囚われの神子 第08話

 正樹は騎士達に取り押さえられ、王宮へ行く豪華な馬車に私と一緒に乗ることが許されなかった。二台あった馬車の一つに私は公爵に抱きかかえられて、二人の侍女と一緒に乗った。後ろの豪華な馬車に国王が乗り、周りを華やかな騎士達が固めた。

 アインブルーメは戦火の後、徹底した区画整理をしたらしく馬車の車輪は滑らかに回っていた。マリクの方は王都でも舗装されていない土の道が多く、馬車で移動するにはあまり適していない凸凹した道だったのをなんとなく思い出した。戦争に負けた国だというのにこれは一体どういうことなんだろう……。

 なんとか逃げられないだろうか。でも先程から身体が動かせない。公爵に私の考えや行動をすべて読まれているようだった。

『うまく行きましたわね公爵様』

 何かを言った向かい側の侍女の顔に見覚えがあった。アメリアだ。何故ここに居るんだろうと思っている私の心を読んだように、公爵が言った。

「この者はサヴィーネつきの侍女になったのですよ。光の神子がどうしても好きになれないと言って以前から転属願いを出していたのですが、サヴィーネの結婚を機に国王が許したのです。今日はこちらに同行したいと言うので、サヴィーネに了承させました」

「…………」

「何ですその目は? 私が何かを仕組んでこうなったと言いたげですね?」

「……そうなの、でしょう」

「そうです」

 公爵はあっさり認め、教師が生徒を褒めるような笑みを浮かべた。

「今回サヴィーネの結婚に同行する者は、皆私の息がかかった者ばかりです。あの男が考えは実にわかりやすい。ヘッセルも馬鹿なものだ……、人を見る目がないからこのような惨めな結果になる。あれで白竜の長の息子とは、白の竜族も堕ちたものだ」

 あの男、とはグレゴールのことだろう。そうだ、結衣さん!

「貴方は国王に化けていたのではないの? どうしてここにいるの! それにおかしいわ、結衣さんは貴方が結婚式に同行すると言っていたわ。そうだとすると国王は貴方が別人を結衣さんに押し付けたって知っていることに……」

「本当に貴女は素晴らしい。ええ、それがあの男の間抜けな計略なのです。どっちに転んでも、私はマリク王国から追放されるようになっているのです。国王に化けて光の神子をたぶらかした男、もしくは将軍としての義務を放置した男として。あの男は余程私が嫌いらしい」

「…………」

 結衣さんは大丈夫だろうか。今一緒にいるのは誰なんだろう? 私は結衣さんのことで頭がいっぱいなのに公爵はまた都合のいい解釈をして言った。

「ああ、すでに対策は打ってありますから心配は無用です。もっともあの男相手なので大がかりな計略は必要ありませんが。すべては光の神子の巡幸が終わって、彼女が王宮に戻った時に起きますよ」

「結衣さんに危害を加えないで、お願い!」

 必死にお願いすると公爵は小さく笑った。

「さあてね。彼女が不幸になるも幸せになるも彼女次第。貴女はなにもできやしませんよ……」

 馬車が止まった。窓から壮麗な王宮が見える。沢山の人々が国王を待ち受けているのを見ると事の重大さを認識するしかなく、今の脱出を断念するしかなかった。さっきの国王と正樹とのやり取りは、おそらく私が絡んでいると見ていいと思う。自分が原因で戦争が起こったりしたら、弱すぎる私は耐えられそうもない。

 どうしてこの世界の都合につきあわなければいけないのだろう。無関係の世界の人間を勝手に召喚して、黙って命令を聞けというのはおかしい。一人の犠牲で国を潤すという考えは愚かな独裁者の考えだ。例えばそれが自分の肉親であったり恋人であったのなら、彼らはそれを許容するのだろうか。答えは絶対否だと思う。

 命に重さの違いがあるなどあっていいはずがない。

 弱い者ばかりに犠牲を強いるこの世界が、つくづく嫌になった。そしてそれをどうすることも出来ずに流されて行く自分も……。

 

 公爵に抱かれて馬車に降り、当然国王を待ち受けていた大勢の人々の注目を浴びた。冷たい視線を覚悟していたのに、貴族や王宮に務める文官、武官、女官達は異国の客人を普通に迎え入れる態度で拍子抜けした。

『皆、影の神子を喜んで迎え入れているようだな』

 ごきげんそうな国王は、私を抱えたまま礼をとる公爵の横を通り過ぎながら笑った。やはりおかしい……、どうして自分達の国を負かしたマリク王国の将軍を、この国の人間は笑顔で受入れているのだろう。

