悪魔なご主人様 その1

 衝撃的なものを目にしてしまった……。

 私はマンションの玄関のドアを大慌てで閉め、そのままそこへへなへなと座り込んでしまった。胸の動悸が異様に激しく、痛いぐらいだ。

「……うそ、でしょ?」

 
 それは夜の九時過ぎの会社での出来事だった。

 月締めの給与の入力をミスった私は、誰もいない夜の総務でパソコンを打っていた。窓の外は真っ暗だし、夜も電源を落とさないコンピューターの音だけが部屋に響き、めちゃくちゃ薄気味悪かった。

「も……駄目、目が死ぬ……」

 机の上の携帯が鳴り、出ると彼氏の市橋さんの声が響く。

『文香ちゃん、仕事すすんでる?』
「すみません、せっかく今日デートの約束してたのに……」
『いいんだ、明日、飲みに行こう? 同期の坂下も誘ったし』

 坂下さんとは私の憧れの秘書課の華。ものすごい美女なのだ。彼女ならデートにお邪魔されても構わないぐらい私は彼女に憧れている。

『ありがとう』
『どういたしまして、三人で楽しく飲もうね』

 はああ……市橋さんの声って癒される……。もう、大好き。電話を切ると私はがぜんやる気を出した。
 
 そしてなんとか入力し終わり、明日の提出には間に合いそうだなとパソコンの電源を落とすと、私は総務の部屋を後にしたのだった。

 しかし更衣室で着替えている時に、眼鏡を総務の部屋に忘れたことに気づいた。今から考えると、大して視力も悪くないんだから、眼鏡なんか忘れて家に戻ったって困ることはなかったのだ。なんで取りに戻ったんだろうと激しく今は後悔している。お気に入りの音がたちにくいウォーキングシューズを履いたことも……。

「あ……ん」

 私は不思議に思って足を止める。
 何故人の声が聞こえるのだろう……。泥棒かと思いそっと総務の窓から中を覗く。そして目が点になった。

 月明かりのもとで男女が絡み合っていたのだ。来客用のソファの上で。それだけでもびっくりする出来事だったのだけど、問題は絡み合っている人間だった。

 ちょっと憧れている上司の池野係長と、めちゃくちゃ憧れている坂下さんだったのだ。

 池野係長は涼やかな目許が大人気の人で、社内で彼に憧れない女はいない。年は27歳で独身でフリーなため、彼を落とそうとたくさんの女子社員が狙っている。私はとてもじゃないが池野係長とつりあうほどの女ではないので、そうそうに諦めて今は資材課の市橋さんとおつきあいしている。普通の女は普通の男と、これ常識ね。

 まあそれに私が池野係長に抱く感情は……なんていうかな、芸能人の面々を見ているような感覚? 見てるだけで満足っていう奴だ。坂下さんに抱いている気持ちと同じものがある。

 そんな池野係長が、同じ別世界人間の、私の憧れの女性の坂下さんと…………してるもんだから、普通はびびるよねえ……。普段は本当に品行方正な清潔に見える二人が、獣みたいに息乱して仕事場でやりあってるんだからさ! 処女の私にも分かるくらい二人は凄かった。

 しかしそれだけなら、私は「凄いもの見ちゃったよ!」で済ませられたのだ。問題は気をやった坂下さんに濃厚なキスをしだした池野係長の背中に、真っ黒な大きな翼が生えて同時に頭に角が現れたことだった。

「ひ……っ!」

 思わず私は悲鳴をあげてしまった。人が見ていることに気づいた池野係長(?)が、私を一瞬見た気がしたけど、私はその場を猛烈な勢いで走り去った。追ってくる気配はなかった……。

 そして話は冒頭に戻る。

 
「はは……、私、きっと眠すぎて幻覚見たんだわ」

 小さなキッチンの冷蔵庫からビール缶を取り出すと、一気に飲み干した。22歳の私は酒はうわばみだからこれぐらいではまず酔わない。

「案外、どっかに隠しカメラがあってドッキリだよーんって出てきたのかも」

 他人が聞いたら、どんなアダルトビデオだと聞きそうなことを一人ごちてみる。

 だってさ、あり得ないって! 上司が実は人間じゃないだなんて。しかも池野係長の席は私のまん前なんだ!!! 嫌でも毎日顔を合わせないといけないのだ。

 こんな事誰にも相談できやしない。私の頭がいかれたと思われるのがおちだ。

「ううっ……。明日会社休みたい」

 私はよろよろとベッドに倒れこんだのだった。

 さて、恐怖の翌日。私は遅刻ぎりぎりに出社した。おそるおそる総務の部屋に入ると、池野係長の姿がなかった。いつもならとっくに席についている時刻だから不思議に思っていると、ホワイトボードに今日は丸一日出張だと書かれていた。

「残念だわ。今日は池野さん見れないのね」

 同僚の莉子が私の隣の席でのたまっていたが、私にはものすごく助かる出張だった。今日は金曜日、土日は休みで月曜日は祝日だ。まるまる三日休みなのだ。池野係長と逢わずに済む! 三日もあれば向こうも見られたことなど忘れ去っていることだろう。よく考えたらあの暗闇だ、私だとばれた確立は低い。何もびくびくすることはないのだ私!

 気になったのは秘書課の坂下さんの欠勤だった。なんでも具合が悪いとの事で今日は休みらしい。

(まー、あれだけ激しくしたら疲れるでしょ……だけど飲み会どうなるのかなあ……。でも夕方には復活できてるかもしれないし、考えるのやめとこ。市橋さんからなんか言ってくると思うしね)

 そう暢気に片付け、私は仕事に取り掛かった。

 その日一日、仕事はのりのりだった。
 私は気づいていなかった、それは嵐の前の静けさだということに……。

 

 終業のベルが鳴り、飲む約束をしている私は足取りも軽やかに更衣室に向かった。ベルと同時に市橋さんからメールがあり、坂下さんも飲み会に出られそうとの事で私は最高に気分がハイになっていた。

「今日は坂下さん市橋さんと三人で飲み放題か~うれしいなあ」 
「本当にね……」

 突然私の背後にぞくりとするほど甘い響きの声がした。ぎくりとして振り向くと、今日は出張場所から直帰のはずの、池野係長がカッコいいスーツ姿で立っていた。

 出たあ! いや待て慌てるな私。ただ単に池野係長は声をかけてきただけだ。顔がいささかひきつりながらも私は声をしぼりだす。

「わざわざお戻りになったんですか? ご苦労様です」
「いろいろと確認しなければならない事があってね」
「給与計算ならもう係長のパソコンに送りましたが……」
「……それはそれは。昨日残業した甲斐があったね」

 ………………っ! 

 麗しい容貌で、池野係長はやわらかく微笑んだ。いつもの私なら、ぽーっとなってしまうほど魅力的な微笑みだが、今の私には恐怖の微笑みだ。

「はは、まあなんとか」
「入社したばかりなのに、沢口さんは仕事熱心でうれしいよ」
「あ、ありがとうございます」

 早くこの場を立ち去りたい、痛切にそう思った。胸の奥がきりきり痛み、握り締めた両手に脂汗がにじみ出ている気がする。池野係長は私の背後から来た女子社員にさよならの挨拶をいつもどおりにすると、言った。

「帰る前に一仕事頼みたいんだ。資料室に行って、前年度の査定のファイル探して僕の机に持ってきてくれる?」
「は……い」

 頼んだよと言うと、池野係長は総務の部屋に歩いていってしまった。

 私は倒れそうにふらふらになりながらもほっとしていた。よ、よかった、ばれてない。ばれてたらどっかに連れ込んで何かをしてくるはずだ。

 とにかく言われたことをして、直ぐに帰ろう。ぼろが出る前に!
 

「えーと、確かこの辺に」

 資料室で、査定のファイルが年度順に並んでいる棚の前で私は目当てのファイルを探す。
 すると、ドアが閉まる音と、鍵がかかる音がした。
 げ! 人がいるのに勝手に閉めないでよっ。
 そう思い、部屋の入り口に走り出そうとした私は。さらに、げっとなった。

 きょ、きょ、恐怖の池野係長がにんまり笑ってドアのまん前に立っていらっしゃる~。
 しかもその手には昨年度の査定のファイル!

 嵌められた!!!!!

 スーツを着ていたはずの係長の服装が、私の目の前でヨーロッパの中世の貴族のような姿に変わり、あの大きな黒い翼と角が生えた。

「ひ……、や、やっぱり……幻覚じゃないのお?」

 思わず言ってしまい、私は両手で口を塞ぐ。池野係長は重力など感じさせない動きで、ふんわりと私の前まで移動した。

「幻覚じゃあないよ。覗きの文香(ふみか)ちゃん?」

 怖すぎる。
 優しく微笑まれれば微笑まれるほど恐怖倍増。
 
「わた……し、誰にも言いませんから」
「人間の誰にも言いませんからは信用できないんだよ。300年前に一度ばれた時、その人間はばらそうとしたからね。もちろん死んでもらったよ。死体は僕のペットのドラゴンのえさになったけどね」

 え、えさ?

 じゃあ私、殺されてしまうの? そんなのやだ! まだ死にたくない。

 私は夢中で走り、鍵を開けてドアを開いた。

「…………!」

 しかし、そこは社の廊下ではなく外国のお城にあるような部屋の中だった。そしてそこにいた人物に私は瞠目する。それは私の憧れの、今日飲み会に一緒に行く予定の坂下さんだったのだ。でもその姿は池野係長同様で、黒い翼に角が生えている。
 
「あら? もう連れ込まれちゃったの? お気の毒に」
「さ、坂下さん……なんで」

 坂下さんは妖艶に笑う。

「私と瑠衣(るい)は従兄妹。人間界にいる時はお互いに生気を補充しあっているの。見たでしょう? 交わる事で食事ができるのよ」

 あれが食事? なにそれ……。そ、そのうえ係長と従兄妹で……悪魔ぁ!? あまりの衝撃の事実に頭がショートしている私に、憧れの美女はくすりと笑う。

「瑠衣は文香ちゃんが入社してから食事しなくなって困ってたの。だから昨日は無理やりさせたのよ。まあ本人がこうして来たのだからもう必要ないわね。そうそ、最後の仕上げをしなきゃね」 
「それはどういう……」

 私が話しているというのに、坂下さんはすぐ戻るからと部屋を出て行ってしまった。

 池野係長と二人きりなり、私は壁際にじりじりと後ずさった。係長は今度は困ったように肩をすくめた。

「そんなに怖がらなくてもいいよ。別に殺そうとか考えてないから。キスだけで食事できるし」
「帰してください」
「駄目。食事してないから」
「私はしたくありません」
「そういう頑ななところが好きだよ。君はほかの女と違って僕に色目を使わないし、もろタイプ」
「私は係長なんてタイプじゃありません」
「綺麗なピンクのオーラなのになあ」

 ピンクのオーラって何? 

