ディフィールの銀の鏡 第70話

 ジュリアスが解き放った囚人の塔の囚人達は、ケニオンにとって解放されては都合が悪くなる者達ばかりであった。裏を返すと彼らが居て都合がよくなる国にとっては、彼らの解放はこの上ない幸運だった。ある国ではケニオンに侵略されて、国を滅ぼさない条件に人質にされた優秀な王子が戻ってきた。ある国では腕利きのスパイが戻ってきた。そしてケニオンの各地では、デュレイスに反逆を起こした者達が戻ってきた。いずれも要注意人物でありながらも、処刑を断行するには都合が悪い者達ばかりで、囚人の塔に閉じ込めて生きるのが精一杯な劣悪な状況下に置いておきながら、表向きには丁重に扱っているととケニオンは説明していた。

 ケニオンの反国王派はともかく、王子を差し出していた国々は当然違いすぎる事実に怒った。優遇はされはすまいと覚悟していたが、死刑一歩手前の囚人のように不潔で陰鬱な生活をさせていたとは話が違いすぎる。ケニオンの言う事は信用できない。人質を条件に国を滅ぼさないと言っているが、いずれ滅ぼすつもりに違いないと。

 早速ケニオンに叛旗を翻す国が増え始め、新たな協定や同盟が復活し始めた。それらは申し合わせたかのように一斉に起こり、ケニオンは止める事すら出来なかった。ケニオンは各国の政治中枢に己の国の役人や軍人を入り込ませていたが、いずれも事故や病気に見せかけられ、隠密裏に殺された。ケニオンの軍事力を嵩に着て、私利私欲で国の富を思うままにむさぼった彼らに掛けられる同情はなかった。

 開放された囚人達の意向が強く出ている。これらはいずれも囚人の塔から彼らが解放された、わずか半月あまりで実行された。

 ケニオンは彼らが解放された時の事を考えていなかった。あの牢は同じ空間で上から下まで繋がっていた為、相談や話がとてもしやすい構造になっていた。一日に何回か巡回する牢番達は、塔全体に掛けられている脱出防止の魔術を信頼しきっていて、囚人達の怪しい動きを見逃していた。正確に言うと巡回はほとんどされていなかった。一度、ディフィール王子のジュリアスが破壊した時に、王妃ヘレネーが塔を修復し、さらに強固な脱出防止の魔術をほどこしていたが、今回のジュリアスとソロンの二人の魔力の前で脆く崩れ去った。ケニオン随一の魔力を持つヘレネーに頼りきっていたのがすべて裏目に出ている。だがそれをケニオンの魔術師や軍人に責めるのは酷な話だ。自分達の手に権力を集中させようとした魔女ヘレネーと、その父リクルグス将軍に逆らえる者は、国王デュレイスの他には存在しえなかったのだから。

 その国王デュレイスは荒れ狂っていた。せっかく手に入れた万梨亜を恋敵のジュリアスに奪い返され、各国の反乱に加えて、国内で反国王派の狼煙がいくつもあがっているせいだ。以前にも増して王宮内で何回も暗殺されそうになったり、命令が遂行されないままであったり、指揮系統がばらばらに崩れ落ち始めていた。安心できるのは王妃ヘレネーの館だけになっていて、最近のデュレイスは彼女の部屋で執務をとる有様だった。

「ご心配後無用ですわデュレイス様。片端から反逆者どもを捕らえておりまするゆえ」

 執務を終えたデュレイスに椅子を勧め、酒の用意を侍女に言いつけた後、ヘレネーは疲れているデュレイスに笑顔を向けた。

「……その割には、私のせねばならぬ事は増える一方だな。リクルグスも役に立たぬ」

 不機嫌を隠さずにデュレイスは吐き捨てる。言いたくもなるほどの無能ぶりをリクルグス将軍が晒しつづけているため、デュレイスは彼ら親子に頼りきりにしていた自分を後悔しはじめていた。それほど囚人達の活動は活発であり、脅威であり、国王デュレイスを苦しめていた。何よりデュレイスは自分の無能振りを一番痛感していた。誰も彼もリクルグス将軍と王妃ヘレネーに担ぎ上げられたデュレイスだから臣下の礼を取っていただけで、二人が弱り見放された今、二人と結びついているデュレイスに簡単に叛旗を翻すのだ。

 各国より、国内の敵が彼を追い詰めている。彼に代わる実力者は何人もいるのだ。

「大丈夫です。今のうちだけです」

「ならばよいがな。まあ構わぬ。やるだけの事はやる、それだけだ」

 いつの間にか弱気な言葉を口にするようになったと、ヘレネーの細い眉がわずかに上がった。それが気に入らなかったのか、デュレイスが突然ヘレネーの腕を引っ張って後ろにある寝台へ乱暴に押し倒した。さすがのヘレネーも驚き声も出せないでいると、デュレイスの手がドレスの胸の部部のを引き裂いて乳房を露呈させた。

