愛だと信じていた 第05話

 翌朝、私は中宮の腕の中で目覚めた。

 私らしくもなく、あのまま眠ってしまったらしい……。ほとんど初対面の男と、何もなかったとはいえ同じベッドで寝るなんて、我ながら、隙があるにも程があるのではないかしら。

 でも。

 男達に襲われて、はっきりとわかった事がある。

 商売女や余程の好きものの女でないと、心が伴わない身体だけの快楽を感じるなど、絶対にあり得ない。

 つまり、恵美様は、圭吾様を……愛しておられる。少なくとも嫌ってはおられない。

 それの持つ意味が胸に落ちてきて、疑問が沸いて来る。

 ひょっとして、恵美様の恋の邪魔をしているのは、ほかならぬ、貴明様ではないのだろうか……?

 二人は本当に恋人同士なの?

「ずいぶん何かを考えていますね」

 いつの間にか目覚めた、中宮の腕にきつく抱きこまれ、思考を中断された。

「ちょっと……苦しいです……っ」

「貴女が腕の中にいるのに、なにもしないでいる紳士な私の胸中を察してくださいよ」

「知りません!」

 顔が熱い。きっと赤くなっているだろう。もがいたら中宮はあっさりと離してくれ、ベッドからさっと降りた。くくくと中宮は笑った。

「すっかり元気になられたようで良かった」

「それは……それはお礼を申しますけど!」

「ふふ、そんなふうに慌てた貴女は面白いし、可愛いです。ずっと傍で見ていたいですね」

「何をおっしゃってるんですか!」

 中宮は心底楽しそうだ。朝食を食べるかと聞くと食べるというので、備え付けのキッチンに入って冷蔵庫から野菜を取り出して、料理を始めた。

 これも普段の私ならあり得ない行動なのに、そうしなければと何故か思った。

 対面式のキッチンでとんとんと刻んでいるのを、ベッドで寝転んだ中宮がじっと見ている。なんなんだろう。

「何ですか?」

「いえ、べつに」

 中宮は、初対面の時とはずいぶん雰囲気が違う。圭吾様に似たあの怖いものが鳴りを潜めていて、安心する穏やかな笑みを浮かべている姿は、まるで別人だ。

「貴女は料理が上手なんですね」

「食べる前からどうしてわかるんです?」

「包丁のそのリズムでわかります。貴女は本当に温かな人だ」

「温かい? 人を欺いて生きてる私が? 私は利己的な冷たい人間です」

「本当に利己的な人間は、見返りのない愛情など捧げませんよ」

 そうだろうか。私にはわからない。

 どことなく埋められない何かを、貴明様に対して捧げている気はする。

 手早く煮物と焼き魚、冷凍保存してあったご飯を解凍して、ローテーブルに置いた。

 二人で食べていると、また変な感じがした。どうでもいい男だったはずなのに、心は喜んでうきうきしていて……。

 ずっと一人でご飯を食べ続けていた私には、誰かと一緒に食事を摂るのは普通ではないのだ。貴明様に給仕はしても、食事を共にさせていただいたりはしないし、家族にはいつも馬鹿にされていたから、自分の部屋で食事を摂っていた。友達らしい友達もいなかった。いつだって私は一人だった……。

 そう……、こうしているのが自然に思えるから、違和感が拭えない。

 自分の部屋でいつもと同じようなご飯を食べているのに、中宮がいるだけで、ご飯がおいしい。腕のぬくもりを知ってしまったせいだろうか。

「ごちそうさまでした」

 中宮は、朝ごはんのお礼を言って、すぐに帰って行く。

 それを名残惜しく感じるのは、きっと気のせいだ……。

 

 圭吾様と恵美様の旅行に、貴明様が同行される日がやって来た。私も同行する。車が別なので、さすがにそこまではなかったかと安心していたら、後ろの車の貴明様に見せ付けるように、圭吾様は恵美様を後部座席で抱き寄せたりされていた。

 運転席の、貴明様の表情は氷のようで、はらはらする。

「貴明様」

「……気にしてない」

 吐き捨てるようにおっしゃって、前の車に続いてアクセルを踏まれた。

 数時間後、着いたホテルは綺麗な山々が見える丘に立てられた、リゾートホテルだった。のどかな田園風景に突如現れたようなその建物は、なんだかその場に溶け込めていなくて、ちょっと趣味が悪い。