「僕はピンクのオーラを自分に放ってくる人間の女を捕らえて食事するんだ。自分に好意を抱いている女の生気はうまいからな」

 私会社で、坂下さんラブラブオーラ発していたのか。はずかしー。
 首筋まで顔を真っ赤にした私を見て、池野係長はおかしそうに笑う。

「社内でピンクのオーラを発していても、純粋に綺麗だったのが文香だけだったから……一目ぼれだった」
「は……?」
「文香も僕のことが好きなんだよね?」

 誤解ですよ係長。
 それは池野係長ではなく、坂下さんに向けたものですから~っ!!!

 池野係長は右の手のひらをすっと上げると、静かに下に下げた。とたん視界がめぐるましく変化した。そして池野係長も変化する。

 びっくりすることにマンションの私の部屋に移動していた。夢かと思い目をこすってもやっぱり私の部屋だ……。ファ、ファンタジーだわ……。
 
「可愛い部屋」

 そう言うと、池野係長はネクタイを解いてスーツの上着を脱ぎ、私に近づいてきた。
 
 な、な、なんだ? もしかしてこの状況は……。

「おなかすいてたまらないから、文香を食べさせて?」

 やっぱりそのオチですか。

 逃げようとした私を捕まえると、係長は私をベッドに押し倒した。後頭部をがっちりと掴まれてされる荒々しいキス。
 舌使いが異様に上手で、何も考えられなくなっちゃうよー。
 さすが食事とおっしゃるだけあって、食べられている気分になる。
 
 だけど、待って。
 待て待て待て!

 私はぐいっと池野係長を押しのけると言った。

「私、彼氏おりますんで!」

 だからこのまま瞬間移動で帰ってくれと言いたかったのけど、またキスで塞がれる。勘弁してくれホントに! こちとら結婚秒読み(多分)の彼氏がいるのだ。資材課の市橋さんって私にお似合いのやさしい男がいるんだよ! これから飲み会なんだよ!

 そう言い切る私を池野係長は驚いたように見ていたが、やがてにやりと笑った。
 ぎゃーっ……これって所謂悪魔の微笑みってやつですか?

「そう? これからそいつと飲み会だったってわけね? 行けたらいいねえ……クス」

 池野係長がそう言った時に、インターフォンが鳴った。市橋さんだ。
 私は池野係長を置いて玄関のドアを開ける。
 邪悪な背後の影が猛烈に嫌だ。頼むから出てこないでよ? 余計なことを言うんじゃないよ? 係長……。
 
「文香ちゃん……」

 ん? 市橋さんの背後にいるのは……。私服の坂下さん! 貴方律儀に飲み会だけは出るつもりだったんですか?
 一方、市橋さんは暗い顔で言った。

「ごめん……今そこで坂下さんからすべて聞いたよ。君、係長と深い仲になってしまって数ヶ月悩んでたんだって?」
「はあ?」

 まだ浅い仲すらなってないよ? どうしたの市橋さん!

「気づかずにいてごめんな。今も係長が来てるんだろ? 相手が池野係長じゃ勝ち目ないからあきらめるよ。じゃ……」
「ちょ……」

 待ってと言おうとした私の口を、大きな男の手が背後から塞いだ。
 うひゃあっ! 出てきやがったー。この悪魔がっ。

「すまないな市橋……」

 声だけはすまなさそうだけど、絶対内心高笑いだよこの悪魔は! 食事のために何てことするんだこのャロー。

「いえ、良いんです。おかげで憧れの坂下さんとつきあえますから」

 いきなり顔が幸せそうに豹変する市橋さん。ちょっと待てーっ! 叫びたいのに悪魔に口を塞がれて私は声を出すことができない。市橋さんの背後で悪魔の笑みを浮かべる坂下さん……、ああああ、残酷なまでに貴女は美しい人ですね……。そうこうするうちにも市橋さんはもう一人の悪魔、坂下さんと手をつないで行ってしまった。

 おーい、市橋さんっ! あんた新しい彼女とひきかえに悪魔に魂を売っちまったのかっ!!!

 脱力した私の頬を両手に挟んで、悪魔が甘くささやく。

「安心して、今日から僕が彼氏だから。身体のすみからすみかで可愛がってあげるからね」
 
 そしてまたキス(食事)され、私は放心した。
 終わった。私の人生……今日終わったよ……お母ちゃん。
 私の未来は今日消えた。これから先は悪魔の食料品……。

 お母ちゃんの言ってた教訓を思い出した。

 ~教訓~
 憧れは憧れであるからこそ素晴らしい。
 もうひとつ。たいしたことのないものに気を取られると、大事なものを奪われることがある。

 よく分かったよ、ぢきしょうっ!

——————————————————-

「はい、文香ちゃん、あーん」
「…………」

 目の前に、タコさんウィンナーをフォークに刺して、私に食べさせようとする悪魔が一匹居ります。

 この悪魔、私の直接上の上司で、池野瑠衣という綺麗な名に恥じないいい男なんですけど、中身がかなり残念な部類ではないかと思われます。
 あの会社でのさわやかで理知的な上司が、なんでこんなへにゃへにゃ笑顔の溶けかかったバターみたいな奴になっちまうんでしょうか?

 あのあと、係長は勝手に私の冷蔵庫を発掘して、夕食を作ってくれた。これがまた絶品で私は胃袋が今満腹の状態でこれをやられております。

 正直な話、もう今日はこのままビール飲んで寝たいんだけどな。

「あの、係長?」
「やだなあ、係長なんて他人行儀な。瑠衣って呼んで欲しいなあ」
「誰が呼ぶか! いつまで私の部屋に居座るつもりですか! 早く帰ってくださいよ!」

 係長は、ふうとため息をわざとらしくつくと、タコさんウィンナーつきフォークを皿に置いた。

「……わかってないなあ文香ちゃんてば。恋人同士は一緒に住むもんなんだよ?」

 私は、テーブルをげんこつで思い切り叩いた。

「誰が恋人ですか! 私の恋人は市橋さんですよ」
「市橋は、坂下にめろめろだったじゃないか。見たろ?」
「気の迷いってやつですよ。明日には元通りですから!」

 くそー……思い切り机を叩いて手が痛い。じんじんする。それもこれもこの悪魔のせいだ。にらみつけると何を勘違いしたのか、この悪魔は、無遠慮に私の手を取ると挟み込むように撫でまわしてきた。何するんだこの悪魔! 触り方がいちいちエロいんだよ。そんな甘い眼で見るんじゃない。こっちも気の迷いが起きそうだわ!

 ばちっと思わず眼があってしまい、顔に熱が集まるのがわかって私はあせった。

 秘かに憧れてた男なもんだから、どきどきしちまうよ。さらにさらにいい男に免疫がないもんだからこうも至近距離でいられると困る。

 ど、どうすればいいんだと思っていると、うれしそうに係長は微笑んだ。

「文香ちゃんてば、かーわい」
「はあさよで……」
「今、ちょっとピンクのオーラ出てた。うれしいな」

 うそお! びびる私の頬を係長は人差し指でつんつんしてくる。

「身も心も奪えるのはもうすぐだねえ……」

 係長の綺麗な黒い瞳が間近に迫り、動けなくなった私。
 ああもう……どうしよう。
 なんちゅう吸引力のある眼だ。さすが悪魔。
 ……吸い寄せられて……しま……う。

 ピンポーン♪

 その音で私は正気に戻った。悪魔の顔は至近距離。私は慌てて係長を押しのけて玄関へ走る。やばい、もう少しでこいつに堕ちるとこだった!

 そして、私は悪魔から逃れることができたのであった、めでたしめでたし……。

 ……とはいかないのだな。

 ドアを開けると、あったのはダンボールの山。なんじゃこりゃ。田舎のお母ちゃんの奴、また食いきれんほどの大量の野菜を送ってきたのか? にしては多すぎる……。市場に出荷するのと間違えてないかい?

「ああ、ご苦労様です。こっちに運んでください」

 背後から悪魔が言い、引越し屋の兄ちゃん達がダンボールを運び入れ始めた。
 私の部屋に! なんでやねん。

「ちょっと、どーゆー事ですか! 係長」
「どーゆー事って?」

 係長はダンボールを運びながら楽しそうにしている。私の部屋は借り上げ社宅なものだから、ぜいたくにも広い部屋が借りられている。2LDKのうちの一部屋ががらあきになっている状態だった。そこへ係長のダンボールは吸い込まれていき、やがて引越し屋さんは帰っていった。

「さあてと! これで結婚を前提とした同棲生活が始められるね!」

 悪魔の癖に天使の様に微笑みながら問題発言する係長に、私はぶっ飛んだ。

「誰が結婚ですか!」
「やだなあ、今更、文香ちゃんと僕に決まってるだろお?」
「じょじょじょじょじょーだんじゃあないですよっ」

 係長は、またさっきみたいに私の頬を人差し指でつんつんした。

「ふふふ、照れてるの文香ちゃん、やっぱ、かーわい」
「人の話を聞けええっ」

 声の限り叫んでるのに、係長は一向に動じず、それどころか私の手首を引っ張って、そこだけ用意されているダブルベッドに私を押し倒した。

「なーに? 待ちきれないの? 文香ちゃんてば。強引だなあもう」
「誰がじゃ! 強引なのはそっちでしょ、離せって言ってるのが判らんのかゴルアアアア」
「ハイハイ、大人しくしようね」

 係長はリモコンで照明を真っ暗にすると、私の服を脱がせ始めた。
 
 ギャーっ。聞いてないよこの悪魔! ここまで人の意見を華麗にスルーする奴は初めてだよ。どうすりゃいいのお母ちゃんっ!!!

 悪魔が深くてこゆーいキスをしてきた。くそ、両手首を拘束しやがった。動けないよお。

「ん……、ふう……んんんっ」

 駄目だ、なんか生気を吸い取られてるのかどうかわからんけど、頭の中が霞がかってきた……。なんか気持ちいいかもと思ってしまった私は、もう立派に悪魔の食料品なのかもしれない。

 何分されてたかは判らないけど、ようやく唇が離された時には私の全身の力はどっかに行ってしまっていた。係長は私の首筋を舐め舐めしながら、魅惑的な声で言った。

「ゆっくり慣らして上げる。いきなり突っ込んだりしないから安心して」

 それ、その女をくどく声音で言う事ですか……係長。
 恥ずかしいところを撫で回される心地よさで、私はなにも言い返すことができなかったのだった。

 翌日、熟睡中の係長を置いて、私は定刻より1時間早く出社した。なんとしても市橋さんを捕まえないいと……。

 だけと朝早い資材課で見かけた光景に、すべてが吹き飛んだ。
 なんなんだ、この人々は!

