〈 小説目次 〉

あとひとつのキーワード 第17話

 朝食を食べ終えて靖則の様子を見に行くと、靖則は既に起きていて、しかも布団を畳んでいた。
「ちょっと、怪我は大丈夫なの?」
「かすり傷ですから」
 かすり傷で1時間も傷を手当するわけない。ひなりに振り向くと、ひなりは何も言わず、靖則の分の御飯をよそい始めた。
 靖則は布団を押入れに片付けて、振り向いた。
「それにしても貴女が私の心配するなんて、めずらしいですね」
「心配なんかしてないわ。死なれたりしたら迷惑なのよ」
 この男の心配なんて冗談じゃない! ぷいと横を向くと、ひなりが我慢できないと言わんばかりにふきだした。
 何よ!
「あんたってば、本当にお人好しなのよね。ああ、ジョゼだわって思うわ」
 腹が立つのは、靖則まで笑顔でいるところで、こいつら二人は私の神経を逆なでするためにいるに違いない。ポタージュに山ほど山椒でも入れてやろうかしら。
 靖則はローテーブルの前に座ると、シャツの前を僅かにめくり、私に向かって傷跡を見せた。えぐいものを見たくないのに見てしまって……、あれ? えぐくない。驚いた。ほとんど治癒している。
「ね? 大丈夫なんですよ」
「どういうこと?」
 昨日の様子では、とてもこんなふうに治るような怪我には見えなかった。
 ふふふとひなりが笑った。
「すみれの力のおかげなのよ」
「私?」
「そ、昨夜ちょっと封印が解けたでしょ? もしやと思って隣に寝かせたら……こんなに効果があるなんて驚きだけどね」
 信じられない。私が居るだけで?
 靖則がスプーンを取りながら言った。
「だから封印を解かずにいたのに。沙彩にこれが知られたら利用しようとするかもしれないでしょう? なんということをしてくれんだ、ひなり」
「この際、あの女との縁は切ったほうがいいと思うの。前世をいつまでも引きずるなんて馬鹿らしいわ」
「切れるものならとっくに切っている」
 靖則はスプーンを取り、ポタージュを飲んだ。美味しいのにやはり無表情だ。この男の味覚は崩壊しているんじゃないかしら? 
「ですからこの際は、すみれに協力してもらえばいいじゃないですか。私、この子へのあの女の所業、もう黙ってみてられませんもの。どれだけのものを奪ってると思うんですか?」
「お前がそれを言えた義理か?」
 冷たい目で靖則はひなりを見やった。ひなりははっと目を瞠らせ、辛そうに俯いた。
「まあいい。すみれだって、我々に協力するなんて、嫌でしょう?」
「あんたたちが封印とやらに振り回されるのはどうでもいいけれど、私が関わっているのなら嫌々でも協力するわよ」
 嫌に決まっている。と言いたいところだけれど、ひなりがあんまりにも可哀想だから、口に出来ず、湯呑みの茶をすすった。
 いよいよ暑くなってきて、外でセミの大合唱が始まった。部屋は靖則が僅かに立てる食器の音のみでしんとしている。ひなりは私を見たり、靖則を見たりし、私は宙の一点をぼうっと見つめていた。
 靖則は早々に食べ終え、フォークを置いた。
「ひなりが言ったように、しばらくは同居します。離れる必要があってここには来ていませんでしたが、封印が解けてきたとなるとそうも言っていられません」
「沙彩が何か仕掛けてくるの?」
 欲しそうにするので、仕方なく湯呑みに茶を注いで靖則に渡してやった。ひなりはそんな私を見て、目をぱちくりとさせている。何時もやってたことだってば!
