清らかな手 第2部 第5話

 高野は元気をすっかり失ってうなだれているフレディを抱きかかえて廊下を歩き、屋敷の隅にあるフレディの部屋へ連れて帰った。吐き出すだけ吐き出して放心状態になっているフレディは何も言わない。おとなしく高野の促すとおりにベッドに腰をかけて、差し出されたワイングラスを受け取った。
「ここの部屋、雅明様のお墓が見えるんですね」
 窓を開けて高野は言った。夜の闇に包まれつつある庭は、虫の鳴く声が静かに響いている。向こう側にコスモスなどがうっすらと生い茂っていた。
 ベッドの脇に置いてあるガレのランプだけが部屋を照らす中、穏やかな空気が流れているかにみえる。窓を閉めると高野は、俯いたまま身じろぎもせずにグラスを両手に持っているフレディに言った。
「貴方、確かカトリックでしたね? カトリックは自殺を禁じているはずですが? 自殺は永遠に天国へ行く事ができない、もっとも恐ろしい罪。それなのに貴方は……」
 高野をゆっくりと見上げ、フレディは首を横に振る。
「神様なんて信じちゃいない。闇の世界で生きる人間がそんなもの信じるわけがないだろう」
「雅明様は信じていたようですね。なるほど、あの方は勘違いされていたらしい」
「?」
 意味がわからず、一体何が高野は言いたいのだとフレディは見つめる。高野は小さく笑った。
「……雅明様の寿命を縮めたのは私です」
「…………何?」
 フレディの眉がキッと釣りあがった。
「あの方が死ぬ前日、あの方を抱いたんです」
「……うそだ。そんなはずはない。第一、もうアウグストはあの頃」
「それでもあの方の身体は美しかった……」
 高野は最後まで言う事ができず、服につかみかかってきたフレディに床へ引きずり倒された。ほどかれたままの髪が流れ、怒りにぶるぶる震える手が高野の首を締め上げていく。
「貴様っ……俺ばかりかアウグストまでっ……! 殺してやる!」
 息苦しさに眉をしかめながら高野は言った。
「話は最後まで聞きなさい。……誘ってきたのはあの方です」
「侮辱するな!」
「あの方の……、依頼だったんです」
 依頼、という言葉でフレディの掴み掛かっている手が緩んだ。高野はその隙に身体を反転させ、弱っているフレディを組み敷く。そして、信じられないと青い目をさ迷わせているフレディに口付け、耳をねっとりと舐めた。
「依頼内容は、自分の死後一年の間にフレディ・ミッドガルドを殺す事」
「う……そだ」
 フレディの顔が歪み、涙が溢れてそのまま床に滑り落ちた。その涙をそっと吸い、高野は優しい笑みを浮かべる。
「あの方にはわかってたんです。貴方が自殺するであろう事が」
 それはフレディが出かけていて、入れ違いに高野が貴明の用事を伝えに行った時だった。いつもはベッドに寝ている雅明が、珍しく椅子に座って本を読んでいた。
『何だお前は。もうフレディの恋人気取り?』
 フレディへの気持ちを誰にも見せた事が無い高野は、内心では動揺しながらもゆっくりと言った。
『社長からの伝言を言いに来ただけです』
『なんて?』
『今日の午後7時にこちらの社長室に来るようにと』
『ふーん。残念だねえ。あいつは私の用事で夜まで帰ってこないよ』
『そうでしたか、では……』
『待て』
 部屋から出て行こうとした高野を雅明の声が止めた。わずかに殺気が込められている声が高野の背中を緊張させる。
『ドアに鍵を閉めてこっちへ来い』
『…………』
 高野は警戒しながら雅明の前に立った。フレディが高野を苦手としていたように、高野は雅明が苦手だった。社長の貴明と同様、何を考えているのか絶対に読めない。たかだか小さな島国の社長と、スパイを齧っただけの男娼だというのに。最近では、これが人間の格なのかもしれないと思うようになっていた。
 じっと雅明の茶色の目が、高野の眼鏡の奥の目を覗き込む。
『お前、最初っから気に入らないんだよ。ずっと私のフレディに色目使ってたろ?』
『…………』
『否定しないとはね。恐れ入るよ、そのふてぶてしさに』
『何の用です? 手短にお願いしますよ』
 これ以上見つめられると心の奥底まで見透かされそうで、高野は突き放すように言った。くすくすと雅明が笑いながら立ち上がった。どこまでも優美な動きが癪に障る。
『フレディが欲しいだろう? でもね、あいつは私しか愛さないよ。残念だったね?』
『…………』
 雅明に右手を取られ、引っ張られた。連れて行かれたのはいつも雅明が眠っているベッドだった。一体何をされるのかと訝しんだ高野は、そのままベッドに横たわった雅明の上に馬乗りにさせられる。
『何の悪い冗談ですか?』
『本気だよ。これは……私の最後の依頼。報酬はお金と言いたいけど、残念ながら私は無一文だ。弟は大金持ちだけどこれは支払ってもらえないからね。こんなやせっぱちで悪いけど身体で支払うよ』
『何の依頼です?』
 雅明の両手が伸びて、高野の眼鏡をゆっくりと外した。茶と黒が直にぶつかり火花が散る。しかしその火花に熱さは無く、冷え切った氷のような冷たさだった。
『……私の一周忌までに、フレディ・ミッドガルドを殺す事。殺せなかったら……、あいつはお前のものさ』
 途方も無い事で、高野は目を見開いた。
『馬鹿な……』
『いたって本気。でもね、お前がフレディを落とせたら殺さなくてもいいよ。落とせたらの話だけれどね』
 お前になんか無理かもしれないと雅明が笑ったが、高野は笑えなかった。ひどくこの美貌の青年が哀れだった。普通に生きていれば、まだまだこれから先実りある人生が待っている年なのに、愛する者を置いていかねばならないのだから……。
『受けないと、お前はフレディを落とせないよ?』
『しかし、貴方を抱いたら……』
『どのみち私は死ぬ。明日だろうが一週間後だろうと同じだ。私は、私が残せる事をしたいだけだ!』
 こんな馬鹿げた依頼は受け付けたくなかった。しかし、虹色を帯びた雅明の茶色の目を見た瞬間に考えが切り替わる。まあいいか、どのみちこの男は死ぬ。死んだ人間の依頼など別に実行しなくたって構わない。それよりフレディを独占しているこいつを痛めつけてやろうという嗜虐心が頭をもたげ、高野を突き動かした。
 高野は何も言わず、雅明を抱き寄せて唇を重ねた。角度を変えながらキスを続け、雅明の身体から衣服を剥ぎ取っていく。現れた雅明の肌は美しかったがとても痩せ細っていた。全裸になると今度は雅明が上になり、震える手が高野の衣服を脱がせていった。
『……は』
 微妙な力加減で高野のモノを握られ、高野は思わずうめいた。猛烈な射精感に囚われるのを我慢する高野に、雅明の指は止まることなく高野をさらに追い詰めてくる。
『……くっ……』
 