 「はい、いっちゃん、あーん」
 
 坂下さんがお弁当を持って、ひっつくように隣に座っている市橋さんに、タコさんウィンナーをフォークに刺して食べさせている。おいしそうに口をもぐもぐさせている市橋さん。微笑む坂下さん。他の資材課の人々はそんな二人を遠巻きにうらやましそうに見ていた。

 なんと! まぶしすぎて見ていられん! ってな位に二人はキラキラ幸せ光線を発しているのだ。

「すみれちゃんのお弁当おいしいよ……」
「やっだあ、いっちゃんてば、うれしいこと言うんだからあ」

 ははははと笑いあう二人はどっからみても、ラブラブ馬鹿っプルだ。ボーゼンとしている私に資材課の連中がやってきて、私に質問を開始する。

「あのさ、市橋ってあんたと付き合ってなかったっけ? なんで坂下さんと?」
「……さあ?」

 駄目だ、ダメージ食らって頭の中真っ白だ。

「どー見たって坂下さんとあいつじゃつりあわないことねえ?」
「そうですかね……」
「あんたみたいなのが似合ってると思ってたんだけど、どーなってんだよ」

 私もそう思ってます。はい。しかし、この神に祝福されている二人を見ていると、なんか私はお邪魔虫であったのかと錯覚を起こしそうになる。

 会社の倉庫の事務所内だというのに、あの二人が居るところだけピンクの小部屋に見えてきてしまうから不思議だ。

 やいやいと資材課の連中は言ってきたけど、私はろくに返事をしないままふらふらと総務課へ向かう階段をのぼりだした。

 うおおお……完璧に失恋しちまったよおおお……お母ちゃん。
 恋愛は真剣勝負。斬らねば斬られると言ってたお母ちゃん、あんたは正しい……。
 でもさあ、あんな美女にその辺のエキストラ女が勝てるわけないじゃん。
 主役にエキストラAとかCもつかない、本当に平凡なエキストラ……。

 踊り場の鏡に、平凡な私が映る。思わず自分をにらんでしまった。

 うう、悔しいが負けを認めざるを得まい。今は。
 だが復活のチャンスはある!
 坂下さんより私は若いのだ。この若さで必ず市橋さんを奪還してやる。うん。頑張れ私!
 おっし、燃えてきたぞ! 戦闘モードスイッチオンだ!!!
 いつか市橋純愛物語のヒロインは私に戻って、あの悪魔女に目にモノを見せてくれよう。
 
「もう、冷たいなあ文香ちゃんてば、置いていくなんて」

 ……馴れ馴れしく抱き寄せてくる、この脇役の悪魔Sを退治してから……。

 係長は、私を空いている会議室に引きずり込むと、またもや熱くて熱くて熱すぎるキスを重ねてきた。そんでもって嫌になるくらい身体中触りまくってくる。朝食なんだそうだ。つうことはなにか、朝昼晩このセクハラを受けねばならんと言うことなのか……。
 
 真剣にやばいよね、この状況。やたらとキスと愛撫が上手い悪魔に身を委ねていたらいつかほだされてしまうだろう。

 またもやへにょんへにょんになった私を係長は自分の膝に乗せる。ちなみに係長は床の上に直接座っている。

 朝日を浴びている係長の顔は、魅惑的に美しいというかかっこいい。
 これにだまされてたんだよなと私はため息をついた。それをまた好き勝手に解釈してこの悪魔は言った。

「ふふ、幸せすぎてため息なんかついちゃって」
「…………」

~教訓~
 見かけと本質を見極める眼を持とう。たこ焼きだと思ったそれは、実は焼きプリンかもしれない。

 うりゃあ! 私をいい男に愛されてる女だと思うな! めっちゃ迷惑してるんだぞこちとら!
 絶対に絶対に悪魔どもを退治してやる! 覚えてろ、ぢきしょうっ。

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 うーん、新緑の季節っていいわねえ。都会のジャングルに住んでるもんだから、緑が目に優しいよ。
 窓から入ってくる風もさわやかだし、新緑の上に広がる青空も最高にきれい。
 将来は田舎暮らしもいいかもしれないわね。なーんてふふふ。

「いっちゃんおみかんどうぞ」
「うれしいよすみれさん」

 くそ、人の隣でいちゃつきやがって馬鹿どもめ! 手に持っていた手作りクッキーの箱を持ち、私は通路の向こうの市橋さんに差し出そうとした。しかし、坂下さんの物凄く早い鉄拳がそれをすっ飛ばした。。

 なにするんじゃ悪魔ーっ。クッキーの箱が空中を飛んでいってしまうっ。

 その時がたんとバスが揺れ、倒れかけた私を横からのびてきた手が受け止めた。

「大丈夫? 沢口さん?」

 うう、悪魔なんぞに助けてもらうくらいなら、バスの床でひっくり返ったほうがましだったよ! 私は手を離してもらうと、池野係長の隣の席に座った。こんなふうにみっともない事をしていても誰も注目なぞしていない。社員旅行なんだけど、皆この日は無礼講という事で昼だというのにお酒を飲んでそれぞれが盛り上がっている。もともとアットホームな感じが強い会社だけにこういう行事には皆はじけちゃうんだな。

 しかし、この悪魔は私と二人っきりの時はしつこいぐらい甘ったるい事を言い、あちこち触りまくるけど、人前では会社の係長としての態度を崩さない、大した化けっぷりだ。

 前の席から莉子が、
「池野係長ってこんな時でもいつも通りでつまんないですよ」
 などと言っている。馬鹿だね、騙されてるよあんた。

 係長は涼しい顔で微笑んでいる。くそ、誰だよこの座席組んだ奴。……絶対この隣の悪魔に決まってるんだけどさ。ふと気がつくと、私の手作りクッキーを係長が勝手に食べている。ギャーっ! 昨日会社から帰ってきて深夜まで頑張って作った奴なのに! 市橋さん用だぞそれは!

「うん、おいしいね沢口さん」

 にこりと笑う悪魔。前の莉子が私も食べたいなどと言い出し、係長からクッキーをもらうともぐもぐと食べている。

「あ、本当においしい。あんた天才?」

 止める間も無くクッキーはあっという間に二人の胃の中へ……。というよりほとんど悪魔が食べてしまった。おりゃあっ! てめー、普通の食事もできるんじゃねえかよ、なんだって私に変な事するんじゃーっ!

 空になった箱を返してもらい、とほほと俯いた私に、坂下さんが通路の向こう側の席から言った。

「池野さんって、甘いものには目がないんですよねえ」
「はは、それは確かだね」

 上機嫌にのたまう悪魔。じゃあこれからスイーツばかり食ってろ!

「いっちゃんは甘いもの駄目なんだよね?」
「うん」

 し、しらなかった……! 勝ち誇ったように微笑む憧れの美女に、私は敗北した……。

 

 えらい山奥の鄙びた温泉宿についたのは、まだお昼の三時前だった。社員旅行でもあちこち行こうよと思うのだけど、うちの会社ときたらいつも温泉宿しか行かないと決まっているらしい。もはや移動飲み会のようなものだ。なるほど、こんな酔っ払いを市場とかなんとかパークになんて連れて行けないよね……。

 はふー……。私と莉子は同じ部屋だから、二人で和室に入ると畳の上に寝そべった。開けられた窓から響いてくる清流の流れが耳に心地いい。

「はー生き返るわね」
「そうだよねえ……、あ、そだ文香。私、和馬の部屋に泊まるからね。悪いけどあんた一人で寝ててよ?」
「は? 和馬って情報部の川崎君の事?」
「そうそう、実はさ、一週間前から付き合ってんのよ」
「へー……。川崎君と。あんたもやるねえ」

 川崎君は私達と同期で出世頭でもある。顔は普通だがとにかく頭が切れるし、仕事もできるし、なかなかの奴だ。

「今から行かないの?」
「今からやってたら身体持たないしね。それに夜、宴会あるじゃん?」

 やるって、あっちのやるだよね? なんて過激な奴だコイツは……。

「でも川崎君と同室の人はどうなるの?」
「さあ? 知らないけどどっかに泊まるんじゃない? 結構皆好き勝手やってるよ、二人部屋なのに徹夜で四人飲み明かすとか言ってた人もいたし」

 いくら旅行明けが盆休みだからって皆盛り上がりすぎじゃないかい? まあいいけど人の身体だし……。

 それから莉子と二人で温泉街を歩きまくって楽しんだ。莉子はここの名物だという煎餅を店ごとに食べ比べて楽しんでいる。喉が渇くよこれは。

「文香、ここって煎餅焼くところ見せてくれるんだって、行ってくるね」
「はいはいじゃあここで待ってるわ」
「直ぐ戻るしー」

 まあいいんだけどね……。莉子は店の奥の作業場へ消えていった。私は煎餅と一緒に売られているお土産を眺めた。田舎のお母ちゃんに送ってやるかたまには。

「Excuse me is there a Inokuchiryokan near here?」

 いきなり隣からネイティブな英語で話しかけられた。見ると金髪碧眼のノスタルジックな美形男だ。背も高い。旅行用のスーツケースを引きずっているところを見ると、旅行客なんだろう。
 
 だけど私はこのあたりの事はとんとわからない。ちなみに詳しい事を説明する英語力も無い。英語が話せる莉子はまだ戻ってこない……。わからないというジェスチャーをするとその人は困ったなあという風に、店の入り口にある木のベンチに座り込んでしまった。どうやら相当歩いたようだ。気の毒に思い、私は店の人のサービスで置いてあったお茶をその人に渡してあげた。

 その人はうれしそうに微笑んで礼を言うと、そのお茶を飲んだ。そして井ノ口旅館と書かれているパンフレットを私に差し出した。するとそれを見ていたお店の人が言った。

「あらまあお客さん、何年前のパンフレットですかそれ。そこは5年も前に潰れましたよ」

 わけが判らないという顔をしているその人に、私はそこは潰れたんだという事をなんとかジェスチャーで伝えた。数分後事のすべてが飲み込めたその人は頭を抱え込んだ。

 気の毒に思った私は、自分の泊まる旅館のフロントに携帯で電話をした。空き室があるかどうかを聞いてみたのだ。するとたったいまキャンセルが出たのだという。そこへ英語が話せる莉子が戻ってきて通訳をしてくれ、その人は旅館に泊まれる事になった。

「I thank you from the bottom of my heart!」

 青い目を輝かせてその人はいきなり私の両手を握った。な、なんなんだろ? えらく感謝されている事はわかったので、日本人の得意技のあいまいな微笑で返した。しかし、美形の顔を至近距離で見るとど迫力だな……。

 その人の名前はポール・レインと言い。東京の証券会社に勤めている人らしい。驚いたのは私と同じ年だという事で、どう見ても5つは年上に見える。

 ポールは旅館へ向かう最中、ずっと私の右手を握ったままなので困ってしまった。莉子がにやにや笑いながら私に耳打ちした。

「ちょっとこの辺であんたもハメはずしたら? この人、絶対に文香に一目ぼれよ」
「は? 何言ってんの?」

 私は市橋さん一筋なのだ。

 ポールは英語がわからないというのに私にべらべらと話しかける。莉子はそれを後ろから歩きながら通訳する。他愛も無い話が多かったけど、よくこんだけ話す事ができるなと私は感心した。

 そこまでは良かったのだ……。普通の出来事で済んだのだ……。

 旅館へ着いて受付が済んだ時に、事件は起こった。

「Humika……」
「はい?」

 じっと見つめられたが、私は外人の事だからと特に気にしなかった。
 それがいけなかった。この時の自分を私は自分を殴りたい! このアホ間抜けえええっ!

