ディフィールの銀の鏡 第08話
兵士達は文句を言った。
「ヘレネー様ももっと美人を入れてくれたらいいのにな。こんな枯れ木みたいな醜い女、抱く気も起きねえよ」
「地下牢の番なんてしたくないぜ。野郎ばっかりでうざくてならん」
「……と! 滅多な事は言えねえな、監視の結界が張ってあるから口を慎まないと」
「そうだな」
逃げ出せない様に、牢のある場所は脱走よけの結界が張られているのだ。
北側の塔へ入り、万梨亜は地下牢へと続くかびくさい匂いのする石の階段を、兵士に連れられて嫌々降りた。兵士の持つランプが無いと真っ暗だ。空気は氷の様に冷えていてどこかで水が滴り落ちる音がする。
檻が左右に並び、その中に男の囚人達がいるのがわかる。牢の手前に灯された一本のろうそくに照らし出される囚人の顔は、皆陰惨不潔極まりなく薄気味悪かった。兵士は一番奥の牢まで来ると、ろうそくが灯されていないそこの鍵を開けて、万梨亜の腕を乱暴に引っ張った。
「ここに入ってろ!」
石畳の上に万梨亜は転がった。がちゃっと鍵の音がして兵士の靴の音が遠のいていく。
かび臭いこの暗闇の中で、自分はこれから生きていくのだろうか。胸が潰れる思いで万梨亜が呆然としていると、後ろから若い男の声がした。この牢には自分と、あともう一人しか居ない。それでもまだ万梨亜はぼんやりとしていたが、次の男の一言で万梨亜は一気に覚醒した。
「万梨亜……、そなたが何故ここにやってきた?」
びっくりして振り向いた万梨亜の左胸が青く光り、その光に照らされてあの美しいジュリアスの姿が浮かび上がった。ジュリアスはひと月もの間こんな所に入れられていたのだ。それも驚きだが、この薄暗闇の中で自分の正体を見破ったジュリアスの方がもっと驚きだった。
デュレイスでさえ気づいてくれなかった事だ。万梨亜はうれしくて泣きそうになった。
「私が……わかるのですか?」
「やっかいな魔法をかけられたな。並の者ではわかるまいが、余は真実の眼があると言ったであろう? そなたの真実の姿は変わらず見える。最も余が普通の目であったとしても見破ったとは思うが……。そなたの挙動はいつもわかりやすいゆえ」
「……王子」
ジュリアスが万梨亜ににじり寄り、刈り上げられてしまった万梨亜の頭を優しく撫でた。青い光に照らされているジュリアスは、汚れていてぼさぼさの髪だったが、相変わらず美しかった。万梨亜の胸の光に呼応するように、ジュリアスの青い瞳に炎が宿る。
「ずいぶんやつれたな。ヘレネーにひどい目に遭わされたのであろう?」
「王子」
「よく無事でいてくれたな……」
めずらしく、ジュリアスが優しく微笑んだ。まるで最初に出会った時のようだった。あの時も傷ついた万梨亜を、ジュリアスは優しく解放してくれた。
「王子っ!」
万梨亜はうれしくてジュリアスに抱きついた。くっくっくとジュリアスがおかしそうに笑う。優しく抱きしめながらジュリアスが言った。
「デュレイスを恨むな。あれは騙されているのだろう」
「……でも、私に気づいてくださいませんでした」
「恨むでない、全て己に跳ね返る……。念とはそう言うものだ」
「はい……」
ジュリアスが万梨亜に口づけた。甘くて熱い……。唇を離すと万梨亜の左手の指輪をそっと指でなぞった。
「余はそなたが好きだ。だから奪った。そなたがデュレイスを愛していて、余を嫌がっていても余はそなたが欲しかった」
「こんな姿でも王子は私が欲しいのですか?」
「なんども言わせるでない。余はそなたが好きなのだ」
ジュリアスの美しい青い瞳は、ひたと万梨亜に向けられていた。万梨亜は胸の鼓動が高鳴るのを感じた。この人は自分を必要としてくれているのだと、誰も見てくれようとしなかったのにこの人だけは……。
万梨亜はうれしさで心が満たされていった。
うれしい。
うれしい、うれしい。
ジュリアスが再び万梨亜に口づけた時、左胸が我慢できないくらい熱くなった。ぼんやりと光っているだけだった胸の中の魔力の石が、眩しい程の青い光で牢内を照らしだし、他の囚人達が何事かと騒ぎ始めた。
