清らかな手 第2部 第04話
枯れたと思っていたはずの涙が止まらない。でもその涙は愛するものへの哀惜の雫ではなく屈辱の炎だった。
「あ……くぅっ……」
熱を解放できないように縛ってあるリボン。そんなものを今までフレディはそこへ巻いた事はないし、雅明に対してやった事もない。解放すれば、狂ったように身体の中を荒れ狂う悦楽を外へ出せるのに、それをたった一本のリボンにせき止められて身悶えていた。
今日も朝から蹂躙され続けている。さんざんフレディを抱きつくした後、高野は用事があるからと部屋を出て行った。逃げるなら今なのだが、両手両足を縄で縛られている上、アヌスにディルドというものを挿入されて固定されてしまい、身体に力が入らない。何より冷静に物事を考えられない。
(なんという様だ。幾多の敵を欺いてきた俺が、あんな奴にっ)
まずまずの容姿を持っていたフレディは、女によくもてた。元高級売春婦だった黒の剣のアンネも、雅明を手に入れるまではフレディをよく指名した。とにかく女が放っておかない魅力をフレディは持っている。しかし、男に求められた事など一度も無い。恋人の雅明を除いては……。
女のように犯されるなど屈辱以外の何者でもない。
「はあっ……はあっ……」
震える指先。止まらない口の端を流れる唾液。どれだけ自分はだらしない格好をしている事だろう。
ドアを開閉する音がして、高野が昼食が載ったトレイを片手に天蓋のカーテンを開けた。
「いい子にしていましたか?」
「……あ、……ほど……い……て」
散々嬲った男の手がディルドに触れた。
「おやおやずいぶん気に入っているようですね。貴方のもの……凄く固くなっています。熱くほてって……、ふ……」
「ぎっ……ひい……っ」
ディルドを出し入れされながら、せき止められている肉棒の先に爪を立てられ、フレディは歯を必死に食いしばった。電流のような快感に全身が細かく震え、悦楽に忠実になれと身体が言う。
「フレディ……」
眼鏡を外した高野が、喘いでいるフレディの唇に己の唇を重ねて、吸った。
「んんむ……ふう……ン……ふ」
物音ひとつしない静かな部屋に、二人の淫らな息と水音だけが響く。
「ほ、解いて……あ、……」
「後ろだけでイける様になりましょうか?」
香油でぬるぬるしているディルドが引き抜かれ、代わりに高野の肉棒が根元まで一気に挿入された。その熱さは半端ない……。
「あっああああっ……!」
フレディは射精する事無くイった。
「は……あ…………あ……う……っ」
ディルドの刺激でとっくに陥落していた身体は、宥めるように撫でてくる高野の手と身体中に施される熱いキスに、熱く鋭敏に反応する。逃れたくても縛っている縄がそれを許さない。
「ンっ……はっ……ああっ……ああっ」
「いい声ですね…………。ふ…………っ」
一方的な交わりなのに、熱く応えている自分の身体はなんなのだろうと正常な状態なら考えたはずだった。
でも今のフレディには自分を満たしてくれる存在がありがたい。両手両足を縛られてディルドを何時間も挿入され続け、イく事ができないまま疼くような刺激に身体を支配されて気が狂いそうだった。
「あ……っ……気持ち……い……あっあっ!」
「最初から……この調子なら……」
「はっ……んンっ……あっ……いっいい……」
頭を振るフレディに高野がキスの雨を降らせる。腰を自ら振りながらフレディがせがむように言った。
「イっ……いかせてく……。気が……くるいそ……っ」
「いいですが、条件があります」
動きを止めて、高野の手が上気したフレディの顔をゆっくりと撫でた。身体中が愉悦に震えているフレディは、もどかしそうに腰をゆすり、それでも動いてくれない高野を涙で潤みきっている目で見上げた。
「はや……く」
「この先、私の恋人になる事。それが条件です」
「こ……い?」
「恋人です」
思考がぼやけていたフレディは、恋人という単語にやっと反応し、次いで首をふるふると振った。
「それだけは……嫌だ」
「どうして?」
「おれは……アウグストを……愛してる」
「彼を愛するのを止めろだなんて言ってませんよ。私を愛してくれたらいいだけです」
驚いた事に快楽に歪みきっていたフレディの顔が、その言葉を聞いた途端に正常に戻った。最前線に居たスパイだけあってタフなものがあるらしい。もちろんそれだけではなく、雅明への想いの深さゆえかもしれない……。強い眼光に高野は目を細めた。
「言いなさい」
「お前なんかっ……愛するもんかっ」
「では縛り付けられたままですが」
高野の指が、固く反り返ったままの肉棒の裏筋を撫でた。苦しげに熱い息を吐き、フレディはその甘い痺れに耐える。
「だからっ……殺せって……」
「殺しませんよ。このまま飼い殺しなら有り得ますが」
「くそっ……。こんなところでっ」
「そんなにもがく力がまだ残ってたんですか。さすがですね。ああ胸の先もこんなに固くさせて……ここにローターを付けてあげましょうか?」
「止めろっ……ぐああああっ!」
両方の胸の先を指で押しつぶされて、フレディは頭をのけぞらせた。ダメ押しの如く押しつぶした指が摘まんでグリグリこねくり回してくる。その耐え難い疼きで戻った理性が再び吹き飛んでしまった。
「やめっ……やめ……!」
「どうします……? このまま狂いますか……?」
