ディフィールの銀の鏡 第46話

 数日後、万梨亜達一行はリーオの王宮に着いた。訪問したのが同盟を結んでいるディフィール王国の第一王子であるジュリアスの后なのに、正門ではなく二番目の門をから入るように言われた。メノスは太い眉を吊り上げたが、今回の件はディフィール側の非が大きいために黙ってリーオの指示に従った。

「万梨亜様、用意ができました」

 メノスが馬車の扉を開けた。国を代表しての訪問なうえ、歓迎されていない冷たい空気の中に入るのは気が滅入ったが、いつまでも馬車の中に居るわけにもいかない。万梨亜は馬車から出て設えられた階段へ足を踏み出した。メノスが万梨亜に手を貸そうと待ち構えていたのだが、それを押しのけてリーオの将官だと思われる男が、驚いている万梨亜に手を差し出した。

「初めまして万梨亜様。王のもとまで、私、オプシアーがご案内いたします」

 黒髪のオプシアーはまだ青年の域を出ない少年のようだった。しかし、身分は相当たるもののようで醸し出す雰囲気に品がある。

(この人……)

 オプシアーは、万梨亜の知っている人間になんだか似ていた。あり得ないと思っているので一致するのに時間がかかった。

(デュレイス様に何だか似ている……)

 オプシアーのおかげで、万梨亜はするりと馬車から降りる事ができた。出迎える者は将官数名と好奇心丸出しの数組の貴族のみで、万梨亜の美しさにそこに居た貴族達がざわめいたが、それを万梨亜は失望の声だと思い内心で謝った。何しろ自分は奴隷だったのだから。

 リーオの王宮はとても質素な建物で、ディフィールやケニオンの王宮のようなはっとする華美さが見受けられず、実戦向きに造られている気がした。どことなく空気はかび臭さを帯びていて、陰気で活気というものが見受けられない。

 その万梨亜の気持ちを読んだのか、オプシアーが言った。

「本来、この王宮は地方の城砦だったのですが、先年に首都の王宮がケニオンに滅ぼされまして、王共々こちらへ参ったのです」

「そうですか……」

「皆、元の王宮を懐かしがっていますが、奪われたものはどうにもなりません」

「…………」

 一瞬、同盟国としてディフィールを暗に責めているのかと万梨亜は思った。しかし、オプシアーの表情には非難の色は無く、事実を淡々と述べているだけなようだ。二人の後ろをクロエとメノスが付き従い、さらにその後ろにはリーオの近衛が数人続いている。地方の城砦だったのならこの質素さも納得がいく。角を幾つも曲がった後、万梨亜は大広間のような場所へ連れて来られた。貴族達が居並んでいるのではと構えていた万梨亜だったが、居たのは数人だった。そのままオプシアーに手を取られて、一番奥にいるリーオ国王のもとに万梨亜は辿り着いた。

「陛下、万梨亜妃をお連れしました」

 オプシアーの声と共に万梨亜は膝を折って頭を下げた。元の世界の西洋の女性の礼が、この世界の女性でも主流だ。しかし、万梨亜が挨拶をする前にリーオ国王が口を開いた。

「ご苦労だった。さがってよい」

 早く帰れと言わんばかりの国王の声に、近くにいた大臣達と思われる男達が慌てた。

「陛下!」

「なんだ? 私は挨拶など不必要、神殿へは直接赴けばよいと言っていたのをわざわざ面会してやったのだぞ。こうして会ったのだ、文句はあるまい」

「しかし、こうして万梨亜妃がいらしたのにその態度は余りにも……」

「何をそなたらはかしこまっている? 何が后だ。この女はもともとケニオンの最下級の奴隷ではないか。何故尊き国王である私が声などかけねばならない。会ってやっただけでも光栄に思ってもらわなくてはな。早く神殿へ連れて行け。まったくディフィールもおろかな真似をしたものだ、女神の巫女を辱めるような輩と同盟を組み続けねばならぬとは……」

「陛下っ」

 万梨亜への侮辱どころか、ディフィールへの非難を口にし始めた国王を前に、大臣の一人がオプシアーに目配せをした。それを受けてオプシアーが万梨亜の手を取って大広間の外に向かった。背後では国王の非難の声が続いている。

「もう二度と来るな! 汚らわしい女奴隷めっ」

 扉が止まる寸前に、国王の声が大きく響いた。

 万梨亜はそのまま王宮を出て、元の馬車に乗せられた。相変わらず馬車の周囲では貴族達がたむろしていて、万梨亜を一目見ようとしている。彼らから敵意は感じなかったが、物珍しいものを見るような視線が不愉快だ。

 オプシアーが神殿まで案内してくれるようで、彼の葦毛の馬を兵が連れてきた。

リーオの神殿までは一時間ほどの距離らしい。もう太陽がかなり西に傾いていて、早く行かないと夜になってしまう。

 馬車が動き始めると、クロエが外にいるオプシアーに聞こえないように、小声で万梨亜に毒ついた。

「なんでしょうあの失礼な国王は。我が陛下がご心配あそばしたのも無理は無いですわ。あんな振る舞いですからこんな僻地に追いやられるんですのよ」

「……きっとやりきれないのよ。国王がお住まいになるにはあまりにも質素だわ……」

 離れていく王宮を馬車の動きで感じる。万梨亜はほっとすると同時に、新たな緊張が生まれてきた。王宮でさえこうなのだから、暴力騒ぎが起きた神殿ではどんな扱いをされるかわかったものではない。リーオの街はディフィールとは違ってどこか殺伐としたものが漂っていた。戦乱の跡がそこかしこに見え、崩れた家や、燃えた木などが目立つ。行きかう人々の格好も華美ではなく、表情は暗かった。

