これはきっと、呪いの指輪に違いない!

「危ないよ」
 持っていた花瓶を落としかけたアミリアを、さっと助けてくれる腕があった。相手を見上げて恐縮する。
「殿下、ありがとうございます」
「母上の部屋へ行くのだろう? ついでだから私が持ってやろう」
 王太子に花瓶を持たせるなんてとんでもないのに、内気なアミリアは何も言い返せず、王太子に花瓶を奪われてしまう。案の定、王太子の護衛二人が目を丸くしている。
「お前は相変わらずそそっかしいな。ここへ来て一年経つが、まだ慣れないか?」
「……早く領地へ戻れればと、思っております」
 アミリアは伯爵家の令嬢だが、領地はとんでもない田舎にあり、父である伯爵や母と共に生まれてずっとそこで暮らしていたので、昨年まで王宮へ来たことはなかった。魔法の才能を見出された兄のチャールズが、エリート中のエリートの魔法省に就職して、アミリアも引きずられるように、この国の王妃の侍女として王宮へあがったのだが……。
 疲れるなあと思う。 
 貴族の作法は一応身に付けている。しかし、宮廷作法は未だによくわからないし、人付き合いも苦手だ。王宮に参上する貴族も、軍人たちも、皆おしゃれで動きが洗練されていて綺麗に見える。
 磨かれた廊下にも、美しい庭にも、天井から光を投げかけるシャンデリアにも、アミリアは気後れを覚えてしまっていた。
「そなた、何か最近気がそぞろだな」
 王太子の言葉に、内心でアミリアはギクリとする。
 もしやバレたのだろうか。
 そんなはずはないと思い直し、アミリアは答えた。
「父の誕生日が近いので……」
「贈り物を考えているのか?」
「はい」
「優しいな」
 貴族はおろか国民にももてはやされる、大人気の王太子に褒められて、アミリアは顔を赤くした。
「で、でも、殿下も王妃様に毎日のようにご機嫌伺いにいらしておいでです」
「あの人は家族が大好きだからな。行かないと叱られる」
「まあ」
 呆れながらもアミリアは笑顔になった。こんなふうに気さくな王太子に、いつも好感を抱いている。もっとも口にはしたことがないが。
 王妃の部屋の前につくと、衛兵が扉を開けてくれた。
 部屋へ入るなり、明るい笑い声に包まれる。中心は部屋の主の王妃キャサリンだ。
「まあ遅いじゃないの、クリストファー。皆待っていたのよ」
「聞かれる内容が憂鬱ですからね」
 王妃に挨拶をしながら王太子はこたえ、向かい側のソファに座った。アミリアは花瓶を置いて、お茶を入れようとしている侍女仲間を手伝う。
 王妃は憂鬱そうな王太子に、遠慮なく話を続ける。
「で、見つかったの?」
「いえ、今日も皆偽者でした」
「よくないわね……」
 王妃の声に、アミリアも内心で同意する。
(そう……よくないわ。とてもよくない)

 ここ最近、アミリアは左足の指先を気にしながら、焦る毎日を送っていた。
 王妃も侍女仲間達も、毎日この話題で盛り上がりとても楽しそうだ。
 しかし、アミリアは一緒になって盛り上がれない。
「一体誰なのかしらね。王太子の指輪を受け取った方」
 アミリアは内心でびくびくしながら、お菓子をお皿に載せていく。
 一番年かさのマーサが、お茶を王妃に差し出しながら、不満そうに口を尖らせた。
「かれこれもう一週間になるのに、申し出てくるのは偽者ばっかりだそうですよ」
「あら? 私に指輪がはまったって、嬉しそうに言ってた公爵令嬢はどうなったのかしら」
 王子一人と王女二人をもうけている王妃は、年を全く感じさせない若々しさだ。明るくて誰からも好かれ、それでいて責務をちゃんと果たしている王妃は、家族ととても仲がよく、王女たち二人が結婚するのを嫌がったくらいである。二人はいずれも他国の王族へ嫁いでおり、今王宮にいるのは王太子だけだった。
 フランクな関係を結ぶ王族は、アミリア達のような侍女たちにとって、仕事をしやすいありがたい存在だ。
 王妃の質問に、王太子がマーサの代わりに答えた。
「似ても似つかぬ代物でした。今度こそはって思ったんですけれど。なんでも、隣の国の魔法使いを雇って、そっくりなのを作らせたのだとか」
「んまま……、お金があるとろくな事考えないのねえ」
 きゃっきゃと楽しそうに、偽者たちの有様をおしゃべりする王妃や侍女たち。
 アミリアは、内心気が気でない。
 そんなアミリアの心を読み取ったのか、ちり……と指輪のはまった指が痛んだ。