「あの女の目はいつも我々を見ています。今も見られていますよ。私を通して見ているんです。ひなりはその魔法は使われていませんが」
「沙彩も魔女なのよね?」
「そうです。ソフィアは職についていないだけで、強力な魔力を持っていました。だからこそレイナルド王子の婚約者になり得たのです。あの国は、魔力の強弱で婚約者を決めていた。そこに身分は関係ない。農民であろうが商人であろうが、魔力があってそれが国に貢献できるとあったら、未婚者でありさえすればどの娘でも后になれるのです。故に、ジョセフィーヌも候補だった」
「……そうだったの」
 レイナルド王子が傲慢にソフィアとの婚約は解消すると言っていたのは、そういう背景があったからなのか。なるほど。ジョセフィーヌが后を夢に見るわけだ。

 そこまで言った途端、突然靖則は持っていた湯呑みをぼとりと畳の上に落とし、頭を抱えて苦しみ始めた。
「靖則!」
 ひなりが近づいて、何かを唱えた。相当痛むらしく、ひなりと同じように額に汗を滲ませている。ややあって靖則は苦しそうに息をして、よろよろと起き上がった。
 頭痛のあれ、痛いのよね。
「……そんなふうに、真実を話すと苦痛がやってくるわけ?」
「そ……」
 返事をしようとした靖則に再び苦痛が襲いかかったようで、靖則は再び倒れた。
「まったく! 厄介な呪いだわ本当に!」
 ひなりがぶつくさ言いながら、また同じように何かを唱えている。……けど、気休め程度なのかまったく効いているように見えない。ますます悪化してるんじゃないかな。呪い+今、私達を見ている沙彩が、さらに痛めつけているように見える。
 ふと蘇る記憶があった。同じような場面にジョゼは遭遇していた。
 その時に使った、ジョセフィーヌの魔術破りの方法みたいだ。
 ……できるかしら。
 見様見真似で意識を両手人差し指に集中すると、指先が金色に光り輝き始めた。
「すみれ? 何をしているの?」
 靖則に詠唱を施していたひなりが、私を見てぎょっとした。そりゃそうだろう。教えもしてないのに、私が魔法を使って何かをしようとしているのだから。
「すみれ……、やめろ。危険だ」
 靖則が苦しそうに言うけれど、指が勝手に動くから止めようもないし、大嫌いな男だからって、あの痛みを知っていると、さすがに見過ごすのはどうかと思う。
 よし、描けた。あとは……。
「切れ!」
 宙に描いた魔法陣に命令し、息を吹きかけると、それはふわっとひなりと靖則に吸い込まれた。消費される魔力が、身体の中でかっと熱くなる。幸福と歓喜がごちゃまぜになったような、神気としか言いようがない、気高い熱さだ。
 たちまち効果は現れ、二人は呻きながら畳に転がった。
 なんだか先程より苦しそうだ。
 ま、さか、殺す魔法とかじゃないでしょうね。
 二人の様子を見ていると、それは命を脅かすものではないようで、魔法の発動を止めようともせず、ただ身を任せているようだ。
「……く!」
 ひなりが呻き、靖則が息を詰めた瞬間、何か、ぶちぶちと引きちぎれる音がして、今まで見えていなかった黒い縄のようなものが二人の周囲に落ちた。  
 同時に甲高い女の悲鳴が聞こえた。沙彩の声に似ている。どこか遠くからだ。外からではなく、空間を越えたどこかからのようで、エコーがかかって聞こえた。
 黒い縄はしゅうしゅうと音を立てながら霧散して、消えた。なんだか嫌だなと思って部屋を換気したくなって窓を開けた。
 たちまち熱気が入ってきたけど、嫌な気が出ていくので爽やかだ。
 ひなりはまだ起き上がれないようなので、押し入れから毛布を取り出してかけてあげた。靖則はむっくり起き上がり、近くに座った私を見た。なんか自分が自分じゃないようで、現実感がない。
「すみれ……」
 頬を靖則の指先が滑っていく。いつもなら厚かましいとか、離れろとか思うのに、それをする気力もない。
「靖則、大丈夫なの?」
 ひなりが何かを気にしながら、心配そうに言う。それも遠く聞こえるぐらい、私はジョセフィーヌの魔力の中にまだ突っ立っている状態だった。
「大丈夫です……。すみれをわざと憎まなくても、何もない」
「本当?」
「ええ」
 何を考えているのか、靖則が不意に口付けてきた。さすがにこれには私も我に返り、靖則の胸をを押しのけようと頑張った。靖則はそんな私におかまいなしに、何度も何度も口付けてきて、文句の一つも口にできない。かなり息苦しい。
 なんなのこの男! 強引で自己中とは思ってたけど、人前で何するんだ。
「いい加減にしなさい靖則……!」
