借金を返済してくれるなら誰でも飛びつくだろうが、よく独身の男の世話になんかする気になったものだ。むしろその度胸に感心する。
もしくは、また顔だけで自分を判断して変な夢を抱く女かもしれない。だとしたらもって数日だろう。勝手に会ってもいない女性を判断し、将貴は忙しい事もあってすぐにその女の事を頭から消した。
その日の午後、千歳が来る時間が押し迫った頃、何故か柳田がアパートにやって来た。なにやら大きなダンボールの箱を抱えている。秘書の仕事が忙しいくせに何だと訝しむ将貴の前で、柳田はダンボール箱からかわいらしい花模様のカーテンを取り出した。
「女性はかわいいものが好きですよ。持ってきてよかった。予想はしてましたが掃除だけすりゃいいってものではありませんよ」
そう言って千歳が住む予定の部屋にずんずん入り、日焼けしている白のカーテンを外し始めた。
『そんなの彼女自身が買ってきたほうがいいんじゃないのか? 好みもあるだろうし』
「彼女はそういうものを買う余裕すらないし、多分買いませんよ。女性らしさというものが恐ろしくありませんでしたから」
将貴は、女というものは、皆かわいいものや美しいものが好きだと思っていたのでいささか驚いた。一体どういう女なのだろう。不思議そうにしている将貴を見て楽しげに柳田は笑った。滅多に笑わない男なのに不気味この上ない。
「貴方の写真を見ても顔色ひとつ変えませんでしたからね。その辺の女と一緒にはしないほうがいいでしょう」
感情が無い人間なのだろうかと思ったのは、将貴の自意識過剰かもしれない。それほど将貴の容姿は群を抜いていて、その視線に将貴は慣れっこになっていた。
「ま、社長も私も、貴方のその口が聞けない病気に加えて他人の立ち入りを許さない厚い壁を崩してくれるのを彼女に望んでいます。いままでどんな人間も許さなかったくせに、どうして今回は同棲を許可されたのか知りたいですね」
何をやっても駄目だと目の前に突きつければ諦めると思うからだよ。そういう含みを持たせて将貴は口の端を上げる。
将貴は余計なおせっかいを焼いてくる弟が嫌いだ。しかもそのおせっかいに将貴に対する情など一ミクロンもないのを知っている。佑太は美留と早く結婚式をしたいから将貴が家へ戻ってこれるようにしたいのだ。さっさと式など挙げてしまえば良いものを、父の貴明が将貴が出席しないのなら挙げさせないと頑張っているらしい。
家の事を考えるだけで掌が冷たくなる。戻りたくないあの場所には。自分の居場所などないのにどうして戻れよう。どうして皆放っておいてくれないのだろう。ため息をつきながら将貴はいつも思うのだった。
それなのに、将貴は面白いほど簡単に佑太の策略に嵌ってしまった。初めて会った千歳の顔は今も忘れられない。媚びも憧憬も恐れも無い、ただ生きる事に必死な人間だけが持つ強い眼差しに射抜かれてしまったのだ。ずるずる引きずっていた美留の面影が一瞬で消し飛ぶほどの衝撃だった。
「参ったな……。やっぱり俺は馬鹿兄貴なのか」
お昼過ぎ、オムライスの玉ねぎを炒めながら将貴は一人ごちた。何度も千歳を抱いたおかげでフラストレーションが消えた。身体の芯がスッキリして気分爽快だ。でも一方で……。
「馬鹿ですよ。どうするんですか、私腰ガクガクで歩けないんですよ?」
涙ぐみ、キッチンの椅子に座っている千歳が居る。ちょこんと座っているのがとても可愛らしくて笑ってしまいそうになるのを将貴は堪えた。変にからかって癇癪を起されたら抱かせてもらえなくなるかもしれない。
「信じられませんよ、大人しい草食男子だと思ってたのに……まるで獣じゃない、騙されたわ」
「そりゃどうも申しわけございませんでしたね。今日は代わりに至れり尽くせりにしてあげるからご機嫌直してくれ。編み物も教えてやるから」
「必要ないです。それより一人で自分の部屋で寝たいです」
「ははは、そりゃ無理だ」
「は?」
将貴はケチャップライスを作ってボールに移動させ、フライパンをシンクで洗った。汚れを洗い流した後、ガスの火をつけてフライパンを乾燥させて油を引き、卵液を流し入れた。
「あの部屋に俺の物移動させちゃったから。気がつかなかった? 俺の部屋の物ほとんどなかっただろ?」
「なんでそんな変な真似するんですか! じゃあ……まさか」
ライスを卵で包み、ぽんとお皿に移動させて、将貴はできたてのオムライスを千歳の前に差し出した。
「一緒の部屋でこれからはずっと寝起きするの。楽しいだろ?」
唇を寄せて頬に軽くキスをした将貴に、千歳は顔を真っ赤にして、次に真っ青になっていく。将貴の絶倫ぶりを思い出したのだろう。安心させるために将貴はにっこり笑った。それが天使に見せかけた悪魔の微笑にしか見えない事にも気付かずに……。
「大丈夫。俺はそんなに性欲ないから、せいぜい一週間に一回ぐらいしかしないよ」
「その一回が今回みたいなんでしょうが!」
「駄目なの?」
「駄目に決まってるでしょうがっ。一ヶ月に一回にしてください。あんなの週に一回でもたまりませんよっ」
「そんな事したら、昨日より爆発して抱き潰しちゃうかも……」
将貴に後ろから抱きしめられて、千歳は言葉を詰まらせた。それがまた将貴の男心を異様にくすぐった。だがもうさすがに千歳は限界だろうから、すぐに離れて鍋から野菜スープを皿によそって千歳の前に置いた。そして千歳の横に椅子を移動させて、スプーンでスープを一さじすくい千歳の口元へ持っていく。千歳は大人しく飲んだ。
「わかりましたよ。でも今日みたいのは本当に勘弁してください……」
「そりゃ、千歳次第だなぁ」
千歳がぎょっとして後ろに引くのを押さえ、再びスプーンからスープを飲ませる。仕方ないだろ、好きで好きで食べちゃいたいぐらいなのだから。将貴はそう思いながらかいがいしく世話をする。一人で食べたいと千歳は言ったが、片時も離れたくない。
一人暮らしをしていた頃殺風景だったキッチンは、今は暖かな空気に包まれてとても居心地が良い。明日からはまた仕事だ。ふわふわのぼたん雪が降る寒い日、二人は一歩もアパートの部屋から出ずに休日を満喫していた。
【愛おしい君 終わり】