あとひとつのキーワード 第1話

「これは一体どういうこと? レイナルド様は、ソフィア様と別れて、私と結婚すると約束してくださったはずでしょう?」
 夢の中の私、美しい魔女であるジョセフィーヌは、剣をすらりと抜きながら私に迫ってくる、恋人、レイナルド王子に叫んだ。
 今日は結婚式のはずだ。

 だから……、だから自分はこんな純白の……簡素なドレスを着ているのだ。
 そういえばおかしいではないか。
 王子と結婚する女が、こんな飾り気のないドレスを着るはずがない。もっと華やかに、宝石や花々で飾り立てあげられるはずだ。侍女一人も居ない、ひどく寒い殺風景な部屋で待たされるなんてありえない。
 振り向くと、そこにはレイナルド王子の親衛隊の隊長のパザン大佐が、同じように剣を抜いて立っていた。
 こんなふうに死にたくはない。こんな形で死を迎えるつもりはなかった。

 私は魔女だ。
 神経を手のひらに集中させて、魔力を溜めようとした。
「きゃあ!」
 次の瞬間、部屋の床一面に魔法円が浮かび出て、ひどい逆戻りが起きて身体中に痛みが走った。
 封じの魔法円だ。いつの間に……!
「おとなしく運命に従いなさい。ジョゼ」
 パザン大佐の冷酷な腕が、私をレイナルド王子に向かわせる。
 私は涙を流した。
 ああ本気なのだ。
 本気でレイナルド王子は自分を殺そうとしている……。
「愛しているというのは、嘘だったのですか……?」
 レイナルド王子の美貌は何もうつさなかった。感情をすべて殺している彼は、大理石の彫像のようだ。
「いいわ。死んでもかまわない、でも、どうして結婚式だなんて嘘をついたの?」
「もう話すな」
 レイナルドがそこで言葉を初めて発し、同時に剣で深々と私の胸を貫いた。
 剣はゆっくりと抜かれていく。
 真っ赤な血が迸り、口腔内にも血が上ってきて、ありえない量のそれを私は口から吐き出した。
 パザン大佐の腕は緩まない。倒れることすら許してくれない。
 魔女である私が、最後になんらかの呪いを施すのを警戒しているのだろう。
 傷口が痛くて熱い。
 同時に手先も頭も重たくなってくる。
 床へ血が広がるほど重だるさはひどくなり、私はじっと自分を見ているレイナルド王子から床へ視線を降ろした。
「……そんなに私を、お厭いでしたか……? 死ねと……命令をくださった、な、ら……、す……ぐに死にましたのに…………」
 涙が一筋伝って落ちていく。何十倍もの赤い血が床に広がっているのに、その涙は嫌に煌めいて見えた。
「す…ぐに」
 こんなだまし討ちの、用意周到な処刑を仕組む必要もなく、どこかの山奥でひっそりと死んだのに。

 パザン大佐の腕がようやく緩み、私を床の上へ横たわらせる。
 顔を覗き込むのは、死んでいくのを確かめるためだろう。
 とても、それが悲しい。
 私は、いつか王子を裏切るだろうと言われていた。それを一蹴してくれた二人だったのに。
 愛していたのは私だけだったのか。
 信用してもらっていると思っていたのは、私だけだったのか。 
 あんなに身体を重ねて、愛していると伝えたのに伝わっていなかった。
 それがとても悲しい……。




 恋をしたことがある人間は星の数ほどいると思うけれど、人の恋人を盗み取ろうとして失敗した挙句、大嫌いな男を押し付けられた人間は私ぐらいかもしれない。

「ねえねえ倉橋さん、今日の夜、営業部の奴らと飲みに行かない?」
 話しかけてくるのは、総務主任の池原くん。爽やかな笑顔の人気者だ。
「行かないわ」
「そうやっていっつも断ってるじゃないか。たまには行こうよ」
「習い事がありますから」
 机の上の書類を引き出しに片付け、立ち上がる。
 終業した途端にこれだから、本当に困る。
 そんなに私は軽く見られているんだろうか。
 見られているんだろうな。
「倉橋さんだけなんだよなあ、未だに飲み会に参加してくれないの。もう社長のことは吹っ切れたんじゃないの?」
 社長という言葉以降、極端に声を落とす池原くん。
 やっぱりね。
 軽くヤらせてくれるって、思われてるわけだ。

