ディフィールの銀の鏡 第69話

 デュレイスが言った。

「何故我らを屠らぬ。今ならばお前は王になれるのだぞ」

「王になど興味は無い」

「王になれば、お前の言う平和が訪れる。お前は平和が望みなのだろうが。賢明な者が支配すれば平和が……」

 どんどん巨大な魔力が接近してくる中、ジュリアスは首を左右に振った。

「力でもぎ取った平和など平和たりえぬ。平和とは身近な人間に手を差し伸べてこそなりたつもの。流された血の上の平和はいつわりだ」

「力なくして国家の平穏などあろうか」

「心が伴わぬ力だけで、国を平和にできようはずがあるまい。心だけでは生きていけぬように、力だけでも生きていけぬ」

 ふわりとジュリアス達は宙に浮いた。ルシカにしがみ付かれたテーレマコスが、先ほどから集団転移の詠唱を唱え続けている。それは膨大な魔力の消費を伴うものであったが、ジュリアスと気持ちがつながっているテーレマコスは、それをパイプにしてジュリアスから魔力の供給を受け、術を完成させていく。

「万梨亜を返せ!」

 デュレイスが敵わないのを承知でジュリアスに剣を振り下ろす。剣は圧倒的な魔力差に太刀打ちできず、甲高い音を立てて砕け散った。兵達も王に倣って攻撃をするが誰も同じような結果になった。転移の壁が出来ていて、時空が別のものになっているため入れないのだ。焦るデュレイスの横を、女の影が走りぬけた。気付いたデュレイスが止めようとする。しかし女はそんな彼の腕をすりぬけ、誰もが入れない転移の壁の中へするりと駆け込み、万梨亜に付き添う。

「シャンテ! 裏切るのか」

 ヘレネーが怒りの声を上げた。気を失って眠っている万梨亜のそばに立ったシャンテは、かつての主人達に腰を折った。しかしそのうやうやしい態度とはうらはらに、顔つきはとても主人に向けるものではなかった。

「私の今の主人は万梨亜様お一人。ついていくのは当然かと」

 シャンテの目には、ヘレネーに勝る敵意に満ちた怒りの炎が燃えていた。

「万梨亜様はお優しい御方。人を恐怖で従えるような貴方達など仕えるに値しない!」

「家族がどうなろうと良いと言うのかえ」

 ヘレネーの恫喝にシャンテは大声で笑った。その頬に涙が行く筋も流れ、青い光に反射してきらきらと光る。

「とっくの昔に王宮の兵達によって殺され、この世に存在してはおりません。母は陵辱の限りを尽くされて殺され、五歳の弟は剣の切れ味を試すために、残酷に切り刻まれて殺されました。私はたまたま隣国に行っていたから免れた……。戻って来た時、血みどろの家の中で死に掛けていた父が言いました。王家には逆らうな、逆らえば殺されると」

「お前もそうなりたいのか!」

 シャンテは明確な殺意をヘレネーに向けた。

「どのみち殺されるのならば、愛する人を護って死ぬのだとその時決めました。それがこの万梨亜様。ヘレネー様、貴方達に命をかけたりするものですかっ。我らより惨めに裏切られて我らより残酷に嬲り殺されるがいい!」

「こしゃくな……!」

「父や母を奪った王家など無くなればいい。ヘレネー様、貴女さえいなければケニオンは救われたのに! 家族も生きて幸せに過ごせたのに! 皆貴女のせいだわ!」

「おのれ……下級貴族の娘が……っ! ……っ」

 その声を最後に双方の声は聞こえなくなった。周囲は青い光がさらに発光し、金色の光で埋め尽くされ、テーレマコスが詠唱を終了し転移魔法が発動した。

 あまりの眩しさにデュレイスもヘレネーも兵達も、目を庇って地面に臥した。

 次にデュレイスが目を開いた時、ジュリアス達の姿形は煙のように消えうせており、デュレイスは怒りのあまり近くにあった柱を力任せに叩いた。もう万梨亜を取り戻すのは不可能だろう。あんなに圧倒的な魔力差を見せ付けられては、彼も自分の不利を悟るしかない。敗北の屈辱に震えるデュレイスに、伝令が走り寄ってきて片膝を付いた。

「陛下、一大事です。リーオで再びクーデターが起きました」

「オプシアーはどうした!?」

「それが……。オプシアーが前国王を再び支持し、王座を譲り渡したと……!」

 それはオプシアーのデュレイスに対する裏切りだった。両拳を握り締めるデュレイスの前に、ようやく魔王と女神カリストが姿を現した。その禍々しい姿は人間の嫌うところであるのに、魔王がデュレイスとヘレネーにのみ姿を現すようにしているので、誰の目にも彼らは映らない。ただ不吉な空気が満ちていくのを感じるだけだ。

 憎しみの炎に焼かれているデュレイスを眺め、魔王は美しい顔を愉快そうに歪める。

「ケニオンの崩壊がここに始まるようだ」

 デュレイスは、仄暗い感情を浮かべて笑った。

「我らだけが滅びたりはせぬ……、死なばもろとも」

「それでこそケニオンの王よ」

 魔王が砕け散っていたデュレイスの剣を魔力で再生し、デュレイスに差し出した。

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