 そのままいきなり肩を抱き寄せられて、ポールにキスをされてしまったのだ!

 よく外人がやる頬のキッスじゃないんだよ。
 
 明らかに恋人にやるよーな、ベロチューだったんだよおおおお。何するんじゃこの外人! あ、でも上手だなと思った私はやっぱり悪魔に毒されているかもしれない……。

 くすりと魅惑的に微笑むと、ポールは私に耳打ちした。

「ありがと、おいしかったよ」

 に、に、日本語話せるじゃないのっ。どういう事だ? だましてたんか? キスと日本語が話せる事実にびっくりしていると、背後から猛烈に邪悪な気配が。おそるおそる振り向くと壮絶に優しく微笑んでいる(日本語変なんだけど表現がこれしか思いつかんかった)、悪魔がいた……。

「沢口さん、君には確か今夜の宴会の幹事を頼んであったはずだけど、打ち合わせを忘れて外出の挙句ナンパとはおそれいるね」
「は……はは」

 もう一人の幹事の莉子には何にも言わないくせに、なんだって私だけ……。原因をつくったポールはそれじゃとばかりに行ってしまった。おりゃあっ! うそつき外人め! 騒動の種を作るだけ作ってとんずらかっ……覚えとけよー。莉子はとっくにいない。それでも同僚かよっ。

 悪魔は自分が泊まっている和室に私を放り込むと鍵を閉め、こわーい笑みをまた浮かべた。みるみる姿が悪魔になっていく……角が生えて翼が……、かなりこわい!!!

「あの、あの、鍵閉めたら同室の人入ってこれないんじゃ……」
「管理職は一部屋一人。同室だとうざいだろ?」

 この旅行で一番上は池野係長。つまりこいつのわがままがすべて通るんだよ。ひきょーもんめっ。

 ばっと悪魔が右手を大きく横に振ると、びっくりな事に一瞬で私の服が下に落ちた。なんの手品? つうかなんでいきなり素っ裸に……。

「お腹、すきすぎて我慢できないから、手っ取り早く行くよ……」
「おち、おち、落ち着きましょうよ係長。さっきクッキー食べたでしょ」
「おいしかったけどおなかいっぱいにはならないよ……」
「だって、今まで本番なかったんだしっ」

 腕をめっちゃ凄い力で握られ、私は逃げようと頑張ったが無駄だった。そのまま悪魔が敷いていたと思われる布団に押し倒された。恐るべし悪魔の食欲。

「瑠衣って呼んでくれたら考えてあげてもいいよ?」
「いえそのあのそのっ……、あの外人は勝手にキスしたんですよっ」
「名前呼べよ」

 ぎらぎら光っている怖い目を見たら、絶対に考えてもくれないと思うよおおおおおっ。

 べろりと悪魔は私の首筋を舐めた。ひいいいいいっ……食べられてる食べられてる。両手はぎっちりと悪魔に押さえつけられているのでびくとも動かない、ちくしょう、馬鹿力めっ……。もがいていると悪魔の背中の大きな黒い翼がばさりと音を立てた。それは私を逃すまいと包み込むように広がっているのだ。

 こわい……っ。そういやこの悪魔とキスするのが嫌で昨日は莉子の家に泊まり、朝も莉子のそばを離れないままバスに乗ったんだ。つまり、空腹のあまりキレていらっしゃる……?

「んむっ……」

 唐突にキスされて私は変な声をあげてしまった。悪魔の舌は私の口腔内を好き勝手に暴れまわって舐めまわしたりつついたりする。あー……だめだ、こいつのキスはなんか変な力でもあるのかされると脳が働かなくなっちゃうんだよ……。多分悪魔が食事しやすいようにする成分かなんかが悪魔の唾液にあるんだと思う……。

 抵抗しないと判断したのか、悪魔は私の太ももとか胸を撫で回し始めた。気持ち良いと思っている私は人生終わってるのかもしれない。悪魔が身動きするたびにざざざと翼が布団に擦れる音がする。

 そのうち太ももを這い回っていた手は、内側に回って私の恥ずかしいところに入ってきてしまった。そこを撫でて悪魔はにんまり笑う。それがまた魅惑的な笑みでかなり……怖い。つくづく食べられていると実感するんだよおおおお。

「濡れてる。おいし……」

 れるれると二又の舌で舐めて、悪魔は笑った。気がつかなかったけど、悪魔の姿になると係長の犬歯が異様に尖って見える。吸血鬼ではないはずなんだけどな……。

 キスと恥ずかしいものを舐めたせいか、ちょっとだけ悪魔がやさしくなったように思えた。多少は理性が甦っているかもしれないと思い、私は言ってみた。

「あの、瑠衣……」

 ぴたりと悪魔の愛撫(食事)が止んだ。でも指は私の恥ずかしいところに触れたままだけど……。

「今、なんて?」

 悪魔が私をじっと見た。私は人間の目に戻ってきつつある悪魔に希望を持ち、再度繰り返した。

「瑠衣……っ……ぎゃ!」

 いきなり悪魔がぎりぎりと私の身体を締め上げだした、その両腕で。
 うそっ……! なんでこんな目に……っ いぎがでぎない……、じぬううううっ。
 しかし耳に熱い息と共に滑り込んできたのは悪魔の歓喜の声。

「うれしいよっ! 文香ちゃあんっ。やっと名前呼んでくれたねっ。これで恋人同士だよねっ」 

 なんだなんだなんだあああっ。なんでいきなりこいつはー。
 
 悪魔は止めるどころかますます熱心に愛撫してきて、私は肉の芽をこすられまくってむずがゆさで腰が砕けそうになる。いやだ、やめて、そこ、なんでこうなっちゃうんだっ。

 そういやお母ちゃんが、男は狼になったら殺す気で抵抗しないとやられるよって言ってたな。
 でも相手が悪魔の場合はどうすりゃいいの。
 悪魔って何に弱かったんだったっけ? 思い出せないよっ。

「ああっ……はあんっ……あ、あ、あ、……だめえっ」

 悪魔の指はぬちぬちといやらしい音を立てて、私の中を出入りする。どうしようどうしよう、このまんまだと私は悪魔に初めてをされてしまうよっ。いつもはこの辺で止めてくれるんだけど、今日は加速するばかり。

「文香ちゃん……、力、抜いて……」

 なんで? と思う間も無く、めっちゃ熱くてでかくて固いものが入り込もうとしているのに気づいた。ぎゃああああっ! そんなの無理無理無理。壊れるよ私。坂下さんは大丈夫でも初心者の私には無理っ。

 しかし悪魔は逃げようとする私を馬鹿力でさらに押さえつけて、一気に突き入れてきた。なんというか、いたあい! 痛い、痛い、痛くて死ねそう……っ。

「は……文香ちゃんの中、気持ちいい……」

 よほど気持ちいいのか、悪魔は翼を一度はためかせた。あほーっ……、あんたは気持ちよくてもこっちは痛くて痛くて気分最悪だっての! ぜったいにあそこは血が出てるよ……。

「……っく……」

 ガラにも無く私はぼろぼろ泣いた。痛いんだもん仕方ないよ。あんな馬鹿でかいもの突っ込まれたら痛いに決まってるじゃん。悪魔はそれなのにうれしそうに頬にキスしてくるだけで……。

「ごめんね文香ちゃん。でも、でも、好きだよ」
「…………」
「市橋はすみれともうこういう仲。いったん悪魔とこういう仲になったら……、人間はもうその悪魔のものなんだ、市橋が文香ちゃんに振り向く事はないんだよ」
「……信じません! もう終わってください!」
「文香ちゃん……」

 普通の良心的な人間なら、ここで止めてくれるんだろうけど、やっぱり相手は悪魔だった。いきなり容赦のない出し入れを開始しやがった。痛い痛い……っ。

「あ……も……いやあっ」
「すぐに気持ちよくさせてあげる……」

 悪魔が再びキスしてきた。その瞬間になにかふわりとしたものが口から入ってくる。同時に痛みがいきなり消えた。何これ? 痛みが消えた途端に、悪魔が突く角度を変えて、焦らすように腰を動かした。

「あああっ……は……あ」
「やっぱりここ、気持ちいいでしょ? 文香ちゃん指でもここでよがってたもんね」

 熱い悪魔のものがそこを擦るだけで、信じられないむず痒さが生まれて背筋を這い登ってくる。どくりと恥ずかしい蜜が溢れるのが判った。粘つくような音がそこからする。

「……ああ……っ、あああんっ……ああ、瑠衣……」
「なあに? 気持ちいい?」

 うれしそうに言う悪魔の頬を私は思い切りつねった。ゆさぶられながら私は悪態をつく。

「大嫌い……あ、は、ふ……くっ」
「僕は大好き」
「嫌い嫌い、大嫌いなんだから! はあん……あっ」
「凄く熱くて、濡れてる。とっても感じてるね文香ちゃんは……」

 蕩けるような笑みを浮かべて、優しいキスをしてくる悪魔。こんなやつ、絶対に好きになんかなってやるもんかと思う。繋がってる部分は相変わらずいやらしい音がしていて、恥ずかしくて私は顔を横に伏せた。

「可愛い、恥ずかしがってる……」

 悪魔が首筋をまたねっとりと舐めてくる。その部分が甘い熱を持つのを私は感じた。毒されすぎてるよ私、なんでこんな悪魔に感じるんだろ。さっきの変なキスのせいだと思いたい。

「は……も、限界かも、文香ちゃんの中、良過ぎ……」

 ぐっと中にはいっているあれが質量を増したので、私は喘いだ。でも悪魔はぐいぐいとさらに深く穿ってくる。当たっていなかった奥まで侵入したそれは、私をどうにかさせようとしてると思う。あそこがぎゅうっと悪魔のものを締め付けるのがわかる。自分ではどうにもできなくて私はまた泣いた。

「いやっ……あん……は、あ、んん……どうにかなっちゃうっ」
「うん、そのままイったらいいよ……。今凄く文香ちゃん綺麗」
「こんな時まで……、あ、ふ……」

 悪魔が腰をゆするたびに電流が走る。それが私をおかしくさせてる。どうしようどうしようっ。
 私はわけのわからない声をあげて、悪魔の腕の中でもがいて悪魔を歓ばせた。

 窓からは昼の陽ざしがカーテン越しに差し込んでくるのに、私は一体何やってんのよおおっ。
 
「あ、くそ……、限界……」
「あああああああっ……あああああん……あああっ!」

 むちゃくちゃに腰を揺すられて、私はもうわけがわからない感情に加速がついた。悪魔が私なのか私が悪魔なのかわからない錯覚に陥って、ぐちゃぐちゃに濡れたあそこが悲鳴をあげてる。私はそんな事をしたいわけでもないのに、悪魔の背中にしがみついて、翼の根元を持って爪を立てた。何かにしがみついていないと落ちそう……。悪魔の身体がさらに熱くなった。

「瑠衣……るいっ……ああああっ」
「く……はっ……ん……」

 余裕の無い息をして、悪魔は私をまた抱きしめた。
  
「……ああ……」

 わかる、ああ、本当にやられてしまった。何かがどろどろと流れ込んでいるのがわかる。……避妊ぐらいしろよちくしょう。悪魔と人間の間に子供ってできるのかな……。
 終わったらすぐに産婦人科直行だよ……。

 でも、駄目、今は力が出ないよ……。腰が砕けてて立てそうも無い。ぼやけた目で見上げる悪魔はきらきら光の粒子が落ちているようだ。本格的に私が食べられて、よほど満足したんだろうな……、悔しい。

 それもこれもあのポールのせいだ。よりにもよってなんだってあんな所でキスするかな。それでこの悪魔が食料危機感にでも陥ったんだろう。

「ポールの事を考えるな」

 ぼけた中で私はぎくりとした。考えている事読まれた? 悪魔はくすくす笑う。

「まだ繋がってる。繋がると思考が流れ込んでくるんだよ。ねえ、あっちの悪魔のほうが好きなの?」
「あく……ま?」
「あの外人は悪魔だよ。さっきのキスはマーキングだよ。僕とした事がうっかりだったよ。こんなところにライバルが現れるなんてね」
「…………」

 私はぼんやりしていた頭がはっきりとするのがわかった。
 なんですとおっ? あれが悪魔? 

