ディフィールの銀の鏡 第72話

 万梨亜は美しい花束をマリアに手渡せないまま、王妃の部屋から離れた。

「王妃様に嫌われているのに、何故いらしたのかしら?」

「しっ!」

 見送る侍女二人がひそひそと陰口を叩くのを、部屋の前を護っている女騎士が制止した。万梨亜は聞こえなかったふりをして、侍女と女騎士の視線を背中に受けながら来た廊下を逆に歩いていく。万梨亜が大分遠くに行くと侍女は再び口を開いた。

「大体魔力の石って男と交わる事によって強くなるんでしょ。はしたないわよね」

「あの方、第一王子のほかにもたくさん相手にしてるって話よ。ああはなりたくないわ。王妃様が厭われるのも当然ね」

 小さな声は大きくなり、かなり離れた万梨亜の耳に届く。やはりそう思われているのかと胸がずきずき痛んだ。ジュリアスやテーレマコスは何も言わないが、世間一般では魔力の石の女である自分を恐れながらも一方では淫乱だと見下げている。違うと言い返したくても、何人もの男に抱かれたのは事実だけに何も言えない。

「クロエやシャンテを連れてこなくて良かった……」

 陰口が聞こえなくなり、万梨亜は小さくため息をついた。勝気な彼女達が居たら大喧嘩になってしまったであろうから。王妃の棟には優しい雰囲気が流れているのに、自分の存在がそれを破ってしまった。どこまでも自分はマリアの邪魔をしてしまう。どうしてこうなるのだろう……。万梨亜はやるせない思いで王妃の棟の出口の階段に座った。

「でも、仕方ないわ……ね」

 王妃の侍女達はマリアの意向を受けて万梨亜を嫌っている。国境でマリアが侍女達を守るためにわざと嫌な王妃を演じて追い返した事は、美談となって彼女達の間で語られている。マリアは万梨亜以外には優しい女であるため彼女の株はうなぎのぼりだ。さらにケニオンで万梨亜を庇ってマリアが斬られた事も伝わっており、侍女達はそんな無謀な事をさせた万梨亜を怒っている。当然だと思う。普通は逆に万梨亜が庇うべきだったのだ。こちらでは万梨亜が望んでデュレイスの側妃になったと言われている。

 南方に位置するディフィールにしては肌に刺すような冷たい風が吹いているが、さえぎる雲よりも目に染みる色の青空が広がって太陽が眩しい。マリアもこの太陽を見たらケニオンでの嫌な出来事も忘れられるだろうか。

「王妃は会わなかったか?」

 声を掛けられた万梨亜は声の主に振り向いた。王の棟に続く廊下の入り口にテセウスが立っていた。テセウスの視線は万梨亜の持っている花束に落ちている。万梨亜は立ち上がって腰を屈めた。

「会おうと思いましたが、また日を改めようと思います」

「お前を庇って斬られたと言うから、少しは態度を軟化させたかと思っていたのだが」

「国王陛下にも王后陛下にも申し訳なく思います」

「咎めているのではない。嫌がるお前を側妃にしたデュレイスの外道ぶりは聞いている。言う事を聞かぬからと切り捨てようとしたそうだな。マリアが言っていた」

「王后陛下が……」

「お前がデュレイスの側妃となる事を望んだという流言が流れているが、出処はマリアへの忠義心が深すぎる若い侍女達だ。こちらにはきつく対処しておく。マリアもそんな流言を望んではいない」

 マリアが事実をきちんとテセウスに伝えている事が、万梨亜には新鮮な驚きだった。マリアは万梨亜を嫌っているので事実を捻じ曲げるなどいくらでもできるだろう。そしてそれを許容するテセウスにも意外感が隠せない。彼も自分を嫌っているはずなのだ。なにしろ万梨亜は卑しい奴隷の身分の出と認識されている。だからこそ侍女達の反感も強いのだ。

 テセウスは背後に控えている侍従長を目配せをして下がらせ、美しい水仙のような花が香る庭へ万梨亜を誘った。ナルキッソスはマリアが大好きな花だ。だから今日の花束にも入っている。ナルキッソスの花々は今を盛りとばかりに、むせ返るようなさわやかな香りをあたりに漂わせていた。