 貴明様は、お断りしたのに自分のお荷物を持たれ、しかも私の荷物まで持ってくださった。これは男のすることだからとおっしゃるけれど、メイドの仕事を取り上げられたら困る。

 鹿島様がいらしていた。

「こんにちは貴明様」

「こんにちは」

「お疲れではありませんか? 今すぐ食事を用意させますけれど」

「ありがとう、でもいりません。最終的な打ち合わせをお願いします」

「……わかりました」

 お二人は時々軽口を交えながら、打ち合わせをされていく。私はする事がないので、黙って壁際に立ってお二人の様子をじっと見ていた。

「では今から実行いたします」

「よろしく頼む」

 しばらく経ってから、貴明様は圭吾様に呼ばれて部屋を出て行かれた。始まったのだ。

 鹿島様も恵美様をお迎えする役目がある。だから、すぐ出て行かれると思っていたら、彼女は不意に私の前で立ち止まった。

「……貴女、貴明様の何?」

「メイドですが」

「その割にはずいぶんと親しそうね」

「?」

 一体何をおっしゃりたいのだろうか。それにずいぶんと貴明様に対する態度と違う。ううん、違って当たり前なのだけど、人格が一気に下品になった。

「勘違いしないことね。彼は貴女なんか絶対に手が届かないのよ」

「何をおっしゃっているのか、理解しかねます」

「しらを切る気? 関係があるくせに」

 はったりだとすぐに見抜いたので、私はあくまでも、一体何を言われているのかわからないという顔を作った。大人しい娘が、おどおどしているという感じに見えるはずだ。

 鹿島様は騙されてくれたようで、そう、本当に何もないのねと、さもうれしそうに唇を歪めた。そして連れてきた若い男性と一緒に、部屋を出て行かれた。

 一人きりにようやくなれて、ホッとしてソファに座った。私はここで待機だ。

 今、圭吾様と恵美様はお食事中だろう。その後、貴明様が手を回された地元の有力者が挨拶に来て、お二人を引き離し、有力者と圭吾様が別の部屋で挨拶をされている間に、恵美様を救出するという手はずになっている。

 うまくいくだろうか……。

 ううん、うまくいってもらわないと困る。

 私は貴明様と一緒に部屋にいたという、アリバイ作りのために同行させられた。

 なんとも間の抜けた作戦に思われるし、あっさり貴明様が仕組んだのだとばれる、ちゃちなアリバイだ。貴明様ほどの、頭のよい方がそれがわからないわけがない。わざとなのだ。

 窓から見える景色は、美しい緑の木々に抜けるような青空が開放感でいっぱいなのに、この部屋だけ重苦しくて息が詰まりそうだ。

 まんじりともせずに貴明様をお待ちしていると、軽いノックと共に貴明様が入っていらした。

「成功だよ」

 満面の笑みを浮かべて、貴明様は私を抱きしめてくださった。

 ちゃんと恵美様を、用意されていたお部屋にお連れしできたらしい。

 それはとてもいいと思う。

 ……けど。

 貴明様はすぐに私の様子に気づかれた。

「どうしたの? 喜んではくれないの?」

「いえ、恵美様をお救いになったのは素晴らしくうれしいのですが、鹿島様が……」

 私が先ほどの様子を話すと、貴明様は知ってるよとっくにとおっしゃった。

「そりゃまあひどい裏の顔だけど。でも僕に気があるってのはないな。気があるなら協力してくれるわけないじゃないか」

「でも、それこそカムフラージュなのでは」

「あすかは心配性だね。ま、僕も彼女の性格にはまったく期待してない。あくまでアメリカに行くまでのつきあいだよ」

 そううまくいくだろうか。すると貴明様は、意地が悪い笑みを浮かべられた。

「新しい男を用意した。彼がうまくやってくれる」

「男……ですか。鹿島様にもお好きな方が、いらっしゃるとうかがっていましたが」

「彼女の本命は沢山の男。だから、彼女が大好きな俳優という餌を用意した。彼がしっかりしているから、恵美も安心して預けられるよ」

 ただの男好きの令嬢だったなんて……。

 貴明様も、用意がよろしいことだ。だけど、どうしても私の中で不安は消えてくれない。貴明様はどんな俳優も及ばないほどの、美男子ぶりなのだ。

 光の天使もかくやと思わせる黄金の髪と薄茶色の瞳。一度この方のお姿をみたら、誰もがその美貌を目に焼き付けてしまい、忘れるのに苦労するほど。貴族の血を引く、家系も知性も人をひきつけて余りある、とっておきの御曹司。

