ゲーム 第07話

 何故か私は、宮下君に連れられて、駅前ビルの地下何階かにある小さなバーに来ていた。とっておきの穴場だそうで、個室にもなっているからまず会社の人間には会わないんだそうだ。

 本当はあのまま帰りたかったんだけど、言葉巧みに丸め込まれた。

 宮下君は、広山君と違ってかなり強引だ。

 苦手なタイプには近寄ってきてほしくない。でも一回ぐらいお酒に付き合ったら、気にならなくなって話しかけてこなくなるだろう。そういう打算もあり、今私はここに居る。

 適度なざわめきが余計な緊張を払ってくれ、初めてのバーでも自然に過ごせそうだ。

「林さんは何飲む?」

「……ウーロン茶で」

 宮下君はマティーニを頼み、お店のサービスのチョコレートを口に入れた。

 宮下君は新入社員だけど私と同じ年。大学卒業後うちの会社の系列の子会社にずっと勤めていて、いよいよ跡継ぎ教育を本格的にするとかで、まず情報部に入ったらしい。

 この後は出世コースまっしぐらなんだろうな。

「そんなんじゃないよ」

 そう言って宮下君は笑う。その顔は文句なしにかっこいい。

 彼を狙ってるお姉さま、若い子達がこんなところを見たら、明日から面倒くさそう。

「こういうお店は初めて?」

「わかるの? そうなの。お酒が駄目だから来たことないわ」

「お酒、強そうに見えるのに」

「パッチテストしたら、ものの見事に赤くなるの。一滴も飲めない」

「へえ、試してみたいな」

 半袖から伸びる腕を摩る私に、宮下君は面白そうに目を輝かせた。そこへ注文した物が来て、少しだけと言って、宮下君が私の腕の内側に一滴マティーニを落とした。

 ひやっとして、なんだかおかしな気分になった。持っていた絆創膏を宮下君が貼ってくれる。

 よく考えたら、男に腕を触らせたりするのって初めてかもしれない。

 同意じゃないのは多々あるけど。

 宮下君は、マティーニを一口飲んでグラスを置いた。

「男とはつきあわないけど、触らせるのは平気なの?」

「腕くらいなら」

「さっき。中村が腰に抱きついてたけど……」

「ああいうのは問題外かな。酒の席はセクハラが横行するもんだし。いちいち怯えてたらやってけないもの」

「そういうもの?」

「うん。でもあんまり触ってほしくないからスカートは履かないようにしてる。一度たけの短いボトムはいて太もも触られたことあるから」

「誰それ」

「業者さんを交えての懇親会の時。若い男の業者さん。酒が入ったら、いやらしい話ばっかりしてきて最悪だった」

「それは嫌だな」

「うん」

 私はウーロン茶を飲み、なんでこんな話を宮下君にしているんだろうと不思議に思った。男にされた嫌な話を男に話すなんて……。たいてい桜子か親にしかしないのに。

 ……にしても。

 宮下君は、無駄に色気がある男だ。

 漆黒の目と、長めの黒髪がとても綺麗で、骨ばった手もすらっとしているし、清潔な感じ。

 綺麗と言って女性的なものじゃなくて、野太いしっかりとした雰囲気が漂っている。広山君もおそらくこんな感じになってるんだろうな。

 京都には中学以来行ってないから知らないけど、今頃は見城さんと結婚しているのかなあ。

 性格はともかく見城さんはお嬢様で美人だったから、あらゆる意味でお似合いの二人だったし。

「……そんなに広山優が気になる?」

 心で考えていたのをずばり当てられ、持っていたグラスを落としかけた。

 くすくすと宮下君は笑った。

「なーんかさ、俺の中にあいつを探すような目つきしてた」

「そんなの考えてなかったけど」

「ふうん。ま、いいけど。ひょっとしてあいつのこと好きだった?」

 いきなり聞くか、そんなこと。

 広山君は物静かな人だったのに、いとこでそっくりとは言ってもやっぱり別人だなあ。

「……好きじゃなかったです。むしろ大嫌いでしたね」

 微笑みながら言うと、宮下君はやっぱりそうなんだと腕を組んでためいきをついた。

「明らかに避けられてたもんな」

「その節はすみません」

「何をされたの?」

「それはご本人からどうぞ。私の口からはとても。ま、もっとも忘れ去ってるかもしれませんが」

 彼らにとってあれはただのゲーム。私にはどす黒く染み付いたトラウマであったとしても。

