あとひとつのキーワード 第09話

 12月に入って寒さが深まっていた。真嗣さんは相変わらず私をデートに誘ってくれ、私はそれに応えていた。沙彩も靖則も父も、私の前には現れない。

 今日は駅前のホテルのレストランで、沢山居る恋人たちの中の一組になっていた。

 真嗣さんと居る時だけ、私は上塚の令嬢になる……。

 にこにこしながら真嗣さんが言った。

「今年のイブは空けておいてね」

「何かのパーティーですか?」

 ワイングラスに口を付け、そっとテーブルに戻した。

「それもあるけれど、違うよ。すみれちゃんと過ごしたいと思ってるんだ」

 私は戸惑った。さすがにやばいだろう。

「あの、沙彩は? 婚約者でしょう?」

「沙彩は友達同士でパーティーをするらしくてね。私は邪魔なんだって」

 あの沙彩ならやりそうなことだ。しかし、クリスマスというのは恋人や婚約者としては外せないイベントだと思われるのに、一体何を考えているんだろう。

 ふと靖則の顔が横切った。こんなふうに出てくるなんて嫌な男だ。

 真嗣さんは上品にフォークを使って料理を口に運び、寂しげに口元だけで微笑んだ。

「流石に寂しいけれどね」

「なら……」

「沙彩の望みは何でも叶えてあげたいんだ。だから構わない。クリスマスデートも彼女の意向だよ。すみれちゃんが嫌なら……」

 沙彩の意向とはどういうことだろうか。本当に気持ちが悪い。

 私としては真嗣さんと一緒に居られるのなら、意向でも何でも構わないけれど。気になる。

「すみれちゃんは何も気にせずに楽しんだらいいんだよ? 沙彩もそう思って、プレゼント代わりに提案したんだろうし。自分の代わりに私と出歩いてくれなんて、迷惑な話を持ちかけて申し訳ないからって言ってたよ」

 そんな愁傷な心根の持ち主なわけがない。何かを企んでいるに決まっている。

 真嗣さんはどうしてあの沙彩の本性を見抜けないんだろう。だけど沙彩の本性を言ったところで、真嗣さんが不快になって私に冷たくなっても困るし。

「沙彩は……本当にそう言ってたんですか?」

「そうだよ。ドレスも自由に選んで楽しんでって、お金まで渡してきた」

「ドレスって……」

「ごめんね、でもこの間みたいなパーティーじゃなくって、同年代の男女の気楽なパーティーだよ。人数も少ないし」

 それのほうが余程気を使う。うちわのパーティにいきなり飛び込むなんて。

「いろんな趣味を持つ連中の情報交換みたいなのを、普段はやってるんだ。今回、それがたまたまクリスマスになっただけだ。私だって知らない連中は結構居るし、普通の大学生や勤め人が主なメンバーだ。すみれちゃんは普通に食事を楽しんていたらいい。靖則にも来てもらうし、一時間ほどで抜ける。後は普通にデートしようよ?」

「デートは構いませんけれど……、榊原さんって」

 会いたくないと思い切り顔に出してしまい、それを見て真嗣さんは笑った。

「そう嫌わないでやって。あいつはすみれちゃんをとっても気に入ってるんだからね」

 別の意味で、ですよ。

 はあ、真嗣さんてこの手の話題に本当に鈍感な気がする。大丈夫かしら。だから沙彩の本性にも気づかないのかも。

 でも気づいていてこんなふうにしているのかもしれないし……。

 美味しそうなデザートが運ばれてきた。 

 皿を置いてくれるウェイトレスの背後から、強烈な視線を感じて見ると、髪の長い女性の後ろ姿が遠ざかっていくのが見えた。

 誰だろう。絶対に私達を見ていた。

 沙彩の取り巻きの一人だろうか。

「どうかした?」

「いえ、何でも。わかりました。イブのパーティーには参加します」

「ありがとう。早速来週の土曜日にドレスを見に行こうね」

 真嗣さんは機嫌良さそうにコーヒーを飲んだ。そしていつものセリフを口にした。

「すみれちゃんの住んでるアパートまで迎えに行っていい?」

「駄目ですよ。いつもの駅前で、です」

「見たいのになあ」

「幻滅されたくありませんから。沙彩みたいにお屋敷には住んでません。ボロボロのアパートです」

「気にしないのに」

「私は気にするんですってば」

 沙彩の姉のボロ屋を知って、一体何の利益があるというのだろうか。真嗣さんは毎回このセリフを口にして、私は断っている。

 真嗣さんはとても残念そうに眉を下げた。

「住んでるところで態度を変えるような男じゃないよ、私は」

「それでも、です」

「……仕方ないな」

 ため息をつく真嗣さんだけどつきたいのはこっちだ。いい加減諦めて欲しい。あのアパートを見るなり、今度は引っ越しをしようとか言ってくるのが目に見ているので、絶対に来てほしくない。夢のようなきらきらは時々だから楽しいのだ。

 そう思う一方で、もし真嗣さんを沙彩から奪うことに成功したら、真嗣さんのお屋敷に住むことになる。

 その時私はそういう生活に慣れるんだろうか。

 デザートを口にして、それが減っていくたびに、私は現実が近づいてきている錯覚にとらわれていた。

 クリスマス・イブは雪ではなく雨だった。身体に凍みるような冷たさを覚えながら駅前で真嗣さんを待つ。

 同じような女性たち、または男性たちが沢山いて、次から次へと嬉しそうに相手がやってきて、二人で街中へ消えていく。これで雪だったらロマンチックな演出もできようものだけど、雨だからいささかムードのないクリスマスだ。そう思っているのは私だけかもしれないけれど。