 俳優などとは、比べ物にならない気がする……。

 不安そうな私の頬に口付けてくださるのは、うれしいのだけれど。

「これから忙しくなるね」

「ええ」

 その時、焦ったようなノックの音がして貴明様は私をお放しになり、ドアを開けられた。

 圭吾様付きのボディーガード二人だ。

「恵美様を匿っておられませんか」

「知らないね。どうしたの」

「忽然とお姿をお消しになったのです」

「本当ですか?」

 貴明様はしらじらしくおっしゃり、男の一人はわずかに怒りを目に閃かせた。面白がっている貴明様が許せないのだろう。

「じゃあ探してみると良い」

 貴明様は、二人のために、ドアを大きく開けられた。

 二人は念入りにクローゼットや浴室、ベッドの下などあらゆる箇所を探した後、悔しそうに部屋を出て行った。 

 圭吾様お気に入りの恵美様を逃がしてしまったのだから、彼らにしてみたら、とんでもない失態だ。まさかホテル従業員に、内通者がいるとは思っていないだろう。少なくとも今の段階では、恵美様を見つけられっこない。

 貴明様は愉快そうにお笑いになる。

 それを見て少しは気が晴れたものの、恵美様は今どういうお気持ちだろうかと、やはり不安に思った。

 恵美様は、鹿島様と夜のうちに闇にまぎれて東京へお戻りになり、貴明様のマンションへ入られた。貴明様は圭吾様と東京へお戻りになるので、ご一緒できなかった。鹿島様が何か恵美様にされないかと心配していたけど、貴明様の高校時代からの親友だという俳優が同行し、まったくの杞憂におわり、それに関しては安心した。

 圭吾様には、恵美様の履いておられたパンプスが、外にあったと届けられ、それしか見つけられなかったボディーガードたちは、こっぴどく叱られていたという。

 本当は警察沙汰にするべきなのに、圭吾様はそれをされなかった。

 とっくにわかっておいでなのだ。貴明様の仕業なのだと。

 貴明様もそれをわざと見せ付けるかのように、悠々とした態度で近くに控えておられる。

 あの圭吾様の切れ長の黒い瞳に睨み付けられたら、大抵の人間は震え上がってしまうけれど、貴明様はまったく動じられない。それどころか鷹のように鋭い目で、睨み返されたりする。

 詰まるところ、お二人は似すぎておいでなのだ。考え方も、行動も、何もかも。女性の好みまでもが同じだったのが、不運といったところだろうか……。

 帰り道の車中、貴明様は上機嫌だった。

「アメリカへはいつ行かれるのですか?」

「準備ができしだい、すぐにでも。皆持っていくから。あすかは……付いて来ないだろうね」

 運転される貴明様は、すこし寂しそうにされた。

 私は言った。

「……佐藤グループを捨てられるのですか?」

「こんな腐った会社に何がある。アメリカで事業を起こすよ。あちらのほうにいくつも人脈を持っている。可能だ」

「奥様は……」

「ナタリーには親父がいるだろう。二人で子供を作ってそいつに継がせたら良いんだ。とにかく僕は佐藤グループなど継がない。ナタリーと親父の駒になるのは真っ平だ」

 お気持ちはわかるけれども、絵空事に思えるのはどうしてなのだろう。

 貴明様は今、恵美様しか見えておられない。

 お仕事がなさりたくて、ご自分の力で御立ちになりたくて、アメリカに行かれるのならこんなに不安には襲われない。

 夢に夢を見てしまっておいでなのが、今の貴明様だ。

 私はそれ以上は何も言えず、貴明様も何もおっしゃらず、車窓だけががゆるやかに流れていった。

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