ジュリアスが何かを唱えた。ぱんと軽い音がして万梨亜は力がみなぎって来るのを感じる。なんだろうときょとんとしていると、ジュリアスが微笑みながら言った。
「ヘレネーの魔法を解いた」
両手を見ると元の肌に戻っていた、しもやけもあかぎれもなく、髪さえも元の長さに戻っていた。ジュリアスは自らも青い光を放ちながら、またあらたな呪文を唱えだす。
「え……でも、どうして? どうして魔力が使えるのですか? デュレイス様に封印されたはずでは……」
「説明は後だ。ここの結界を破って外に出る」
ジュリアスが指を鳴らすと爆発音がして、驚いた万梨亜はいつかと同じ様にまたジュリアスに抱きついてしまった。この王子は何故大音響を響かせるのが好きなのか。ジュリアスが万梨亜の腰に手を回した。雪が舞い落ちてきて、上を見上げた万梨亜は、地下牢の天井に大きな穴があいたのを見て仰天した。囚人達が外へ出ようとして昇りだしている。
「飛ぶぞ!」
「え、ちょっとそれは……、ええええっ?」
ふわりと身体が宙に浮き、ジュリアスが塔の天井に空けた穴から外に飛び出した。爆発音で様子を見に来た兵士達が地面の大穴と、宙に浮いているジュリアスと万梨亜を見て驚いている。その中からデュレイスが現れた。
「おのれっ、お前が万梨亜をさらっていたのか!」
「愚かな男よ。己の正妃の本性に気づかぬとは」
「たわごとをっ!」
デュレイスが剣を抜き払って魔法をかけてきたが、それは青く光り輝く万梨亜達をすり抜けていく。ジュリアスが涼しげに微笑んだ。
「きかぬよ、次期ケニオンの国王殿」
そのジュリアスの言葉に、デュレイスは驚いた顔を見せた。
「己の野心が見えて恥ずかしいか? 第五王子であるそなたが国王の座を狙っている事が……。実際に会えばもっとよく見えるな。お前は万梨亜の魔力の石が欲しかったが、石の方がお前を拒絶し諦めざるを得なかった、……そうだな。ヘレネーの石を手に入れたのに味を占めて今度こそは……と連れて帰った。そなたが愛していたのは万梨亜の魔力の石の力であって、万梨亜本人ではない。だから万梨亜の石がそなたを認める事など永遠に無いのだぞ」
デュレイスはジュリアスを捕獲する様に駆けつけた魔術師達に命令するが、魔術師達はジュリアスの魔力に恐れを抱いたようで近づかない。歯ぎしりをしているデュレイスにジュリアスはさらに続ける。
「魔力の石の力を手に入れて、世界を征服したかったか?」
怒りを露にしたデュレイスは稲妻を呼んでジュリアスに攻撃したが、やはりその力は万梨亜達をすり抜けて地面に激突し、土塊が辺り一面に散らばっただけだった。兵士達はその威力に恐れおののいて次々に逃げていく。その中から白い人影がまっすぐに、こちらへ向かってきた。ヘレネーだ。
「おのれ……デュレイス様に何という事を! デュレイス様恐れる事はありません、私の魔力をお使いください」
ヘレネーはデュレイスの腕を両手で掴んだ。しかしデュレイスは首を横に振って何もしようとしない。
「……ただ私は、戦争がもう嫌だったんだ。だから……!」
「何をおっしゃっているのです! デュレイス様なら世界の覇者になれるものを」
ヘレネーは憎しみに燃える目で万梨亜達を見上げる。いつも黒いその目が今は赤い。この世界で赤い目は忌むべきもので魔の証だった。何故ただの人間であるはずの彼女がそんな赤い目を持っているのか、万梨亜には分からない。だがジュリアスにはわかったようだ。
「お前がデュレイスをそそのかしたのだな。魔女め」
「おだまり!」
座り込んでしまったデュレイスの腕を離し、ヘレネーは自分の左手を万梨亜達に向かって振り上げた。途端、赤い光が炸裂して漆黒の大きな長い蛇に変化し、牙をむき出しにして万梨亜達に飛びかかってきた。
「きゃあっ!」
「騒ぐな万梨亜。目くらましだ」