 事の発端は、十九歳になった王太子クリストファーによる、誕生日を祝う舞踏会でのとんでも発言だった。
『私の正妃は、この魔法の指輪に選ばせる』 
 その場にいた貴族令嬢たちは、色めきたった。
 この平和な国の王妃になることは、貴族の娘なら誰もが抱く夢であり、また、王太子のように美しくて、剣も人望も頭脳も兼ね備えている男の妻になら、誰だってなりたいと思うだろう。
 王太子は、魔法をかけた黄金の指輪を、自らのしなやかな指で摘んで大広間にいた貴族たちに見せた後、煌くシャンデリアに向かって放った。
 若い未婚の令嬢たちの熱いまなざしを受けつつ、指輪は輝きながら宙を舞い……そして消えた。
 いったん姿を消した指輪は、その夜、娘が寝ているうちに自らはまりに行くのだ。
 王太子の発言で、舞踏会はそうそうおひらきになり、貴族たちは大急ぎで家へ帰った。そして翌日から、指輪がはまったという娘たちによる、王太子の謁見が始まったのである……。

 たった一つしかない魔法の指輪なのに、訪れる娘たちは毎日二十人はくだらない。娘たちの細い指に輝く指輪はどれも見事なデザインで、王太子妃にふさわしいものだったが、王太子の投げた指輪を持つ娘は誰一人いなかった。
「一体いつになったら、本物の指輪を持つ娘にめぐりあえるか、早速貴族のおじ様たちの中で賭けが始まってます」
 マーサがくすくす笑いながら、王太子の空になったカップにお茶を注いだ。
「今日はさすがに数は減ってるみたいだわ。お金持ちしか、あれは作れそうもないものね」
 王妃は皮肉って笑い、侍女たちはそうですよねと同意する。
「アミリアはどう思う?」
 いきなり王太子にに話題を振られ、お菓子のお皿を置き終わったアミリアは固まった。
「ど、どうって……何がですか?」
「指輪をした娘探し」
「私には関係ありませんので……」
 平静を装ってアミリアが言うと、王妃が顔をしかめた。
「駄目よ! 若いのにどうしてそんななの。指輪がはまってないのはわかるけど、貴女ってばてんで恋愛に興味ないじゃないの。このまんまだとオールドミスになっちゃうわよ!」
 オールドミスでむしろ構わない。アミリアはそう言いたいのに、内気すぎてとても言えない。そんな娘が王宮に出たら、さっそく苛めに遭いそうなものなだが、今まで無事なのは、アミリアの持つ、独特のほわんとした癒しの空気のおかげだった。
「ああもう。心配だわ! いい? どこかの貴族の馬鹿息子に迫られたら、絶対に私に言うのよ? 貴女みたいな子は絶好の獲物なんだから」
「う……、は、はい」
 アミリアは、王妃と仲間たちの視線に射抜かれて、いささか怯え気味にうなずいた。
「大丈夫ですよ、母上。私もちゃんと見張っていますから。邪な連中は、私たちがちゃんと排除しております」
 王太子が心得たように言う。輝くばかりの笑顔と美貌がまぶしい。
(駄目だわ。本当のことなんて言えやしない)
 アミリアは、指輪の事を思った。