 待ち合わせ時間丁度に真嗣さんの車が私の前に止まった。

 ほっとする私の前に、車から降りてきた真嗣さんが助手席のドアを開けて私を乗せてくれる。その時初めて、私は後部座席に居る靖則に気づいた。

 靖則は私と目が合うと、

「久しぶりですね」

 と、声をかけてきた。

「沙彩とご一緒かと思いました」

 バックミラー越しに言うと、

「私は彼女の友人ではありませんからね。ご一緒すると北山から聞いていたでしょうに」

 と、小さく笑った。

 成る程、沙彩とは友人ではなく、企て仲間といったところか。そこへ真嗣さんが運転席へ入ってきた。

「イブに雨とは、神様もひどいことをするよね。寒いし濡れるしいいことがないよ」

「アウトドアじゃないですから、大丈夫ですよ」

 そう言ってちゃかすと、真嗣さんはそうかと頷いてハンドルを握った。不機嫌さが消えてホッとした。

 バックミラー越しに靖則が私を見ているのが嫌でもわかる。目が合うとまた何を言われるかわからないから、私は気づかないふりをしてひたすら前を見ていた。

 パーティー会場はおしゃれな隠れ家のようなバーで、街の飲み屋街から大分離れた場所にある、小さなホテルの一角にあった。

 確かに格式張ったパーティーではなく、心の底からほっとした。あの息詰まる場所へは行きたくない。真嗣さんは数人の男女を私に紹介してくれ、彼らも私ににこやかに対応してくれた。事情を余り知らないのかもしれなかった。知っていたら物珍しそうに見るに決まっている。

 乾杯の合図と共に立食形式のパーティーは始まり、各々が好き好きにグループを作って会話を始めるのをよそに、私は隅の方で飲み物を口にしていた。もとが無趣味だし、社交は苦手だ。

「せっかく来たのに、食べるだけで帰るんですか?」

 靖則だ。

「一時間ほどで抜けると真嗣さんが言ってたわ」

「なるほど、そちらがメインというわけですね? どちらへ?」

「知らないわ」

 靖則は不思議そうに私を見て、私が本当に知らないのだと言うと、不可解と言わんばかりに首を横に振った。

「それなら今日はもうここで帰ったほうが良い」

「どうしてよ?」

「前にも言ったでしょう。沙彩の命令とはいえ、貴女は深入りしすぎている。危険です」

「危険は承知よ」

「そんなふうに口にする地点で、自覚が足りない。泣きを見るのは貴女だ」

「私に嫌な頭痛でも与えたら、止めるかもね」

「できるわけがない、人目があるところで」

「気にしないと思ってたわ」

「貴女は……!」

 さらに靖則は何かを言おうとしてきたけれど、真嗣さんに呼ばれて仕方なくそちらへ歩いていった。

 靖則にああは言ったものの、何かが引っかかって帰りたくなる。

 なんだっけ……?

 真嗣さんは話していたとおり、一時間で出ようと言ってきた。

「榊原さんは……?」

「話がまだ盛り上がっていて、どうぞって言ってたよ」

「……」

 変だ。

 さっきまでの靖則の様子なら、何がなんでも引っ付いてきそうなものなのに。

 それでも私は真嗣さんと一緒に居たいので、コートを着てバーを出た。雨はあがっていた。

 車に乗るのかと思えば、真嗣さんは反対方向へ歩いていく。

「どこへ行くんですか? 車は……」

 言いかけた私の背後から、走ってくる靴音が聞こえた。振り向くより先に左腕に熱い灼熱を感じる。同時に道路へ突き飛ばされた。私を除けた車が、クラクションを鳴らしながら通り過ぎていく。

 びしょ濡れの泥まみれになった私に血まみれのナイフを振り上げているのは、若い女だった。迫ってくる車のライトに照らされ、浮かび上がったその女の髪型に覚えがあった。あの、この前私をじっと見ていた女だ。痛みをこらえながら立ち上がり、また刺そうとしてくる女ともみ合った。

「すみれちゃん!」

 先に歩いていた真嗣さんが血相を変えて女を止めようとした時、それより早く、私は女に走ってくる車へ突き飛ばされた。

 けたたましいクラクションの音とかかる急ブレーキ。次いで私に襲い掛かってくる鉄の塊がぶつかる衝撃と、左足に走る激痛。そしてまた道路へ倒れる。

 真っ暗でもう何も見えない。その私に女はさらにナイフを突き立てた。

「死ね! 上塚沙彩!!! お前なんかこの世から消えてしまえばいい!!! 死ね! 死ね!」

 数カ所刺される痛みに身体も心も悲鳴を上げるのに、何もできない。動けない。

 頭が痛くて、左足が痛くて、他のところも痛くて……、熱くて、冷たい地面が凍みるようで凍えそう。

 怒号の飛び交う中、女の声が遠のき、真嗣さんが私の耳元で何かを言っている。

 何……?

「すみれ!」

 ああ……、なんだ……真嗣さんだと思っていたのに、靖則か……。

 そう思った瞬間、私は暗闇に飲まれた。

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