 高く険しい山の麓にリーオのカリスト神殿はあった。万梨亜が察していた通り出迎えた巫女達の視線はとても冷たいもので、万梨亜は胃が痛くなった。しかし、女神の言うとおりにしなければ、ディフィールの女達は皆短い間に老婆になって死んでしまう。

「いらせられませ、万梨亜様」

「よろしくおねがいします」

 ほぼ初老に近い女性の神官が、巫女達の中から無表情で進み出て万梨亜を出迎え、宿泊する部屋へ案内した。普通の清潔な部屋だったが、部屋数が足りないとの事でクロエと同室だ。二つのベッドが部屋の左右の隅に一台ずつ置かれ、質素だが大切に使われているのを想像させる木のテーブルと二脚の椅子が間に配置されている。窓の外にはもう太陽は見えず、山の端に茜色の残照が残っているのみだ。

「明日、朝早くに沐浴して身を清められた後、女神に礼拝していただきます。今宵は早くお休みなさいませ。食事は後でお持ちします」

「ありがとうございます」

 毛嫌いされているわけではないが、温かみの無い応対はかなり居心地が悪い。万梨亜はクロエと二人きりになった途端に、ぐったりと疲れて椅子に座った。それでもやはりケニオンでの辛い奴隷生活に比べると、待遇はかなり良い。付き従ってきた兵達は、神殿の外で野営を行う事になっている。

「万梨亜様は、本当にお怒りにならないのですね」

 クロエがお茶を入れながら、感心したように言った。

「……怒らなければならなかったのかしら?」

「国の使者でもある万梨亜様にあの態度ですもの。普通なら礼儀知らずの国王に対して何か言い返しますよ。客人に対する礼を知らない人間は神々に憎まれます。おまけに万梨亜様個人に対するあの言い方はなんでしょうか、あの方の境遇はあの方ご本人が招いたものですのに!」

 そういえば、リーオ国王の境遇を万梨亜はあまり知らない。国の状況を聞いているのみで、ジュリアスもテーレマコスも何故か教えてくれなかった。

「どういう事なの?」

「あの国王、まだ王太子でもなかった時に、手柄を立てようとして周囲の反対を押し切って前線へ出ましてね、相手がよりにもよってあのデュレイス王ですよ。もっとも当時はまだ王ではなかったんですけど、ご存知でしょう? デュレイス王の魔力の凄まじさと敵が恐怖するものすごい気迫を。リーオはたくさんの将兵を失うわ、砦はのっとられるわ、援軍に向かった他の有能な王族が亡くなるわで、あのリーオ国王はまさしくいないほうが良い存在ですのよ」

「…………」

「この国の国土が三分の一になってしまったのも、期待されていた亡き王太子のアジャックス様が、あの馬鹿王を庇ってデュレイス王の刃で斬られたせいなんです。その傷が元でアジャックス様が亡くなられてから、あれよあれよという間にこんな疲弊した国になったんですの。我が陛下も叔母君のアンテュクレイア様がリーオ前国王の后であらせなければ、とっくに見限っていいくらいです」

 テセウスが見限らないのは、リーオがケニオンとの間にある最期の砦であるからなのだが、若い彼女はわからないらしい。万梨亜はちょっと変だなと思ったが黙って聞いていた。それよりも万梨亜は最も気になっている事がある。

「あのオプシアー殿はどういう方なの?」

「えーと、あの国王が幼少時に奴隷市から引き取ってきたそうですよ」

「奴隷市?」

「はい、一目見て気に入ったとかで……、大臣達は猛反対したのですが聞き入れずにずっとおそばに召しているそうですわ」

「……国王はその道の方なの?」

 あまり見かけないが、男色はこの世界ではオープンだ。特に軽蔑されるものでもない。

「いーえ、それはまったく無いそうです。ただ、戦場での働きはものすごいものでして、先年の戦の時もオプシアー殿がいたから全滅を免れたとか。今は将軍の地位にありますが、それだけの働きがあれば、老獪な大臣連中も何も言えないのでしょうね」

 奴隷かと万梨亜は思いながら、クロエが用意してくれたお茶を飲んだ。なんだかもやもやとする。オプシアーはデュレイスに顔立ちが似ている。他人の空似と思いたいが、彼がケニオンの手先だとしたら……。そんな万梨亜の肩に、ヒューと名づけたあの小鳥が羽ばたいて来て止まった。そう言えばこの鳥は馬車を降りた時にはついて来なかった。先ほどまでも居なかったのに一体どこへ行っていたのだろう。

 質素な夕食が終わり、疲れているので早めに寝台で休もうとした万梨亜は、ドアをノックする音に緊張した。クロエと目を合わせ、返事をしたものかどうかと迷っていると、ドアの向こうから男の声がした。

「万梨亜様、夜更けに申し訳ございません。オプシアーです」

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