愛だと信じていた 第04話
貴明様がお見合いをされる。
今までずっとお断りになっていたけれど、さすがに全部が全部断るわけにもいかず、しぶしぶ承知されたもので、恵美様をお忘れになれない方に、ひどい仕打ちだと私は思っていた。
場所は都内の料亭で、お供するようにと言われた。余程嫌だと思われているに違いなかった。
移動途中の車の中、貴明様は深い深いため息をつかれ、着いたら起こしてくれとだけおっしゃり、目を閉じられた。
料亭まではほんの二十分ほどなのに、それすら惜しい休み時間なのだろう。お見合いの後は出社される予定になっていた。明日は朝から大学の講義がある。本当にこの方は休む暇がないのだ。
十分程経った頃、私の携帯が着信した。見ると知らない番号だった。
でも仕事によるものかもしれなかったので、怪しみながらも出た。
「はい」
『こんにちは』
中宮だった。どうやってこの番号をと思ったけど、圭吾様に決まっていたので聞く気も起きない。
「何の御用でしょう?」
『ここしばらくの間は、外出しないほうがいい』
「仕事ですので、しないわけにはいきません」
『……男達に襲われるとわかっていても?』
言葉に詰まった。不意にあの藤田さんの憎悪のまなざしが蘇った。
中宮が言った内容はこうだ。
藤田さんの結婚相手は、確かに家柄もよく富裕層だけれども、50代の女癖の悪い男で、新婚一週間で藤田さんに飽きて、新しい女を連れ込んでいるらしい。それも藤田さんと二人で住んでいる家に。
それと私とどう関係があるのか、さっぱりわからない。
そう思っていると、中宮は、どじで間抜けで臆病な私が、平々凡々と屋敷勤めしているのが、藤田さんには許せないのではないかと言った。そんな私が貴明様に藤田さんの悪口を言いつけて、貴明様が圭吾様へそれを報告され、こんなとんでもない結婚をさせられたと思い込み、私を襲う計画を立てたのだと。
依頼された男達はいずれもやくざのちんぴらで、藤田さんとはまったく無関係。逮捕歴がある粗暴な輩数人らしい。
逆恨みもいいところだ。あれだけいじめておいて何を言っているのだろう。
『とにかく一人での外出は控えなさい。わかりましたね?』
中宮は教師が生徒を諭すように言う。こんな情報を掴めるなんて、この男もそうとう闇の部分を背負っているみたいだ……。
だから、圭吾様に似ていると思うのかも。
「……わかりました。でも」
『でも?』
「どうしてそんな事、教えてくださるんです?」
『愚問ですね』
電話の向こうで、中宮がひそかに笑ったような気配がした。
『心配だからに決まっているでしょう』
「…………」
何も言えないまま、通話を切った。少し長い通話で、目当ての料亭はもうすぐだ。私は携帯を鞄にしまって、眠っていらっしゃる貴明様に声をおかけした。
「貴明様、もうすぐ着きます」
「……電話」
「はい?」
見開かれた薄茶色の瞳は、鋭かった。眠っておられなかったらしい。
「……誰?」
「知り合いですが、貴明様とは関係のない人です」
「そう」
中宮の事を言うのは何故か憚られた。私は空気を吐くようにうそをつける自分に感謝した。
普通、貴明様ぐらいのお見合いの席になったら、親族がつくのだと思っていたのだけど、何故かお二人と、仲人のような見知らぬ人間と、私の4人だけという奇妙な形だった。素晴らしいお料理が並べられていても、誰も手をつけない。形式ばった会話がつづくばかりで、退屈なものだ。
相手の方の鹿島瑠璃という令嬢は、振袖を着たりなどせず、落ち着いた色のスーツを着ておいでだった。
「では、おふたりだけに……」
仲人のような人が言い、私とその人は部屋を出た。目の前を歩く男性の背中を見ながら、貴明様はこれからお断りの話をされるんだろうなとなんとなく思った。
男性は二人を会わせるだけの役目だったらしく、私が待機する部屋の前でお別れした。
必要最低限の荷物しか置いていない部屋で、さてどうやって時間をつぶそうかと思って、座りかけた時、乱暴にふすまが開かれた。
入ってきたのは、若い男三人だ。
「君があすかちゃんかな……?」
着ているものは良いスーツなのに、品のない男達だった。
ひょっとして、例の藤田さんの……。
私はとっさに彼らから距離を取った。逃げられるだろうか。
「へー……すごい美人じゃん。こりゃあ藤田の奥さんは足元にも及ばないな」
「ラッキー」
にやにや笑いながら近づいてくる野卑な男達に、さすがにどうしたらいいのかわからない。
近くにあった電気ポットを投げつけても、ひょいと避けられただけだった。
「どっちみちやられるんだから、早く観念しなよ。俺達上手だよ?」
冗談じゃない。上手とか下手だとか……。
うっかりしていた。これも一人で外出になるのか。
注意されてからまだたったの一時間だ。こんなに早く襲われるとは思ってもみなかった。
狭い屋内の部屋では逃げられるスペースは決まっていて、あっさりと捕まってしまい、その場に引き倒された。
「御曹司が来るまでの間、お楽しみだねーあすかちゃん。三人も相手できて幸せだよね」
叫ぼうとしたら、口に男のハンカチを入れられ、話せなくなった。
気持ち悪い手が体中を這い回る。気持ち悪い。怖い。
嫌だ。
嫌だ。
服が破り裂かれ、男の手がじかに胸を掴んだ時、ふすまが開く音がして、押さえつけられていた気配が消えた。
同時にどすんと重い荷物が落ちる音がした。身体が自由になる。
え…………?