『お前達には特別に、我らのそばで滞在する権利をやろう』

『ありがたいお話でございます』

『何、構わぬ。影の神子が滞在してくれるのだからそれくらいはせねばな』

 国王と公爵はしばらく連れだって歩いて話していた。でも途中で国王は別の棟へ向かう廊下へ逸れていった。

 公爵の口から、普通客人はその専用の棟に泊まるが、私達には特別に王族が住まう棟の南側の一室をあてがわれたと聞いた。このことから私は、アインブルーメの国王と公爵が深く繋がっているのだと確信した。

 やがて部屋に着いたらしい。騎士二人が両開きの扉を静かに開けると、公爵は静かに言った。

「ここまでで良い。お前達はさがれ」

「は!」

 付いてきていた侍女や騎士達は頭を下げて部屋を出て行き、扉がゆっくり閉じられた。二人きりになった途端に公爵は甘く微笑んだ。

「お疲れ様です、ラン。拘束を解いてあげましょう」

 体中の力が蘇った途端、私は公爵の腕の中から飛び降りて部屋の隅に逃げた。公爵はそれを咎めず、壁に備え付けてあるキャビネットからお酒のボトルとグラスを取り出し、二脚のグラスに琥珀色の酒を静かに注いだ。

「ランも飲みますか?」

「いらないわ」

 細やかにカッティングされているグラスは、光石の光を反射してキラキラ輝いている。

 とても豪華で大きな部屋だ。でも窓の外の風景は王宮の入り組んだ建物のみで、なんとなく息苦しい。

「ここまで来て逃げようと考えているのですか?」

 王侯貴族が座るような豪華な寝椅子に腰を掛けながら、公爵はグラスを空けた。

「……今はそんなこと考えていないわ」

「今は、ですか……」

「どのみち貴方は私を追いかけてくる、そうでしょう?」

「もちろん。どこまでも追いかけて必ず捕まえますよ」

「だから考えないわ」

 悔しいけれど仕方ない。今の私は自分一人で行動できないようにされている。

 この世界は元の世界と同じように様々な人種が入り交じっていて、様々な造形の顔や様々な色の髪や目の人が居るからとくに私が際立って目立つ様なことはない。だから逃亡して市井に紛れ込んで暮らすことは可能だけど、一番肝心な言葉が理解できないからかなり難しい。

 可能性があるとすれば……。

「そうですね、私が死ねば貴女は自由になれます」

 二杯目を空にした公爵が淡々と言った。

「……血の魔法が消えるから?」

 訝しげな表情を隠しもしない私を見て、公爵は声も出さずに笑った。

「そう。私がヘッセルに負けたら、貴女は少なくとも私からは自由になれる」

「なんの話?」

 公爵は先ほどの国王とのやり取りを説明した。恐ろしいやり取りがやはり目の前でなされていたのだと知り、私は公爵の恐ろしさを改めて思い知った。同時に言いようのない怒りが渦巻いて、気がついたら叫んでいた。

「卑怯だわっ。最初から貴方が勝つって決められているようなものじゃない!」

「それはどうでしょうか? 御前試合に駆けつけるのは主に白の竜族の貴族、アインブルーメの貴族達による観衆達です。孤軍奮闘するようなものですが?」

「正樹は軍人じゃないわ、卑怯よ」

「自分の恋人を殺した男を庇うのですか?」

「でも……でも、彼は正樹よっ…………」

 言いながら、自分でも支離滅裂だと思った。ヘッセル侯爵は正樹を殺した男だ。でも、正樹は彼の中に生きていている……。

 私は馬鹿だ。偽物に本物の面影を追いかけてる。拒絶しておいて一体何を考えているのだろうと思われるに違いないけれど、彼が殺されるということは二度正樹が殺されるということだ。元の世界に戻って確信したわけでもないのに、正樹が殺されたのだとわかっていた。あの優しいベルが公爵に殺されてしまったのも、ヘッセル侯爵が見殺しにしたのも事実なのだろう……。

「……どうして、どうしてヘッセル侯爵は正樹を食べたの? どうして貴方はベルを殺したの? 二人が何をしたというの!」

 くくくと公爵が笑った。ついで身体が勝手にふわりと空中に浮き、公爵の胸の中に強引に引き入れられる。さっきは逃げたのに、今はどうして逃げないのだろう。公爵の目は情欲に染まりつつある。同じような目をした正樹は拒絶したのに……。

「可愛いですねラン。そんなふうに葛藤する貴女もいい。でもそれも私が施した術だと貴女は忘れてしまっているようだ。もともと私以外を受け入れない、竜の血の魔法をかけられているのだと」

