清らかな手 第1部 第07話

 眠っているフレディからそっと離れると、雅明は部屋に備え付けてあるバスルームに入り、シャワーを浴びた。真冬のバスルームは冷え切っていたが、熱いシャワーでたちまち温まってきた。フレディのぬくもりや、感情の高まりを残していた肌が、シャワーに洗い流されていくのを雅明は悲しく感じる。

 バスルームから出てきて、雅明はフレディを見たが、相変わらず彼は眠り続けている。任務が終了したばかりで疲れているのだろう。身じろぎもしないフレディの唇に軽くキスをして、上掛けをたくしこんでやると、雅明は白いコットンシャツを着て、モスグリーンのズボンを履いた。

 時計を見ると、夜の8時で、窓の外は真っ暗だった。厚いカーテンを閉め、雅明は部屋の暖房を弱く設定しなおすと廊下へ出た。足取りはかなり重く、雅明の表情は暗かった。

「遅いわね、何していたの? 電話も出ないし」

 女主人のアンネが赤いワインをグラスで弄びながら文句を言った。雅明は厚手のバスローブを着ただけのアンネをちらりと見やると、無言で窓際に立ち、静かに息をついた。

 長椅子にしどけなく横たえられているアンネの肢体は、男心を十二分に煽り立てるものを持っている。もともと彼女は高級娼婦で、特権階級の人間の中でも高嶺の花だった。雅明は何年か前に一年ほど彼女のヒモになり、セックスの代償で与えられる部屋と金で生活していた事がある。その生活はあっけなくある日終わりを告げたのだが、そう思っていたのは雅明だけだった。

「早く抱いてよ、ずっと待ってたのよ?」

 アンネは窓際から動かない雅明に痺れを切らしてバスローブを脱ぎ捨てると、雅明の両腕を取ってベッドへ誘った。やる気のない雅明をベッドに押し倒すと、アンネは手馴れた手つきで雅明の服を脱がしていく。

 生まれたままの姿にされた雅明は、横に寝転がって乳房を腕に押し付けてくるアンネを押しのけた。

「私はもう、こんな事はごめんなんだよ」

「何を言ってるの。アレクサンデルの身柄は欲しくないの? ハインリヒという奴も要らないわけ?」

「…………」

「復讐したいのでしょ? 貴方が弄ばれるままで我慢できるはずがないわ」

 くすくすと笑う声に、雅明はかっとして起き上がるとアンネを乱暴に組み敷いた。嫌に成る程豊満な乳房を手加減無しに鷲掴むと、先端に爪を立てる。

「うるさいんだよ! やられたいんなら黙ってろ」

「アウグスト……」

 うっとりとした目でアンネは雅明を見つめ、その唇に口付けた。雅明は吐き気をもよおしたが堪えて噛み付くようなキスをやりかえした。アンネの細い手首が首に絡み付いてきて、背中へ滑るように落ちていく。雅明はそれに気づかないふりをして、アンネの濡れそぼりだしている秘唇を指で嬲った。

「あっ……ああっ!」

 たまらないという風にアンネが身体を捩る。性感を高める香が甘く香り、雅明は顔をしかめながらもそのままアンネを愛撫する。そのままアンネを指でいかせると、雅明は指を抜こうとした。

「まだ、駄目よ」

「!」

 アンネの秘唇が雅明の指をくわえ込んで離さない。逆に奥へ誘われる。早く終わりたい雅明はしぶしぶ指での愛撫を再開した。自分に欲情しない雅明にため息をつき、アンネはサイドテーブルにある電話に手を伸ばした。

「……もう、仕方ないわね。トビアスを呼ぶわ」

 途端、雅明はアンネにキスをして後頭部を抱えた。雅明はトビアスに抱かれるのが嫌だったのだ、止めさせようと懸命にキスをする。しかしアンネは雅明の肉棒を微妙な力で掴み、さすった。