「う……っ」

 力任せに揉みしだかれて、痛さにヘレネーは顔をしかめた。デュレイスの目に欲望は無く、冷静に観察しているようだ。何度も何度も揉んで押し上げ、絞るように手のひらごとで掴んだかと思うと、今度は硬く尖った胸の先だけをつまんだりもするデュレイスに、ヘレネーは次第に愉悦をおぼえ始めた。そんな彼女に反応して、彼女の胸にある魔力の石が赤く輝き始める。

「魔力の石……、最強の魔力の石を手に入れたと思っていたが」

 デュレイスはヘレネーの胸に顔を埋め、赤く光っているその部分に強く吸い付いた。

「あ……あっ!」

「そうではなかったと言うのか」

 せわしなく下着をひき下ろされて、ろくに濡れていない場所にデュレイス自身を挿入され、ヘレネーは痛みと愉悦に口を喘がせた。こんな強引なデュレイスは初めてだ。乱暴にされているのに求められるのは、なんと歓喜に満ちたものだろう。そんな彼女を組み敷いて冷たく見下ろしたデュレイスは、すぐに腰を揺さぶり始めた。

「はぁっ……あっ……あっ! もっと……、ぅ……っ」

「お前は永久に孕まなさそうだな……」

「それは……っ」

「私はお前を愛さないのだからな。せいぜい私の精をしぼりとって魔力の石の糧にしろ」

「デュ……レイ……っ……はぁあ」

「万梨亜が憎いのなら、万梨亜より強力な魔力を保持せよ」

 肉が音を立ててぶつかり、みるみるうちに繋がっている部分が蜜で滴っていく。赤い光のきらめきが増していってもデュレイスは満足できない、こんなものではない、万梨亜はもっともっと強く光っていたはずだ。なのに何故この女はこの程度なのか。一方のヘレネーはそんなデュレイスの心内を正確に読み取っていた。理由を知っていてもデュレイスがそれを叶えてくれる日は永遠に来ない。万梨亜が強い魔力の石を持てるのは、愛するジュリアスに愛されているからだ。魔力の石は愛される者に愛されないと力は最大にならない。そして子供も持てない。正妃に子供ができないデュレイスが、側妃に子供を求めているのを知っている。いずれできてしまうだろう、だが生まれてもすぐに葬ってやる。自分が子供に恵まれないのに、側妃が子供を得るなど生意気にも程があるというものだ……。

「は……いっ。デュレイス……さま!」

 ヘレネーは起き上がるとデュレイスの首に両手をかけて、深く激しいキスをした。絶対のこの男を離すものか。ケニオン国王デュレイスは世界の覇者になるべき男であり、その女は自分ひとりだけ。反逆を起こす人間も今のうちだけだ、せいぜい短い喝采をあげているがいい。

 その二人の様子を近くで魔王ルキフェルと女神カリストが見ていた。ヘレネーは気付いているが、デュレイスはヘレネーほど魔力がないので気付いていない。ルキフェルはめずらしく厳しい顔をして、二人の痴態を見て興奮したカリストの媚を完全に無視し、ソファに二人でだらしなく横たわりながらもその気になりそうな雰囲気ではなかった。

 ルキフェルの心の中に渦巻いているのは、ジュリアスとソロンへの侮蔑だ。あの二人はどちらかを倒す事をせずに共存を望んだ。何故そんなふうに思えるのだろう。邪魔なかたわれなど葬り去ってしまえば胸のつかえもとれて清々するものを。その侮蔑の中にかすかな羨望を感じ取り、舌打ちしたい気分に駆られる。

 カリストはどれだけ挑発しても無反応のルキフェルにため息をつき、無言でルキフェルの胸に顔を埋めた。目の前の寝台では、ヘレネーが執拗なデュレイスの愛撫に蕩けるような愉悦の声をあげている。奇妙なものだ。肉欲とは相手の心が自分に無くてもただ相手が愛する男だと言うだけで、ここまで高まっていくものなのか。ジュリアスの美しさに抱かれたいと思った自分だったが、仮にジュリアスが受け入れてくれたとしてもここまで歓びを得られたかどうかわからない。

 神にとって、愛とはただの気まぐれの遊びに過ぎないと思っていた。しかし、ヘレネーや万梨亜や男達を見ていると、ただたんにそう思える相手に出会えていないだけなのかもしれないと思う。

「テイロンですら出会えているかどうか……」

 何気ないカリストの呟きに、びくりとルキフェルの身体が震えた。カリストは不思議に思ってルキフェルの胸から顔をあげる。ルキフェルの漆黒の双眸に赤い光が一瞬宿って消える。その美しい顔立ちにカリストは自分の愛の歪みに納得がいった。彼女が愛するのは、皆、主神テイロンの面影を持っているものばかりだ。ジュリアスといい、水の神デキウスといい。

 ……魔王ルキフェルといい。

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