 はっとした私の頬に公爵がキスをする。

「青光の塔で言ったはずです。貴女がこれから先私以外を受入れられないと。誰を愛そうが誰と寝ようが、貴女は思うだけで実行は不可能。常に憎んでいる私を優先して全てを放棄するしかないのです」

「そんな……」

 身体どころか人の心まで支配しようとするなんて。

「どれだけ私以外を愛しても、貴女はなんだかんだと言葉を作って拒絶するようになっている。元の世界でのあの男のプロポーズはさぞ感動したでしょう? 今すぐにも自分を捧げたかったのに出来なかったでしょう? そして先程も侯爵を拒絶してしまったでしょう? ……まったく……本当に愉快だ……ふふ」

 ひどい。

 あんまりだ。

 くやしい。

 やるせない。

 私は手に届くところにあったグラスの中の酒を、公爵に向かってひっかけた。怒りと悲しみがない混ぜになって、グラスを持つ手が震える。

「……貴方は……っ! どうして、私が幸せになろうとするのを邪魔するの!?」

 公爵は酒のしずくを滴らせながら意外なことを聞いたという顔をし、さもおかしそうにくすくす笑った。

「それはそのままお返ししましょう。ランは何故私が幸せにしたいと思うのに逃げるのですか?」

 身体を撫で回す公爵の手がたまらなく不快だ。気持ち悪い。でも一方で気持ちがいいと言うおかしな私がいる。

「貴方なんかといて幸せになんかなれるわけ無いでしょう! ベルを殺したくせに!」

「ははは! 正樹を殺されて涙一つ流さない貴女だって同罪でしょう」

 見えないナイフがぐさりと心臓に突き立てられ、一瞬息が詰まった。公爵の腕が私の腰に強く絡みつき、耳に彼の吐息を感じた。べろりと舐められてびくんと身体が反応してしまう。

「とてもひどい恋人ですね。殺した相手の中に自分を見つけようとする女なんて、正樹は今頃あの世で歯ぎしりしているでしょうね」

「やめて……」

 頭が痛い。割れそう……。考えちゃいけない、そんなことを考えたら私は自分を保っていられない。

「……それを楽しそうに見ている貴方はどうなの」

「ただの竜の血を引く男です。深く貴女を愛している。私は貴女に全てを捧げて尽くすでしょう」

「貴方は自分を愛しているだけだわ」

「ふふ、そうかもしれません。ですから貴女を自分のものにして、長い時を同じく生きられるようにしてあげた。どのみちベルも正樹も貴女には必要ない……貴女には私だけが居ればいいのです」

 ドレスの胸元の中央に鋭く尖った公爵の爪が入り込み、そこから下へゆっくりと布が裂けていく。耳を何度も舐めてくる公爵の舌から逃れようと首を振り、ドレスを破る公爵の腕を握った。それでも公爵の力のほうが圧倒的に強くてドレスも下着も破かれていった。

「やだ……!」

「わかりますよ貴女が心底嫌がっているのだと。でも貴女も私の気持ちがわかるでしょう? そんな貴女に興奮している私を……くく…………」

 引き裂かれた布切れの下から胸を掬い上げるように掴まれた。嫌なのに私の身体は何故か歓び、本当の私を追いやってしまう。駄目、負けちゃ駄目。でもあざ笑うかのように公爵の手は胸を何度も何度も揉み回し、固くなった先端をきゅっと摘まれて愉悦に耐える私を見て楽しんでいる。

「ひっ……あぁっ」

 背中の公爵に肩を吸い付かれながら胸を好き勝手にいやらしく揉まれ、淫猥な刺激に身体が歓喜して蕩けていく……。

「ねえラン? 私は貴女のそういうずるいところも好きなんですよ。正樹は許さないでしょうが私は許しますよ。貴女の全てを愛しているのですから」

「やめっ……や……どうして……ぇ」

 愛撫が少しやんだ。その隙に離れようとしたけどすぐに阻まれ、胸を揉んでいない方の手が一気に股の間に滑り込んだ。

「ああぁ……やあっ……ん……」

「さあ……どうしてでしょうね? 私もそれが知りたい」

 ばらばらに動く指に下半身が一気に熱を帯びていく。嫌だ嫌だ! 公爵の思うとおりになんかなりたくないのに。ぼろぼろと涙がこぼれて黒真珠が転がっていく。黒真珠の大きさは様々で、公爵が嬉しそうに囁いた。