 唇を噛み締めると頭を優しく撫でられた。
『ふふ……気持ち良い? いーよねえ……フレディもコレは大好きだよ、覚えておいて』
 優越感に満ちた声が癪で、高野は雅明を黙らせる為に口付けた。そのまま口腔内に侵入し逃げようとする舌を捕らえて絡め、吸い上げる。
『ん……んく』
 苦しそうな雅明の声。だが彼の指は止まることなく高野を攻めていた。もうそれはギチギチに固く熱くなっていて、先程から先走りの蜜がだらだら流れている。それを利用して雅明の指はさらに滑りよく高野のモノを弄び、その愉悦が高野の奥に普段眠っている闇を呼び起こした。遠慮はいらない……この男が誘ったのだから。ごろりと転がって再び雅明の上になる。
『あ、……そこ……っ』
 小さく息づく胸の先を高野が舐めると、雅明の手が緩んだ。とても感じるらしい。よじる身体を押さえつけてさらに吸いたてると、細い身体は汗ばみ、しっとりとしてきた。
『……く、ああ!』
 銀の睫を震わせて雅明が涙を流した。それは相変わらず美しく、今は切ないほど輝いて見えた。余り長引かせてはいけないと高野は思い、用意されていた香油を雅明のアヌスにたらしてなじませていく。
『あああっ』
 指を滑り込ませると雅明が背中を仰け反らせた。さらに奥を穿ち、官能の源を探り当てると悲鳴を上げて身体中を震わせる。高野を嬲っていた手は落ち、むず痒い愉悦にひたすら耐えるようにシーツを掴んだ。
『はあ、あ、も……駄目……あああっ』
『気持ち良いんでしょう? 前も固い……』
 たち上がった雅明のモノを咥え、ジュボジュボと唾を利用して扱き立てていく。何人もの男が嬲った筈なのに、そこは何故か明るい血色だった。そう言えばこの男は外見からして白い。双子の弟も男の割には妙に滑らかな肌を持っていた気がする。
 