 ひなりの注意に口づけは終わった。しかし、代わりに、嫌と言うほどきつく抱きしめられた。
「ああ! ジョゼ、ジョゼ! 夢ではない……」
 ひどく感激している靖則は、私の状態をわかっていなかったらしく、やっと起き上がれるようになったひなりが引き離してくれた時には、私は疲労困憊してぐったりとしていた。私を絞め殺す気なのか、この男は。
 睨みつけても、靖則は目を潤ませて嬉しそうに微笑み、また私に手を伸ばそうとして、ひなりに止められた。
「魔法が解けたの?」
 また絞め上げられたらたまらないので、思い切り壁際に尻伝いにじりじりと下がりながら聞くと、まだ冷静なひなりが説明してくれた。
「沙彩にかけられていた一番厄介な魔法が解けたのよ。逆元拘束の法って言うのだけれど、真実を貴女に話そうとすると、あんたも知ってるあの鋭い頭痛が襲ってくるの。靖則はあんたの数倍の苦痛のをかけられていたのよ。あまりにひどくて、一時期は操り人形みたいになってたと思うんだけど」
「沙彩が靖則を操っていた?」
「私が知っている限りでは、靖則があんたとセックスする時まではほぼ、操り状態よ。逆らえば命に関わるほど痛めつけられるから……」
「…………」
 ひどい魔法だ。そんな呪いをかけられていたから、今までああもひどい態度と言動だったのか。
「あんたと交わってから、あんたの魔力がもらえたのかだいぶマシになっていたようだけど」
「沙彩は……そこまで私を憎んでいるの?」
「それは」
 言いかけたひなりを、靖則が止めた。ようやく本来の冷静さが甦ったらしい。
「聞く必要はない。私の罪は消えませんし、すみれも許す必要はない」
「でも!」
 ひなりがさらに言おうとするのを、今度は靖則は手で制した。不服そうにひなりは頬を膨らませた。
 靖則はかつてないほど優しい目で私を見た。
 あ、これ……知ってる。けど……誰だっけ?
「いいんです。すみれ。貴女は私を憎んで許さなければいい。私はそれほどひどいことをした。足を動けなくしたのも私、社会的地位を奪ったのも私、未来を束縛したのも私」
「ちょっと……」
 でも、でも、……腹が立つけれどそれは沙彩の魔法だった……んだよね。
 悪いのは沙彩だ。靖則も犠牲者だ。
 そう思う一方で、散々傷つけられてきたのを許すなんてできない。
 自分なんてどうでもいいと思っていたのに。
 どうして今頃……。

 私の困惑に気づいて、靖則は首を横に振る。
「ああ、そうではない。私が沙彩と決着をつけたら、婚約も解消できる。私の存在など早く忘れ去ってください。少しの価値もない」
「…………榊原さん」
 靖則はゆっくりと立ち上がって、私を見下ろした。
 あ、この姿も知ってる。知ってるのに思い出せない。
 愛おしくて慕わしくて……私の全てで。
 大好きで……。
 ジョゼってパザン大佐がそんなに好きだったのかな?
 レイナルド王子ではなく?
「ごちそうさまでした。今日はひなりの料理で残念でしたが……、貴女の作るものは皆好きでしたよ」
「……は?」
「じゃこれで。ひなり、おまえはすみれから決して離れないように」
 さっと上着を羽織った靖則に、ひなりは慌てて荷物を片付け始める。
「すみれ。今日は私も出社するから、貴女も支度して」
「馬鹿かひなり。何を言っている。出勤する必要などない」
 靖則が言い放つ。
「北山と沙彩は、封印の大部分が解けたことをもう知っている。沙彩の魔力に満ちた北山の会社に行くなど、愚の骨頂だ。すみれになにをしようとするかわかったものじゃない。ここの方が安全だ。一応結界を張っておく」
「そ、そうよね」
 ひなりは、そわそわしながらうなずいた。
 靖則の表情には、未だかつて無い決意のようなものがある。
「貴方はどうするの?」
 私が聞くと、靖則は安心させるかのように目を和ませた。
「心配ない。一旦家へ帰るだけだ。封印がほとんど解けた今、沙彩は私に何も出来ない。夕方には戻る」
 嘘だ。靖則を止めなければ。きっともう戻ってこない。
「夕方まで寝ていなさい。同居すると言ったでしょう? 心配しないで」
 私が口を開くより先に、靖則は私の額に手をかざした。
 たちまち眠くなる。駄目だ。止めなきゃ。絶対に靖則は一人で沙彩のところへ行く気だ。封印が解ける前は信じられても、解けたら次の行動は決まってる。刺し違えても沙彩と…………。
 封印は全部解けていないんでしょう?
 どうしてそこまで自分を追い詰めるの……?
 私への罪の償いのため?
 まだ何か、靖則とひなりは隠している。
 私の意識はふうっと途切れた。