打って変わって今度は優しく撫でる指と熱く滑った舌先がフレディを苦しめ、ますます肉棒の硬度が増してはちきれんばかりになった。常人ならとっくに陥落している官能の疼きに、フレディは必死に耐えていた。
「俺には……アウグストだけだっ……」
「強情ですね」
ヌプリと高野のものが再び挿入されて揺さぶられた瞬間、フレディは気を失った。
次に目覚めた時にはもう夕方だった。相変わらず全裸だったが身体はさらりとしていた。どうも風呂に入れられたようだ。縛っていた縄も無く手足は自由に動いた。貴明の広いベッドの左端に寝かされていて、カーテンから漏れる夕陽で目覚めたらしい。
身体は高野の容赦ないセックスのせいで、くたくただった。精神的な疲れが何よりも大きい。泣きまくった目は腫れぼったくて瞬きするのも億劫だ。こんなに涙を流したのは子供の時に近所の悪ガキにいじめられた時ぐらいだ。
フレディにも家族は居るのだが、優秀だった異母弟が死亡事故を起こしてしまい、その罪をフレディが身代わりに受けた時に絶縁されている。被る必要が無いものだったが当時の恋人の身の危険を盾に取られ、どうしようもなかった。
服役の後、その恋人が弟と結婚していた事をフレディは知る。行くあてを失ったフレディは、引きずり込まれた闇の組織「黒の剣」で、正しい事の顛末を知った。死亡したのは父の会社が追い落とそうとしていた企業の社長で、最初から弟は殺す気だったのだという。義母の浪費と会社の資金繰りに悩んでいた父は、疎ましく思っていたフレディに死亡事故の罪を着せ、「黒の剣」にフレディを売ったのだ。フレディを欲しがっていたのは、雅明の人生を狂わせたあのアンネだった。そして、愛しあっていると信じていた恋人は、フレディを打ちのめす悪事に協力した弟の恋人だった。
今も彼らはドイツに居て、フレディを売った金を元手に順調な会社経営をしている。
それを知った時は、ふうんそうか、としかフレディは思わなかった。彼らに対する憎しみも涙もフレディは無くしてしまっていたし、恋人の裏切りにより、愛というものなど存在しないと思っていた。だが……
「一人で生きていけると思っていたのに……な」
雅明の繊細な笑顔を思い出して、フレディは寂しくて胸が張り裂けそうになった。雅明は最後は幸せに死んだ。だからそれでいい。そう終わりたかったのに、寂しさだけは日が経つにつれて自分の心を侵食していった。
悲しいのではない。寂しくて寂しくて身体中が冷たくなるのが辛い。あのからかうような声が聞こえないのが辛い。温かな身体を抱きしめられないのも辛い。
だから…………。
だるさで床にしゃがみそうになる足を立たせ、フレディは天蓋つきベッドから降りた。何故か白いタオル地のバスローブがあったのでそれを着て、素足のまま貴明の私室を出た。
私室に繋がっている執務室には誰もおらず、しんとしていた。ふらふらとおぼつかない足どりで机に近づき、昨日から載せられたままになっているスズランの瓶を手に取った。
水に沈んでいるスズランは細かい空気の泡がついていた。
それをしばらく眺めてから、フレディ瓶の蓋を開ける。水は瓶の縁までなみなみと入っていた。それを口にして一気に飲んでしまえば全てが終わる……。
「それは偽物ですよ」
唐突な高野の声に、フレディは瓶を取り落としそうになった。ゆっくりと振り向くと高野と貴明が立っていた。二人とも厳しい目で睨んでいる。気配を殺し、ずっとそこに居たのだろう。
「……それは」
高野の手に同じものがあった。
「そっちは毒のないただの草、こっちが本物です」
「くそっ、それをよこせっ」
飛び掛っているつもりだろうが、やはり足どりのおぼつかないフレディはあっさりと高野に抱きしめられてしまった。
「離せ! 邪魔をするなっ」
「やはりそれで自殺するつもりだったんだな」
もがいていたフレディは、冷たい貴明の声に動きを止めた。そして、ぎっと振り向いた。
「だからなんだっ。いいだろうが俺はお前を殺そうとしたり、機密を漏らしたりしたスパイなんだ。死んだ所で誰もなんとも思わないっ」
「だからといって屋敷で死んで欲しくはないな。はた迷惑だ」
「それは……」
フレディは高野の胸の中で項垂れた。
「……遺書は部屋にある。死体は無縁墓地に捨てろと……金も置いてあった」
「そんな死を、雅明が望むと思うのか!」
怒りの刃に身体を貫かれ、フレディは戦慄する。
雅明には無かった人を圧倒する帝王の表情。顔は同じなのに、この弟は少しも兄に似ていやしない。何度も思った事をまたフレディは思った。
「……俺が、アウグストが居ない世界に耐えられない」
フレディは冷たい視線を注ぐ貴明を見つめる。
「なんでお前が生きてるのに、アウグストは死んだんだ……。お前の顔を見るたびに俺は辛くて仕方がなかった」
「…………」
「アウグストは、その名前のまま俺にとっては光そのものだった」
「…………」
「光がない闇など……、もう、絶望しかない」
フレディの持っていた瓶が、手をすり抜けて床に落ちた。
「う…………うぅ……」
床に広がる水に、ポタポタと水滴が落ちて混じる。全てを曝け出したフレディは、子供のように泣き始め、力が入らなくなった身体を高野に抱きしめられて、流れる涙をハンカチで拭われた。
「頼むから……、もう、アウグストのもとへ行かせてくれ……」
寂寥感に満ちた赤い夕陽が、三人を染めていた。