天の園 地の楽園 第1部 第07話

(ああもう! 目立ちすぎるよこいつは)
 恵美は心の中でののしりながら、鶏のもも肉のパックを取った。カートに積んだカゴにそれを静かに置く。そしてまたカートを押していく。いつものなんて事無いスーパーでの買い物風景なのだが、今日は勝手が違う。
「ねえ、こっちの方がおいしいと思うよ?」
 隣で同じように物色していた貴明が、地鶏のもも肉のパックを恵美に突き出す。
「……グラムが300円もする肉は使わないの」
「じゃあ僕が買う。いいよね」
「駄目」
 唇をとがらせて貴明はそのパックを元に戻した。その貴明を見ているおばさんや女の子の視線が熱い。
 貴明は目立つ。目立ちすぎる。そのど派手金髪もそうなのだが、天使の美貌のせいで辺りにきらきら光の粒が乱舞しているかと思わせる。俳優やモデルになったらすぐにナンバーワンになれるだろう。
 この歩く黄金の仏像男と一緒にいると、いつも目立たない恵美までじろじろ見られて買い物しづらいったらない。
(お母さんのばかあ! 旅行に行くんなら買い物しといてよ!)
 夕方になってご飯を作ろうとしたら冷蔵庫がもぬけの空で、代わりに入っていたのが封筒に入った一万円札だった。明らかに確信犯だ。ご丁寧に手紙が入っていて『たかちゃんと仲良くね』とあった。
(どこの世界に娘にこんな仕打ちをする親がいるのよ~)
 質素倹約が身に染み付いている恵美には、外食するという選択もデリバリーするという選択もない。貴明は恵美の行くところは必ずついてくる。家にいろとしつこく言ったのだが生憎雪がひどく降り出した為に、貴明の車に乗った方がいいという提案に負けてしまったのだった。
 貴明がうれしそうに持って来た。
「やっぱりワインがいるよね」
「飲酒、禁止!」
「馬鹿だなあ、これはカレーに入れるんだよ」
「ちょっとしかいらないでしょーが」
「まあまあ」
 もう食材の買い物はいいよねと貴明は言い、カートをレジに勝手に押していく。そして清算を始めたので恵美は財布を取り出している貴明を止めた。
「佐藤、お金……」
「いーのいーの、おごらせて」
 いたずらっぽく貴明が右目を瞑ってウィンクした途端、わあっと声があがった。周囲には貴明を見る為に女性客が集まって来ていて、うっとりと貴明を見ている。ここまで来ると完全にアイドルだ。珍しくごきげんに笑顔を振りまく貴明に恵美は頭が痛くなった。
 家に帰ると恵美はほっとすると同時に緊張した。だが貴明はペンションの時のように強引にせまるふうは見せず、料理を手伝ったり、他愛も無い話をするだけだったので恵美は安心した。

 夕食のカレーを食べた後、二人はテレビを観る事にしたのだが、あんまり面白い番組がなかった。リモコンを持ってぐるぐるとチャンネルを変えている恵美に、貴明は何故か大あくびをした。
「もーなんでもいいよ。僕はこれから風呂行ってくるから。早く寝ちゃおうよ、先入ってもいい?」
「そーね……」
 恵美は番組をまわすのを止め、貴明が風呂に行っている間に、買って来た雑誌をテーブルの上に広げた。
 なんとはなしにテレビが盛り上がりだした。古代ギリシャの衣装を着た美女が、美青年に指輪を取り上げられて猛抗議している。
『返してってば! 貴方が持っていたって役に立たないのよ』
『脱走の手助けをするものは必要ない。さて、いくつの用具を持っているのやら』
 美女は、指輪を魔法か何かで灰にされて泣きそうになっている。
(かわいそー。この相手の男、根性悪っ!)
