ゲーム 第19話

 久しぶりの出社は想像通りだった

 あちこちから視線を投げつけられ、ひそひそとされるのは、間違いなく横領問題騒ぎのせいだろう。

 クソ大田め。なんだって人が居ない間にとんでもない嘘をつきやがったんだ。

 会社へ出社するなり、好奇の目にさらされる身にもなってよ。

「あー、やっと来たのねゆきの」

「久しぶりね桜子。もーさー、私目立つの嫌いなのにこんなの勘弁なんだけど」

「そりゃあんたはいなかったから、そんな風に言えんのよ」

 やれやれつきあってらんないと席に座ると、隣の席に座った桜子が、事件の顛末をわざわざ話してくれた。

 自分で入れたお茶を片手にそれを聞いていると、中村君が話してくれた内容とまったく同じで、ひょっとすると巻き込まれないために出張にやらされたのかと思うくらいだった。

 石崎課長と中村君の大活躍で、みごとに大田部長を追い出せたようだ。

 これからは伝票処理が楽になりそうだなあ。

「横領問題だもんね。……微妙に見られても仕方ないね」

「違うよそれ、宮下君と一緒の出張だったからよ」

 桜子の目がきらりと輝いた。

 桜子ってこの手の話題には、ほんとに生き生きするな。

 彼氏わかってて結婚するのかなあ。するんだろうな。

「はあ? 部屋なんか別々で、出張先でも別々だったけど? 第一宮下君って結構家庭背景複雑だし、性格もよくわかんないし、付き合うの大変だと思うわよ?」

「ああら? 男に興味のないゆきのが、なんでそんなに宮下君に限って詳しいのかしら?」

 やばい、墓穴掘った。宮下君関連って結構シークレットなんだったわ。

 桜子が詳しいだけで、社員の皆は知らない話が多いのを忘れてた。

「どうでもいいでしょ。とにかく、王子様ってタイプではないでしょ。彼が女性に優しいところって見ないし」

「そうなんだよね。どんだけ誘われても全部断ってるし。どーも女性とつきあってる形跡がないんだよね」

「あんたは探偵か?」

「だからさ、自分のテリトリーに彼が入れるって、ありえないわけよ。そんな彼がゆきのだけを……ねえ? 怪しく思っても仕方ないでしょ?」

「出張なんだから一緒に新幹線乗ってもめずらしくないわ」

「秘密主義ねえ、相変わらず」

 うしろめたい出来事を思い出し、苦笑いするしかない。

 京都で宮下君は私が好きだと言っているし、抱かれてしまった。

 その前は襲われたし。

 ……この話題、避けよう。

「桜子はさ、大田部長が怪しいって気づいてた?」

「ある意味怪しいとは思ってたけど、さすがに横領疑惑吹っかけ、どっかの会社の重役と手を組んでのうちの会社のっとりは気づかなかったわ。あのハゲデブ、スケベで仕事ができないくせに、よくもまあそんなのやる気になったわよね」