「綺麗ですね。この国では影の神子の黒真珠はとても高価なものなのですよ」

「いやあっ! そこ……や!」

 もうすでに濡れてぐちゃぐちゃになって蕩けている秘唇に、あろうことかその黒真珠を公爵はつぎつぎと押し込んでいく。異物を入れられているというのにいやらしい身体は悦んで、その刺激に達してしまいそうになった。ひときわ大きな親指大の真珠を摘んで、公爵が目の前にチラつかせた。

「これは大きいですね。ふふふ」

「ああっ……ん……ん……あぁ」

 どろどろに煮えたぎっている秘唇の中を公爵の指と真珠がかき回した。ぬるぬるの蜜に真珠が絡んで壁を擦り、肌が泡立って耐え難い痒みがそこから生まれた。気のせいか真珠がじんじんと疼いて熱くなる。耳朶に公爵の息が絡んだ。

「自分の媚薬に酔いなさい、ラン」

「いいっ──っ……アぁああ───っっ!」

 火照って固くなっていた肉の芽が大きな真珠に押しつぶされ、私は気が狂ったように喘いだ。比較にならないほどの甘い刺激がそこから流れこんできて、口を閉じられなくなり、開かれたままの口から唾液がだらだら流れていく。それを公爵がもったいないと言って赤い舌を出してべろべろと舐めて取っていった。

 熱くてむず痒くて気持ちよくて……甘い痺れが爪先まで広がっていく。

「いやあっいや! それ、おかしくなるっ」

「おかしくなりなさい」

「んゥン……う──……」

 仰向けに転がされた私に、公爵の口づけが待っていた。公爵の魔法と悦楽の毒で心から正樹の姿が消えた。身体の熱の開放ばかりを願い、大嫌いな男の舌を悦んで迎え入れて彼の思う通りに動いてしまう。激しいキスの後口から飛び出したのは、あられもないよがり声だった。

「いっちゃう……、だめっ、いやあっ! あぁあああっ!!!」

「物凄い蜜の量です。私の手もランの淫らな蜜でぐっしょり濡れていますよ。ねえ? わかるでしょう? 蜜が滑って真珠を持つ私の手が滑ってしまうのが……」

「いいぁアっ……ああっああっ……だめえええっ」

 蜜が溢れ続け、ぬかるみに浸っている肉の芽を執拗に押しつぶされ続け、とどめに強く擦られた後に摘み上げられた。

「い───っ……あああっ!」

 ビクンビクンと身体を痙攣させる私を、公爵は熱い息を首筋に吐きかけながら強く抱きしめ、激しく収縮を繰り返している秘唇へ、己の欲をゆっくりと挿入させた。

「あ……つい……っ……ああ、固い……ん、あぁ」

 目の前が真っ白で何も見えない。意識が混濁しだして自分と今の状況がわからなくなった。私はなんだっけ……、この人は誰だっけ。どうでもいいから疲れてるから寝させて。でも熱くてどくどくしている身体の中心に、同じく熱いものが入ってきて寝させてくれない。

 しばらくじっとしていた公爵は、やがてその欲で私の中を擦り始めた。ぐちゅぐちゅといやらしい音がそこからする。でも同じように私もいやらしい声が止まらない。

「あんっ……あんっ……ハあっ……」

「可愛い、愛おしい。愛する人間が殺されても、貴女は私の愛のせいで涙を流し続けられない……」

 うっとりと話す公爵の声が耳に深く響く。男の長い黒髪の隙間から、光石のシャンデリアが見えた……。

 

 マクシミリアン王子とサヴィーネ王女の結婚式の日、私は朝から侍女達に叩き起こされて徹底的に磨き上げられた。最初、王族のような扱いに慣れないから戸惑って、支度をしようとする彼女達に抵抗した。そこへ公爵が現れて、これから二人の結婚式が行われるのだと聞き、ようやく納得して彼女達に抵抗するのを止めた。誰でもいきなり服を数人がかりで脱がされかけたら、必死で抵抗すると思う……。

 本当ならそんなものに出たくないし、出るべきではないと思うのだけど、ひょっとすると正樹に逢えるかもしれないという期待が私を後押しした。私は知りたい、どうして正樹がこの世界のいざこざに巻き込まれてしまったのか。

 結衣さんはどうしているだろう。私のように誰かに心を支配されなければいいのだけれど。

 人形にはなりたくない。でも、どうしたらいいのかわからない。

 そうこうしているうちに、私は貴族の令嬢の様に飾り立てられていた。床に裾がつく長いスカートのドレスは絹のように光沢があり、宝石が至る所に縫い付けられていてずっしり重い。さらに髪飾りやイヤリング、ネックレスがそれに拍車をかけたように重かった。茶色がかった髪は結い上げられていてこれも重い。