 ひそひそと話しながらこちらを見ている女子の視線を感じながら、私は総務の部屋を出た。池原くんは追いかけてくる。
「頼むよー。営業の坂田が、倉橋さんを紹介しろってうるさいんだよ!」
「私はされたくないわね。他をあたってください」
「困ったなあ。どうしてそう頑ななわけ? いい加減新しい男と引っ付いたほうが、変な噂も治まるよ?」
 更衣室はもう目の前だ。どこまで追いかけてくるつもりなんだか。
 私は振り返って、池原くんににっこり笑ってやった。
「治める必要はないわ。皆事実なんだから」

 更衣室に入ると、同僚の川舟ひなりがにやにや笑いながら声をかけてきた。
「見てたわよ〜。池原くんの誘いをああもけんもほろろに断るなんて、やるじゃない」
「ヤる目的がみえみえの誘いなんて、面倒くさいだけよ」
 この女も同僚なだけで、特に仲がいいわけじゃない。
 なのにやたらと絡んできて、うっとうしい。
「仕方ないんじゃない? あんた、ビッチだって噂が物凄いし」
 ひなりの言葉に毒が滲む。
 そんな言葉にいちいち傷ついたりする、私じゃない。
 ちらっと鏡を見る
 扉の裏側に付いている鏡に映る私は、いつもどおりすましている。
「ビッチでも相手は選ぶわ。お金のない男はお断り」
 ロッカーの扉を衝立にして、さっさと着替えを済ませ、春用のコートを着た。
「しがない事務員が、社長令息なんて落とせるわけないじゃない。バカねえ」
「そうかしら? 案外簡単よ。今回は邪魔が入ったから失敗したけれど、ね」
 さっきまで事務所にいた女子が更衣室に入ってきて、私達二人に気づき、そそくさと自分たちのロッカーの扉を開けた。聞き耳を立てているのが嫌でもわかる。

 おかしそうにひなりは笑った。
「その平凡以下の顔で、できるわけないじゃないの」
「男をイかせるのなんて、簡単だもの。男なんて皆やりたいだけの猿なんだから」
 嘲るひなりに、私はわざと小悪魔的に笑い返し、ロッカーの扉を閉めて鍵をかけた。
 ひなりは呆れて、だめだこりゃと手の平をアメリカ人のように上向ける。
「……いくらビッチだからって、その態度はどうなのよ。敵を作って楽しいのあんた?」
「敵なんていないわよ。噂好きで、人を珍しい動物扱いする、赤の他人ならいっぱいだけど」
 私はひなりを押しのけ、聞き耳を立てていた女子たちに一瞥くれてやった。非難と侮蔑を含んだ視線がいっそ清々しい。
 明日になったら、また新しい噂ができているんだろうな。
 ”平凡顔の能無しのくせに、ビッチで男を手玉で取るつもりでいるバカ女”
 ……とかね。


 夕飯の買い物をスーパーで済ませ、中学生の時から一人暮らししている、築30年の古いアパートに戻るとほっとした。
 もう嫌な女でいる必要はない。
 ここにいるのは、臆病者で小心者の私だけだ。
「馬鹿だなあ私って、ジョセフィーヌと同じで人の恋人盗るの失敗してやがるの」 
 ”前世”でも”今世”でも、人のものを盗りたくなるどうしようもない女。
 それが私だ。
「今世ではうまく行くと思ったんだけどな。なんで駄目だったんだろ。沙彩より私のほうが真嗣さんを想ってたのに。真嗣さんだってまんざらでもなさそうだったんだけどな。
 1Kの畳部屋に簡易キッチンとユニットバスがあるだけの、若い女が住むにはあまりに狭くて質素なこの部屋に、社長令息の真嗣さんを一度も招き入れたことはない。
 そうでないと、化けの皮がすぐに剥がれてしまうから。
 社長令嬢である沙彩に負けまいとして、いい服を着て、いいホテルで食事をして、とっておきの自分を演出していた。
「付け焼き刃じゃ太刀打ちできないってわけか。あっちは本物のお嬢様で、私は……」
 やめよう。こんなふうに自分を卑下したって、これ以上は落ちぶれようもない。
 ポットにハーブティーの葉を入れて蒸らす。
 程なくして、ミントの爽やかな匂いが漂ってきた。
 お金も男もなんにもない私の、唯一の至福のひととき。
 
 畳の上の折りたたみテーブルにポットとカップをおいて、大好きなお菓子をお皿に出すと、自然と心が軽くなった。
 目の前にあるタンスの上の写真から、お母さんが微笑んでいる。
「ただいま、お母さん」

 あの世で元気に過ごしていますか────?。

Posted by 斉藤 杏奈