 驚いていると、ばりばりと音がして天井の空間が裂けた。うひゃあっ! またファンタジーな事が起こったよ! びびって私は思わず再び悪魔の身体にしがみついた。

 降りてきたのは悪魔の姿のポールだった……。悔しそうに私を見ている。悪魔の瑠衣を見ると優越感に満ちた笑みを浮かべていた。

「ちっくしょ……瑠衣……てめえ……」
「人のものに手を出すんじゃない。決まりだろ」
「っさい! そんなうまそうな女そうそういねえんだよっ」
「残念でした。もう文香ちゃんは僕のもん。やっちゃったもんねー」
「ふん、それは人間の場合だろ! 悪魔はそうはいかない」
「文香ちゃんは人間だ。もう僕にめろめろになるんだよ」
「お前みたいな気持ち悪い奴に文香がいかれるもんか、文香、今すぐ俺とやろうよ」

 いきなりポールが私に手を伸ばしてきた。私はぎょっとする。悪魔が邪険にその手を払った。

「触るんじゃない。文香が腐るだろ」
「お前が触ったほうが腐る! ええい、いつまでもいれてんじゃねえよ」

 ぎゃあぎゃあと私を置いてけぼりにして、言いたい放題言っている悪魔達にくらくらした。
 なんて事よ……、悪魔ってそんなに食料に餓えてるの? こんな所で食料争奪戦を起こすなんて……。それより私は疲れてんのよ……やられた上に精気吸い取られて……。
 でも眠りたくても二人はおかまいなしにぎゃあぎゃあ言い合っている。私はだんだん腹が立ってきた……。

 むかむかむか……。こいつら一体人の事どこまで食料にする気だ。
 いやもうそれはどうでもいいや! 食料の気持ちも考えやがれ……っ!

 私は渾身の平手打ちを容赦なく二人にお見舞いした。すさまじい音がした後、二人はボーゼンと私を見やる。

「うっせえんだよこの悪魔どもっ! こっちは眠いんだよ! 喧嘩なら外でしやがれっ!」

 言った途端、猛烈な眠気が襲ってきた。もう駄目だ……私、限界……。
 私はその場で布団にぶっ倒れた。

 お母ちゃん……、悪魔二匹に食料品にされそうな時はどうしたらいいのでしょうか……?

 ~ 教訓 ~

 人に親切にする時は、相手をよく見てからにしよう。そのおせっかいが思わぬトラブルを運んでくるかもしれない。小さな親切、大きな誤解、そしてとりかえしのつかない出来事が貴女を待っているかもしれないよ。

 よーくわかったよ、ぢぎじょおおおおおうっ!

—————————————————–

「ほらほら~。文香ちゃんの大好きな、ハーゲンダッツのチョコミントだよ」
「いりません」

 私は床に寝転んで雑誌を読みながら、スプーンにアイスを載せて迫ってくる悪魔を、無視しようと試みていた。社員旅行以来、こいつはしつこさがアップして、新婚さながらにべたべたひっついてくる。餅男とでも名づけたらいいかもしれない。

「横にこんな良い男がいるのに、他の男見て!」

 雑誌の爽やかモデルに嫉妬したのか、悪魔がぎゅううっと横から抱きしめてきて、さっき食べた夕食が口から出て来そうになった。何するこいつと悪魔を睨むと、美麗な顔が迫ってきてキスされてしまう。

 くそおおおおおおっ! またやられた! くやしいっ。

 しかもこの悪魔め、口にしてたチョコミントを口移しにしてくるんだよっ。私は確かにチョコミントは好きだけど、お前の唾液がミックスされているのは、いらないんだよおおっ! 

「ん……んう……」

 そのまま悪魔が調子に乗って押し倒してきたので、私は舌に噛み付いてやった。でも血が駄目だから思い切り噛み付けない。悪魔はゆっくり私から口を離すと、ふふふと嫌な笑いを浮かべた。ぎえーっ……なんだよこいつ!

 なんでこんな邪悪な笑みなのに、綺麗なんだろうね。不思議な世の中だよ全く!

「文香ちゃんてば、ハードなのが好きなの?」

 ひえええいっ! だれかこいつの思考回路をチェックして! 

「痛いのがいいのなら、言ってくれればいいのに、ふふふ」
「そんなわけないでしょ! もう、どいてくださいよ係長っ」
「もう! また、係長だなんて他人行儀な。瑠衣って言ったのに」
「誰が呼ぶか! もううっとうしいわね、あっちいけっー!!!」
「やだやだー。夜の食事タイムはいちゃいちゃしたい~」

 悪魔が私を抱きしめながら胸に顔をこすり付けてくる。こんな巨大で老けた赤ん坊を持った覚えは無いぞ私は! うりゃあっ! 調子に乗ってパジャマの裾を捲り上げて来るな、このドスケベ!

「ああ……良い香り……。これであのピンクのオーラを文香ちゃんが発してくれたら、最高のディナーになるのにな……」
「アホな妄想抱いてないで、離して! あんっ……」

 肌蹴られた脇腹をべろりと舐められて、女の声を出してしまった。くそう、なんで感じやすいんだ私の身体はっ。悪魔はべろべろ舐めながら胸に移動してきて、固くなった先をぱくりと食べた。そしてじゅうじゅうと吸い付いてくるものだから、甘く痺れてたまらない。

「や……っ、も、ああっっ……だめえっ」

 きゅうっと反対側の胸の先を摘まれて、私はびくびくと震えた。駄目、それ、腰砕けになっちゃうの! じゅうじゅうときゅうきゅうにやられて、私は悪魔を悦ばせまくっている。

「ぁん……だめっ……だめ、やあ……ンん……ん!」

 駄目だ、こいつに触られると、エッチな病気に罹ったみたいになっちゃうんだ。もっと触って欲しくて、どうにかなっちゃう……。恥ずかしい所がじゅんとして、私は目が熱くなって来て、目を閉じた。

「いい? 文香ちゃん……かわいい……」

 かりっと胸の先を噛まれただけで、私はイってしまった……。

 私、もう本当に悪魔の食料として生きてるわ。
 会社の第三会議室で会議の準備をしながら、私は泣きたくなってきた。
 ううっ……誰か、悲劇のヒロインの私を助けてっ……。

「ちょっと文香、あんた雑巾握り締めて何ぼけてんのよ。さっさとこっちの机も拭いてよ」

 莉子が呆れ顔で言う。ふん! あんたなんかに私の悲劇がわかるか! 悪魔の食料にされて、命がついえるかもしれん可憐な女なんだぞ私は。そのうえ彼氏を憧れの女性に……とら……れ……て?

 坂下さんが、いつの間にか私の前に立っていた。あいかわらず凄く綺麗……。

「もう終わりましたか? スライドの打ち合わせをしたいんですが」
「あ、えと、はい、あちらはもう終わってます。机を拭いたら終わりですんでっ」
「そうですか? 時間が押してますからお願いしますね」
「はいィっ」

 間抜けにも私は声を裏返らせてしまった。坂下さんは小悪魔的にくすりと笑って、営業部の人と映写機の方へ颯爽と歩いていく。うーむ……ライバルながら見事な女だ。市橋さん取り返せるか不安だなあ……。

 あんなナイスバディな美女と毎日……。

 キスとか、……あっちとか、やってるんだろうか?

 思わず裸で絡み合う市橋さんと坂下さんを想像してしまい、私は赤面して頭をぶんぶん振り、その映像を頭の中から追っ払った。まったく、若い私がなんてもん頭に浮かべんのよ。皆、あの悪魔のせいだっ……。

「文香、あんた百面相してないでもう行くわよ?」
「うおっ、皆机が綺麗になってる! 妖精の仕業?」
「私がやったの! かわりにあんたのおやつを頂くからね」

 莉子は私が持っていた雑巾をバケツの中に放り込むと、ほら行くぞと廊下へ出た。私も慌てて後を追う。今日はこの後、新しい計算ソフトにあれこれしないといけないのだ。だがしかし、それはそれこれはこれ!

「やめてよ今日のおやつは、五木さんの彦根の旅行帰りのお土産じゃないの」
「いーじゃん、三十五万石最中は私の好物なのよ」
「私だって好きなのに……」
「ぼんくらな自分を恨むのね。あーうれしいっ」

 くうう……、あの俵型の餅入りあんこ最中は絶品スイーツなのに! 

 これもそれも、みーんなあの悪魔のせいだ!

 私は総務に帰ると、のほほんと仕事をしている池野係長を睨んだ。しかし、それは頭の中身が残念な悪魔を喜ばせただけだった……。ガックリ。
 

 
 休憩時間、私は同僚のお腹に消えていく最中を見るのがやるせなくて、化粧室の一番奥に篭城した。なんでそんな所にと思われるかもしれないけど、休憩室とか他の所に行くとあの悪魔に捕まる確立が高いからなのよ。捕まったらおやつちょうだいと、どっかの部屋に引きずり込まれ、えらい事になる。キスやおさわりだけでは止まらず、最後までやるからな、あのドスケベ悪魔め!

 それにしても……、トイレって結構人の出入りがはげしいなあ……。

 女子社員が、何人も入ってきては出て行く。私が時計を見て、そろそろいいかなと腰を上げた時に、トンでもないニュースが耳に入ってきた。

「ねえねえ見たー? 秘書課の坂下さんの左手」
「見た見た! あれって絶対婚約指輪よね!」

 なぬううううっ!?