 なんとなくこの意地悪ぶりに恵美は貴明を思い出し、ヒロインが気の毒になった。気がつけば雑誌をそっちのけで番組を観ている。貴明とタイマンはれそうな超美形の銀髪の男が、ヒロインを抱きしめながら色気たっぷりに囁いた。
『そのように男をそそらせる顔をするな』
 ぶはっと恵美は飲みかけていたコーヒをカップに吐いてしまった。なんなんだこの歯が浮くような台詞はと恵美は思いながら、こぼれてしまったコーヒーをふきんで拭いた。そうこうしている間にも、テレビはさらに盛り上がりだして濡れ場に突入した。深夜番組だからなんでもありなのだろう。そういうものは恥ずかしくて絶対に観ない恵美だったが、美男美女ぶりが気になってついついじいっと観入ってしまった。
『や……だ! 貴方なんか大嫌い!』
『そうか、余は好きだがな』
『好かれたくない!』
「………………』
(美女はなんだかんだ言ってもこの美青年が好きなんだろうなー)
 ふと、背後から温かなものが覆いかぶさってきた。
「きゃあっ!」
「駄目じゃん? こんなエッチな番組観ちゃあ」
 あわてて番組を変えようとしてリモコンを取る恵美に、貴明が背後から抱きしめながらくすくす笑った。
「これ知ってる。この王子の片思いの話だよね?」
「ああああああ、あんた、こんなの毎週観てるわけ?」
「仕事終わる時間にテレビつけると、たいていこれやってるし」
「子供は観たらいけないじゃない」
「ふふ、観てたくせに。恵美のエッチ」
 番組は終わりCMに入ったので恵美はほっとした。だがそのテレビを貴明がリモコンで消してしまい、ほっとしている場合じゃない事に恵美は気づいた。
「恵美」
 背後から抱きしめている貴明の腕に、力がこもった。恵美は流されそうになり必死に踏みとどまった。
 貴明に迫られる様になってから気づいたが、自分は異性に触れられると流されやすいようだ。つまりは経験値が低すぎるせいだと思う。でもそれ以上に貴明に傾きだしている心がさらに大きな水流を巻き起こし、その水の渦に恵美は巻き込まれてしまう。いけないと思いつつも、もっと強く抱きしめられたいとも思ってしまう自分は、貴明に完全に毒されてしまっているのかもしれない。
「だ……め」
「そんな可愛い声で言われたら止まらない」
 甘く甘く囁かれながら抱きしめられて、恵美は身体中の血が沸騰する思いだ。ほとんど何も考えられなくなる……、この貴明の腕の中では。
 ぐいと貴明の方へ身体を向けさせられた。つややかな恵美の長い黒髪がさらさら流れる。
「好きだよ」
 すかさずキスされた恵美は、ぎゅっと貴明のシャツの裾を掴んだ。そのままその場で押し倒されて再びキスされる。ちゅくちゅくとお互いの舌を吸い合う音がして、恵美はその甘さに夢中になってしまう。いつもなら嫌がる事なのに、さっきのドラマのせいでいつになく恵美は積極的だった。
「は…………」
 夢見るような潤んだ目で、恵美は自分の上に覆いかぶさっている貴明を見上げた。少し貴明の目はぎらついていたが、優しい感じで恵美は安心する。
「恵美を全部、僕に頂戴」
「……全部って?」
 貴明の手が白い首筋を滑り、ニットの襟を下へ下げ、熱い唇に思い切りを強く吸った。
「ああ!」
 痛みと甘い痺れが走った。貴明がくすぐったい底を何度も舐めるので、恵美は舌足らずの声をあげ続ける。だんだん上に上がってきた舌は恵美の耳に到達し、情欲を押し殺したような声で熱く囁いた。
「僕の事……好きになってくれた?」
「……うん」
「ほんと?」
 恵美は貴明に頬をキスされながら、小さくうなずいた。熱くて熱くて、胸のドクドクという高鳴りがひどかった。
「くれはさんが……、私の為に……たか……あきが……、ペンション予約……したって」
「くれはさんが?」
「失恋して……傷……ついてるから、慰めてやってって……言ってたって」