「まだ外せないの……?」 
 アミリアが泣きつきに来ているのは、兄である魔法使いのチャールズのところだ。アミリアはチャールズの推薦によって、王妃付きの侍女になった。チャールズの魔法使いの腕は中ほどだが、なかなかりりしい外見から人気があり、王宮内外の人々に親しまれている。
「お願いよお兄様。どうにかしてこの指輪をはずして頂戴」
 アミリアが半分泣きながら、左足の靴下を脱いで、足の薬指にはまっている指輪を兄に見せたのは、王太子のとんでも発言の翌日だった。
 兄弟とはいえ、素肌を異性に見せるなど破廉恥極まりないのに、それを内気なアミリアにあえてさせたのは、その指輪が王太子の魔法の指輪だったからだ。
 舞踏会の翌朝、足先に妙な違和感を覚えて見てみたら、王太子が見せびらかしていた指輪が、アミリアの左足の薬指はまっていた。
 王太子が王妃に見せていたので、デザインをよく知っていたアミリアは、果たして半狂乱になった。同時に青くなった。田舎貴族の娘が、指輪に選ばれたなどとばれたら……!
 今のところ隠しおおせているが、いつまでも見つからなかったら、そのうち大掛かりな指輪の娘探しが始まるだろう。真っ先に王宮の人間から探すだろうから、見つかるに決まっている。
「でもさあ、皆手の指にはまってるって思ってるから、ばれる心配なんてないと思うけど」
「甘いわよお兄様。私、湯浴みの時にばれないようにして、いつも一番最後に入ってるのよ。いつまでもそんなのできないわ」
「んー……でもね」
 チャールズは、しげしげと指輪を見下ろした。
「これ、相当難解な魔法がかけられてるんだ。魔法長クラスが扱うレベルだよ」
 魔法長とは、魔法使いたちの長で、王家直属の魔法使いだ。当然一番の使い手である。
「じゃあ、お兄様、こっそり頼んでくれないかしら?」
「アミリアも甘ちゃんだなあ。魔法長が王太子とグルとか考えないわけ?」
 呆れたように兄に言われ、アミリアはその可能性に思い当たった。
 がっかりする妹に、チャールズは励ますように言った。
「まあ、引き続き解き方を探してみるよ。俺はこれでも優秀だから」
 優秀だから、王命によって王都に呼ばれ、チャールズは田舎貴族の一人息子でありながら、エリート中のエリートの王宮の魔法使いになれたのだ。
「あとどれくらいでできる?」
「んー……三日ぐらい? 次の休みにこの部屋においでよ」
「本当に本当に頼んだわよ」
 もとから調子がいいところがあるチャールズだから、不安はあった。でも、唯一の希望だから、アミリアは縋り付きたかった。
 ああそれにしても……、これがあるせいで毎日が落ち着かなくて本当に困る。アミリアは指輪に悪態をついた。
「本当にもう! なんだって私にはまるのよっ」
「お前、王太子が嫌いなの?」
「嫌いじゃないわ。だけど身分が違いすぎるもの。なのになんで私に……」
「そんなの俺にわかるかよ。とにかく次の休暇までには解くから、それまで頑張れ」
 人事だと思って、チャールズは気楽に言う。
 アミリアはため息をついた。

 それから数日たったある日、昼の休憩の後に王妃の御前に上がってきたアミリアに、王妃の部屋から出てきたマーサが楽しそうに駆け寄ってきた。
「聞いてよアミリアっ。ついに指輪の相手が見つかったんですって!」
「え? 本当!?」
 もしや自分とばれたのかと、一瞬硬直したアミリアに気づかないまま、マーサは王妃の部屋の扉に目をやりながら言った。
「本当よ。ほら、宰相のニルソン公爵の一人娘の、ソフィア様。今おいでなのよ」
「へええ……」
 ちょうどそのソフィアが、王太子と一緒に、部屋から出てきた。美しいソフィアの左手薬指には、あの黄金の指輪が光っている。
(本物よね? じゃあ私の指輪って一体何?)
 アミリアは疑問に思ったが、王太子は本物と認めているらしいし、自分の足の薬指にはまっているのは、誰かのいたずらだと思うしかなかった。はた迷惑ないたずらである。
 はたとした。
(お兄様のいたずらね! この数日間の私のあわてぶりを見て、楽しんでいたのね。昔から、そういう嫌ないたずらが大好きだったから)
 王太子の指輪をまねて作るとは、まったく大それたいたずらだ。領地に帰った時に、父親にしっかり叱ってもらおうと、アミリアは心に決めた。道理で術式を解いてくれないはずだ。いたずらなのだから解くはずが無い。怒りがめらめらとお腹の底で燃える。
「アミリア」
 王太子に呼ばれ気がつくと、思ったより身体が近くにあってアミリアは驚いた。
 後ずさると、壁が背中につく。
 なんなのだろうか、この距離の近さは。
「あの……何か?」
 大柄な王太子に近寄られると、アミリアのような小柄な人間は縮み上がってしまう。目を合わせることすら困難な近さだった。
 ソフィアやマーサはどこに行ったのか、姿が無い。
 銀の髪を左の肩の辺りに束ね、豊かに流しながら王太子はにっこり笑った。
「うん。あのね。君、やたらと魔法寮へ行ってるみたいだけど……。変な男に捕まってるんじゃって、母上が心配してるんだ。実際のところどうなの?」
 なんだそんな事かと、アミリアは安心した。
「兄のところです」
「ああ……チャールズか。ふうん。そう」
 王太子の身体が離れ、アミリアはほっと息をついた。でも、次の瞬間、顔の横の壁に大きな手が置かれて飛び上がった。
「そら、その顔。危ないよ? 兄上の魔法寮は男子しかいないだろう? そんなところに女の子が一人で行くなんて、襲ってくださいって言ってる様なものだ」
「あ……の」
 息がかかるほど近づいてきた顔におののき、アミリアは泣きそうになる。紫色の瞳が近すぎる。
 何とかして離れてもらいたい。アミリアはとっさに会話を考えた。
「ソ、ソフィア様が指輪をお持ちだったそうですね」
「そうだよ。それが?」
 軽く流され、アミリアは言葉を詰まらせた。
「アミリア……」
 王太子の顔がさらに近づいてくる。
「アミリア、王妃様が新しいドレスを作られるのだけど……」
 蛇に睨まれた蛙状態のアミリアに、助けの声がかかった。
 扉が開く音と共に、マーサが出てくる気配がした。同時に王太子の身体がさっと離れた。そのまま後ろ姿は遠ざかっていく。
 腰の力が抜けて座り込んだアミリアを、マーサが手を差し伸べて立たせてくれた。
「どうしたの? 殿下に何か言われたの?」
「……よくわかりません」
 いきなり異性に、それも王太子に接近されたアミリアは、あまりの出来事に放心状態だ。マーサは首を傾げた。
「おつきあいする男性でもできたの?」
「いえ」
 いきなり、なんだその質問はと思っても、内気なアミリアは言えない。
「そう。ま、王妃様のおっしゃるとおり、貴女は危なっかしいから、殿下も心配なんでしょう。しょっちゅう魔法寮へ行ってるじゃないの、ここ最近」
 おかしいとアミリアは思った。
 魔法寮は王宮の敷地内にあるし、外出届も必要ない所だ。他にもいろんな機関の寮があり、皆、それぞれの寮へ遊びに行っているのだから、自分だけこんなにチェックが入るのは変だ。
「兄に会いに行ってるだけです」
「とは思っておられないのよね、王妃様。心配なさってるわ。だから殿下もつられていらっしゃるのね。王妃お気に入りの貴女に、何かあると大変だもの」
 お気に入りとは恐れ多い。
 アミリアは、マーサと一緒に王妃の部屋へ入りながら、早く田舎の領地に帰りたいと思った。だが、当分帰れやしないだろう。王太子の相手が決まった事で、婚約式や結婚式に向けて忙しくなる。王妃もソフィアを迎えるにあたって、支度に追われるだろう。そんな中、帰省などもっての外だった。