「う……、ああ……」

 甘い痺れに雅明の力が緩んだ、アンネは薄く笑うとごろりと転がって雅明の上になり、容赦なく肉棒に手を何度も往復させ、雅明の小さな乳首を舐めてはしゃぶった。

「やめろ……くっ……う」

「ふふ、いい子ね……、気持ちいいでしょう」

 アンネは高級娼婦だっただけあり、男を自由自在に翻弄する技をもっている。雅明はそれに得体の知れない闇を見出して彼女の元から去ったのだが、雅明を気に入っているアンネが闇の組織を使って彼をふたたび絡め取ったのだ。

「トビアスは……呼ば……ないで……っ……くっ!」

「仕方ないじゃない、貴方が感じてくれないんだから。彼なら貴方に火をつけられるもの」

 雅明は思い出していた。あの鳶色の目が自分を舐めるように見た、初めて出会った日の事を。

 

 アンネの元を去って、真っ当な仕事をしていたある日、月明かりの中、家路へ急いでいると車が後ろから走ってきて、道路の真ん中で横付けに止まった。

 雅明はその時酔っ払いかと思ったのだが、車から出てきたのは夜だというのにサングラスをした二人組で、見るからに怪しかった。とっさに来た道を引き返そうとしたのだがその時にはすべてが遅かった。背後にも同じように横付けにされた車が止まったのだ。その車からも男が二人出てきてじりじりと雅明に迫ってくる。

「アウグスト……だな?」

 主犯格と思われる男が雅明を建物の壁際に追い詰めながら問いかけてきた。雅明は認めると危険だと思い首を横に振った。運が悪い事にこの辺りは工場の壁が続いているだけで民家がない。逃げ込む所がなかった。相手は入念に雅明の行動範囲を調べたのだろう。

 隙を見て何とか逃げ出そうと男達の行動を伺っていると、男達の一人が発砲した。足元のアスファルトに火花が散る。わざとはずしたのは判ったが、気がついた時には接近していた別の男に薬を含ませたハンカチを鼻に押し当てられていた……。

 息苦しさに目覚めると、見知らぬ部屋のベッドに転がされていた。二人の人間が自分をじっと見おろしている。一人は同棲相手だったアンネ。一人は鳶色の瞳で体格がよく、背の高い男だった。

「ほお、アンネが執着するのも判るな。成る程……」

 髪に触れてくる大きな手を振り払って、雅明は身体を起こして睨んだ。

「どういうつもりだ。今更私に何の用だ」

「勝手に逃げておいて何様のつもり? 私は貴方が気に入っているのよ……だから主人に頼んでご招待したのよアウグスト」

「主人?」

 アンネは未婚のはずだった。

「こちらはトビアス。私の結婚相手よ。『黒の剣』のボスと言えば判りやすいかしら?」

「『黒の剣』!!」

 ドイツでは知らない人間がいない闇の組織の名前だ。雅明は戦慄して思わずベッドの上で後ずさりした。ヘッドボードに背中が当たる……。トビアスは、ふっと笑うと雅明の顎を乱暴に掴んだ。

「美しい。気に入った。お前、うちのメンバーに入れ」

 かちり、と音がした。見るとアンネが銃口を雅明に向けている。嫌だと言えば殺されると雅明は恐ろしくなった。まだ死にたくはない。当時雅明はまだ24歳だった。それでも雅明が黙っているとトビアスが言った。

「今我々は素顔を晒している。断ればどのみち死んでもらうしかない」

 雅明は裏切られたような気持ちでアンネを睨んだ。アンネはその美貌に残虐さを漂わせて微笑む。魔女のような女だ、と、雅明は思った。

「安心したらいい。お前は特別だ。危険な目には遭わせないし護ってやる。金も住む所も今より余程いい所を提供する」

 それは自由と引き換えだ。

 頭をたれた雅明を承諾したととったトビアスが、口付けをしてきた。男にされた事のない雅明は抗ったが体格の差で押さえつけられる。口の中を焦らすような動きの舌が這い回り、その動きに嫌悪感が増したのに何故か下半身が疼いた。