 虐めをゲームに思ってる彼らにとって、あれはテレビゲームと同じで、ゲーム終了でリセットされて綺麗に忘れ去ってしまう類の出来事だったのだ。

 人がどんだけ傷ついて悲しんでも、ふーんそうなんだとドラマや漫画を見るような感想しか持たない。持てない。他人の心に重きを持てないヒトモドキ類の悲しい性だ。

 めちゃくちゃに傷つけられた被害者が自殺しても、へー……死んじゃったんだ、で済ませる様な、悪魔も裸足で逃げ出すような下劣なヒトモドキ類。

 あんな人間が生きてると思うだけで吐き気がする。

「あいつ、優しそうで人気あったと思うけど」

「そうですね。大多数の人はそうだったと思いますよ」

 私もだまされてたくちだから。

 ひとりぼっちで困ってた時、彼はさりげなく助けてくれた。グループのところへ連れて行ってくれたり、遠足で写真を撮る時、私だけ排除した写真を撮った担任の代わりに、彼と二人の写真を撮ってくれたり……。

 あれが用意周到なゲームだなんて、あの当時の私は気づかなかったよ。

 彼だけが味方だと思ってたなんて、馬鹿すぎる。

 いじめられても仕方なかったのかもしれない。

「なんかひどい事したらしいね。謝るよ」

「宮下君が悪いわけじゃないから。宮下君のいとこなのに悪く言って、こちらこそごめんなさい」

 頭を下げた宮下君に私は慌てた。血のつながりがあるとはいえ、宮下君が私に謝る義理はないのに。むしろ勝手に人違いしてた私が謝らなきゃいけないぐらいだ。

「でも、男嫌いになるくらいのトラウマに一役かってるぐらいなんだろ?」

「そうかもしれませんけど、大部分はほかの人間が原因ですから」

「ほかの人間?」

「そうです。でもいいんです。もう過ぎたことだし、私が彼らに会うなんてありえませんから」

「……それって過ぎたことになってないんじゃない?」

「今はそうするしかないんです。蓋をして封印してます」

 あああ、なんだってこんな話を会社の人にしなきゃいけないのー。

 帰りたくなってきた。

「とにかく、私の今についての話は広山君には絶対にしないで。お願いします」

 釘を刺さなくても、広山君は聞いたりしないと思うけど、万が一ってのがあるからお願いだけはしておこう。

「わかった。絶対にしない」

「ほんとですよ。私は彼と金輪際係わり合いになりたくないですから。いとこの宮下君に言いたくはないんですけど」

「そんなに親しいわけじゃないから気にしないで。ほとんど会わないし。過去についても聞かない」

 それを聞いてほっとした。本人に聞いてとは言ったものの、本当はあんな陰気でいじけた過去なんて知られたくない。

「10分経ったかな」

 話を切り替えるように宮下君が絆創膏を指し、私は助けられた思いでそっと剥がした。

 想像通り、そこは真っ赤になっていた。

 私はインドア派だから、真っ白な腕に浮かび上がった赤色は見事すぎるほどだ。

 ここまでハッキリ結果が出ると笑えてしまう。せめてあと10分後に赤くなってくれれば、少しはお酒も飲めてみんなと楽しめるのだろうけど。

「すごい、真っ赤……」

「うん」

 宮下君もここまで赤いのは珍しいのか、顔を近づけてまじまじと見た。

 なんか匂うなと思ったら、それはマティーニの薬品臭で、おおよそカクテルとしてはどうなのって感じの固い匂いだった。

「こんなアルコール度高そうなもの飲んで、宮下君大丈夫なの?」

「今日はタクシーで帰るから気にしてなかった。それより……」

「何?」

「こんなにマティーニがいい匂いって思ったの初めてだ。

 宮下君は意味不明なことを言い、私の腕をそっと取った。

 そんなに珍しいのかな?

 そんなに間近で見るもの……っ!? 

「な……っ!」

 事もあろうに、宮下君は唇を寄せて、そこを舐めた。

 そして強く吸う。

 生暖かい感触と、ちくりとする痛み。

 なぜか背筋がゾクゾクとして、同時に何か甘やかなむずがゆさが私を支配した。

 びっくりして何も言えないでいると、宮下君は妙に潤んだ目で見つめ返してくる。

 な、な、なんなの?

「おいしいね」

 息を呑んだ私を見て、宮下君は女の子を魅了する妖しげな笑みを浮かべ、改めて私の腕にキスをした。

web拍手 by FC2