「アミリアのファッションセンスは、本当にすばらしいわ。こんな色の組み合わせはどうかと思ったけれど……」
 王妃は、新しいドレスを作る際、必ずアミリアに相談する。アミリアはその手の才能があるようで、それは侍女仲間も認めている。お気に入りになっているのはその為で、おしゃれ好きな王妃には、アミリアは欠かせない存在になっていた。
「これをどうして自分にいかせないのか、私には不思議でならなくてよ?」
 心底王妃にそう言われ、アミリアは困ってしまう。どうしてだか自分でもわからない。モデルの差ではないかと言うと、それなら同じなはずだと恐れ多くも言われ、アミリアはさらに困ってしまった。挙句、アミリアのドレスも作らせると王妃は言い出し、必死にアミリアは固辞したが、新入りは必ず一着作ってもらうのだとマーサに説得され、王妃と侍女たちによる着せ替え大会が始まった。
「お前の茶色の髪には、このピンク色のドレスがいいわね。マーサ、私の宝石箱を持ってきて頂戴」
「はい!」
 マーサが宝石箱を持ってきて、王妃が自分のネックレスやイヤリングを、アミリアに着けていく。どれもこれも高級な品で、壊しやしないかとアミリアは気が気でない。
 王妃が笑った。
「そんなに怯えないのよ。皆やっているのですから。マーサの時も素敵だったわ」
「いい思い出です。皆様、私を綺麗に着飾ってくださったのですから」
 二人は楽しそうに、アミリアをああでもないこうでもないといじくった後、ヘアメイクが上手な侍女にアミリアの髪を結い上げさせた。
「さあ御覧なさいな」
 王妃に言われて、アミリアは大きな姿見で自分を見た。皆綺麗だと言うが、アミリアにはよくわからなかった。ただ、王都によく居そうな、貴族の令嬢になれたような気がした。
(なんだか私じゃない)
 ぼうっとししていると、王妃が言った。
「クリストファーにも見てもらいましょう」
 とんでもない事を王妃がのたまい、マーサに振り返ると、主人の心をよく読んでいるマーサが既に王太子を連れてきていた。あわあわと慌てて隠れようとしても、豪華なドレスは重くてさっと動けない。そうしているうちに王太子がさっと近寄ってきて、笑顔満面でその細い手に口付けた。
「美しくなった」
 うふふと、王妃が扇で口元を隠して笑った。
「完璧でしょう? 靴だけは変えなかったから、貴方のダンスの練習相手になるわ」
「お貸しいただけるのなら……」
「かまいませんよ」
 勝手に王太子に貸し出されて、アミリアは困惑した。侍女の仕事に戻りたい。この姿は人を惑わせる。本人ですらそうなのだから、あらぬ誤解をされたらたまらない。
 戸惑っていると、マーサの注意が飛んできた。
「王妃様のおっしゃるとおりになさい。さあアミリア、殿下のダンスの練習のご相手を」
「で、でも、私ダンスは苦手で……」
 田舎では、ダンスの練習相手すらいなかったのだ。王太子の足など踏んだら、不敬もいいところな気がする。
「靴は変えなかったでしょ。ステップくらい簡単よ」
 そういう問題じゃない! というアミリアの言葉は届かず、アミリアは王太子の部屋へ連れて来られた。王太子の部屋に一人で来たの初めてで、アミリアは不安で胸がいっぱいだ。二人きりになってしまい、落ち着かない。
「そう固くならなくていい。本当に練習したいんだ。婚約式の後の、披露パーティーの時のためにね。今まで妹たちがしてくれたんだが、もう彼女たちは嫁いでいないし……頼むよ」
 王太子が申し訳なさそうに頼んでくる。
 本当にダンスがしたことがないのだとアミリアが断ろうとすると、それは練習のしがいがあるねと返された。ソフィアは、ダンスが壊滅的に下手なのだろうか。それをリードするためにも、どうしても練習はしなければならないらしい。 