 唐突にキスは終わり、閉じていた目を開けるとトビアスの顔が至近距離にあった。雅明の茶色の瞳は虹色を帯びている……。

「極上だ。アンネは目が高い……」

「ふふ、そうでしょ」

 銃を持ったままアンネが笑った。この先に何が待っているのか判らない雅明ではない。案の定トビアスの両手が服にのびてきて、ボタンを外していく。その手も目つきも、舐めるように自分を見ていて、雅明は歯をかみ締めた。

 裸になった雅明に、アンネが全裸で被さってきて口付けた。その手にはまだ銃が握られている。

「今日は私は抱かないよ。まあ触るとかキス程度はするけどね」

 トビアスがそう言いながら背後から身体を撫で回してきた。雅明はそれにとてつもなく感じ、アンネの情夫時代だった時には見せなかった情熱を彼女にぶつける羽目になった。

 トビアスのあの大きな手は、雅明の劣情を簡単に引き出してしまうのだ。

 枕もとの電話に手を伸ばし、アンネは夫であるトビアスに電話をかける。それを止めたいのだが雅明は何もできないまま通話が終わってしまった。

「さあ私を歓ばせなさい」

 騎乗位でアンネは雅明をふかぶかと飲み込み、腰を揺すった。絡みつくアンネの蜜壷に雅明は成す術もなく喘いでいる。昔はそれでも彼女を振り払う事ができたのだが、アレクサンデルの事件以来何故かできないでいる。

(くそ……空白になっている記憶の中に、何かあるはずだ)

 だが思い出そうとすると激しい頭痛が襲い掛かり、中断せざるを得ない。本人を目の前に引きずり出せばなんとかなるはずだと雅明は思っている。だがそんな事をしたら大変だとアンネとトビアスは思っていた。もっとしっかりとした精神の土壌を築いてからでないと、弱っている部分を辛い記憶が直撃し、雅明を破壊しかねないのだ。

「あああっ……は……んん……あ」

「く……っ……ふ……っ……ぐ……」

 激しく絡み合っている二人のベッドの脇に、トビアスが着崩した格好で現れた。

「またまた激しい事だな」

「最高なの」

 妖艶に微笑むと、アンネは故意に雅明のモノを締め付けて振動させる。

「あぐ……やめ……ああっ」

 震える長い銀色の睫にたまらなくなったアンネは、そのまま腰を揺すりながら喘いでいる雅明の唇に自分の唇を重ねる。トビアスは夜着の腰紐を解くと雅明の両手を縛った。

「いやだ……なんで」

 キスから解放された雅明は、荒い息をつきながらトビアスに潤んだ視線を向ける。トビアスは優しくその上気した頬を撫でながら言う。

「お前が好きだからだよ」

「……狂って……る、お前ら……ああああっ」

 耳をトビアスが這うように舐めだしたので、雅明は白い肢体を震わせてもがいた。アンネと溶け合っている部分は熱く蕩け、早くしろと射精を促す。それなのにいざいきかけると強い刺激が遠のいて、焦らされるのだ。

「綺麗だなお前は、ふふ」

 唾液が流れ出ている柔らかな唇を指二本でなぞると、トビアスは雅明の口腔内に入れた。

「噛み付いてもいいよ。気持ちいいだろうアンネは……」

「……も……やめ、ぐ……は……む」

 何かを話したくても、トビアスの指が邪魔をする。その手を払いのけたくても、両手はきつく拘束されて動かす事ができない。

(フレディ、助けてくれ)

 だが最愛のその人間は、深い眠りに落ちている。茶色の瞳に涙が滲んですうっと目の横を滑っていく。トビアスが勿体無いと言って丁寧に舐めた。力が入らない身体を背後から抱えられて、雅明は何かの情景がシンクロした。こういう事があった気がする……。