「ナルキッソスの花言葉は知っているか?」

 しばらく黙っていたテセウスが言った。

「……自己愛と聞いています」

「他にもある」

「そうなのですか?」

「お前は花に詳しくなさそうだな。兄上はいろいろと知っていたと思うが」

「花言葉には、あまり興味ありませんので……」

 恥ずかしそうに言う万梨亜にテセウスは微笑し、白いナルキッソスを一輪手折って万梨亜に手渡してくれた。

「色によって意味合いが変わる。白は「神秘」「尊重」の意味がある」

「そうなのですか? でもここの庭のナルキッソスは黄色が多いようですが……」

「黄色は「我が元へ帰れ、愛に応えよ」」

「…………」

 その言葉にはマリアの心の深い海が感じられた。先ほどの侍女達の言葉に傷ついてぽっかりと穴が開いた部分にその想いの海水がゆるりとなだれ込んでくる。無意識に花束を抱きしめた万梨亜の前で、テセウスは黄色のナルキッソスを次々と手折っていく。

「マリアはナルキッソスそのものだ。自分に自惚れている美しい女なのに、妙に自信がなく俯いている。それを認めたくなくて意地を張るのだろう、本当はお前と仲良くしたいのに冷たくいじめてしまう。そのくせ相手の愛情が離れたらどうしようと不安がっている。素直に言えば楽なものを……」

「国王陛下は王后陛下をよくご存知なのですね」

 テセウスが振り向いて苦笑した。その腕には沢山の黄色のナルキッソスが溢れている。

「あれと私は似たもの同士だからな。だからわかる」

 差し出されたテセウスの手に、万梨亜は一瞬ポカンとした。花束に視線が再び注がれている事に気付いて手渡すと、テセウスは今摘んだばかりのナルキッソスを万梨亜にくれた。

「マリアは本当は欲しかったはずだから、私から渡しておく」

「……ありがとうございます」

 万梨亜が礼を言うとテセウスははにかんだように微笑み、そのまま王妃の棟に入っていった。

 マリアは愛されている。それをうれしいと思う自分がとてもうれしい。先ほどまでの沈んで打ち萎れていた心は跡形もなく消えていた。我ながら単純だと思いながら万梨亜は軽い足取りで廊下へ戻り、出会う人々に挨拶をしながら微笑する。すれ違う貴族達や仕え人達は、その万梨亜の美しさに魅了されて立ち止まって振り返る。万梨亜はそれに気付かないまま門まで歩いた。

 王宮を出た万梨亜の目に、門の外の柵に凭れているジュリアスが映った。内緒で出かけたのにやっぱりばれたのかと万梨亜は思いながら、腕を組んでいるジュリアスに近づいていく。

「マリアには会えなかったか?」

 優しい笑顔に万梨亜の心はより温かくなった。

「心では花束を渡せました」

「あれも自我が捻じ曲がっているな。素直になれば良いものを」

「……そんなマリアだから私は好きなんです」

 万梨亜はジュリアスの腕を取った。ジュリアスは自分に触ってきた万梨亜に目を瞠り、次いで花のように美麗な顔をほころばせて笑った。やっと万梨亜のおあずけが終了したのだから当然だろう。

 意地悪くおあずけなんかしなきゃ良かったと、万梨亜は心底後悔した。あれからすぐに館に帰ったまでは良かった。しかし、昼食も摂らないまま寝室に連れ込まれてジュリアスに服を脱がされた。おなかが空いているのではと逃げを打ってもムダで、たまりにたまったジュリアスの性欲をまともにぶつけられる羽目になった。思えば何ヶ月か前の、リーオへ出発する前夜に抱き合ったのが最後だった……。

「ああ……また、ですか?」

「当然であろうが。余が精を注がねば子が生まれぬのだぞ」

 幾度繋がったかもう数えられない。身体中力が入らないのにまたジュリアスが後ろから手を伸ばしてきたので、万梨亜は弱弱しい悲鳴をあげる。こんな事になるのならもっと早く許してあげればよかった。汗や唾液にまみれた乳房を執拗に揉みしだかれて、治まったはずの悦楽が湧き上がってくる。