「まずい事まで話してたんだな」
 苦そうな顔をして、貴明は恵美の顔の横に自分の顔を埋めた。
「言うなって言ったのに……」
 身体を起こそうとする貴明を恵美は自分に引き寄せた。貴明は戸惑ったように身体を固くする。だが恵美はそのままぎゅっと貴明の首をかき抱いた。
「ありがと……ね。うれしかった」
「恵美」
「……大好き」
 驚いて自分を見下ろす綺麗な顔を、恵美は照れくさそうに笑って見返した。ごくりと貴明がつばを飲み下す音がして、貴明が真剣な表情で恵美に言った。
「……彼女になってくれる?」
「ん……、いいよ」
 貴明がとてもうれしそうに微笑み、次いで身体をぎゅうぎゅう抱きしめて来た。天使に愛されているようで恵美はとても幸せな気持ちに包まれた。あんなに怖かった貴明がうれしい。劇的な気持ちの変化にちょっとした嫌悪が脳裏を掠めたが、それも一瞬だった。
「大事にするから!」
「うん……」
 見つめる恵美に、貴明が熱く見つめ返す。
「恵美」
「ん……」
 しかし、二人がいざ新しい未知の世界へと足を踏み出そうとした時に、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
「おーい、二人ともいるんだろ? 開けろ~」
 それは正人の声だった。

 顔を真っ赤にしている恵美とふてくされている貴明を見て、にやにや笑いながら正人がテーブルの上のお茶に手を伸ばした。
「恵美のおふくろさんに頼まれてたんだよ、夜は泊まってやってくれってさ。来ない方がよかったみたいだなあ? ええ? お二人さん」
「そんなら今から帰れ」
 片手で頬杖をついて、貴明はじろりと正人をにらんだ。
「もう家、鍵閉められちまったし」
「っち! 後もう少しだったのに……」
「佐藤!」
 恵美は恥ずかしくて逃げ出したい気分だが、生憎自分の家なので逃げられない。おずおずと貴明の隣に座った。それで貴明はすこし機嫌をよくしたようだ。
「でもまあ良かった。僕、明日から一週間イギリスに行く事になっててさ」
 唐突な単語に二人とも目が点になった。
「イギリス?」
「イギリスだって?」
 正人と恵美が同時に言うのがおかしかったのか、貴明はくすくす笑った。確かに二人は恋人というより兄と妹だ。
「会社の仕事でね。まあ、お勉強みたいなもんだけど……。卒業式には間に合うと思うよ」
 にこにこと貴明は微笑んでいるが、恵美は寂しい。毎日のように現れた貴明がいきなり来ないなんて、とても寂しい。貴明がその恵美に励ますように明るく言った。
「毎日電話するし、メールもするから」
「……あんたってば、本当に自己中なんだから。人を夢中にさせたとたんにいなくなるんだから」
「一週間じゃないか」
「一週間もよ!」
 ぷんとすねている恵美を、正人と貴明は可愛く思った。
 翌朝、貴明が恵美の家の前で恵美の頬にキスをしてくれた。
「じゃ、行ってくるから」
「うん……、気をつけてね佐藤」
 恵美がそう言うと、貴明が訂正した。
「貴明……って呼んで」
 正人が見ているので恵美は恥ずかしかったが、当分会えないのだからと気持ちを奮い立たせ、
「……た、貴明」
 と小さく言った。貴明は笑顔になり恵美を抱きしめ、正人に向き直る。
「僕がいない間に、恵美を護ってやってくれよ」
「ばーか、当たり前だろ。それに今日は親さんたちも帰ってくるから心配いらねえよ」
「そっか、そうだったな……。お土産楽しみにしててくれ、じゃ、ね、恵美」
「行ってらっしゃい」
 ばたんと車のドアが閉まり、貴明の車が遠ざかっていく。恵美は車が見えなくなるまで手を振り続けた。
 雪が降って来た。その雪は恵美と正人の周りを美しく舞い落ちる。
 そしてその雪が、恵美の運命を大きく変えていく……。