 それは空白の中の記憶だ。苦しめと言わんばかりに激しい頭痛が襲い掛かり、雅明は呻いた。

「あ……痛い……うく……」

 辛そうに俯いた雅明を、背後から優しく抱きしめてトビアスが頬にキスをした。

「考えるな、無理に思い出すな。塞いだばかりの傷口から血が出るから」

「はんん……」

 稲妻のように駆け巡る激痛に雅明は歯を噛み締めて耐えた。ホンの少し我慢すればやり過ごせる。いつもそうだった。

「フレディ……」

 恋人に助けを呼ぶ雅明をトビアスが宥める。

「フレディは恐ろしく危険な任務から帰ったばかりだ。起こしてやるのは可哀想だろう?」

 それならこんな事をするなと雅明は思う。頭痛が治まったと見た二人は再び愛撫を始めた。アンネの蜜でどろどろに濡れている結合部をトビアスはゆっくりと撫で、雅明のアヌスまで蜜を引き伸ばし、ぬるりと指を入れた。

「ああっ……は……」

 頭を振る雅明を愛おしそうに見つめ、微笑みながらトビアスはそこを解していく。挿入を求めて粘膜がひくつき、その蠢きと共に雅明の息がせわしなく上がっていった。

「ふふふ、前と後ろで気持ちいいわねアウグスト」

 白い首筋をねっとりと舐めあげながらアンネが笑う。汗でぬめりだしているというのに、雅明の肌はなぜかしっとりとして冷たい。アンネとトビアスにサンドイッチされている雅明の胸に吸い付くと、アンネは小さな乳首をきつく吸い上げた。

「はああ……!」

 結合部の熱と、アヌスの蠢きと、乳首の刺激で雅明は飛沫をあげる。どくどくと注がれるそれにアンネは恍惚としながら雅明の胸に凭れた。トビアスとアンネはしばらくの間、絶頂を極めた雅明の震えを感じ取るかのようにじっとしていた。動いているのはまだまだ燃えたりない炎を燃やし続ける雅明だけだ。とは言っても、力なく震えるだけだったのだが……。

「愛してるよアウグスト」

「大好きよアウグスト」

 霞がかった目でぼんやりとしている雅明の頬と耳に二人はキスすると、また肌をまさぐり始めた。今夜は二人で雅明を貪るのだ。

 二人の手の動きに肌が泡立ち、縛られた両手首のせいで熱が逃せないまま、雅明は身体を捻った。それを逃すまいとトビアスの剛直がゆっくりと雅明のアヌスに沈み、その質量に雅明は息が詰まる。

「こらこら、呼吸をしないと死んでしまうぞ」

「トビアスがいけないのよ。大きくしすぎよ」

「小さくなどできんよ。ほら、アウグスト……」

 固くなった乳首を強く捻り、トビアスは腰を揺らした。そこで初めて深い息をついた雅明はアンネに肉棒を咥えられて、強くトビアスを締め付けた。

「く……アウグスト、締まる」

「気持ち良いのよねえ……」

 双球を揉み解しながら、アンネは唇で雅明の肉棒を深く飲み込み、舌でぬるぬると舐める。

「やめ、やめっ……そんな……は……」

 たちまち勢いを取り戻したそれを、再びアンネは己の蜜壷に沈めた。

「あああああっ……あーっ」

 前も後ろも埋められて、雅明は絶叫した。薬を打たれていた以前ならこの段階でまた達したかもしれないが、もともとはいきにくい男だった。これぐらいではまずいかない。

 ジュブジュブと淫猥な水音が立ち、熱い吐息が雅明を包んだ。何ももう考えられず、自分の身体を好き放題にされるがままにしている。また何かが蘇りかけて沈んでいく。浮かんできたのは多数の男達。自分を好きなように撫でて、舐めて、掴んで、貫いて、めちゃくちゃにして歓んでいる。頭痛がつきりとしたため、その映像を追いかけるのを雅明は止めた。

 どちらにしても無理やりされている感覚は同じだ。這い回る手も、自分を欲する欲望に満ちた目も、突き入れられ、揺さ振られ、翻弄される事も……。

「アウグスト……は……、んん……いいわ、もっと、もっと」

 アンネが雅明の首に両手を回して、熱い吐息と共に、耳に口をつけて囁く。それが嫌で雅明は首を振るが、アンネはより強く抱きついてくる。汗が滴る大きな乳房がうっとうしく感じた時、ふと自分の腕が自由になっている事に気づいた。背後から犯すのに邪魔だからトビアスが解いたようだ。だがもう振りほどく力はない。前後を繋ぎとめられて動けないのだ。