 公爵も晴れの日の軍人の礼装なのか、いつもの黒の軍服に緋のマントではなく、白い布地に銀と青い糸が刺繍された軍服に、紺色のマントを羽織っていた。

「とても素晴らしいですよラン。それでこそ私の隣に立つ女にふさわしい」

 触れてこようとする公爵の手を、私は肘まである長く白い手袋の手で払った。

「勝手なこと言わないで。私は貴方の隣になど……」

「あれほど私の腕の中で乱れていながら、何を言っているのですか」

 そう言った後、公爵は思い出したように小さく笑った。

「ああ、万が一の望みにかけているのですね。ふふふ。まあそれくらいなら構いませんよ……、賞品はそれぞれの出場者へ声をかけられますし」

「正樹と話せるの!?」

 敏感に反応する私に、公爵は笑みを深くした。

「ええ……、最後に彼がなんというか楽しみですね」

 唇を噛み締めて公爵と睨み合っているところへ、公爵の部下の騎士が現れた。

「将軍。そろそろお時間です」

「わかった。ではラン、行きましょう」

 当然のように差し伸べられた手を再び振り払いたかったけれど、今はしかたがないと我慢してその白い手袋がはめられた手に、自分の手を重ねた。素手であったら多分出来なかったと思う……。

 この世界の宗教の仕組みを私は知らない。でもギリシャの神殿のような白く美しい建物の中に入り、その豪華な内装に目を瞠った。青が国のカラーなのか、金に青が縁取られた模様が建物全体に彫刻されている。天井は一面光石で、それらも花や鳥などに彫刻されてキラキラ光り眩しいほどだ。紺色の絨毯が中央に敷かれてあり、祭壇に向かって右が武官左が文官の貴族達でひしめき合っていた。

 儀典官のような男が、私と公爵が入った時に何かを言ったけど、なんと言っているのかさっぱりわからなかった。けれどそれにおおきなどよめきが起こり、公爵がゆっくりと笑った。一体何と言ったのだろう。こういう場所で呼ばれるとしたら、入場する者の名前だ。

 嵐のようなどよめきの中で公爵と歩き、私は罪人としてマリク王国で処理されていることを思い出した。その罪人を国の公式な場に迎えるということは、完全にアインブルーメはマリクを挑発していることになる。公爵もアインブルーメ国王も戦争を望んでいるのだろうか……。

「蘭……」

 ざわめきの中で小さく囁かれた正樹の声の方向を見ると、文官の列の上座に公爵と同じような軍服姿の正樹が居た。軍人ではないけれど今日は決闘をするから、軍服を着ているのだろうか。その目は思いつめたように揺れていて、切なさと怒りを含んでいるような気がした。私は足を止めかけて、好奇に満ちた周りの視線を感じ取り、そのまま彼の前を通り過ぎた。聞きたいことは山ほどあるけれど、さすがにここでは無理だ。

 一番奥の一番高いところに祭壇のようなものがあった。沢山の花が設えてある中央にサファイヤのような宝石の原石が置かれている。神体のようなものだろうか。祭壇より少し下段に豪華な椅子の座席が十席ほど用意されていて、私と公爵はその一番端の席に隣り合って立った。

 私達の後は他国の王族や、この国の王族のような人々が来場し、私達の隣の席に立っていった。そして一番最後に現れたのはやはりアインブルーメ国王だった。

 国王が臨席したら場は静まると思っていたけれど、私に突き刺さる視線と相まってざわめきは大きくなっていく一方だった。やはり私は場違いなのだ。このような上座にいるのはあり得ないのだ。でも国王が何も言わない以上ここに居るしかない。針のむしろに居るような居心地の悪さに、私は自分の手元を見つめ続けていた。

 やがて今日の主役達が入場した。音楽もなく、拍手もない中を、華麗な装いの二人が優雅に並んで歩いて来た。サヴィーネ王女は離宮で見た時よりももっと美しく、私を目に止めて蔑んだ色を一瞬その目に浮かべた。その瞬間身体が電気で弾かれたように後ろに転びかけ、公爵の手に背中を支えられた。

「……小娘が」

 私にしか聞き取れないほど小さな声で、公爵が呟いた。一体何が起こったのだろう、私は心臓をドキドキとさせ、これから起る何かにさらに不安を募らせた。

 式は、私が知るようなものではなかった。指輪の交換もキスもなく、ただ、神官のような人が捧げ持ってきた、二脚のグラスに注がれている青い液体を飲み合うという儀式だけが行われた。神官が何かを宣言したけど、やはり拍手はない。拍手の習慣がないのだろう。それでも厳粛な雰囲気の中で結婚式は無事に終わった。