 私は個室のドアを蹴飛ばして出て行きたかったけど、いきなりそんな事をしたらびっくりして彼女達が逃げていくに決まっているので、我慢してドアに貼り付いた。数人が化粧直しをしながら、きゃいきゃいと盛り上がっているようだ。

「相手は資材課の、市橋君らしいわよ」
「はァ!? あんなフツーの極みの男が坂下さんと結婚するの!?」

 こらあ! お前フツーと言っているけど馬鹿にしてるだろ! 後で覚えておいで、って……女の顔も声も知らないからなんもできない。見たいー。それにしてもさっき坂下さん、指輪なんかしてなかったと思うけど……。

 作戦か? 私を慌てさせる悪魔の作戦か? ……なわけないか、多分スライドのフィルムに引っかかるかなんかで外してただけだろう。

「資材課は大騒ぎよ。でも意外よねー。私はてっきり総務の池野係長と結婚するとばかり」
「私も思ってたーっ。ほんと穴馬というかなんというか、びっくりよね」
「しかも坂下さんのほうがデレデレみたいよ」
「デブ専ならぬ、フツ専ってやつね」
「なにそれ、風船みたい」

 そら、やっぱり市橋さんは普通の男なのよ。だから私みたいな普通の女がいいんだってば。それなのに婚約なんて……、いつの間にそこまで進んでたんだろ。なんとかして悪魔の食料永久提供契約を反古にしてこないと。

 喋っていた人達が出て行くのを確認すると、私は個室から出て手を洗った。まだ10分あるから、資材課の市橋さんに話を聞く時間は十分ある。よし。と、廊下に出たと思ったんだけど、あれ……?

「ここはどこ?」

 目の前にあるのは殺風景な廊下ではなく、見覚えのある西洋風の部屋。私、白昼夢でも見てるのかなと後ろを振り向いて、さらにそう思った。後ろに広がっているのはトイレじゃなくって、これまた西洋風の廊下なんですよ、お嬢さん達!

「文香ちゃん」

 背後から悪魔の声がして、ゆっくりと抱きしめられた。そうだ、こんな事を仕掛ける奴はこの悪魔以外にいない。係長こと、池野瑠衣ィーっ!!!!! 

「行かせないよ。市橋の所へなんか」

 こやつ、どこでこの状況を見てたんだ、悪魔だからなんでもありか?

「駄目です。彼は騙されてるんです」
「文香ちゃんは悪魔について、何も知らないようだから言ってあげる。一回悪魔と寝ると、その人間は寝た悪魔のものになるんだ。一生ね」
「…………は?」

 空恐ろしい事を聞いた気がする。

「ポール……、もう来ないだろ? あれはこの掟を知っているから来ないんだよ。所有者がいる人間に手を出すのは、悪魔の掟に反することになる。それ相応の厳罰が下るんだ。だからポールは来ないんだ。だいぶ名残惜しそうだったけどね」
「………………」
「僕は、文香ちゃんの気持ちが成熟するまで待つつもりだったんだけど、ポールが横取りしようとして来たから、そんな事も言ってられなかったんだ」
「………………」

 悪魔は私を自分にくるりと向けさせると、諭すように言った。

「市橋はもうすみれのものなんだ。文香ちゃんが何言っても駄目。わかった? 悪魔でも無理なものは、人間ならなおさら無理なの。僕はすみれに八つ裂きにされる文香ちゃんを見たくないよ」

 スーツ姿なのに、言ってる事は悪魔そのものだ。

「そんな……」
「でも大丈夫、僕が文香ちゃんを護るからね!」
「そんな……」
「大好きだよ文香ちゃん……」

 悪魔が顔を近づけてくるのに気付き、私は、

「そんなわけあるかあっ!」

 思いっきり悪魔の頬を叩いた。

 ~ 教訓 ~
 恋はやはり先手必勝。ぐずぐずしていると相手に取られる。そして競争率の高い相手には、ずる賢く悪い奴にならないと勝者になれない。

 いちいちうるさいわ! 嫌になるくらいわかったよ、ぢきしょ…………トホホ。

「文香ちゃん、だーい好き」
「や……あん……。あ、あ、……は……んん……あん、ああ……」

 悪魔の居城の沢山ある部屋の中、天蓋つきベッドの中で悪魔に食べられてる私。あの後、角が生えて翼がばさりと広がった悪魔に押し倒されて、なし崩しに流されてしまった。いっつもいっつもこのパターンなのに、いい加減学習しろよ、私!

 一体この先どうなるんだろう。ああ駄目、キスされるとまたわけわかんなくなるの。こんな事をしている場合じゃない、早く市橋さんのところへ行って、騙されてるんだよって言わなきゃ。坂下さんは市橋さんを愛してるんじゃなくって、食料にしたいだけなんだって。

 婚約は婚約、結婚じゃない。
 今ならなんとかなる、坂下さんも他にいっぱいお似合いの男がいるじゃん、例えばこの悪魔とかさ!

「考え事なんて余裕だね、文香ちゃん。もっとふかーくしつこくやったほうがいいのかな?」

 ばさりと黒い翼が羽ばたき、深く穿たれた私は疼く熱さを逃そうとして失敗した。言う事を聞かない結合部が悪魔のものを深く飲み込んで震え、空中に放り出された感覚に陥った私は、必死に悪魔の身体にしがみ付く。悪魔はうれしそうに含み笑いをして、唇を重ねてまた腰を容赦なく揺さぶった。

「ンっ、ん……っ、んう、うう、……く……ふ……」

 ああもう、何がなんだかわからない。どろどろのあそこはひたすら悪魔のものを喜んで食べてる……。おかしいな、食べられてるはずなのに……。でも、悪魔は私の舌を吸っては舐めて、唇を噛んだり舐めたり吸ったり……、上だけ食べてるのかな……。

 とにかく熱い。腰に回された悪魔の腕も、いやらしく何度も乳房を揉みまわしてくる手も、唾液で濡れて汚いなあと思いながら合わさる唇も、ぐっちゃぐちゃのどろどろのあそこも熱い。痺れとかゆみと疼きが私をおかしくさせるの……。息苦しいキスから開放されても、口から飛び出すのは喘ぎ声ばかり。

「ああっ、ああっ、……あんっ……、ん、やっ、あん、あんっ」
「かーわいい……文香ちゃん。本当に、文香ちゃんは……何処食べてもっ……おいしいね……。最高に美味だよ……っ」
「いやあっ……だめ……、強くしないでっ……、あんっ、どうし……て、ああああっ」

 朦朧としている私は、悪魔がくすくす笑って、こんな事を思っているのに気づかない。

(お馬鹿さんだなあ、市橋も文香ちゃんも、このまま僕達の永遠の命と付き合わないといけないのに……ね? 今の若さのまま、ずーっとずっと生きていくのに……ふふ。知らないって暢気だよね)

 気をやって、ぐったりした私の頬に舐めるようなキスをして、悪魔は満足そうに黒い翼と腕でふんわり抱きしめる。

「さて、どうやってこの指輪をはめさせるかだな」

 悪魔は黄金色の指輪を手のひらで転がしながら呟いて、楽しそうに瞳を踊らせた。

 お母ちゃん、まじで私を助けて下さい! 

——————————————-

「き……気持ち悪い」

 吐き気がとにかくひどいし、胃腸風邪って奴かな。あの悪魔がストレス溜めさせるからこんな事になるのよ。ソファで伸びていると、悪魔がなにやら小さなガラスの器に作成して持ってきた。

「文香ちゃん大丈夫? これりんごを摩り下ろしたやつだよ。きっとすっとすると思うよ」
「いらない。多分食べたら吐くわ」
「そんな事言って、おとといからろくに食べてないよ」

 そんなこと言われても、食べ物を見ると拒絶反応が起きるんだよ。こりゃあもうじき月一回のあの日だからかもしれないなあ。私は生理痛きっついから治療中なんだけど、やっぱりこれは治らない。あーやだやだ面倒くさい。次に生まれ変わったら絶対に男に生まれたいわ。昨日から正月休みで良かった。この悪魔とずっと居るのは苦痛だけど。

「お願いだから一口だけでも食べて」

 あまりにも悪魔が心配そうにしているので、仕方なく一口だけ食べてやった。……が、やはりむかつきは治まらない。うううう。なんなのこの風邪。

「やっぱり自分の部屋で寝てる。係長はゲームなり読書なりしててください」
「ええええっ。文香ちゃんが苦しそうなのに自分だけ遊ぶなんてっ」

 あんたにつきまとわれると、うっとうしくってもっと辛いのよ。頼むから一人にしてくれー。部屋に逃亡するしかないかこれは。ソファからよっこらせと立ち上がろうとすると、悪魔が横抱きにしようと腕を伸ばしてきた。

「あーもう、うっとうしいです。あっち行ってて!」
「駄目! 転んだりしたらどうするの!」

 一人で歩く、とんでもない抱いていくで押し問答していると、素晴らしい事を思いついたように悪魔が手を叩いた。

「そーだ文香ちゃん! この指輪したらずごく気分楽になるよっ!」
「指輪あ?」

 悪魔が差し出したのは、ごてごての装飾がついた24金? の年代物そうな指輪だった。……なんか呪いの指輪? のようなおかしな影があって気持ち悪い。

「指輪ごときで胃腸風邪が治るわけないでしょう! ううううーっ」

 見る間に吐き気が胃からこみあがってきて、私はすぐそばのトイレに駆け込んだ。うえーん、何も食べてないから胃液しかでないってのに……トホホ。年末だから病院もやってないし……。こいつと救急行くのは嫌だし。うう。げっそりやつれてトイレから出て行くと、悪魔が不安でいたたまれないように再び付きまとう。

「文香ちゃーん。本当に大丈夫? やっぱり病院へ行こうよ」
「だめ! 断固拒否」
「なんで? ノロとかロタかも……」
「下痢なわけじゃないんだし、第一係長と一緒ってのが嫌。どちら様ですかって聞かれるのが嫌」
「婚約者同士って言うだけだよ」
「だから嫌だってのよおおおおおっ!」

 会社の人に見られたりしたら、私はもう二度と会社に行けない!  

「そーだ、今日ポストにこんなん入ってたよ」

 悪魔が差し出したのは、綺麗な装飾の不吉な予感が満載の封筒。こ……この純白に金箔が押してあるのは……、ははは、まさかな。ふふふ……。おそるおそる開封して見ると。

 謹啓
 皆様におかれましてはお健やかにお過ごしのことと
 お慶び申し上げます。
 このたび 私たちは結婚式を挙げることになりました
 つきましては ご報告かたがた末永いおつきあいをお願いしたく
 心ばかりの祝宴を催したいと存じます
 ご多用中誠に恐縮ではございますが
 ぜひご臨席を賜りますよう お願い申し上げます
                           敬具  
                      20xx年12月吉日
                   市橋一郎・坂下すみれ

 ……………………。
 ………。

「わああああっ、文香ちゃんっ」

 悪魔が慌てふためく声を、遠くに聞いた…………。

 気がついたら私は白い天井のある部屋のベッドで寝ていた。ありま気絶しちゃったのか。しかも救急で悪魔が病院に運んでしまったようで、左腕には点滴の管が下がっていて、わずかに色がついている液体がぽったんぽったん落ちていた。カーテンが閉められていて外で他の患者さんが何か言っている声や、忙しそうな看護師さんの足音が聞こえる。

 悪魔はどこに行ったのかな。ま、どーでもいーか……。

 吐き気は相変わらず酷くて、お腹も痛い。熱もありそうでぼうっとする。

 あーあ……負けちまったよー。っていうかろくに勝負挑めなかったよねえ、悪魔のせいで、はははー。いや、わかってはいたんだ、あの坂下さんに勝てるわけないんだよね。なにしろ凄い美女だし? 