 兄以外の男性と手を取るのも初めてで、ましてやこんなふうに二人きりになるのも初めてなのもあり、アミリアはろくにステップを踏めなかった。それでも王太子のリードがすばらしかったので、午後のお茶の時間の後に始まった練習は、夕食の時間前にはなんとか形にはなってきた。
 二人とも汗びっしょりだ。
「良くなってきた」
「本当ですか?」
 いつのまにかアミリアは、夢中になってステップを踏んでいた。考えてみれば、体を動かすのは嫌いではない。重たいドレスも気にならないくらい、ダンスは好きになれそうだった。
 目の前の軍服の胸ばかり見ていたアミリアは、ふと気づいて王太子を見上げた。
(え……?)
 紫色の瞳は、これ以上はないと言うほどに優しい色をしていた。アミリアと目が合うと、さらにそれは深く、甘く染まっていく……。
(ええ……っ?)
 改めて王太子を意識してしまい、ステップを踏み間違えた。
「痛……!」
 手を離してアミリアは足元にかがみこんだ。足首をわずかだが捻ったようだ。王太子が申し訳なさそうに謝った。
「大丈夫か? 長い間踊ったからだろう。すまない、気がついてやれなくて……」
「いえ、じゃあ私はこれで……あ!」
 いきなり抱き上げられ、部屋の奥の天蓋のある寝台へ連れて行かれた。端に腰をかけさせられて、膝をついた王太子に、アミリアははっとした。
 指輪を見られたくない。