ジュリアスは瞬き一つでその蛇達を霧の様に消滅させた。万梨亜は他国で魔力が発揮できないはずのジュリアスが、何故こんなに大きな力を発揮できるのか不思議でならなかった。こころなしか以前より魔力が大きいような気がする。
一方ヘレネーは顔を悪鬼の形相に変え、空中に四角形の魔法陣を描き始めた。ジュリアスはそれを見て低く呻いた。
「魔界の魔物を呼ぶつもりか。いかな余でも今は相手はできぬわ。退散する」
「でもっ、デュレイス様が!」
「今はあきらめておけ……、あの女が離さぬであろうし、今はデュレイスもどうこうされまい」
右手をさっとジュリアスが横に払ったと思ったら、もう万梨亜達はディフィールのジュリアスの館の前に立っていた。瞬間移動したのだ。
驚いた事にひと月以上も離れていたというのに、衛兵達は万梨亜達を見てもなにも大騒ぎもしない。面倒くさそうに目を動かしただけだった。
「なんだ、ご無事だったんですか……。おい、王宮に報告だ」
「ちっ……面倒くせえな」
ジュリアスに手を引かれて、万梨亜は館の中に入った。
魔法で浴室の浴槽に湯を満たしたジュリアスは、ぼろぼろの服を万梨亜からはぎ取って、自らも脱ぎ、万梨亜の身体を洗いだした。
「自分でできます! それに主人と一緒に湯浴みはできません!」
「そなたを待っていたら日が暮れる」
何かがジュリアスをせき立てているようだった。手早くお互いの身体を洗った。ジュリアスは銀色の髪から水を滴らせたまま、同じく髪が濡れている万梨亜の身体を布で包み、自分の部屋まで引っ張って歩いた。
「乾かさないと風邪をひきます」
「わかっている……」
ジュリアスは普段は使わない魔法で温風を起こし、一気にお互いの身体を乾かした。余計な魔力は使わないと言っていたのに、これはどういう事だろうかと万梨亜は頭を傾げた。
万梨亜が服を着ようとすると、ジュリアスがそれを奪って床に落とし、呆気に取られている万梨亜を抱き寄せて口づけた。
「ん……っ、ジュ……ふ……」
舌がからまってどんどん深くなっていく。やがてそのまま首筋に唇が滑ってきたので、万梨亜は甘い愉悦の高鳴りに息を乱しながら顔を背けた。
「駄目……です。帰ってきたばかり……」
「血が昂ってどうにもならぬ。そなた以外に余を鎮められぬ」
勢いよくベッドに転がってしまい、万梨亜はジュリアスの上になったり下になったりしたが、やがて壁に止められた。ジュリアスの唇と手が万梨亜を乱暴に貪り始め、その性急さに万梨亜は悲鳴を上げた。
「あ……はん……、や、いきなり……ああ!」
「万梨亜、このひと月、そなたに会いたくて気が狂いそうだった」
離さないで欲しい……。万梨亜はそう思ってしまい慌てて打ち消した。
(ああだけどデュレイス様は……、私を見破れなかった)
ジュリアスはいとも簡単に見破ったというのに。その現実が万梨亜の心に暗い影を落とし、彼と万梨亜に隙間を作っていく。
お互いの激しい息づかいだけが部屋に響いた。ジュリアスは万梨亜の身体に執拗に愛撫を加えて何度も何度もいかせると、ごろりとうつぶせにして腰を立たせ、背後から押し入ってきた。たまらない熱さと甘い疼きで万梨亜は背を反り返らせた。下半身が熱く淫らにとけてジュリアスと一体となる……。
「ああっ!」
「く……! 締め付け過ぎだ」
快感に耐えるかの様に、ジュリアスの両手が万梨亜の乳房を鷲掴みにした。その掌の熱さでまた万梨亜は声をあげる。
万梨亜の耳にジュリアスが口づけた。
「そなたも余が好きであろう? そうでなければ余にあの魔力は出せなかった……」
「ちが……。あ……くう……んんん」
「双方の想いが交わって、始めて魔力の石の力は使えるのだそうだ。余も知らなかった」
そんな事をあの地下牢にいて誰に聞いたのか、万梨亜は知りたかった。しかし今は甘い熱に浮かされてもだえ、七色の波に押し上げられていくだけだ。ジュリアスは精を放っても、すぐにまた万梨亜を組み強いて万梨亜を求めた。
王宮からは誰も訪れず、万梨亜はジュリアスが眠るまで解放されなかった。