あとひとつのキーワード 第19話

『今日も美しいね、ジョセフィーヌ』

 王宮の廊下で背後から突然話しかけてきたのは、ソフィアの父の宰相だ。初老に入っているというのに、彼は魔力が強いせいか20代の美しさを保ったままで、ジョゼにとっては気持ちの悪い存在だ。

 あの部屋に住み始めてからというものの、やたらとこの男に遭遇する。興味のない宝石やお菓子、外国から取り寄せた香水や珍しい動物、その他もろもろを贈り物を手にして現れ、パザン大佐かレイナルド王子が追い払ってくれるまで、部屋に居座っている。

 今日も来るのがわかっていて、それが嫌で外へ出たというのに、わざわざ探しに来たらしい。

 レイナルドと同じ黄金の髪に青い瞳は素晴らしいし、父親同士が兄弟だから似ていて当たり前なのだが、計算高すぎて油断のならない人物だ。また、政敵に対する容赦のなさがとても苦手だった。

『ほら、ご覧なさい。とても美しい鳥でしょう?』

 宰相が差し出して見せてきたのは、繊細な作りの銀の檻の中に居る、紺色の小鳥だった。

『姿だけではなく、声も素晴らしいのですよ』

 まったく興味がないので、ジョゼはそのまま踵を返した。どうせついてくるのだろうが、部屋に戻るしかなさそうだ。早く大佐か王子が来てくれればいいのだけれど……。

 案の定宰相は部屋に入ってきて、扉を閉めた。侍女は食事と湯浴みの時ぐらいしか部屋に姿を現さない。ふたりきりだ。

 ジョゼは、部屋の主のごとく平然とした顔でソファにだらりと座る宰相の前に、自分で入れたお茶を出した。

 そして睨みつける。

「何度いらしても、どんな贈り物をくださっても無駄なことです。私は貴女の妻になどなりませんよ」

「……貴女の心は、やはり、変わらないと?」

「誰でも同じことです。一人の人に想われなくても、そのままお慕いするだけです」

「娘……、ソフィアは諦めないよ? 亡くなった私の妻の血を濃く引いていてね。最高権力者の后という地位を、譲ったりしない」

「ソフィア様の都合でしょう? 私は正直な話、后になろうが愛人だろうが構わないのです。ただ、王子に尽くしたいだけです」

 くく、と宰相は嘲るように笑う。

「レイナルド王子を好き者にする気かね?」

「王族は皆そうです。レイナルド様だけが例外とは思っていませんわ」

 ジョゼは自分の分のお茶をカップに注ぎ、それを口に含んだ。

「利用されているとは思わないのかね?」

「それを宰相様がおっしゃるなんて、おかしいですわね」

「確かに……ね」

 危険な炎がちらりと宰相の双眸に宿った。ジョゼはそれに気づいても平然としている。ここはレイナルド王子の結界が張ってあり、宰相は私に何も出来ないと知っているからだ。

『この私に対して、遠慮なしに批判する者は、この国広しと言えども貴女だけだろうね』

『気に入らなければ、他の者と同じように処分されればよろしいのです』

 宰相は、品のある所作でお茶を飲み、優雅に足を組んだ。

『貴女にはそういうことはしたくない』

『そうでしょうか。ご自分でされないだけでは?』

『そうだね。ソフィア辺りが何かを企んでいるようだよ』

 ジョゼはカップをテーブルに置き、立ったままで宰相を見下ろした。

『何をしても、私は貴方のものにはならないわ』

『レイナルド王子が、お前を私に下賜してくださったら?』

 意地悪げに見る宰相の前に、わずかにジョゼの瞳は揺れた。外から漏れる光を影に微笑む姿は、誰もが天使や女神はかくやと思わせる美しさだ。

 何としても欲しいと宰相の目が語っている。

 それでもジョゼは首を横に振る。

『その時私は……消えていなくなるわ』

 

 蝉の声は夜になると消え去り、聞こえてくるのは別の虫の声だ。上塚の屋敷は整えられた庭に囲まれていて、自然がそれなりに豊かだ。開け放たれた窓からは夏にしては涼しい風が入ってくる。

 あれから真嗣さんに上塚の屋敷に連れてこられ、ひなりと一緒にこの部屋に待っているように言われ、もう夜になってしまった。最悪なことに鍵を掛けられてしまい出られない。夕食はさっき、あの冷たい使用人のおばさんが持ってきて、ひなりと二人で食べたばかりだ。敵の屋敷で出されたものを食べるなんてどうなんだろと思ったけど、ひなりは毒があるかどうかとか、そういうのがわかるのだという。

「一体、榊原さんはどうなっているのかしら?」

「結界が強固に張られていて、伝達も出来ないわ。ま、それくらいの想像はついていたけど」

「それって、榊原さんが危険な目に遭っているってことよね?」

「まだ生きてる。それはわかるわ」

 負傷していないとは言わないんだ。大丈夫だろうか。

 心配している自分に気づいて、苦く笑った。

 もう、許すしか無いんだ、結局は。

 酷い目に遭わされたけど、まだ、こうしていられるのは靖則のおかげなんだろう。沙彩のような悪魔だったら、もっともっと酷い境遇を考えて実行するだろうから。日本国外に売り飛ばすとか、ヤクザに売りつけ風俗に沈めるとか。得体の知れない研究所の検体にするとか……。