 容赦ない桜子の台詞に大笑いが出てしまう。仕事の時間前でよかった。仕事中だったら課長に怒られるっつーの。

 いつの間にいたのか、桜子の後を引き継ぐ高田さんが興奮気味に会話に割り入ってきた。

「石崎課長が大活躍だったの。普段おとなしい人なだけに、あの時の大演説はカッコよかった」

「高田さんたら、おじさんに趣向変え?」

「やや待って。私は人妻よ。誤解を生むような言動はやめてね」

 そのままどうでもいい会話になったのを見計らい、今日はお茶組当番だったのを思い出して給湯室で湯を沸かした。

 まー……、いろいろありまくる数日間だったな。

 帰ってきたら、朗には質問攻めにあったけど、叱言は何も言われなかった。宮下君との一夜だけは言わなかったからだろうけど。

 ただ一言、終わったんだねとだけ言われた。

 メールで桜子の質問攻めに遭わなかったのは、石崎課長がきびしく止めてくれていたかららしい。

 出張でナーバスな時に、余計な事を言って気を乱すような真似をするもんじゃないと……。

 それで真実を知っている中村君を寄越してくれたってわけだ。

 ……なんか、もう、いろいろすごいなあ石崎課長。

 間違いなく桜子から聞かされてたら、パニックになって出張どころではなくなったとおもう。広山優の事もあったし。

 お茶の用意ができあがると真っ先に石崎課長へ持って行く。

 石崎課長はいつもとかわりない笑顔だった。

「あの、私が居ない間に大変なことになってて。皆から聞いたら、課長が私をかばってくださったと伺いました。ありがとうございました」

「その事か。いや、礼なら宮下君に言いなさい。私は彼の手足になっていたに過ぎないからね」

「え?」

 ニコニコ笑って課長はお茶をすすった。

「私も営業部の中村も、社長の依頼を受けた宮下君の言うとおりに動いただけだ。跡取りともなると、妙な仕事を任されて大変だね」

「宮下君が……」

「ただのお坊ちゃんかと思っていたが、なかなかやるよ彼は」

 湯飲みを机に置き、呆然としている私に課長は続けた。

「この件に関しては君はまったくの無実だ。心配はない」

「そうですか……。でも、本当にありがとうございました」

 頭を下げて机に戻った。

 伝票を手に、パソコンを起動させ、宮下君を思った。

 許せない人だった。

 でも、本当は影からいつも守ってくれる人だった。

 応えたがっているのは、成長していない自分だと思っていた。馬鹿みたいにまた情にほだされているんだと。

 カタカタとキーを押しながら、数字の羅列をいつものように入力していく。

 優しいのにそれを表面に出さないのは……、私に負い目を感じさせたくないから?

 だとしたらそれはいらない心遣いだ。

 過ちのない人間なんて存在しない。

 やり方はどうであれ、もう十分に償っていると思う。

 取り返しのつかない誤ちを償う方法って、相手の幸せを助けることだと思う。気に入らない方法ではあったけれど、宮下君は見城ほのかから私を解放してくれた。

 もう私は広山優も宮下君も恨んでいない。

 今頃気づいたけれど、辛い過去なんて、廃棄し忘れた生ごみみたいなものだもの。そんなものを後生大事に心に抱えるなんて馬鹿だ。

 そう。

 人を許さないと、自分を許せない。

 だから、私は今まで前へ進めなかった。

 それから何事もなく九月になり、寿退職する桜子のためにお祝いの会が開かれた。

 場所は、歓迎会と同じ場所だった。

「結婚式の日は晴れるみたいなのよ。よかったわー」

「ふふふ。桜子のドレスめがけてどばっしゃああって降るかもね」

「神様の嫉妬ね。甘んじて受けてやるわ~」

 駄目だこりゃ、マリッジブルーならぬ……なんだこれは、マーブル? いろいろ入ってる。

 出来上がっている桜子を相手に、私はウーロン茶を飲んでいた。

 絶対こういうのって、皆飲むために送迎会をやってるんだと思うわ。どうして情報部や営業部までいるのよ。総務の桜子とあんまり関係ないような……、いやいや、多分裏? で交流しまくってたんだろう。

 桜子はみんなのお酌を片っ端から受けていて、それでも気持ち悪くなって横になるなんて醜態をさらさずに出来上がれるからうらやましい。

 ちなみにこの後フィアンセ殿が迎えに来てくれるんだそうな。

 相変わらず中村君は女子軍(もう軍隊だと思う)に囲まれている。

 今回は抱きつれないようにしなきゃ。にらまれたら怖い。

 わいわいと騒がしい主役の隣が疲れてきたので、輪の中から抜けて一人でのんびりしていると、総務で窓際族と呼ばれている、花谷という定年前のオヤジに絡まれた。

「いよいよこの期で林さんが最後の一人で残っちゃったねー。男はいないの?」

「いい人がいたら考えますよ」

 とりあえず無難な答えを返しておく。これでも既婚者なのが驚きだ。団塊世代のオヤジは女を馬鹿にしてるタイプが多いから、逆らうと面倒くさいのだ。なんでも女の頭は男の半分と言われて育った世代らしく、今では信じられない話よね。

「あー、知り合いの息子は皆結婚しちゃっててねー。いい男といい女は早く片付くもんだから……」

「そうですねー。さぞご立派なんでしょうねー皆さん」

「そうなんだよ」

 バーコードハゲは私のいやみにまったく気づかず、知り合いの息子やら嫁やらをほめ始めた、はいはい、結婚しなきゃ一人前の人間じゃないんでしょ? 古臭い考えに囚われてる時代遅れのオヤジの意見なんざどうでもいいけど、とりあえず流しておくか。窓際の平のままで終わるこのオヤジが誇れるのは他人だけなんだから。

 こういうふうに年はとりたくないものだと思いながら笑顔でやり過ごした。

 思えば就職してから、表情と内心が一致しないって現象? が増えたなあ。

「あんたみたいな人間は、えり好みはしちゃいけないよ。もらってやるって言われたら、どんな男でもはいって言わないと」

「犯罪者とかは困るんですけど」

「そういうところがあんたの駄目なところだ。理屈で男を負かそうとするだろ? 女は綺麗にして男の言う言葉にはいはいうなずいてりゃいいんだよ」

「はあ」

 今、思いっきり実践してますけどね。周囲で聞き耳を立てている人たちがくすくす笑った。私やオヤジを見ておかしいんだろう。桜子はお酌の嵐だし助けてくれそうもないなー。

「あんたみたいな女を、もらってくれる物好きは早々居ないんだからな。お高くとまってちゃいかんよ。わかったか?」

「物好き……ですか」

「そうそう。普通の男は可愛い素直な女が好きなんだからな」

 どこまでも失礼なオヤジだ。お酒の力で普段おなかに溜め込んでんのをぶっ飛ばしてるな。

 困っていると横に誰か座った。中村君だった。

「はいはい、結婚云々はあちらのもうすぐ結婚される方へお願いしますよー」

「おお中村君か。いやまったくそうかもしれん。じゃあ失礼するよ」

 早くどっかいけバーコードハゲ! と内心で舌を出しながら、私は笑顔でオヤジを見送った。思いっきり言ってやってもいいんだけど、お酒に呑まれてる奴は面倒くさいから言わない方が正解なのだ。