「はああん……! あ……っ」

 雅明が絶頂を極める前にアンネが達してぐったりとする。そのまま雅明にもたれて眠りの淵に着いたようだ。雅明も早く眠ってしまいたいのだが、今日はなかなかそれは訪れない。だが自分を苛む人間が一人減った事にはホッとした。

「重いな」

 トビアスが雅明の身体越しにアンネの両肩を掴むと、ベッドの端に転がした。アンネは起きないまま幸せそうに寝息を立てている。そして雅明から自分のものを引き抜くと身体を横たえ、自分も横に寝転んだ。雅明は解放されて静かにベッドに沈む。

 部屋はサイドテーブルに置かれているガレのランプが点いているだけで、薄暗い。

 身体が疲れ切っているのに眠れない雅明の髪を撫でて、トビアスが低い声で言った。

「アウグスト、アレクサンデルと会うのは止めろ」

「…………」

「アンネに聞いた。こいつはお前欲しさにそれを餌にしているようだが、アレクサンデルはとてもお前では敵わない男だ。大やけどするか、今度こそ廃人にされて売り飛ばされるぞ」

 雅明はゆっくりとトビアスを見た。トビアスは寝転んで煙草を吸っている。火が赤く光って見えた。

「お前が知りたがっている空白の記憶を言ってやろう。お前はアレクサンデルに麻薬を打たれて、慰み者になっていた。ひと月近く何度も何度も犯されて奴隷にされた。そしてオークションで売り飛ばされた」

「…………」

 そんな事は判っている。何度もフレディから聞かされた。雅明が聞きたいのはもっと詳しい話だ。何故自分だったのか、何故そのような目に遭わされたのか……。

 トントンと灰皿に灰を落とし、再び咥えるとトビアスは続けた。

「言葉にすると簡単だが、実際はもっと悲惨だったろう。記憶をごっそりと抜け落とすほどな。そんな物を無理に思い出してもお前に何の利益もない。アレクサンデルは決してお前に謝罪などしないぞ。刑務所に入ってもすぐに出られるように手配し、それを実行した悪の権化だからな」

「…………」

「政治的に失脚はしたが、その分やつらは地下の奥深くに潜んで、以前より残虐な事をしている事はわかっている」

 異様なほど静まり返った部屋。雅明は自分の呼吸音を大きく感じた。外は雪がしんしんと降っているのだろう。雪のように、なにもかも真っ白に染め上げる事ができたのならと雅明は思う。抜け落ちた記憶を作るような事をしでかしたアレクサンデルという男を、殺すために雅明は今生きているのだ。そしてもうひとつは……。

「残念だがお前の筋力は以前のようには戻らない。麻薬の副作用は完全にはとれん。現にお前はアンネにすら敵わないだろうが」

「それは……」

「アウグスト。この館からは出ないほうが良いぞ。アレクサンデルはお前を探している。買い取られた富豪の家から逃亡したと偽情報を流したからな」

「……死んだと言ってくれれば良かったのに」

「それこそすぐバレる」

 灰皿に煙草を押し付けると。トビアスは雅明を抱き起こした。

「ボスは私をそばに置いてどうするつもりだ」

「何も。これまでどおり過ごしたらいい。裏方の仕事をしてくれ」

「ずっと男娼で居ろって事か……」

「アウグスト……」

 深い口付けを受けても雅明は抵抗しなかった。しかし、押し倒されてトビアスに上から圧し掛かられると顔を横にそらした。薄い胸を掴まれて、かすかに震えながら雅明は喘ぎ、トビアスに問いかける。