 足に指輪をするなんて聞いたことが無い。しかもそれは、王太子の魔法の指輪にそっくりなのだ。ばれたらなんと思われるか……!
「あの……殿下。ちょっと捻っただけなので」
「とにかく見てみないと」
 有無を言わせない強引さに、アミリアは背中が冷たくなった。
 よくない……、よくない、よくない!
 王太子の両手から逃れようと足を引っ張っても、びくともしなかった。疲れている上に、王太子の方が力が強いのだから仕方が無い。
 焦りはいよいよ頂点に達した。アミリアは動転して、とっぴも無い嘘をついてしまう。
「わ、わたし水虫なんです! うつりますっ!」
 王太子は、アミリアの足をつかんだまま爆笑した。
「そんなうそついて恥らう必要はないよ。私しかいないのだからね」
 だから困るのに、王太子はわかってくれない。
「ダンスを始めたばかりの者は、靴擦れを起こしやすいんだ。だから脱いで見たほうがいい。妹たちの手当てをしてきたんだ、慣れてるから安心しなさい」
 安心できないし、本当に困る。
 心なしか、指輪が熱い気がする。なんだか熱を持っているようだ。
 王太子の手は、アミリアの靴を脱がせてしまい、靴下だけになった。もう駄目だ。
 アミリアの足首を掴む手は、絶対に外れない。
 するすると右の靴下が脱がされていく。そちらは指輪がないほうだ。
 しかし、そんな安心はつかの間だった。すぐに王太子の手は、左の靴下にも伸びた。
 指輪が消えてなくってほしいとアミリアは願ったが、そんな奇跡が起きるはずもなかった。王太子の目に、アミリアの左足の薬指にはまった指輪がさらされる。
(ああ! もう終わりだわ)
 これからどうなるのかと、アミリアはぎゅっと目を瞑った。
 王太子は何も言わない。
 沈黙はあまりにも重く、そして長かった。
 その長さに耐え切れなくなって、アミリアがおそるおそる膝をつく王太子を見下ろすと、彼は肩をわずかに震わせていた。怒っているのだ。
 兄のいたずら? を謝らなければ。アミリアは結局兄をかばう言葉を口にする。
「あの……すみません。これは、殿下の指輪ではないんです……」
「ふ……ふふ」
「……殿下?」
 次の瞬間、王太子は笑い出した。
「はははははっ!」
 怒りを通り越して笑いだしたのだろうと、アミリアは恐怖で背中が凍った。足首を掴んだまま、王太子は笑い続ける。それほど怒りが深いのだ。
 アミリアは震え上がった。
 これは不敬どころではない。王家を馬鹿にしたと誤解されて、領地の父母や兄にもなんらかの罰が下るかもしれない。
 しかし、アミリアは、どう償ったらいいのかわからなかった。 
 やがて王太子は笑いを納め、顔を上げた。紫色の目がなんとも言えない恐ろしさを含んでいて、アミリアはそれに射すくめられる。
「この指輪、どうして黙っていた?」
「それは……」
「私をからかって、楽しいか?」
「からかってなど……」
「私は……、私は本気でこの指輪を投げたんだ。それを……」
 王太子の妃のための指輪を足にするなど、馬鹿にしていると思われても仕方が無い。王太子の怒りは頂点に達している。
「償えるなら、なんでもします。ですからどうかお許しを……」
「なんでも? そなたに何ができるのだ」
 王太子が立ち上がり、アミリアに長身の影を落とした。
「わかりません。でも何でもしますから」
 アミリアは必死だった。貴族の娘として、家をつぶされるのはとても恐ろしい。先祖に申し訳が立たないし、それだけは避けなければならない。
 王太子言った。
「……そんなに私が怖いか? 嫌か?」
「…………」
 何も言い返せない。
 王太子は、しばらく何かを考えているようだったが、やがて寝台の横にあるテーブルの上の小さな黄金のベルを鳴らした。すると、呼ばれた王太子の侍女が二名現れた。
「この者に湯を使わせよ。そして疾くここへ連れて参れ」
「かしこまりました」
 アミリアはわけがわからない。
 湯殿に連れて行かれて、侍女にドレスはおろか下着まで脱がされて裸にされると、頭の先からつま先まで綺麗に洗われた。そして、髪を乾かされ、いい匂いのするローションやクリームを、身体中に塗りこめられた。
 別世界の出来事のようにぼんやりとしていたアミリアは、連れ戻された寝台に横たわっている王太子の姿を見て、はっと現実に戻った。王子もアミリアと同じ、ガウン姿だった。
「来たな」
 王太子が手を払うと、控えていた侍女たちは下がっていく。
 再び二人きりになり震えるアミリアの肩を、王太子の両手が掴み、その場に倒した。
「あの……っ!」
 すかさず王太子がのしかかってきて、動けなくされる。
 王太子は、とても辛そうに唇をかみ締めていた。怒るのならわかるが、どうして辛いのだろう。
 アミリアが不思議そうに目を瞬かせるのを見て、王太子は苦笑した。
「愛する女に怖がられるなんて、最悪だな」
「殿下……?」
 王太子の右手が、ふわりとアミリアの左の頬を包んだ。
「私はお前が好きなんだ」
 アミリアは、今日何度目かの放心を味わった。
 だがすぐに、ソフィアを思い出した。
「ソ、ソフィア様が指輪を……」
「アレは嘘だ。かまをかけたら、お前が申し出てくるのではと思ったんだが、誰かのいたずらだと勘違いされるとはな」
「え? え?」
 王太子は、最初からアミリアに指輪がはまっているのだと、知っているようだ。どうしてだろうか。
 恐怖は去った。去ったが、大きな困惑が今度は襲ってくる。
 アミリアを王太子は好きだという。
 だから指輪を……。
「この指輪は、チャールズに頼んで、作ってもらったんだ」
「兄に!? では、やはりいたずらなんですか?」
「いたずらではない。そなたにいくら心を寄せても、一向に振り向いてくれないからやきもきしている私を見て、チャールズが提案してくれたんだ」
 ……それって、思い切り兄に遊ばれてます。
 アミリアはそう言いたかったが、真剣な王太子の顔を見てとても言えず、口を噤んだ。
「で、でも、私は田舎貴族の娘ですし」
「私が嫌いか?」
 今度は捨てられた犬のような目をして言われ、アミリアの胸はきゅんとする。犬が好きなのでこの目は危険だ。
「嫌いではないです」
「嫌いではないのなら、結婚してくれないか?」
「えっと、私の家は……物凄く田舎で」
「高位貴族へ、そなたを養女にさせる手はずは済んでいる。心配するな。妾を気にしているのなら、迎える予定は無い。わが国では、その存在を宗教上認めていないからな」
 押されると弱いアミリアは、外堀をどんどん埋められていく。困惑しながらも許してしまう、その表情が王太子の心を掴んだのだが、彼女は全く気づいていない。
「私の妻になると困るから、指輪を黙っていたのか?」
「大それた望みでございます」
 心の底からそう思っている。
「安心せよ。母上も父上も侍女連中も、皆味方だ。それどころか、最近はせっつかれて、困っていたぐらいだ。左手薬指にはまると困るだろうから、足の指にしたのだぞ。先ほど作られたドレスも、婚約式に使う予定のものだ。ダンスも毎日練習すれば良くなる。だから、うなずいてくれ」
「殿下……」
 なんということだ。気づかれてないと思っていたのは、自分ひとりだけだったとは。
 恥ずかしくて、みんなの前には出られそうも無い。
 また王太子を煽るような泣き顔になったアミリアは、我慢しきれなくなった王太子に熱烈なキスをされる。
 困るのに。領地に帰って、ひっそり過ごしたいのに……。
「愛している、アミリア」
 駄目だ。捕まってしまった。