 公爵が私の手を取りながら言った。

「蘭、移動しますよ」

「……どこへ?」

「御前試合が行われる闘技場へです。とはいえ、今回は広くて何もない原っぱですが」

「…………」

「移動には転移魔法を使います。ですが我々はわざわざ魔法陣がある部屋まで行く必要はありません」

 行きたいような、行きたくないような、ためらいが多分にある私は黙って公爵を見上げた。国王を始め王族達はとっくに退出し、私達の周囲で騎士達や貴族が入り交じって次々と移動の為に退出していく。動かない私に侯爵が焦れた。

「仕方ありませんね」

 公爵が勝手に私の手を取り、見る間に周りの景色が変わった。

「え……」

 いきなり現れた大草原と遠くの山、公爵と反対側の隣に立っていた国王に私はびっくりした。でもびっくりしているのは私だけで、先に来ていた王族や貴族達はにぎやかに話し合っている。

『相変わらず見事な制御だな、アレックス』

『陛下のご厚情の賜物でありましょう』

 国王も周りも公爵を咎めなかった。騎士達でさえだ。空には初めて見る竜が幾匹も飛んでいる。見れば皆白いから白の竜族なのだろう……。

 大勢の人々が、公爵と正樹の戦いを観に来ているのだ。でも女性は圧倒的に少なかった。それはやはり血を見ることになるからだろう。

「戦いを中止できないの?」

「できません」

 公爵はマントを取り外しながらにべもなく言った。気づいたら、何もない草原の上で、見物する貴族達がそれぞれの場所に用意した椅子に腰掛け始めている。その中から緊張して青ざめた顔の正樹が、騎士二名に連れられて歩いてきた。

『ヘッセル、遅いぞ』

『いろいろと支度に手間取りまして』

 声をかけた国王に正樹は跪いた。先程とは違って正樹は私を見ようともしない。厳粛な式の雰囲気が消えたせいだろうか、聞きたかったことが山のように頭に浮かんだ。しかし高らかにラッパのような楽器を遠くにいる騎士達が吹き鳴らしはじめたため、またそのチャンスを逃した。

 静まり返った会場の中で、公爵と正樹が国王の前に並び、その横で大臣のような男が何か高らかに宣言をした。二人は頷き、深々と礼をする。そして国王は他の見物人達と同じように、かなり遠くにある高い丘のような場所の座席へ、騎士達に囲まれて移動していった。

 その場所には私と私の両隣に立つ騎士と、公爵と正樹が残された。私は賞品だから、ここに居なくてはならないのだろう。

 空には相変わらず白竜が飛び回っている。

「随分と一族を呼んだものですね」

「彼らは助成などしない」

 正樹も公爵と同じようにマントを脱ぎ捨てた。マントは風に煽られて飛んでいき空に舞い上がった。それを飛んでいる白竜の一匹が咥えて何処かに運んでいく。二人は私から更に離れたところへ歩いて行き、十メートルほど離れて対峙した。先程声をあげた大臣が遠く離れた場所から号令のようなものを掛け、ざわざわとしていた人の声もやがて静まり返った。

 二人共微動だにしない。動いているのは空を飛んでいる白竜だけだ。

 どうしてこのような戦いを止めてもらうように、公爵に頼まなかったのだろう。二人を受け入れるのは抵抗を感じるし、公爵なんか大嫌いだけど、死ぬという事態にだけは陥ってほしくないと思う。

 でも、私に掛けられた魔法は公爵が死ななければ解けないと、結衣さんも侯爵も言っていた。私は公爵の死を望んでいるのだろうか。答えは信じられないけど否だ。公爵に心を支配されていなければ死を望んだのだろうか。それは魔法を掛けられた今となってはわからない。私はただ開放されたい、元の世界に戻りたい……。

 だけど、元の世界に戻ってどうするのだろう? 正樹は居ないのに。

 この決闘の勝敗の決着を私は望んでいない。なんとかして引き分けにできないだろうか。

「有りもしない世迷言を考えるのはおよしなさいな」

 冷たい女の声に振り向くと、王子妃となったサヴィーネ王女が立っていた。相変わらず蔑む色をその綺麗な目に浮かべている。その時遠く離れた観衆から叫び声のようなどよめきがあり、改めて正面を見たら二人が空中で魔法による波動を激突させていた。