「助かったわ中村君」

「恐ろしい女性たちに囲まれて助けを待ってたんですよ、こちとら。そうしたらなんてことない、林さんのほうが助けを求めてたんですから驚きです」

「オヤジの酔っ払いはしつこいのよ」

「しっつれいな事ほざいてましたね。だから窓際なんです」

 同じこと考えてたんだとおかしくなり、私たちは二人で笑った。

 中村君はやっぱりいいな。さっきのオヤジじゃないけど、素直ってやっぱり大事だ……。

 私って、どうしたって踏み込ませないって壁を作ってるから。

 はあ。

 ああ、やっぱり最近の私ってばため息が多い。

「……ね?」

 何か中村君が聞いたのを聞き逃した。

「ごめん、なんだっけ?」

「困ったな。宮下さんも林さんも、同じようなしぐさで聞きなおすんだから」

「や、別に彼と私は関係ないでしょ」

「ありますよ。だって、二人とも京都の出張からどっかおかしくなってる。ねえ? 決定的な何かがあったんじゃありませんか?」

 声をひそめる中村君に、思わず息を飲んだ。

「……何かって、そりゃ広山優が亡くなったら」

「そういうのじゃなくて、宮下さんへの気持ちです。変化が確実にあったんじゃないですか?」

「…………」

 中村君はうれしそうに微笑んだ。

「やっと、そんな目ができるようになったんですね。うれしいです」

「目?」

「誰かを想ってる目です」

「馬鹿、言わないで。私は誰も好きにならないの」

「じゃあ、そのボーっとしてる時、思い浮かべてる人は誰ですか?」

 ドキン。

 胸が嫌に切なく疼いた。

 ふと視線を感じて、見たら、宮下君がじっとこっちを見ていた。

 でも、こっちには来ない。

 私と目が合うと、ついと視線をそらし、同じ情報部の人たちと話を始めた。

 彼は出張後、私に接触してこない。

 あの時抱かれたのは、彼がどうしようもなく寂しそうだったから。

 他に思うところなんて、ない。

 それでいいはずなのに。

「林さん、今の貴女、ものすっごい隙だらけです。なんででしょうね?」

 中村君は言いたいだけ言って立ち上がり、別の人たちの輪へ戻っていった。

 お開きになり、二次会に行く人たちが次の場所を決めている横で、私は出来上がっている桜子を迎えに来たフィアンセの彼へ預け、タクシーで帰っていくのを見送った。

 桜子の彼は相変わらず優しい目をして、酔っ払った桜子を軽く叱り、それでいて大切そうに抱えていた。

 一週間後結婚する二人は、幸せ一色だ。

 同期の女子は子供も生まれて、さらに幸せを深めているみたい。

 二次会へは行かず、駅の方向へ一人歩いて、すれ違う楽しそうなカップルをなんとなく見た。

 この世界にお互いだけって感じで、べたべたして甘えている女性は、心底隣の男性が好きなんだろう。

 私は一体何をやってるのかな。

 ふと振り返ってみた。当然ながら誰も追いかけてこない。

 必死になって追いかけてきた宮下君から逃げた日は、ほんの数ヶ月前。

 またため息が出た。

 再び歩いて、駅に入った。改札口を抜けて階段を昇る。まだ真夜中じゃないから人は多い。

 ざわざわしているホームで、ふと見城の令嬢が……という声が聞こえた。

 目の前に並んでいる男性が、隣の同僚と思しき人と話し込んでいる。

「美人だけどヤリマンなんだって。あのぼんくら御曹司とはお似合いだけどよ」

「お前、一回ぐらい相手したんじゃねえの?」

「ばーか。いくら美人でもあんなのごめんだね」

「社員てだけで呼ばれちゃたまんねーよな」

「見栄はりのために、休日潰されんの納得いかねえわ」

「給料日前の23日に、ぼんくらに祝儀出すのがなあ……」

 どう聞いても見城さんの結婚式の話だ。二人の会話によると、場所は郊外のリゾートホテルだった。

 桜子と同じホテルで同じ日。

 胸が騒いだ。

 もうすぐ嵐がやってくる。

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