 流されやすいアミリアは、自分の身体を弄り始めた王太子の手を、止められなかった。

 優しいキスは、次第になんだか乱暴な、粘膜を擦り合うようなものに変わった。キスという経験があまりないアミリアには、息苦しい行為だ。すぐに王太子は察してくれて、今度は首筋を舐められた。
 くすぐったくて、アミリアは王太子の腕の中でもがいた。するともっと感じさせたい王太子が、張り切ってそこばかりを執拗に嘗め回しては強く吸い付く。
「あ……! は……ぁ」
 信じられないが、なんだか牝のような声が出てしまう。王太子の手のひらはゆっくりと下腹部へ降りていき、きわどい茂みをかきわけて、濡れそぼち始めた所へ割り入った。
「はあ……っ、や、そこは……っ」
「ここに私が入る……。ふ、熱く濡れてる」
 卑猥な言葉を優しく耳元で囁かれて、アミリアは身を捩った。清純なアミリアは、肉欲について何も知らない。初めて与えられる快楽は、未知の領域で、不安をかなり伴っていた。
「私、粗相を……」
「粗相ではないよ。女性はここを嬲られると、皆こうなる」
 きゅっと肉の芽を摘まれて、電流のような甘い痺れが下腹部に走り、腰が蕩けるようにだるくなった。
「あああっ! 殿下……っ。は……う……ぅあ、ん……」
「感じやすい良い身体だな」
 今度は胸を揉み続ける手が、ぐりぐりと先を押しつぶした。たまらなくなって、また、これ以上何かをされたらおかしくなりそうで、アミリアは小鳥のように震えた。そんな姿が、王太子にはたまらないのだった。
 この清らかな小鳥を思い切り啼かせたい。
 そして、この自分を求めて欲しい。
 普段の静謐な姿からは想像もつかない、情欲に濡れた紫色の目で、王太子は喘ぐアミリアを見下ろす。乱れた銀の髪は、これからの情交の激しさを物語っていた。
 王太子の指が、ぬるりと差し入れられた。そのまま止まってくれるはずもなく、アミリアを追い立てるように動き回り、アミリアは王太子が望むように囀り始めた。
「駄目……っ。そんなに動かさないでっ! あぁっ!」
「ここは動かして欲しそうだ」
 ぐちゅぐちゅと音がする。
 意地悪げに王太子は言い、尖りきった胸の先を軽く噛む。
「そんな……っ。私……」
「だって、私の指を今や二本も加えて離さないよ。ほら……こんなふうに……わかるだろう?」
 蜜をかき混ぜるように出入りさせ、執拗に肉の芽を同時にいらう王太子。断続的に続くそれに、アミリアの身体はどんどん熱くなっていく。手の先からつま先まで、王太子の愛撫の毒がいきわたってくるようだ。
 身体中を震わせながら囀り、アミリアは王太子の嬲る指を止めようとするが、ただでさえ悦楽に酔っているのに、力など入るわけもない。蜜は今では王太子の手首にまで及び、アミリアの下腹部や太ももをびしょびしょにしていた。
「可愛いねアミリア。こんなに私で感じてくれるとは」
「や……あ、殿下っ……」
 びくびくと震えるアミリア。王太子は可愛い耳元に口を寄せた。
「クリストファーだ。クリスでもいい。これからはそう呼んで」
「できな……ああ!」
 動きが激しくなって、訴えるような視線をアミリアは王太子に注いだ。王太子はアミリアを攻め続けたまま言った。
「名前。呼ばないと……このままだよ」
 もうたまらなかった。ぬるぬると擦られる粘膜と蜜の刺激に耐え切れず、アミリアは細い声で悲鳴をあげて、身体を弓なりにそらせて果てた。