「剣での勝負は明らかに兄上様に利があるから、それ以外での決闘になったのよ。それならば力の差はなくてほぼ互角だから……最初だけはね」

「…………」

「まったく、お前があの正樹とやらに気持ちを動かしたりするから、兄上様がこのような見世物に甘んじなければならないのよ。馬鹿らしい話だわ」

 彼女は公爵が勝つと信じて疑わないらしい。二人は常人では考えられない速さで動いて拳を繰り出し、そのたびに生じる台風よりも凄い風圧が私達に降ってきた。普通こんなに間近に居たら、逸れた魔力の波動が見物する人間に当たってきそうなものだけれど、私達の周囲にはガラスのようなシールドが張られていて、それが二人の繰り出す波動を吸収していた。元の世界の人が見たら目を疑う光景だけど、さまざまな物を見ている私は何の疑問も沸かなかった。

「あの白竜も哀れね。一族のために死ななければならないとは」

「……え?」

「何よ、知らないの?」

 サヴィーネ王女は白い扇を広げて口元を隠し、優雅に笑った。彼女の隣に居た第二皇子も同じように笑う。どくんと心臓が嫌なステップを踏み、胸の中がきりりと傷んだ。

「白竜の一族はアインブルーメ国王の力を舐めすぎていたのよ。だからマリク国王と手を組んで、前国王の妾妃だった一族の姫が生んだ王子を、新たな国王に据えようとした。でも兄上様によってその目論見が一気に明るみに出てしまったの。立派な反逆罪でしょう? だからヘッセル侯爵マリオンが死ぬことで許してもらおうというわけ。よくある話よ。御前試合とは名ばかりの公開処刑」

「じゃあ……、じゃああの白竜達は!」

 空を飛び交っている白竜達は、飛んでいるだけではない……? 二人は地上に降りて肉弾戦を繰り広げている。

「ふふ、その通りよ。ヘッセル侯爵マリオンが脱走しないように見張っているのよ」

「そんな……」

「兄上はほんに容赦の無い御方。あの白竜が力尽きたところを狙ってとどめを刺すのでしょう。馬鹿らしい見世物とはいえ早く観たいわ、あの凛々しいお顔が鮮血で染まるところを」

「うそ!」

 ちょうどその時、正樹が足元をよろめかせ、公爵が光の剣のような波動を一閃した。正樹は右足首から血を流して地面へ倒れ、見物する人々の間で歓声が沸き起こった。

「正樹っ」

 駆け寄ろうとして見えない壁に弾き飛ばされた。張られているシールドだ。

「お前が今出来るのは、正樹とやらが立派に死ぬのを見届けることではないの? 恋人がそのような有様ではあの男も恥をかくのに」

 背後でサヴィーネ王子妃が呆れたように言う。でも命の瀬戸際で恥も何もない、こんな決闘は無効にするべきだ。今すぐ二人を止めないと……。

『動かないでください』

 騎士二人が私の両腕を抱えた。ああそうか、やっぱり私だけがこの御前試合のからくりをわかっていなかった。ただ漠然と公爵が有利なだけだと思っていた。でもそんな生やさしいものでは無かったのに、気づいていながら、どうしてあの時公爵に止めてと言わなかったのだろう。引き分けも何もない、ただ正樹が殺されるだけの御前試合だったなんて……。

 最初から公爵は言っていたじゃない。死ぬまで戦うのだと。どうして引き分けがあるなんて私は思い込んだんだろう。なんて私は馬鹿なんだろう。

 違う、これも心を支配されているからだ。自分の心が自分だけのものだったら、強く止めていたはずだ。

 ぼろぼろと黒真珠の涙が下の草に転がっていった。

「正樹!」

 圧倒的に不利になった正樹の右腕が、公爵の鋭い手の爪で掻き切られて宙を舞った。痛みに顔を歪めた正樹に容赦なく次の牙が襲いかかり、正樹は私の前に吹き飛ばされて転がった。シールドにぶつかった正樹は起き上がろうとして私を見、小さく笑った。

「蘭……」

 声だけは聞こえるらしい。夢中になって私は叫んだ。

「逃げて! 死んじゃうっ」

「……馬鹿だな。蘭の”正樹”は……とっく……に俺に食べられて……死んでるんだよ」

「それでも貴方の中に正樹がいるわ!」

 正樹は右腕を無くしてバランスを崩しながら、ゆっくりと立ち上がった。そして辛そうに息を吐き、泣いている私に微笑みかける。

「ねえ、正樹は本当に蘭が好きだったみたい。…………マリクに召喚された蘭に逢いたくて俺に食べられるの、承知……したんだよ」

「どうして……」

「俺の夢に正樹が現れたんだ。君が公爵の夢に現れたように……」

 いきなり目の前が真っ赤に染まった。でもその血はシールドのせいで降りかかることなく、ガラスを伝うように下へ流れていく。正樹のお腹から公爵の鋭い五本の爪が貫通して突き出しているのが見え、あまりの血生臭さと残酷さに卒倒しそうになった。