「ここから出たら……、私はどうなる?」

「十中……九は捕らえられて慰み者になる。お前を欲しがっている連中は山のように居る」

「……何故そんなに私が欲しいんだ!」

 伏目がちに雅明は叫んだ。銀の髪が呼応したようにさらさら流れる。

「私より見目がいい人間は沢山いるだろう。何故私なんだ。いっそ整形してしまいたい。顔を焼いてしまいたいぐらいだ」

「そんな事をしても、お前は狙われるだろうな」

 その不吉な言葉に雅明はぎくりとしてトビアスに顔を向けた。トビアスの目に宿るのは記憶のどこかにある欲望の目。嗜虐を喜びとする目。

「お前は人を魅了するものを持っている。その美しさもそうだろうが、何か、こう、征服したいと思わせるものがある」

「私は男だ。そんなものは女に求めたらいいんだ……あ……は……」

 ずるりとまたトビアスのものがアヌスから入ってきて貫かれた。太くて熱いそれは、いつも情け容赦なく雅明を高みへ押し上げる。

「はうう……ああ……っ……あ……!」

「もっと喘いだらいい。その様がたまらない」

「やだ……もう……嫌だっ」

「弟に泣き付くか? 佐藤貴明はお前を日本につれて帰りたがっていたが」

 目を見開いて雅明はトビアスの顔を凝視する。

「……貴明に……会ったのか?」

「お前が麻薬漬けになっている時に来た」

 トビアスに揺さ振られながら、雅明は力なく笑い出した。その双眸から涙が止め処なく流れてはシーツに染みこんでいく。

 インターネットで見た弟の姿。茶色の瞳は鷹の目のように鋭く、大企業を率いて誰にも膝を屈しない強さを持っていた。

 同じ顔でも、双子でも、なんと自分は弱くて無能なのだろう。

 記憶にないアレクサンデルの館の中で思った事と、同じ事を雅明は思う。

 帰れるわけがない、こんな無様な兄が居たら弟に傷がつく。笑われ者になるだろう。笑った人間を弟は罰し、ひたすら自分をかばうだろう、それがますます兄を傷つけると知らずに。

「日本へ帰りたいか?」

 雅明は首を横に振った。

 本当は帰りたい。帰ってあの穏やかな空気の中で身を横たえてみたい。だがそれは叶えられそうもない、自分の身を自分で護る事すらできない自分には……。

「そうか……」

 トビアスは腰の動きを激しくさせた。雅明の息がすぐに荒くなり、よがる声が飛び出す。

「んんんっ……ああ、……ふっ……く……は、はあ!」

 白い肌に吸い付かれ、いくつも赤い花が咲いていく。シーツを掴んで雅明はトビアスに応えて腰を動かした。ベッドが軋み、揺れている中で雅明の声が大きく部屋に響いた。

「ああっ……ト……ビアスっ……ああっ……ああ……」

 身体が震え、愉悦が体内を駆け巡る。考えられるのは自分の中を出入りする熱い楔。擦れる粘膜の甘い痺れとうずき。

 見えない何かに雅明は手を伸ばした。だがそれはもう自分の手では掴み取れないほど遠くで輝いている。トビアスは伸ばされた手にキスをしてそのままシーツに押し付けた。

 ぎゅっといつの間にか固くなっていた肉棒を掴まれ、雅明はああそうかと思った。

 自分が言った言葉だ。

 ───私が欲しいのなら力づくで奪えばいいんだ。心も、身体も。私は少しおかしいのかもしれない……、アレクサンデルの薬がまだ残っているのかもな、強く欲せられると心が高揚する。

 もう自分の運命を自分では決められない。強い人間が自分を支配して自分の運命をさだめていく……。

「……っ」

 視界が真っ白になり、雅明は達した。そのままやっと待ち焦がれていた眠りに引きずり込まれていく。伏せられていく銀の睫にトビアスはキスをして、羽毛のようなさわり加減で真珠の肌に手を滑らせる。

「どれだけ穢されても白く美しいお前に、闇の人間は激しい羨望を抱く。だからお前は狙われるんだよ……。お前の弟はもう真っ黒だから誰にも狙われない、そういう事だ」

「…………」

 眠りに堕ちていく雅明は、その言葉の大部分を聞いてはいなかった。

 フレディに伸ばされた右手は、トビアスが握り締めて口付けている。

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