 一瞬飛んだ意識は、王太子の熱で直ぐに戻ってきた。
「あ……。殿下それは……!」
「何も心配する必要はない。孕んでも大丈夫だ」
「でも私」
「クリスだ。呼びなさい」
 流されるままに、アミリアは呼ぶしかなかった。もしかしたら、止めてくれるかも知れないと、有り得るはずもないことを望みながら。
「クリス様。私……」
「皆、私たちが結ばれる事を望んでる。だから大丈夫だ」
 皆?
 本当に……? 本当だろうか。
 考えている時間はなかった。すぐに王太子の慾が、濡れそぼったところへ潜り込んできたからだ。こじ開けられる激痛に、アミリアは息を詰めた。
「すまないアミリア。最初だけは仕方ないんだよ」
 申し訳なさそうにするくせに、出て行く気はないらしい。アミリアは揺さぶる王太子を初めて睨んだ。ところが困った事に、それが王太子に火をつけた。
「ああ……アミリア。なんていう顔をするんだ……。そんな顔もできるんだな」
「喜んでないで……、も、あっ……抜いてくださいっ」
 アミリアの懇願に王太子の腰は早くなるばかりで、早く終われと願っても、なかなか終わってくれない。慰めるように肉の芽を撫でられたが、痛みの方が強かった。
 にちゅぐちゅと、聞くのも恥ずかしい水音がする。
「はっ……あんっ……あぁ……殿下……っ…………!
「アミリア……もう直ぐだ」
 耐え切れぬように、王太子が銀の髪を振るわせる。激しい動きに、アミリアは痛みも悦楽も、なにもかもがごちゃまぜになった。全身が王太子を望み、それに王太子が応えている。何度もアミリアの頬に口付けながら、王太子は何度も愛を囁く。
「愛してる……アミリア」
「あぁ……」
 奥で肉が震えて弾けた。生温かいものがじわりと広がってきて、それがアミリアの意識を奪っていった。
 クリス……と、意識を失う寸前にアミリアは呟き、それを聞いた王太子は嬉しそうに彼女を抱きしめた。

 魔法省で、チャールズは王太子の訪問を受けた。王太子は万事がうまく行ったから、至極ごきげんそうだ。
「ありがとうチャールズ。この礼ははずむぞ」
「……それはこちらもありがたいですが、妹に無体な真似はされていないでしょうね?」
「案ずるな。王太子妃としての教育は、すべてうまくいっている。そなたも知っている通りではないか。私がアミリアを見初めて王宮へ召しだし、侍女教育の傍ら王妃教育をしていくと、当初から言ってあったであろうが」
「うそおっしゃい。最初は見るだけだって言ってたでしょう……」
 ごめんアミリアと、チャールズは心内で妹に謝る。机の上に飾ってある肖像画が、すべての始まりだった。
 父母とアミリアが描かれているそれ。
 アミリアの姿に一目ぼれした王太子が、どうしても一目見たいと言ってきた。あまりにもしつこいものだから、見るだけならという条件で、アミリアをこの魔法寮へ遊びに来させた。王太子は偶然を装ってその場に現れ、見るだけどころか、自分のものにしたくてたまらなくなった。それで、自分の母である王妃の侍女に、アミリアをチャールズに推薦させたのだ。
 毎日王妃の部屋へ行くのは、アミリアへ会いに行くのと、王妃教育が順調か見に行くため。
 しかし、根っからの田舎娘で内気なアミリアが、王太子などという輝かしい身分の者に恋心など抱くわけもないし、王妃になりたいと欲望をいだくわけもない。
 じれた王太子にせっつかれ、チャールズはいたずら心も手伝って、しぶしぶあの魔法の指輪を作った。
 ただ、妹への贖罪の意味をこめて、一つだけ条件を付けた。
 心底アミリアが嫌がったら、絶対に彼女を諦める事。
「……そんな芸当ができたなら、とっくに領地で結婚してたよなあ」
 はああ……と、チャールズはため息をつく。
 目の前の王太子はひどく幸せそうだ。悪い男ではないから、アミリアはきっと幸せになれるだろう。王族も侍女たちも皆良い人間ばかりだ。
 だが……。
 チャールズはそこで考えるのを止めた。
 アミリアは、侍女を断る事もできたのだ。表向きはチャールズの推薦だったが、それは王太子にさせられただけだ。実際のところ、チャールズは断るようにときつく忠告した。それでも彼女は侍女になった。こうなる可能性を、少しでも覚悟していたはずなのだ。そうでなければ貴族の娘など、やっていられない。
「……今度お見舞いに行くか」
「来るが良い。彼女も待っている」
 幸せそうに微笑む王太子に、チャールズは妹のこれからに思いを馳せた。

 やがてアミリアは王妃になるが、それ以降、代々王太子妃は、魔法の指輪によって決められる事になった。
 いずれも、娘側にとっては驚きの選定だったのにもかかわらず、皆すぐに幸せに暮らしたのだという。

<おわり>

Posted by 斉藤 杏奈