「ジュリアス……や、……もうっ……あ、駄目」

 ごろりと仰向けにされた。揺れた乳房の固く尖った乳首にジュリアスが乳飲み子のように吸い付く。片方は先ほどと同じく押しつぶすように手のひらが揉み、指先が意地悪く乳首を苛んでいた。

「事が新たに動くというのに未だに子が生まれぬのでは、そなたも余も困るのだ。いい加減同居生活から開放してもらわねばな」

 ぎらぎらと情欲に染まった青い目が、一瞬だけ青い光を宿した。痺れるような快感に耐えている万梨亜は、それに気付かずに腰をくねらせた。胸の石が先ほどから青く光り、それと同時に下腹部も光っている。それは青い光ではなく黄金の輝きだった。ジュリアスは目を細めてその下腹部を撫で回し、するりと濡れて粘ついた音がする茂みの中に指を差し込んだ。

「やああっ……! 指っ……」

「嫌がっている割にはびくびく動いている。精が足りぬと子が文句を言っているぞ」

 じゅぶじゅぶと泡立つぬかるみの中を、ジュリアスの指が嬲るように掻き分けて肉の芽と秘唇を何度も撫で回す。

「ああっ、ああっ、ジュリアスっ!」

「他の男に抱かれるそなたを、闇の中から見ているしかなかった余の気持ちがわかるか? 幾度自分に掛けた枷を壊そうとした事か」

「……あん……はあっ……はっ……んんっン!」

 あっという間に指戯だけで上り詰めた万梨亜を見下ろし、ジュリアスは局部から抜いた指を赤い舌を出して舐めた。その妖しい眼差しを見てしまった万梨亜は恥ずかしくて隠れてしまいたいのに、片方の乳房をしっかりとジュリアスの手が握り込んでいるためそれも出来ない。自分の愛液とジュリアスの精液が入り混じっている指を舐めているのを見せ付けられるなど、今までなかった様な気がする。

「自分の放ったものはまずいだけか」

 苦さに顔を歪めたジュリアスに欲望を押し込まれ、何度目かの挿入でいい加減に痛いはずなのに痺れるようなたまらない痒みが生まれ、万梨亜はそれから逃れようとジュリアスの肩を押した。にやりとジュリアスが笑った。

「余を拒絶しようとはいい度胸だな」

「……じゃなくて、もういい加減にしてぇっ……あああああっ」

 ぎりぎりまで引き抜かれて一気に押し込まれる。そうなるともう駄目だ。万梨亜はジュリアスに抱きついて彼の腰の動きをやり過ごすしかない。木の寝台は激しい動きにきしみ、万梨亜はかすれた声をあげる。その口をジュリアスが己の口で塞ぎ、口腔内をくまなく舌で犯していく。陽が沈み、照明をつけていない部屋はだんだんと暗くなる。その一方で万梨亜の下腹部の黄金の光りは大きくなっていった。

「もうすぐ……だ」

 熱い息とともにジュリアスの唇が万梨亜の耳朶へ移動して、優しく歯を立てた。そのかすかな刺激でさえも万梨亜は感じてしまい、熱くて固いジュリアスのモノをびくびくと締め付ける。甘美な蠢きにジュリアスは耐え、再び万梨亜を攻め立て始めた。口で術を唱えるのが辛くなり、ジュリアスは頭の中で術を唱える。首筋から汗が流れて万梨亜の甘い汗と交じり合った。

「く……」

 さすがに何度も達して放っていては体力が追いつかず、ジュリアスはすぐに吐精した。精は万梨亜の胎内に入った瞬間に熱い炎のような熱さになり、万梨亜は火傷しそうだと警戒する。しかしどこか違う。脅えている万梨亜をジュリアスが優しく抱き起こした時、黄金色に輝いていた下腹部から光だけが抜けて行き、ふわりと床に転がった。

「……え?」

 同時に火傷のような熱さは消えた。光はジュリアスの高さほどの棒状に伸びたかと思うと、暗い部屋の中でぱあっと光の粒子を放ちながら人の形になった。驚きすぎて、達した後気をやる事もできない万梨亜に、ジュリアスが優しい声で彼女の耳をくすぐった。

「余達の子の誕生だ」

「………………っ!!」

 二人の前で微笑んでいるのは、あのソロン以外の何者でもなかった。

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