 沙彩の私を憎む気持ちは、尋常じゃない。

 ソフィアからしてみれば、ジョセフィーヌはそれほど憎い存在だったんだろう。殺しても殺し足りないほどのその憎悪は、現代に生まれ変わっても消えていない。不思議なのは、そんなソフィアを、どうしてレイナルド王子の生まれ変わりの真嗣さんは、さも好都合だと言わんばかりに、見てみぬふりをしているんだろう。

 いくらなんでも、ジョセフィーヌに対して冷たすぎやしないだろうか。仮にも仲間だった魔女なのに。

 ジョセフィーヌを殺した時、顔は相変わらず思い出せないのだけど、二人共表情を消していた感覚がある。

 邪魔な女を、あんなふうに殺すだろうか。王子という身分なら、ましてや魔力封じをされていたのだ、他の処刑執行人にでもやらせるだろう。

 きっと二人は邪魔になったから殺したんじゃない。殺すしかなくて殺したんだ。

 真嗣さんみたいに、自分の利益のためだけに、ジョセフィーヌに手を出したんじゃない。

 あの無表情は、荒れ狂う感情を抑える仮面だ。

 がちゃっと音がして扉が開いた。入ってきたのは沙彩と真嗣さんだった。

「もう会いたくないのに、真嗣さんが連れてきたがるから会うことになるのよね。面倒くさいわ」

 私は立ち上がり、何かを言おうとするひなりの前に立った。

「榊原さんはどこ?」

「来てないわよ。真嗣さんが嘘言ったの」

 沙彩は馬鹿にしきった目で私を見つめ、近くの椅子に座った。

「嘘を言ってる。靖則はここに居るわ」

 ひなりが怒りを押さえ込んで言う。沙彩は大げさにため息をついた。

「なあにひなり。あんたまだ靖則に引っ付いてるわけ? いい加減報われない恋心は捨てたら?」

「なんで私が靖則に恋するのよ。気持ち悪いわね!」

 いつぞやと同じようにひなりは即否定する。やはり恋愛感情はないらしい。

「だってえ。ずーっとずーーーーーーーーーっと引っ付いてるじゃない。靖則は、そこの私のお馬鹿な姉に懸想してるのよ?」

「懸想って、あんたね!」

「ああもううるさいわね。とにかくこうして私が来てやったのは、もう金輪際うちに関わってほしくないからよ。手切れ金は恵んであげるから、さっさと消えてほしいわ。ま、真嗣さんの望みを叶えてからだけどね」

「何よそれ」

 ひなりが訝しげに言う。本当にひなりがうっとうしいらしく、沙彩は下品にも舌打ちをして、魔力を込めた手のひらをひなりに向けた。瞬間、ひなりは吹っ飛び、壁に激突した。

「いきなりなにすんのよ!」

「目障りなのよねー。でもなかなか死なないのよその女。今だって壁にぶつかる前に魔法発動させてるし。憎らしいっったら」

 ひなりは椅子から立ち上がって、倒れているひなりのもとまで行き、蹴飛ばそうとした。しかし、私がかばったので足は私に当たった。

「あんたマゾか何か? どうしてわざわざ蹴られに来てるの?」

「そう思うのなら、そうとうおめでたい頭なのね」

 沙彩の顔色が怒りに染まった。だけど、封印がほぼ解けている私に、あの頭痛を仕向けることはできない。悔しそうに唇を噛み、真嗣さんに振り返った。

「本当にこんな女がいいわけ? そんなに欲しかったんなら、私の代わりにしていたときにでも、さっさとやっちゃえばよかったのに」

 何の話だ。

「馬鹿だなあソフィア。今の正気に戻りかかっているすみれを抱いてこそ、楽しいのさ」

「いいかげん悪趣味よ。ま、私はどーでもいーけど。靖則さえ手に入ればね」

「榊原さんはどこよ!」

 やっぱりここに居るのだ。

 ああ言っちゃったわと、沙彩は意地悪く微笑んだ。

「さっきまで私と一緒に寝てたのよ。あの男、私をどこまで嫌ってるのか、精神を魔法漬けにしないと抱いてくれないのよね」

 体中の血が沸騰した気がした。

「どこにいるの!」

 詰め寄ろうとしたら、横から出てきた真嗣さんに左腕を取られた。

「そんなに会いたいのなら、こちらへ移動させるよ」

「ちょっと真嗣さん。勝手なことしないでよ」

「いいじゃないか。ちょうど目覚める頃だ。こいつらの前ですみれを抱いてみせたら、それこそ最高に楽しいと思うよ」

「やあよ。私は見ないから」

「そう。じゃあ、自分の部屋に行ってて」

 は、と沙彩はため息をついた。

「良かったわねえすみれ。憧れの真嗣さんに抱いてもらえるそうよ」

 昨日までの私ならどんなにか幸せだったであろうその言葉は、今の私には地獄へ突き落とす言葉にしか聞こえなかった。沙彩は私を地獄に連れて行く名人だ。

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