ぎゅっと瞑っていた目を開けたら、男三人がたたみの上に倒れていて、貴明様が近づいてくるところだった。
お見合いはどうなったのだろう……。こんな時にそんな事を考える私は、そうとうお仕事が大好きな人間なのだろうか。
「あすか、大丈夫?」
そう言いながら、貴明様は私の口に詰め込まれたハンカチを取り去ってくださった。
私は頭の動きがすべて止まってしまったみたいで、何も声に出せない。
貴明様は、ご自分のスーツを脱いで、私に着せ掛けてくださった。そして再び男達に振り返り、倒した男達のうちの一人、リーダー格のような男の腕を嫌な形にひねった。
ごきりと嫌な音がした。
「ぎゃあああっ!」
「こんな場所で、お前たちみたいなどぶねずみに、僕の大事な人間を手にかけるなんて、それ相応の目に遭ってもらわないとねえ……?」
「違う。これは頼まれて……っ」
「頼まれて、三人がかりか。いくらもらったんだ?」
男は脂汗を流しながらも、だまっている。貴明様の美貌に凄みが増し、再び骨が砕ける音がした。反対側の手首だ。
「わ、わかった、言う……っ! 藤田だよ。藤田みなりっ。あの女からその石神あすかを犯したら、百万やるって言われた」
「ふーん。安い値段で危険な橋を渡るもんだね」
「それは……」
「もう百万やるから、今度はその藤田みなりを襲ってくれる?」
「……は?」
貴明様のとんでもない言葉に、私を含め、男達が唖然とした。貴明様は天使のように綺麗な笑みを浮かべて御立ちになり、私の元に戻ってこられて、ご自分のスーツのポケットから、分厚い封筒を出された。明らかに用意されていたものだった。
「お前達の組長にも、話はつけてある。この二百万には治療代も含まれてるから、治してからやってもいいよ。でも……」
貴明様は、骨を砕いた男の頭を、ぐいぐいと踏みつけられた。
「二度とこんなまねをするんじゃない……。今は手加減してやってるけれど、次はない」
貴明様にすっかり恐れをなして、男達はほうほうのていで部屋から逃げ去っていった。
部屋はしんと静まりかえる……。
私は、そのまま貴明様のスーツに包まれるように抱き上げられ、料亭をあとにした。
鹿島様はずっとお姿が見えない。お帰りになったのだろうか。
貴明様は車が動き出しても、しばらく何もおっしゃらなかった。
普通の風景が車窓から流れていくのを見ていると、先ほどまでの硬直した気持ちがようやく氷解して落ち着いた。
「あの……貴明様。お見合いは?」
「ああ、つきあうことになった」
「え?」
座席の肘掛で頬杖をされながら、貴明様がこともなげにそうおしゃったので驚いた。
やけになってしまわれたのだろうか。
「今度、親父と恵美が泊まるホテルのオーナーが、その鹿島さんのお父さんなんだって。最近になって鹿島さんに変わったのを、親父はまだ知らない」
「…………」
「チャンスだろ? これで恵美を救い出せる」
「でも、お付き合いをされるのでしょう?」
「あっちも本命がいるんだって。お互い親の目をかわすためのカムフラージュさ」
「カムフラージュ。いつまで……ですか?」
貴明様は、私ににこりと微笑んでくださった。
「僕と恵美がアメリカに行くまでだよ」
勤務が終わって、寮の部屋に戻ったら、何故か部屋の中に中宮がいて、私の姿を上から下まで見て、安心したように息をついた。
「間に合ったみたいで良かった」
「…………」
私は何も言わず、お借りしたままの貴明様のスーツの上着を、床の白のラグの上に落とした。私が着ているのは、引きちぎられたままのブラウスだ……。
中宮が息をのむ音がはっきりと聞こえた。
「……破られただけで、それ以上は……されていないわ」
そう、それだけだ。ちょっと触られたぐらい。
だけど……。
抑えていた気持ちがせり上がってきて、膨れ上がった。
何故か、中宮の顔を見た途端に、封印していた恐怖が足元から蘇ってきて、震えが止まらない。
「ものすごく、……怖かった」
貴明様の前で、流せなかった涙が今頃になって溢れてきた。どうしてだか知らないけれど、次から次へ溢れてきて止まらない。
貴明様は助けてくださった。
藤田さんへの相応の報いを差し向けてくださった。
だけど……だけど。
背後から、ぎゅっと中宮が抱きしめてくれる。嗚咽まじりにそのまま泣いた。
中宮はいつもどおりなのに、どこかほつれたような感じがする。
「私が助けてあげたかったのですが、どうしても外せない用事がありました。すみません」
中宮が謝る必要などない。
どこまでが中宮の助けで、どこからが圭吾様と貴明様の策略なのかはわからない。
ただ、私はお二人にとって、ただの駒なのだと思い知らされた。
それでいいはずなのに。そうだったはずのに。
演技ではない涙が、ラグの上にしみをつくり、それでも泣き止めなかった。
中宮が優しく言った。
「お泣きなさい。そしてまた、明日からは強いあなたに戻りなさい」
貴明様。貴明様。
お慕いしています。
恵美様と結ばれれば良いという気持ちに、嘘はありません。
でも苦しいんです。
とても、とても……苦しくて、切なくて、やりきれないのです……。