愛だと信じていた 第17話
部屋へ帰って、早速私は言った。
「貴明様、お話があります」
「何?」
ボタンを外し始めた貴明様は、不思議そうに振り返られた。
相変わらず御綺麗な方だ。
「私は、今日で、このお屋敷を辞めることになりました」
「なんでいきなり、そうなったの?」
貴明様は背もたれに腕を回し、長い足を組んでソファにおかけになった。
「先週のお休みの日に、お見合いをしたんです。両親も乗り気で、私もこの方でいいかなと思いました。結婚は早ければ早いほうがいいとの先方の都合で……」
まったく私という女は、よく、こういう時にまで息を吐くように嘘をつけるものだ。
貴明様が何もかもご存知だとわかっていても、平気で嘘をつく。
しんと静まり返った部屋に、私の声が嫌に響いた。
しばらく貴明様は、私をじっと見つめておいでだった。
私もじっと見つめ返した。目を逸らしたら、嘘が露見してしまうような感じがした。とっくにばれているのにおかしな話だけれど。
「……愛してるの?」
愛? あれ以来姿を現さない男を?
ちくりと胸が痛むのをかくして、私は一世一代の大嘘をついた。
「愛せると思います」
「僕の知ってる男かな?」
「おそらくは。田辺建設株式会社の専務でいらっしゃる方です」
「……ああ中宮さんか。僕より七つ年上の。穏やかだが仕事ができる男らしいね。中宮さんに僕との事は話したの?」
私は首を横に振った。
ご存知の癖に、どうしてそんな話をされるのだろう。
「あすか」
貴明様に抱き寄せられて、キスをされた。乾いた音がしてタキシードが床に落ちた。身を捩じらせても貴明様は離してくださらない。
「あの……タキシードが……」
「ああそうだった。着替えなきゃね。あすか、手伝って」
「え? あの……貴明様?」
貴明様は、私を横抱きにしてベッドにやさしく座らせ、御自分もその横におかけになった。
「着替えるんだから脱がないといけないね。君が脱がせて……」
「は……い」
どうして?
もう、私には何もないのに……。だけど、その目はいつかの甘い目だ。
中宮の姿がよぎった。
貴明様に抱かれてもいいのだろうか……。
でも。
中宮がいけないのよ。私をいつまでも放っておくから。
そうだ。私は悪くない。
細い指が震え気味に貴明様のシャツの前ボタンを全て外した時に、貴明様は私を押し倒して深いキスをしてくださった。同時にメイド服が花開いていく。
「もう私とは、されないと思っていました」
「だけど、最後には抱いて欲しい。違う?」
肯定の言葉の代わりに、貴明様の背中に絡みついた。
私が果て、貴明様も果てた後、私は貴明様の腕の中で聞いてみた。
「貴明様、今でも恵美様がお好きですか?」
「……好きだよ」
切ないほどに胸がうずいた。
私は猛烈に恵美様に嫉妬している。どうしてそこまで、貴明様を夢中にできるのだろう。
そう思っていても、私の口からはすらすらと嘘が出てくる。
「ですから、私は貴明様のおそばを離れられるんです。私、このお屋敷に来て、貴明様のおそばにいられてとても幸せでした」
「こんな悪者は一生憎め。これからは中宮の事だけを考えるんだよ」
貴明様は不機嫌に起き上がられ、背中をお向けになった。たまらなくなって、そんな貴明様のお背中に自分の右の頬を押し当てた。
「貴明様は、とてもお優しいんです」
「お前を利用した僕が?」
「お優しいです。どうかその優しさをお忘れになりませんよう……」
「あすか」
完敗です。恵美様。もっとも、私などが太刀打ちできるわけが、ありませんでしたけれども。
純粋な愛じゃなかったかもしれない。だけど私は、この想いを愛だと信じていた。
貴明様へ尽くす想いを、愛だとずっと信じていた。
中宮がそう言ってくれたのだから、間違いはない……。
「……愛していました。最初の人が貴明様であすかはとても幸せでした」
上半身だけ振り向かれた、貴明様に抱きしめられた。
「それなのに、お前は僕を置いていくんだな」
「これ以上おそばにいると、お互いによくありません……」
「そうかもしれない」
貴明様は悲しそうにお笑いになった。止めてくださらないのにお優しい。本当に残酷な方だ。
(やはり私では駄目。貴明様の想いを引き出す事も、受け止める事もできないんだもの)
メイド服を手際よく着て、貴明様にタキシードを着せようとすると、その腕を押し留められた。
「いい。このまま着たら、お前が忘れられなくなるから」
貴明様はご自分で服を身につけられ、優しく私の頬を撫でて笑いかけてくださった。
「今までありがとう、あすか。……元気で」
それは聞いた中で、一番胸を温かくさせる貴明様の言葉だった。