囚われの神子 第01話

 運命という言葉は好きじゃない。

 ただの偶然を至上の恋と思い込みたい人、何の努力もせず負けた人が言い訳として使う安っぽい言葉に思えるから。

 でも、運命だと受け入れざるを得ない時もある。変えようがない事実をを思い知らされた時などは……

 今日もも私は夢の中で懸命に走っていた。全身に汗が滲み呼吸がとても苦しい。

『ど……して、出口が無いのっ』

 まるで時空の狭間に落ちて、同じところをぐるぐる走っているような感覚だった。

『はあっ……はあっ……だれか!』

 男の靴音がますます迫ってくるというのに足は重くてだるい。怖くて振り向けない。夢の中なのに現実のようだ。

 逃げなければ。

 逃げなければ。

 あの曲がり角の向こうはきっと外へ通じる出口があるはず。そうしたら男から逃れられる。

 もう男の気配はすぐ背後にあった。 

 それなのに、曲がった先はまた同じような月明かりが漏れる長い廊下だった。

 早く夢から覚めたい。

 願っても何故か今日は中々目覚められない。一体これはどういう事だろう。

 疲れきった足は、もう一歩も進めなくなった……。

「つかまえた……」

 とうとう捕まった。恐怖と絶望に震える私を、後ろの男が優しく抱きかかえる。男の腕はひどく冷たく氷のようで、より一層身体が震えた。

 光が届かない、深い海の底を思わせるような男の声。無理に顔を上向きにされ、冷たい男の唇が私のそれに重なった。

『伝承通りだ。光の神子と影の神子。二人居る』

『陛下はいずれが光と思われますか?』

『一目瞭然ではないか。この美しいほうだ』

 男二人の声で私は目覚めた。

 冷たい白の大理石の台の上に寝かせられていた。天井は高く、ろうそくの光だけが照らす室内は薄暗かった。あたりを見回そうとして起き上がった途端、剣の切っ先がいきなり喉元に突き立てられた。それも数本……。再び私は一人の兵に再び寝かしつけられた。ふと横を見ると私と同じ年くらいの綺麗な女の人が、横たわっていた。

『さすがに影なだけある……無作法だ』

 何を言っているのか分からなかったけれど、そう言って近寄ってきた男性が金髪碧眼のとても美しい男性だったから、思わず目が奪われた。金銀の刺繍が山ほど施された豪華な衣装を着ていて身分が高さが窺い知れる。背後には白い髭を長く伸ばした僧侶のような男性が控えていた。

「貴方達は誰。ここはどこ?」

『こやつ無礼な!』

 兵の剣がわずかに動き、喉元をわずかに切って血が流れた。痛みと恐怖で固まった私がそれ以上刺されなかったのは、髭の老人が止めてくれたからだ。

『神聖な神殿で血を流してはならぬ。他の者も控えよ』

『エグモント様、しかし……』

 兵達は不満そうに剣を引いた。震えながら私は周囲を見回した。部屋に居るのは、この身分が高そうな男性二人と、五名の兵士だけだ。部屋はとても広く、私達が寝かせられていたのは祭壇みたいだ。

 髭の老人が言った。

『そなたは影の神子じゃ。それゆえその運命に殉じなければならぬ』

「え?」

 さっきから気になっていたけど、彼らの話している言葉がわからない。美しい男性がふーんと顎を指でしゃくって面白そうに口元を歪めた。

『やはり伝承通り、影の神子は言葉が通じないようだ。まあ意思疎通の必要はないから良かろう』

 そして私の横で眠っている綺麗な女性をそっと抱き上げ、冷たく目をきらめかせて私を見やると、髭の老人に言った。

『青光の塔へ……後は隠密裏にな』

『御意に』

 男性の姿が消えると同時に、私は兵によって乱暴に石の台から引き摺り下ろされた。さっきの女性とはあきらかに差がある。髭の老人はそのまま兵に何かを囁くように指示し、静かに部屋を出て行こうとするので、私はその老人の後姿に叫んだ。

「待って……っ。ここは一体何? 私はどうなるのっ……きゃあっ!」

 突然、固い皮の手袋を嵌めた兵の手に頬を平手打ちにされた。口の中が切れて鉄の味が広がる。何が起きたのか分からない。こんな暴力受けた経験なんて一度もない……。

『静かにしろ』

「……何を言ってるの? 教え……」

『黙れというのがわからんのか!』

 また手加減なしに叩かれて、台から落とされた私は床に転がった。そして、ふらふらしているのに乱暴に立たされ、廊下に引き摺り出された。廊下にあの老人の姿はもうなかった。

『ちっ……面倒くせえな。塔までどれだけ距離があると思ってる』

『まあまあ、そう乱暴に扱うなよ。早く済ませて夕飯に行こうぜ』

『ああ。ったく……ほら、さっさと歩けよ!』

 叩かれた痛みでよろよろとしていたせいでまた突き飛ばされ、今度は曲がり角から出てきた男性にぶつかった。

「ご、ごめんなさいっ」

 また叩かれると思い頭を抱えて身を固くした。……でもいつまで経っても叩かれる気配はなかった。それどころか優しく抱き抱えられた。

『これはっ。かような場所へ』

 兵達が、何故か全員恭しく跪いている。ぶつかった男が言った。

『乱暴はよせ。陛下から詳細は伺っている。この人は……そうだな、青光の塔の一番上へ』

『は、ははっ!』

 声に聞き覚えがあった。私に回された腕にも……。震えながら見上げると、あの美貌が見下ろしていた。あの悪夢の男が!

 身体中の毛という毛が逆立ったように思う。

 身体を離そうとして、反対に強く引き寄せられた。男は嬉しそうに、でも、どこかに残虐さを秘めて微笑み、私の頬をゆっくりと撫でた。

「……やっとじかに触れられる。ようこそ影の神子。わが国マリク王国へ」

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