『あ、あ……、ぁあ!』
 きつく吸い上げると、呆気なく雅明が果て脱力した。高野は雅明の出したものを飲み下した後に、置かれていたワインを飲んだ。そして妖しく上気している、吸い付くような雅明の肌に両手を滑らせながら言った。
『……入れますよ』
 無言で雅明が頷いたのを合図に、自分のモノを高野は押し入れていった。一瞬、女の秘唇に入れているのかと錯覚を起こさせるほどそこは柔らかく、甘美だった。ゆっくり入れて完全に埋没させると、苦しそうにしている雅明に唇を重ねた。
『んんっ……ん……ーん』
 激しく律動を開始すると、相変わらず泣きながら雅明が高野を見上げる。その目は欲情と嫉妬がない交ぜになっていて、高野はかつてないほどの興奮を覚えた。雅明の両手が自分の背中でしがみついてくるのもたまらない。甘い舌をなんども絡みつかせて吸いたて、きゅうきゅう締め付けてくるアヌスを突き上げる。
『……んァっ、ァあっ、ふああ』
 異常に熱を持った下半身がドロドロに蕩けあい、高野は相手が余命いくばくも無い事を忘れてひたすら乱暴に腰を揺さぶった。
 ネットで見た男達が、何故あんなに狂ったように雅明を犯していたのかよくわかる。この美しい男を乱暴に支配できるのが楽しいのだ。うねりよがって悶えるのがたまらなく自分の中の嗜虐心を刺激するのだ。
 
『あっあっ、はんっ……あっ! ああっ』
 ぐちゅぐちゅと音がうるさいのは、雅明が先程から何度も放ってしまっているからだろう。腹から結合部にかけて精液で滑ってべたべたしている。もっと深く繋がりたくなり、高野がさらに腰を押し付けると、雅明が身体を痙攣させながら悲鳴を上げてもだえ狂った。
『あああああああっ!!!!…………っ!!!!』
 雅明の腰に腕を回し、完全に密着させて腰を振り続ける。首筋を舐めながら時々強く吸うと、ひときわ雅明は声を上げて泣いた。
『あっ、イクっ、イクっ……あっあっああああ』
『……く』
 締め上げる甘い擦れについに耐え切れなくなり、強く雅明を抱きしめて高野は迸りを雅明の中へ放った……。
 荒い息をお互いついていると、雅明がくすくす笑いだした。力の無い笑い方で、高野が起き上がって見ると、雅明は天井を見て笑いながら泣いていた。
『……お前の中に私を入れてやった。お前なんかにフレディを渡さない。フレディを抱くのはこれからも私だ…………』
『…………』
 
 泣き続ける雅明の横に寝転がり、高野は黙って銀髪を梳いた。
 気持ち良さそうに雅明が目を閉じたのでこのまま寝入るのだろうかと思ったが、戻ってきたフレディがなんと言うかわからない。どうしようか考えていると、雅明が身体を洗って欲しいと言うので、高野は浴室へ入って雅明を綺麗にしてやった。ベッドもシーツを剥がして新しいものにメイクしなおし、そこへ雅明を寝かしてやった。
 高野が水を口移しで飲ませてやると、雅明はだるそうに目を開いた。もう虹色がかってはいない。
『フレディを……頼む』
『…………』
 なんと言えばいいのか高野にはわからなかった。この男はフレディを生かしたいのか、殺したいのか。しばらく見詰め合っていたが、やがて雅明は視線をふっと壁の隅に移した。
『何か?』
『……パウルが、今朝からずっとそこに立っているんだ』
『?』
 振り返って見たが誰もいない。高野が部屋に入った時からこの部屋には雅明と自分しか居ない。だが雅明にはパウルという人間が見えているようだった。高野は背中がぞくりとした。霊など信じてはいないが、何かがいる気配を確かに感じる。
『お前を連れて行くつもりはないだろうから、心配ない。お前は……フレディの事だけ考えてればいいんだ』
『何故私に』
『……大嫌いだからさ。もう行け。フレディが戻ってくる……』
 不機嫌に雅明は言い、フレディへの伝言は自分が言うからと高野の肩を力なく押した。
『では、失礼します』
 なんとなく気になってドアの前で振り返った高野に、雅明が泣く寸前の壊れそうな微笑を浮かべる。
『お前なんか、大嫌いだ』
 並んで高野とソファに座っていたフレディは、全てを聞きおわるとぽつりと言った。
「……アウグストは大馬鹿だ」
「貴方が自殺すると二度と逢えないと思われて、依頼されたんでしょうね」
「大馬鹿だ。地獄などこの世にしかないものを……」
 両手で頭を抱えて自分の膝に突っ伏したフレディの背中を、高野が優しく撫でていく。
「私もそう思います」
「……毒入りの食事はお前か?」
「ええ、一応依頼は遂行しようかと……。もっとも、あのスズランを見るまでは放っておこうと思っていたんですが」
「見え見えだった……」
「そのほうが貴方は自分を殺さないでしょう? 街中で襲った時も貴方は生き延びようとした。ねえ? わかりますか? 雅明様は貴方を死なせたくなかったんです。あの方は貴方を貴方以上に知っていた。かなり妬けますが……ね」
 優しい口調はおおよそ高野らしくなかった。それだけに嫌にフレディの心に染み渡っていく。
「悔しい事に、あの方は私達が生きている限り、私達の心の中で永遠に生き続けるんです……」
 完敗だよ、石川雅明。
 高野はそう思いながら、フレディの背中を撫で続けたのだった。

Posted by 斉藤杏奈