 しょーがないよもう。こうなったら諦めるしかない。これはいっちょ、大好きな男性を祝ういい女になるしかないわ。それが女ってもんかもしれない。

 しゃっとカーテンが開けられ、中年の少し怖そうな看護師のおばちゃんが入ってきた。

「あら、気がついたの? あんたひどい貧血だから入院だよ。つきそってた旦那さんは荷物取りに行くって今帰ってるところよ」

 ……悪魔め。婚約者通り越して旦那さんとうそぶきやがったか。くそー。

「そうですか……」
「駄目だよ。旦那さんに聞いたら、ずっと食べてなかったんだって? そりゃあ貧血になるさ。あんないい男の旦那さんに心配かけちゃいけないよ」
「はあ」

 いやに砕けた言い方をする看護師さんだな。でも点滴のおかげが少し気分が楽になったし、暇だったから少し話していると、別の看護師さんが来てお部屋の準備ができましたと言い、私は車椅子に乗せられて病室へ行くことになった。

 初めてだなあ……、入院。帰省の予定は無かったけど、お母ちゃんにも一応知らせておかないといけないなあ。それにしてもこの病院凄いな。エレベーターから降りた階は、どこぞの豪華ホテルか? ってな内装だ。ここ日本だよね? にしては外国っぽいというかなんというか。あそこに飾られている花、凄く綺麗だけどなんて花かしらん。

「こちらです、文香様」
「やだなー看護師さんてば。様だなんていいですよ」

 入った部屋はやっぱり豪華だった。ちょっとこれ……部屋代だけで一日何十万かかるんだよ。あの悪魔め、こっちの財布事情も考えてよね! またまた紗のはいったカーテンがついてるどっかの王族みたいなベッドに下ろされた私は、貧血でくらくらしながら悪魔になんて言ってやろーと考えた。

「もうすぐ瑠衣様がいらっしゃいますから、点滴は抜きますね」

 とんでもない事を看護師さんが言うので私はびっくりした。

「ええ? お医者さんの指示なしに点滴勝手に抜いちゃ……、あ、ちょっと!」

 貧血で力が入らない私は、看護師さんがいきなり点滴を抜き出すのを止めることはできなかった。慌てていると、ばーんとドアを乱暴に開ける音がして、その悪魔が入ってきた……悪魔姿で!

「文香ちゃーん! って……、お前まだいたのか。早く出て行け」
「申し訳ございません、今すぐ。では文香様、私はこれで……」

 点滴の痕を何の処置もせずに出て行く看護師さん。ちょっと待って、追い出すのはこのおかしなコスプレしている悪魔でしょっ! あわあわしている間に看護師さんはさっさと出て行ってしまった……。

「いーのいーの。貧血ぐらい僕の魔力で治してあげるから」
「アホ言わないで。それにこの部屋なんですか! 一泊いくら?」
「んもー。貧血クラクラなのにお金にしっかりしてるね文香ちゃんてば! 僕の家だからもちろんタダ。でもって、僕の奥さんだから永久にタダだよっ」

 また言い出したよこの悪魔め。誰が結婚したんだ。

「ほらほら、カッカしていると身体に悪いから。この指輪嵌めたら元気になるし」

 悪魔はまたあの呪いの指輪を嵌めようとする。嫌だっつーの!

「……つまり、ここはまた魔界なんですね。病院だと思ってたのに。私は風邪なんですから、早く帰してくださいよ。ゆっくり寝たいんです」
「駄目だよ。僕の子供妊娠してるし」
「あのですね、妊娠してるからって……は!? に?」

 妊娠? 妊娠って……、うふふあははをした後に、たまにもれなくついてくるあれ!?

 いけない私ってば、胃腸風邪プラス貧血で幻聴が聞こえるようになっちゃったよ。

「はひ……? あのですね、あのですね、あのですね……」
「あのですねは一回で十分だよ。ねえ? この指輪……、プレゼントした男の子供を身ごもってたら勝手に相手の女の左手薬指に嵌る仕掛けなんだけど、試してみる?」

 どきりとする流し目を送ってきた係長は、指輪を右の手のひらに載せて私の鼻先に近づけた。な、なんか……、明るい緑色に光って見えるのは気のせい? つーか、私のお腹も光ってないか? なんの手品だこれ。

 私は後ずさりしたいのに、貧血で力が出ないので無理だった。

「お、お母ちゃんに聞いてみないと……」
「またお母ちゃん? いい加減親離れしたら? 二十歳過ぎたくせに」

 危険な雰囲気満載の悪魔が、ベッドに上がって覆いかぶさってくる。な、なによ。怖くなんかないんだからね。

「お母ちゃんなら呼んだから、もうすぐ来ると思うよ?」
「こ、来れるわけないじゃない。世界が違うもん」
「来れるよ。迎えをやったから」

 不気味に悪魔は美しく微笑み、私の左腕をべろりと舐めた。点滴の針が刺さっていたところが綺麗に消えていく。同時に貧血が、溶けていく雪のようにすーっと消えた。

「力、分けてあげた。お腹の子供にも悪いからね。ふふふ」
「…………」

 なんか……とてつもなく怖い方向へ話が進んでない? ここは危険だ。とりあえず別の部屋に非難だっ。私はベッドから飛び降りると、ドアに飛びついた。……ううん飛びつこうとした。……けど、後ろから悪魔に羽交い絞めにされてしまった。

「だーめ、この指輪を嵌めないと出してあげない。さあ、誓って。沢口文香は池野瑠衣の伴侶となりますって」
「言いませんよっ」

 いつもなら強気で言い返せるけど、喉から出たのはなんとも気が抜けるような掠れた声だった。だってものすごく怖いんだもん。悪魔の子供なんか妊娠してどうなるの私。人間でしょ私? あっちに帰れるの私?

 ぶわっと涙が溢れて私はぼろぼろ泣き出した。さすがに悪魔は慌てたようで自分の黒い服の袖で私の涙を拭く。ハンカチくらい出せ、くそー。優しく抱きしめながら悪魔は言った。

「ああ泣かないで文香ちゃん。あのね、悪魔の子を妊娠した人間は子供に生気吸い取られて死んでしまうんだ。だからもうこの指輪嵌めるしかないの。嵌めたら人間ではなくなるけど死なないから」

 なんつー二者択一!! 死ぬか、悪魔の嫁になるかどっちか選べって……。

「ちなみにこのままだと一月以内に確実に死ぬよ? 文香ちゃんが行きたがってたコンサート、確か3月じゃなかった? あと、同じ月だよね、すみれと市橋の結婚式って」

 う、確かに”つえんてぃ”のコンサートが。うう。徹夜で並んでチケット買ったやつが。愛しすぎる鬼瓦さんに会う前に死ぬのは嫌だ!

「こら。今ピンクのオーラ出てる! 鬼瓦って似非金髪考えてるだろ!」
「うひいっ。え、あの」
「もういい……」

 声が2オクターブほど低くなった悪魔は、私の腕をがっしりと握ると引き寄せ入院服に手をかけた。あ、まずい……このシチュエーション……。

 ビリビリビリビリビリっ。

 やっぱり無残に引き裂かれた服さん達。当然私はまた素っ裸。そのまま悪魔に抱かれてさっきのベッドに連れ戻されてしまった。目を爛々と輝かせながら、悪魔は自分の服も一瞬で消してしまう。あーあ、またやられちゃうのか……駄目なのよ、本気モードになるとこやつは止まらない。

 でもねえ……。

「あのー。……妊娠してるのにやっちゃあいけなんじゃ。りゅ、流産するかも……」

 悪魔はふふふと笑った。

「悪魔の子供は精を糧にする。よって臨月まで今まで以上にやりまくる。そうしないと子供は強力な魔力が持てない。さ……もう黙って」

 悪魔は私に圧し掛かると、いつものように濃厚なキスをしてきた。

 ~ 教訓 ~
 避妊はキッチリしておきましょう。結婚してないのならなおさらであり、エチケットです。

 私、生理痛きついからピル飲んでたのよおおおおっ! なんで妊娠したの私っ、教えてお母ちゃん!!!!

———————————————–

「うちの娘に何しよるんや!」

 押し倒されて、押さえつけられていたのが突然楽になった。身体を起こすとベッドの端に悪魔が転がっていて気絶している。はれ? 服を脱いでない悪魔と違って、ほとんど全裸の情け無い格好の私は、覗きこんできた人間の顔を見てびっくりした。

「おかっ、お母ちゃんっ!」
「びっくりしたわ。あんたがイケノ伯爵の嫁になるなんて。一体何がどうなってるんか教えてもらおうか?」

 びっくりしたのはこっちよお母ちゃんっ! なんでお母ちゃんまで悪魔のコスプレしてるの? 昔っから美人だし妙に迫力ある人だとは思っちゃいたけど、ここまで適応能力があるとは思わなかった。

 茶色の光沢のあるドレスに、ルビーのど派手なネックレス。そのいつもに増して迫力のある髪型と(なんかフランス貴族みたいなのに銀色の角が生えてる!)赤いルージュはなんですか? どっかの舞台にでも出演してたんですか?

 もとからこのお母ちゃんは派手好きで、近所でも有名だ。それでも人気者なのはお好み焼き屋のおばちゃんとして憩いの場を提供し、時にはお客の人生アドバイスなんてものを親身になってするからなんだけど……。

 今日はハロウィンだったっけかな。ってとっくに過ぎたっつーの。

「文香、はよう服を着なさい。なに素っ裸でぼさっとしてるの!」

 あきれかえったお母ちゃんのいつもの口調に、私は現実に戻った。

「そんな事言っても、服はこの悪魔のアホが破っちゃったのよ」
「あんたが隙だらけやからそうなるの! 気をつけなさい。まあいいわ。ちょっと待って……ほい!」

 お母ちゃんが両手で空気の球を作るようなポーズをとると、その中で光が生まれ、びびった事に私の愛用のスーツが出現した! ……お母ちゃん凄すぎる。いつのまにこんなマジックをマスターしたんだ。

「あ、ありがと……。お母ちゃん、今度お店でそれ披露したら?」
「アホ言わんとき。そんなんしたら、人間界に居られへんやろ」

 お母ちゃんは豪華テーブルセットの豪華椅子に優雅に腰掛けた。

 …………は?