「が……はぁっ…………」

 正樹が大量の血を吐いた。公爵は相変わらず涼しく微笑みながら、そのまま正樹を背後から抱き寄せて、完全に腕まで貫通させた。痛みに顔を歪めて苦しむ正樹に、公爵が顔を寄せる。

「構わない、最後に彼女へ何でも言うがいい」

「ぐぁっ……ぐ……は」

「早く言え。私は気は長い方ではない。ああ、腕を抜いて欲しいのですね」

 正樹のお腹を貫いていた腕を公爵が引き抜き、またおびただしい量の血が流れでた。公爵は美味しそうに自分の爪についた血を、赤い舌を出してゆっくりと舐めている。こんな残酷な物を見ているのに、私は自分がどうして気が狂わないのが不思議だった。ただ心臓だけがイヤにドクドクと言っていて、身体中冷や汗のような物が流れ、吐き気が込み上がってくる……。

 立っているのがやっとの状態の正樹が、ぶるぶると身体を震わせながらシールドに手をついた。

「俺は言った。……俺に食べられたら……お前は……俺になって、蘭に逢えると……」

「……正樹がそれを承知したの?」

 声が掠れた。正樹はシールドに伝うように崩れ落ちた。もう顔色が土気色だ。

「正樹は夢だったから……現実と思わなか……ったんだろ。俺は…………人間をからかいたかっただけ……だ。俺は知らなかった……、喰った人間に……心……支配され……なんて。顔形……変わるくらい……こんなに…………蘭……愛するなんて」

 正樹の血だらけの手が伸びて、シールドに触れた。もう危険はないと判断されたのかシールドが消え、正樹の手を握りしめることができた。

「正樹……、私に逢いたかったの?」

 黙って正樹は頷いた。私は泣くことしかできない。胸が張り裂けそうだ。私がこの世界に召喚されたばかりに、正樹はこんな馬鹿な目に遭ったんだ。私のせいだ。泣いている私に正樹が何かを言った。それはもう吐息のような声で聞き取りづらかった。

「……俺の血に……黒…………真珠を浸しておいたらい……い。そ……れ、三日後……飲み込んだら……公爵の魔法は……解ける」

「正樹? きゃあっ……」

 公爵が強引に私達を引き離した。

「時間切れです」

「待って……、お願いっ」

 私は正樹を抱えて踵を返す公爵を追いかけようとして、騎士二人にまた羽交い締めにされた。公爵は動けない正樹を空中へ放り投げた。まるで猫が獲物の蛇をなぶるかのように。

 目の前で公爵がいきなり二十メートルはあろうくらいの、大きな漆黒の竜に変化した。正樹も空中で白い竜に変化したけど、大きな翼が羽ばたかないまま落下していく。その身体に漆黒の竜が喰らいついた。公爵は正樹を食べる気なのだ。

 自分が噛み付かれたわけでもないのに、身体に痛みが走った。

「やめて……。やめてぇっ! お願いだから……っ」

 空中で正樹だった白竜が、公爵だった漆黒の竜に真っ二つに喰いちぎられ、血の雨がびちゃびちゃと降ってきた。空を飛んでいた白竜達が、つぎつぎにその喰いちぎられた白竜に襲いかかる。背後ではあまりのおぞましさに倒れたり吐いている貴婦人達がいるけど、私はそれどころではなかった。正樹が消えてしまうのだから。

「まあ羨ましい。あの白竜はおいしそうだわ」

 背後でサヴィーネが心底羨ましそうに良い、目をぎらつかせて唇を舐めた。

「正樹……」

 目の前で恋人が喰われて消えていく。涙が、黒真珠が止まらない。私には正樹の何も残されない。どうしてなの?

「正樹、正樹……」

 最後の肉のひとかけらを白竜達が奪うように引き裂いて食べた時、私はその場で崩れ落ちて気を失った。

 気を失った私は、元の人間の姿に戻った公爵に横抱きにされ、国王の名のもとに正式に公爵の妻として認められたらしい。そんなものを望んでなどいなかったというのに……。

 帰りたかった……。帰って正樹と結婚して幸せになりたかった……。

 だけど私の帰る場所は、正樹の完全なる死と共に永遠に失われた。

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