 お母ちゃんの言ってる事分からないよ? スーツを着てほっとしている私に、侍女さんがジュースを持ってきてくれた。魔界だけどオレンジジュースだ。

「あんたは人間界のもんしかまだ受け付けられへんやろうから、それでいいでしょ」
「…………」

 お母ちゃん、言ってる事が意味不明。そのドレスアップで脳内まで改造されたのかな。私は詳しい説明を求めて、気を失っている悪魔の頭をぽかりと叩いた。

「う……」

 何が「う……」よ! さっさとこの状態を説明してよっ。ぽかぽかと叩き続けてようやく悪魔はがばりと起き上がった。なんか、角生やした美形悪魔がぼけているところは笑えるね。笑ってやれ! でもお母ちゃんに顔を向けた途端、悪魔のボケボケが消えた。

「じょ、女王陛下っ。なにゆえかような所に!?」

 ずざざっとベッドを降りた悪魔は、暢気に紅茶かなんかを飲んでるお母ちゃんに跪く。お母ちゃんはそれに対して偉そうに言った。

「お前の部下が呼んだから来たんや。イケノ伯爵……お前、うちの文香が欲しいらしいな?」
「えええええっ? 文香ちゃん……じゃない、この方が陛下の?」

 震える指先を私に向けた悪魔が見たのは、同じように大口を開けてあんぐりしている私だった。私は猛烈な頭痛に絶えながらお母ちゃんと悪魔に言った。

「じょ、冗談きついよお母ちゃん……。それに係長。いくら結婚したいからってお母ちゃんになんて事させるんですか」
「待って文香ちゃん。僕も驚いてる。僕は文香ちゃんのお母さんを呼びに行かせただけだ」

 くー! しらを切る気かっ! 何かがプッツンと切れた私は鬼夜叉の顔に変貌したと思う。

「そんならなんでこんなコスプレしてるんですかっ。お母ちゃんはオタクじゃないのにっ」
「知らないよーっ。僕が聞きたいぐらい。頼むから怒らないで」

 詰め寄る私に必死に言い返してくる悪魔。どうやら本当にわけが分からないらしい。でも私はもっとわからないんだってば! 誰か説明しろおおおおおおっ! 喧嘩が始まるかっていうタイミングを壊したのは、お母ちゃんだった。

「あーもう、若い奴らは本当に元気ね。答えは簡単。私は魔界の女王なんや。だけど退屈すぎるからある日人間界へ行って、そこで惚れた男と結婚、そんで生まれたのがあんたや文香」

 面倒くさそうに言うお母ちゃん。どこの中学生が書いた妄想ファンタジーだと泣きたくなる。お母ちゃんは時々こういうわけのわかんない、夢見がちな事を言う時がある。

「冗談もほどほどにしてよお母ちゃん……。お父ちゃんはどうしたの?」
「お父ちゃんは魔界が苦手やから来ぃひん。まあ人間やからしゃあないわ。正体ばらしたら、あんたと同じように顔面蒼白やったからなあ……」

 か、仮にお母ちゃんが悪魔だとしても……。

「わ、わ、私は人間だよね?」
「そうや。悪魔と人間の間に生まれた子は、女は人間やけど、男は悪魔になって魔力持ちよるんや」
「…………」
「男やったら魔界で育てる気やったんやけど、あんた女やったからな」
「…………」

 なんで母方の親戚がいないのか分かった。認めたくはないけど、人間じゃないのなら話はわかる……。お母ちゃんは、私が理解したのを見て、首を横に振った。

「それにしても伯爵は手が早すぎるわ。なんでお前の子供を文香が妊娠しとるの。私に事前報告も無かったなあ? 人間やけど文香は王女なんやで」

 相手は女王陛下だからか、悪魔は神妙に答えた。

「王女殿下とはまったく分かりませんでしたから、報告無しは謝罪します。でも交わったのは文香を愛しているからです」
「食料扱いやろが、悪魔にとって人間は」
「陛下は、文香のお父さんを食料だと思われて、毎日片時も離れずにお暮らしなのですか?」
「…………っ!」

 うそっ! 初めて見たっ。お母ちゃんが赤面絶句するところを! お母ちゃんは私を見て気まずそうにこほんと咳をした。お母ちゃん……、あの頼りない優しいだけのお父ちゃんが本気で好きなのね。いや、なんか感動したよ私は! いつも尻の下に敷いてるからさ……。しらずしらず私はにやけてしまった。

「まあそう言う事や。文香、あんたもこの伯爵が好きで妊娠したんやろうから、ちゃんと仲良くするんやで」
「は? そーだ。私ピル飲んでたのに妊娠したのよ。なんでっ?」

 お母ちゃんは手を振り振り笑った。

「悪魔相手にそんなん効くかいな。それにあんた、この男がほんまは好きなんやろ?」
「はああああっ!?」

 お母ちゃんいきなり何言うのっ。こらそこの悪魔っ! 不気味にうれしそうに微笑むんじゃない!!! 

「あんな文香。悪魔の子は両親の気持ちが合致しないと出来ひんのや。どっちかが嫌ってたら妊娠は無理。まさしく愛の証なんやわ。なんか毛嫌いしてるみたいやけど、とっとと年貢納めるんやな。お互いが好きやったら私は反対せえへんから」
「そんな事……お母ちゃん」
「人間棄てたかてどうもないがな。寿命が長くなるだけや。魔界もそう悪くは無いで、私が治めてるんやから。それに伯爵がいるんやから鬼に金棒やろ」
「お母ちゃん……」

 お母ちゃんは、私の不安をすべてわかっているらしかった。やっぱりお母ちゃんはでかすぎるわ私には。私はどうしたってお母ちゃんを追い越せないのかなあ。お母ちゃんのちょっと荒れてる手が、私の肩をぽんぽん叩いた。

「恋は盲目でこの伯爵には見えてへんのかもしれへん。ほやけど、あんた、ほんまに綺麗なピンクのオーラ持ってるで。自分にうそついて意地張るのは終わりにしとき。人間やったら結婚が先やって怒るとこやけど、悪魔相手やでしゃあないわ。悪魔の結婚は交わりが先やさかい」

 ……お母ちゃん生々しいわ。

 悪魔があの呪いの指輪を持って、私の前に肩膝をついて見上げた。

「沢口文香さん。この僕と、池野瑠衣と結婚してくれますか?」
「…………」
「必ず幸せにします。魔界が嫌なら、人間界にずっと住んでいても構わないよ?」
「…………」

 私は突然何も言えない人になってしまった。いいの? こんなふうにあっさり決めちゃって。まだ少しは考えていたいのに。珍しい事に悪魔はさっきまでのように強要はしてこなかった。あんた卑怯すぎるよ、断られる事全く考えてないのがわかってるんだからね。

 確かに好きだけど……、愛とまではいかないんだよねえ。でも、パニックは通り過ぎちゃったから、気持ちはほとんど固まってるんだけど。

「一つ、約束して下さい」
「何を?」
「……これからは瑠衣って呼ばせてください」
「文香ちゃん……」

 しょうがないなあもうと微笑む私に、子供のように目をキラキラさせて係長こと池野瑠衣はうなずき、神妙に私の左手薬指にあの呪いの指輪を嵌めたのだった。

 さて、月日が過ぎ、四月の半ばの休日に私は花嫁となった。披露宴の会場で私は瑠衣と仲良くお雛様状態。壇上だから皆が良く見える……。うおおおおっ坂下さん(市橋さんは入り婿したのよ)控えめスーツなのに猛烈に美しすぎるわ! 女神様とひれ伏したくなるっ。それにしても物凄い人数だ……、よくこれだけ出席してくれたものだ。

 今は、友人代表の余興が行われている。坂下夫妻のカラオケデュエットに皆おお盛り上がりだ。私を除いて。

「文香ちゃんてば、まだ市橋……坂下一郎が好きだったの?」
「好きに決まってるでしょ。係長」

 拗ねている悪魔を横に、私は笑う。

「文香ぁ~おめでとう。係長もおめでとうございます」

 ビールの瓶を上品に持った同僚数名。女性ばかり。な、なんだか皆綺麗に着飾っている分迫力がありすぎませんか? お酌を受ける瑠衣の顔はいささか引きつっている。

「次のプログラムのブーケトスは私に投げるのよ? いいわね?」
「ホホホ……何言ってんの私よ。年上に譲りなさい!」
「年増の先輩は身をひきましょう」

 同僚達が繰り広げる静かな女の戦いに、完全に瑠衣は引いてしまった。まだ皆二十代前半で若いから、自分を売る気満々だ。まあこうでなくてはならないのかもしれないけど、一番売れなさそうな私が先に売れたから競争心が皆に芽生えているらしい。席に戻っても楽しそうにしながら火花を散らしている。

 凄いなあ……。

「ね、ねえ文香ちゃん。彼女達、なんで男いないのにそんな事言うの?」

 うううわ! 美麗なお顔で止めを刺しましたね、瑠衣。

「そんな事聞くもんじゃないの」

 今日の瑠衣は白のタキシードがいやに似合っていてカッコいい。私も繊細な刺繍の入ったオフホワイトのウェディングドレスを着ているのだけど、釣り合ってるかなあ?

「はい。新井さんが引き当てたのは……!」

 余興がいやに盛り上がっているなあ。箱の中に入っている紙を引き、書かれている命令を実行するというなんて事の無いゲーム。命令は今日の出席者一人ひとりが書いたもの。……なんだけど。うっひゃー……オレンジジュースの醤油&わさびミックスか。総務で唯一の若手独身男性の新井さんは、気の毒に一気飲みした後、床に転がって皆に玩具にされている。私は無難に社歌を歌うと書いたんだけど。

 あれ? 坂下さんが引かされている。男限定じゃなかったっけ? チャレンジャーだなあ。引いた後、何故か坂下さんが私ににっこり笑いかけた。

「文香さん、じゃんけんしましょう」
「え? はい」

 じゃんけんは私がグーで、坂下さんがパーだった。うっふっふと坂下さんはさらにうれしそうに笑って、司会者に振り向いた。

「これって本当に替わってもいいのかしら?」
「どうぞどうぞ」

 ……ああ、あの女神の微笑みというか悪魔の微笑み、いやーな予感がする。

「では新郎新婦に、みんなの前で1分間キスを」

 はっはっは……こうなると思ってたんだよ。この悪魔めえええええっ。なんの羞恥プレイだ。誰が書いたんだこの命令! 私はやる気まんまんの瑠衣に連れられて壇上から降りる羽目になった。

 嫌がる私の腕をきつく掴んでいる瑠衣が、ごきげんに笑った。

「ありがとうすみれ。よく器用にひいたなそれ」

 お前が書いたのかーっ!

「なんか気になったから。ではどうぞお二人とも。結婚式の時よりも熱いお姿を皆様に見せてさし上げてね」
「じょ……」
「はい、文香ちゃんおとなしくしてね」

 思いっきり抱きしめられたあと顔を固定され、瑠衣にキスされる私。こらあっ! 一緒に食事までしてんじゃない! わかるのよなんとなく。お腹の子供だって怒ってる。

 方々から聞こえてくる口笛と歓声に、私はこの後悪魔をどうしてくれようと復讐を練る。私ってばこんなところでも悪魔の食料品なのよね……。はははー……。

~ 教訓 ~
 幸せはなったもん勝ち! 人を羨み妬んでいる暇があったら、幸せになる行動をしよう! 愚痴は不幸になる呪文で、前向きな言葉は幸せになる呪文だよ。間違えないように!

 ……母は偉大だ。おみそれしました。

<おわり>

Posted by 斉藤 杏奈